妖怪・怪奇小話

すきま女の獲物 ※ややホラー

 彼女はすきま女として生まれ落ちた。どのような生まれなのかは自分でも良く覚えていない。父母に当たるすきま女とすきま男がいたのかもしれないし、何処からともなく生まれたのかもしれない。或いは、鋭角より出来するという異形の猟犬が彼女の父母だったのかもしれない。とはいえそれらの事柄は彼女にとっては些事だった。ともあれ物心がつくと独りっきりで小さなすきまに潜み、取り憑いた人間の恐怖や心の隙間を糧にして、暮らしていた。妖怪に取り憑く者もいるらしいが、そうした英断又は暴挙を行うのはすきま女の中でもかなり強い個体に限られる。



 住処を追われた彼女は、新たな隙間を探してさまよっていた。すきま女は基本的に単独で暮らす妖怪であり、縄張り競争も熾烈だ。すきま女が潜むための隙間や、取り憑くべき人間の数は限られているからだ。一つの隙間を争って、すきま女同士が闘う事は珍しくない。今回、彼女が逃げ出したのも、他のすきま女に遭遇したからだ。まだ若い彼女は、戦闘するまでもなく逃げ出した。すきま女の縄張り争いは熾烈だ。殺し合いや共喰いに発展する事だって珍しくないほどに。何しろ負の感情を糧にするすきま女である。そうした物を貯め込んだ同族は格好の栄養源でもあった。

 他のすきま女に見つからないよう警戒しつつ、彼女はいくつもの隙間を渡り歩いた。より小さな隙間、もしくは良質な気を持つ存在を探し求めて。

 

 しかし結果的には、幾つもの隙間を渡り歩く行為というのが彼女にとっては僥倖となっていた。人間に憑依する以外にも食事にありつけたからである。妖怪の心の一部を捕食する事も出来たし、所謂悪霊・怨霊の類を吸収する事もあるくらいだった。怨霊は言うに及ばず、妖怪の心というのも人間のそれよりは養分がある。たとえそれが、雑魚妖怪と呼ばれる類であったとしてもだ。

 他のすきま女たちよりも豪華な食事にありついていたであろう彼女は、しかし他の同族への用心も怠らなかった。日ごとに縄張りを替え、何者か――特に同族が近くにいると感じた時はすぐに撤退するようになった。

 だが次第に同族の気配を傍で感じる事は少なくなっていた。時々出くわす事はあるのだが、むしろ相手の方が先に退散する事の方が多いほどだったのだ。

 彼女は妖怪の心や怨霊をも捕食していたので、他の同族よりも力を蓄えていたのだ。そしてその事に彼女自身が気付くのもそう時間はかからなかった。



 その女妖怪を彼女が見つけ出したのはほんの偶然の事だった。新しいカモ――あとで雉妖怪だと判明するのだがそれはまた別の話だ――だと彼女はほくそ笑んでいた。小ぢんまりとしたアパートに身を寄せているらしく、その身から放たれる妖気もささやかな物だった。

 今の彼女にしてみれば、件の女妖怪の心や妖気を喰らうのに大した労力は必要なさそうだった。それこそおやつ代わりにイケそうだと思ったくらいだった。

 別段女妖怪が彼女に何かをした訳ではない。だがそれでも彼女は女妖怪を獲物として認めた。そこには「目についたから」という理由位しかない。

 だがそうした考えは、妖怪や異形の者にはありがちな考えでもあった。特に心の暗部、負の感情を喰らうすきま女であれば珍しくない事でもある。

 そんなわけで、彼女は件の女妖怪に取り憑く事になった。取り憑くと言っても特段派手な事をするわけでもない。ただただ隙間から相手を覗き観察するだけだ。それだけでもほとんどの人間と気弱な妖怪ならば気を冒され、病んだ精神はすきま女の養分になった。古典的な方法ではあるが、彼女はすきま女としてのやり方を心得ていた。


「うそ……全然効かない……」


 若干の焦りと違和感を彼女が抱いたのは半月ほど経ってからの事だった。女妖怪の様子を観察しているのだが、恐怖に侵蝕された素振りは一切なかったのだ。というよりも、彼女の存在にそもそも気付いていないのではないかという疑惑さえあった。

 さらに言えば暮らしていたはずのアパートにいない時間も増えていた。もちろん生活するにあたって外出するシーンもあるだろう。しかし屋外では潜む隙間は限られているし、何より彼女が追跡できない何処かに女妖怪が出向く事がままあったのだ。

 或いは――ここで引き返していれば、彼女はまた違った暮らし方をしていたのかもしれない。しかし彼女には引き返すという選択肢はなかった。むしろ一層ムキになったくらいだった。隙間からこっそり覗き込む真似はやめだ。実際に相手の心に入り込んで、その心と妖気を喰らう、と。


