常闇之神社訪問譚――妖怪たちは現世に還る

 源吾郎を助けてくれた雷獣の青年は、大瀧蓮おおたきれんと名乗っていた。やはり彼は伊予の言及していた妖物じんぶつであり、また源吾郎の予想通りでもあったのだ。元々は外の世界の裡辺にて魍魎もうりょうを退治しているらしいのだが、今回影法師の連中を追って幽世に入り込んでいたそうだ。


「……相変わらず影法師の連中は逃げ足が早いわ。まぁ、一般妖の被害が最小限だったから良かったんだろうけれど」


 奥の闇から一人の少女が姿を現した。真っすぐ下ろした髪や五本もある尻尾は全体的に白く、先端だけが青紫に色づいていた。頭頂部にはやはり先だけが青紫の白い狐耳が一対。その少女が源吾郎にとっての同族である事は明らかだ。源吾郎は更に踏み込んで、常闇之神社で留守を任されている竜胆りんどうすずなの血縁者であろうと思っていた。

 だが源吾郎の視線は妖狐の少女ではなく、彼女が抱え持つ物に注がれていた。中型犬ほどの大きさの白銀の毛皮を持つ獣である。目を開けているので一応は意識はあるようだ。しかし三尾を垂らし少女の腕の中で脱力したように身を預けているその姿は明らかに疲れ切っているようだった。

 源吾郎はそれでも一安心し、思わず少女の許に駆け寄っていた。


「雷園寺! 無事だったんだな。大丈夫、か……」


 獣の本性に戻っている雪羽に夢中で声をかけていた源吾郎だったが、視線に気づいて我に返った。雪羽の安否や状態は確かに気になる。しかし雪羽を抱える少女を源吾郎はガン無視したではないか。いかにも不躾で不敬な振る舞いであると悟ったのだ。相手は同種族――源吾郎は半妖であるが、おのれの事を妖狐と名乗るのが常だった――であるし、五尾だから明らかに格上である。

 源吾郎はだから、視線を少女の顔にスライドさせた。薄紫の瞳でこちらを見つめ返す妖狐の少女は、本当にささやかな笑みをその面に浮かべているだけだった。


「この子、雷園寺君っていうのね。あんたの友達みたいだから返すわね。見た感じリヘンハクビシンかリヘンヤマネコかと思ったけれど」


 少女はそう言うと、抱え持っていた雪羽を源吾郎に差し出した。唐突な流れに戸惑いつつも源吾郎は雪羽を受け取った。滅多な事では本来の姿を見せない雪羽であるから、源吾郎に大人しく抱っこされる事は無かろう。そんな源吾郎の考えとは裏腹に、雪羽の抵抗は無かった。抱え持つ源吾郎の腕にしがみつき、ついで胸元に頭を寄せている。分厚くフワフワとした毛皮越しに、ややテンポの速い心臓の拍動や荒い息遣いが伝わってきた。雪羽も不安で、何がしかの恐怖を抱えているのだ。源吾郎はそう思うのがやっとだった。

 ありがとうございます。妖狐の少女へ向けたおのれの声は掠れていた。


「良いのよ気にしないで。魍魎や影法師と闘うのが私たちの仕事なんだから……あ、名前を言うのを忘れていたわね。私は稲尾椿姫いなおつばき。外の世界の裡辺で準特等退魔師よ。今回は魍魎の発生源を叩くために、蓮と一緒に幽世まで来ていたの」


 妖狐の少女は稲尾椿姫と名乗った。幼い妖狐の兄妹に似ていると思ったが、やはり縁者であるらしい。そう思っていると、金髪の雷獣も続けて口を開いた。


「紹介が遅れたな。俺は大瀧蓮。そこの稲尾準特等率いる退魔局の一退魔師だ」


 そしてこの妖が大瀧さんだったのか。源吾郎は瞠目し、大瀧蓮なる雷獣を観察した。源吾郎が抱え持つ純血の雷獣とはかけ離れた姿だった。ヤマネコやハクビシンだと思われた雪羽に対し、蓮はむしろ狼に近い風貌だ。しかも得物は六尺はあろうかという棘付きの棍棒だ。重量だけでも人一人分はあろうかというそれを、彼は右手で軽々と握っている。

 源吾郎はふと、かつて雪羽から聞いた事を思い出した。鵺の突然変異によって誕生した雷獣という種族は、個体ごとの姿かたちが異なるという事である。もちろん親兄弟や同じ血族であれば多少は似通っているが、全く別系統の雷獣同士であれば、同種同族とは思えない程異なる容姿である事も珍しくないそうだ。

