幼狐もわかる妖術講座 前編――常闇之神社クロスオーバー

「常闇 野 ginger channel」という動画チャンネルが存在している。ウィーチューブに馴染んだパソコンユーザーであれば、一度はサムネイルや動画を目にした事があるのかもしれない。

 邪神系妖狐・ラヰカと名乗る人物(妖物)が、ゲームの実況をしたり、様々な事柄についてリスナーに向けて話し込む。その特徴だけを挙げれば他の動画チャンネルと共通するように思えるだろう。

 配信者であるラヰカは確かに特徴的な姿を見せている。邪神系妖狐という肩書からも判る通り、明らかに妖狐だと判る特徴を具えているのだ。すなわち黒と藍色の毛に覆われた一対の狐耳と、同じカラーリングの五尾の持ち主だった。ついでに言えば衣装もぞろりとした着物姿である。あからさまに女性的な特徴を見せながらもその口調はむしろ男性的であり、そこもまた配信者ラヰカの独自性に繋がっていた。


 狐耳と五尾と和装姿。色っぽい超絶美女妖狐として画面に映るラヰカの姿は、Vチューバーのアバターである。これが多くの視聴者の認識だった。ラヰカがチャンネルを開設する前から、狐娘や妖狐のアバターを操るVチューバーは一定数存在している。「バーチャル美少女受肉おじさん」なる言葉が表す通り、アバターの「中の人」が男性である事も珍しくはない。そんなわけで、「面白い投稿者の一人」として視聴者の大多数は認識し、またラヰカの語る内容や派手なグラフィックを無邪気に視聴していただけだった。

 しかしながら、ラヰカは化かしこそすれ動画内で嘘は言っていなかった。邪神系妖狐という出自も真実であれば、ラヰカの住まう常闇之神社も実在する。妖術講座で度々みられる派手な演出も実際に起こしている物なのだ。

 その事を知っている者もまた、少数ながら存在していた――特にラヰカの動画にチャット形式で参加したり、投げ銭を寄越す面々は。

 チャンネル内で「きゅうび」というハンドルネームを使っているその視聴者も、ラヰカが本物であると知っている者の一人だった。全てを知った上で動画を楽しんでいた。常闇之神社に来訪した事もあるし生のラヰカと出会った事もある。「きゅうび」は投げ銭こそ行わないもののラヰカを尊敬し、として憧れの念を抱いていた。

 何を隠そう「きゅうび」こと島崎源吾郎もまた、ラヰカに近しい側の存在だからだ。半妖であるものの彼の本質は妖狐であり、母方の系譜をたどれば玉藻御前に行き着くのだから。

 彼の出自を知っていれば、すぐに誰か判明しそうなハンドルネームではある。とはいえ他の面々も「隠神刑部」「月白五尾」と言った感じで身元が割れそうなハンドルネームなので無問題だろう。妖怪なんてものは、プライバシーの保護が希薄である事を源吾郎はよく知っている。もっとも、ラヰカのチャンネルを視聴し始めた頃、独りでこっそり見ていると思っていた時に、「yukiha」なる妖物のコメントを発見した時には驚いたが。身元隠す気ないやん……と、見知った妖怪の少年を思い浮かべながら心の中でツッコミを入れたのも、今となっては懐かしい思い出だ。



 午後八時半過ぎ。ホップが鳥籠に戻ってお休みモードに入ったのを見届けた源吾郎は、プライベートで使っているラップトップを小脇に抱え、部屋を後にした。研究センターに併設する居住区が今の彼の本宅である。仕事が終わればそこに帰宅するのだが、こうして再び研究センターに舞い戻る事も度々あった。上司や先輩たちからは容認されている。むしろセンター長の紅藤はセンター内の微妙な所――休憩室や仮眠室もある筈なのだが、何故かそこでは無い――で寝落ちしている事もままある訳だし。

 元より数名の妖怪で構成されている研究センターであるが、夜という事もありしんとしていた。源吾郎は特に気にせずそのまま休憩室に向かった。ある意味私用で戻ってきたようなものだし、先輩たちに会うのは少し気まずい。