 しびれを切らした彼女は実力行使に出た。隙間から隠れて覗き見るだけではらちが明かない。直接相手の心の隙間に入り、そしてその精神を貪りつくそう。

 すきま女やすきま男は幾分残忍な気質の個体が多い。だが彼女の考えや行動はその中にあってもやや過激な物だった。何せ相手が妖怪と言えども弱い個体なのだ。心の隙間に入って精神攻撃などというのはやりすぎ・オーバーキルであろう。だがその時の彼女は、何かに駆り立てられていたのだ。


 女妖怪の心の隙間に侵入する事は容易だった。全くもって抵抗がないどころか、開かれているようにも感じられた。若干の手ごたえの無さを感じながらも、彼女はそのまま女妖怪の精神世界に入っていったのだ。そこでひと暴れすれば、即座に女妖怪は廃人になるであろう。そんな事を思いながら。

 なつかしさ漂う山里の心象風景を抜けた先で女妖怪の姿を彼女は見つけた。白衣を着こんでいたが、その下には普段着である茶褐色のワンピースが見えていた。髪は赤褐色の巻き毛、眼鏡の奥にある瞳は深い紫だった。愛嬌のある面立ちだが、漂う印象はむしろ冷静で理知的でもある。いかほどの力なのかは解らないが、餌食としてはうってつけだと彼女は思った。

 その女妖怪は、彼女が潜んでいるあたりに目を向けた。取り憑いて初めて、女妖怪は彼女の視線に気づいたのだ。


「やっと気づいたみたいだねっ!」


 その子供じみた叫びにはどのような感情が籠っていたのか。歓喜なのか苛立ちなのか。彼女には解らなかった。解らないままに彼女は動いていた。すなわち隠れていた隙間を押し広げ、おのれの名状しがたき姿を女妖怪の前に曝け出していたのだ。

 すきま女は人型であるとされているが、実は定まった姿はない。相手がその姿をイメージして決定させる事もあるし、すきま女自身が変化させる事もある。彼女は恐怖と狂気を呼び起こさせるような姿を思い描き、そして顕現していた。無数の目玉と触手と獣の肢を持つ姿でもって。


「もう逃れられはしないわよ。あなたの心と恐怖、丸ごといただくわ」


 彼女はご丁寧に宣言すると、触手の一本を女妖怪に向かって伸ばす。事ここにきて、女妖怪は逃れる素振りを見せなかった。ただただ顕現した彼女を見つめていたのである。恐怖が勝って動けないのだろうと彼女は思っていた。

 そうしているうちに、触手が女妖怪の細腕を絡め取る。広い心象世界の中で女妖怪の心の中心に触れたのだ。後はそこにある物を吸い取るだけである――

 すさまじい衝撃を感じたのは一瞬の後の事だった。



「あらあら……吹き飛ばされちゃったみたいだけど大丈夫?」


 不意打ち的な衝撃を受けた彼女の頭上から声が降りかかる。一人で吹き飛ばされて転がっている彼女のすぐ傍に、女妖怪が近づいていた。


「確か私の心を食べるとかって言ってたけれど。お嬢さん。あなたじゃあまだちょっと無理だったみたいね」


 目が合うように――とはいえ今の彼女には無数の目を持つのだが――わざわざ女妖怪は屈みこんでいた。その瞳その黒目を見た時に彼女は悟った。この女妖怪は取るに足らぬ雑魚ではないと。そうだ。彼女こそ真なるバケモノなのだと。こうなる事も初めから知っていたはずだ。むしろ彼女をおびき出させるために敢えて無防備に振舞っていたのだと。

 彼女はすぐさま行動を起こそうとした。眼前の脅威から逃れようとしたのである。だが、それもまた叶わなかった。


「お招きしたのに帰るなんてお行儀が悪いわねぇ……お嬢さん、私もあなたに興味があるの。だから少しだけ良いかしら?」


 彼女は逃れられず、女妖怪の心象世界に閉じ込められている。生命を掌握されているのはおのれの方なのだと彼女は悟るほかなかった。



「――えっと、まぁ、私とお師匠様の出会いはこんな感じなの」

「こんな感じもそんな感じも、思った以上にバイオレンスですねぇ」

「俺もそれ思ったわ」


 秋の昼下がり。サカイスミコは後輩にあたる妖狐と雷獣にせがまれ、師範たる紅藤の弟子になったいきさつを語っていたのだ。すきま女だった彼女は、あの日から名前と地位を与えられ、紅藤の弟子として仕えている。

 紅藤を襲撃し、それから弟子になった。そうしたいきさつを持つ弟子は確かに自分だけではある。しかしそれでも、お坊ちゃま育ちで妖怪としての経験の浅い弟弟子たちには、いささか刺激の強い話だったようだ。

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