 蓮と雪羽が同じ雷獣ながらも、見た目がまるきり違うのはそのためなのだろう。彼らの様子を見るだに、親戚同士という感じでもないし。何より親戚だったら既に雪羽が何か言っていてもおかしくない所だ。


「お、下ろしてくれ先輩……」


 今まで大人しく無言を貫いていた雪羽が唐突に声を上げた。のみならず源吾郎の腕の中でもがき、身をよじっていた。戸惑う源吾郎を尻目に、そのまま腕の中からすり抜けて着地したのだ。

 地面に降りた雪羽は四肢を突っ張らせ尻尾と全身の毛を逆立てていた。小さな獣の姿はムクムクと巨大化し、獣と人の融合した半獣めいた姿へと変貌していった。遅々としたものであるが、雪羽は変化術を行使して人型になろうとしていた。

 日頃より人型の姿で活動を続ける雪羽であるが、その実変化術はさほど得意ではない。特に本来の姿から人型に変化するのは骨が折れるそうだ。中間体として大きな獣の姿に変化しなければならないし、彼なりに抵抗感があるのだと言っていた。しかも今は魍魎の襲撃を受けて色々と消耗している訳である。無理を押して変化しているのは明らかだった。

 無理するな。そんな思いで手を伸ばす事は叶わなかった。やにわに振り返った雪羽の鋭い眼光に、源吾郎は圧倒されてしまったのだ。邪魔をするな。額に脂汗を滲ませながら、雪羽は言外にそんな主張をしていた。源吾郎はただ雪羽の姿を見守るほかなかった。彼の気位の高さがどのようなものか、源吾郎はよく知っていたのだ。

 源吾郎は雪羽の変化を待つ代わりに自己紹介する事にした。名を名乗り、出張で常闇之神社に訪れていたのだと告げたのだ。源吾郎の自己紹介には、一つだけ嘘が含まれていた。玉藻御前の末裔である事を伏せ、単なる凡狐であると主張した事である。

 源吾郎は平素より玉藻御前の末裔である事を誇りに思っていた。だからこそ今回はおのれの素性を伏せたのだ。今のおのれの姿が、玉藻御前の末裔と呼ぶにふさわしい物ではないと思ったからである。

 さてそうこうしているうちに雪羽が変化を終えた。血の気が失せているにも関わらず、翠眼は異様にぎらついた光を放っている。何処からどう見ても尋常ではない状態である事は源吾郎でもすぐに判った。彼と相対する椿姫も蓮も、ぎょっとしたような眼差しを雪羽に向けている訳であるし。

 そんな中で、ようやく立ち上がった雪羽だけはその面にうっすらと笑みを浮かべていた。


「稲尾様に大瀧様、でしたか……この度はを助けて頂き誠にありがとうございました。それに先程はお見苦しい姿を見せてしまい申し訳ないです」

 

 やつれきった表情を見せつつも、雪羽の発言は堂々としたものだった。しかもさり気なく自分を私と称している訳であるし。

 そんな源吾郎の密かな驚きをよそに、雪羽は続ける。


「私は雷園寺雪羽と申します。大瀧様と同じく雷獣です。奈良近郊に居を構える雷園寺家の当主候補の一人でございます。

 隣の島崎君は私の同僚に当たります。本人は何故か凡狐だなんて言ってますが……彼は玉藻御前の末裔なのだそうですよ」


 そこまで言うと、雪羽は静かな笑みを退魔師たちに向けていた。単なるガキかと思っていたら、二人とも良い所のボンボンだったのか。そんな声が聞こえてきた。



 その後は何があってどのような事をしたのか定かではない。もしかしたら緊張の糸が緩んで意識を手放していたのかもしれない。ともかく気が付いた時には源吾郎たちは常闇之神社の一室に戻っていた。源吾郎と雪羽は打ち上げられた海産物よろしく転がされ、竜胆や菘たちに介抱されていた。

 既に源吾郎たちが魍魎や他の禍々しい連中に狙われたという情報は竜胆たちにも伝わっていた。伝わっていたからこそ、生真面目な竜胆は驚きと畏敬の眼差しを源吾郎たちに向けていたのだ。


「それにしても大変でしたね。魍魎に……それも幻影を操るタイプの魍魎に出くわしてしまうなんて」

「大変と言えどもどうにか無事に戻ってきたんだからさ。俺たちの事はそんなに心配しなくて大丈夫だよ、竜胆君」


 さも心配そうな竜胆の言葉に応じるのは雪羽だった。彼は薬湯を飲みイモリの黒焼きを口にするうちにすっかり元気を取り戻していたのだ。そして心配そうに声をかける竜胆や無邪気にじゃれてくる菘に対して鷹揚な態度を見せてもいた。実際に数多くの弟妹を持つ雪羽は、竜胆や菘を前に生来の兄気質を発揮していたのだ。