「ん……」


 休憩室には先客がいた。雷獣の雪羽だ。誰もいないのを良い事に、数人掛けのソファーの上で仰向けになって転がっていた。獣妖怪なのでへそ天状態とも言えるであろう。実際にシャツの襟元がはだけたり裾もめくれたりして素肌が露わになっている。スマホを手にしている事もあり、何処をどう見てもくつろいでいた。

 誰もいないにしてもそこまでくつろぐか普通……押しかけておいてアレなのだが、源吾郎はついそんな事を思ってしまった。


「どうしたんです先輩。今日は早く帰ったんじゃないんですか」


 問いかける雪羽の声はやけにのんびりとしていた。眠そうというかくつろぎモードに入っていたらしい。ラップトップを机の上に置こうとしていると、太ももの辺りに柔らかいものがぶつかってきた。雪羽の尻尾だった。絡んできているのは一本だけであり、残りの二本は垂れ下がったり雪羽自身の足の上に這ったりしている。

 源吾郎はうごめく尻尾を一瞥し、雪羽の顔に視線を向けた。猫らしいニヤニヤ笑いをその面に浮かべていた。源吾郎はひとまずおのれの一尾で雪羽の一尾を撫でるだけにしておいた。尻尾を絡める行為は親しい間柄である事を示すための行為である。その一方で尻尾は敏感な部位であるから不用意に触れられる事を獣妖怪の多くは嫌う。勝手に触られるのは嫌だけど、尻尾を使ってちょっかいをかけたい。大方そんな所であろうと源吾郎は解釈していた。


「帰ったよ。帰ったけどラヰカさんの配信をこっちで見ようと思ってね。ほら、いつもだったら夜中にかけてやってるから良いけど、今日は九時から始まるみたいだし」

「そっか。確かに小鳥ちゃんも寝始めてる所だもんなぁ……」


 言いながら、雪羽はむくりと半身を起こした。小さくかぶりを振り、癖のある銀髪に手櫛を通している。こちらに向ける翠眼には、若干の疑問の色が浮かんでいた。


「でもさ先輩。ラヰカ姐さんの配信っていつももうちょっと遅くなかったっけ……?」

「いつもは遅いけどな」


 源吾郎はそう言うとにぃ、と口角を上げた。


「今回は妖術講座の日なんだよ。タイトルからして若妖怪とか子供妖怪向けだから、普段よりも早く配信を始めてくださるみたいでね。それに向こうでは、それこそ竜胆君や菘ちゃんも見ているみたいだし。

 ねぇユッキー。ユッキーだってラヰカさんの事ラヰカ姐さんって呼んで慕ってるじゃん。なのに妖術講座の事とか気にしなかったのかな?」


 妖狐らしい笑みを浮かべたまま源吾郎は雪羽に問いかけた。マウントが取れるかも。そう思った源吾郎とは裏腹に、雪羽はニヤリと笑っただけだった。


「俺だって妖術講座は面白いと思ってるよ。でもさぁ、毎度毎度生配信で見なくてもラヰカ姐さんのファンには違いないと思うんだけど」

「そりゃあまぁ後から見る事も出来るっちゃあ出来るよ。だけどラヰカさんに直接聞くには生配信が一番じゃないか」


 源吾郎はラップトップの起動どころか椅子の確保も忘れて持論を述べていた。

 ラヰカの配信はほぼ全部生配信であり、チャットを受け付けている。生配信のラヰカに直接コメントを送るのが「きゅうび」の楽しみだった。もちろん「yukiha」もコメントのやり取りを楽しみにしているのだろうが……欠席している事もままあったのだ。とはいえ、彼も彼で用事とか家の事情があるから毎度視聴できないのだろう。

 俺の方が熱心にラヰカさんの動画を見ているんだ。その事を暗に伝えた源吾郎だったのだが、雪羽は動じず意味深な笑みを向けた。


「きゅうび君は生配信を見ているかどうかばっかりこだわってるけれど、言うて無料で見て気が向いたらコメントを投げてるだけだろ。俺はちゃんとラヰカ姐さんにお布施も払っているんだよ」


 得意満面な雪羽の言葉に、源吾郎はぐっと喉を詰まらせた。源吾郎は負けず嫌いであり雪羽と張り合う事がままあるのだが、それはそっくり雪羽にも当てはまる事だったのだ。

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