 源吾郎もある程度は元気になっていたが、明るく自然に言葉を交わす雪羽たちをこっそり観察する立場に回っていた。自分よりも若くて幼い竜胆たちに面倒を見て貰っている、手を煩わせているという事実が恥ずかしくて仕方なかったのだ。こうした源吾郎と雪羽の態度の違いは、末っ子気質と兄気質の違いによるものだろう。


「竜胆君。君のお姉様は本当に立派なお方だったよ。俺も自分では強いとかって思ってたけれど、まだまだだって思い知らされたし……本当はあの方たちにきちんとお礼がしたかったんだけど、忙しいみたいだからしょうがないよね」


 源吾郎は尻尾の手入れをするふりをしながら、雪羽の言葉に耳を傾けていた。サカイ先輩は今回の件と帰り支度の事でラヰカたちと打ち合わせをしている。その打ち合わせが早く終わって欲しいといつの間にか思い始めていた。



 結局のところ、源吾郎たちが常闇之神社を出たのは午後七時頃の事だった。文字通り逢魔が時を少し過ぎた時間帯であるが、打ち合わせや色々な事がずれ込んでの事だった。


「今回は色々とお手数をおかけしました。ほ、本当に申し訳ないです……」


 神社の鳥居の前にてひたすらに頭を下げるのはサカイ先輩だった。源吾郎たちが魍魎に襲撃されかけた事を気にしていたのだ。彼女によるとあの八頭怪も絡んでいるという事であるから尚更であろう。

 しかし神使筆頭であるラヰカは、そんな事気にしなくて良いのにと言わんばかりに鷹揚な笑みを浮かべていた。


「ううん。こっちも色々と十分にもてなせなくて、正直な所名残惜しいんだ。だけど当初の目的も果たせたわけだし、三人ともまた時間があれば遊びにおいでよ」


 遊びにおいで。ラヰカの言葉に目を丸くしていると、穏やかな笑みを浮かべた伊予が言い添える。


「幽世だから、そう気軽に遊びに来るのは難しいかも知れないわ。だけど島崎君も雷園寺君も動画を見てくれているから、またすぐに会えるわね。

 うふふ、私も実はあの動画を登録しているのよ」

「そ、そうですね。僕、戻ったらちゃんと配信確認しますね!」

「僕も毎日毎晩確認してるんですから」


 夜はちゃんと寝た方が良いと思うよ……サカイ先輩はそんな事を言っていたが、口許にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 

 かくして、源吾郎たち一行は常闇之神社を後にし、現世へと戻ってきたのである。本来ならばサカイ先輩がそのまま隙間を使った転移術で研究センター近辺まで一気に戻るつもりだったのだが……昼の一件もあったため行きしなと同じく一度北関東に戻り、そこから新幹線と電車を乗り継ぐ形と相成った。



 源吾郎と雪羽がそれぞれラヰカと「再会」したのは幽世への出張の二日後の事だった。ラヰカの運営する「常闇 野 ginger channel」がこの日に配信されるという事を前もって聞いていたのだ。しかも今回は特別編である、と。

 源吾郎と雪羽――いや「常闇 野 ginger channel」の中ではきゅうびとyukihaだ――は、画面越しのラヰカを前に声援を打ち込んだ。既に身バレしている二人である。「仕事頑張ってます」だの「この前はありがとうございました」だの、初手から何があったのかはまるわかりなコメントだった。

 コメント欄は普段以上に賑わっている。隠神刑部、すねこすり、猫又、作家猫などの常連もいるのだが、それ以上に初見さんが数名いるようだった。誰なのかは気にしないけれど。


「さーて今日も『常闇 野 ginger channel』、元気に始めちゃおうかなー!」


 ラヰカはその美貌に柔らかな笑みを浮かべ、しかしながらフランクな口調で語り始めている。源吾郎は食い入るように画面を眺めていた。雪羽もまた、萩尾丸の屋敷の一室でこの配信を見ているのだろう。もう既に「ラヰカ姐さん待ってました!」とコメントを連投している訳だし。


「さて皆さんにご報告なのですが、なんと! なんと先日この常闇之神社に現世から豪華なお客様がやって来ていたんですよ! いやー凄いなぁ。常闇之神社も有名になったもんで、もう本当に嬉しかったっすよー!」


 テンション高くラヰカが告げると、そこでコメントがざぁっと流れていく。もちろん源吾郎も「お世話になりました、ラヰカ様!」とコメントを送っておいた。

 それからラヰカの話に耳を傾けていた源吾郎は、嬉しくなって思わずコメントする事を忘れていた。ラヰカは雉鶏精一派の研究センターの宣伝を行ってくれたのだ。

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