常闇之神社訪問譚――奸計溢れる狐狩り ※残酷描写あり

 放った狐火が魍魎共を仕留めるのを見ながら、源吾郎は朗らかに笑った。雪羽と共にはぐれて隘路に迷い込んだ源吾郎であったが、今は魍魎を狩る事に熱中し、熱狂しそして酔い痴れていた。

 日頃の源吾郎は狩りや殺しといった血生臭いものは好まない。しかしこの魍魎狩りは別だった。魍魎に対しては、目にしただけで本能的な嫌悪感をくすぐられた。そしてくすぐられた嫌悪感が狐火の弾丸や尻尾での攻撃に繋がるのだった。

 また、そもそも魍魎が死せる邪念が凝った悪しき者である、という事を源吾郎が知っているというのも大きかった。魍魎を狩るための大義があり、魍魎を殺す事への嫌悪感を払拭できるのだから。

 そんなわけで、雪羽に半ば焚きつけられた形で源吾郎は魍魎たちで遊んでいた。雪羽が源吾郎の技や振る舞いに感嘆の声を漏らしていたのは最初だけだった。その声もいつの間にかやんでいる。さりとて雪羽は雷撃を放っている訳でもない。一体どうしたのだろうか。


「……いか」


 雪羽が低い声で呟くのが聞こえたのは、小休止し始めていたまさにその時だった。ふと気になって彼を見やり、それから源吾郎の表情が強張る。雪羽の顔に浮かんでいたのは、明確な敵意と憎悪だった。忌まわしい魍魎はもういない。その感情の矛先は、明らかに源吾郎に向けられていた。


「やっぱりお狐様って言うのは御大層なものですねぇ。賤しい人間の血を引いていながらも、そこまで強いんですから!」


 言い捨てるや否や、雪羽が躍りかかってきた。突然の出来事だった。源吾郎はまともに応対できず、易々と地面に転がされて組み伏せられた。


「どうした雷園寺、やめろ、ごめん。気を悪く――」


 当惑し弁明を試みた源吾郎であったが、全てを伝えきる事は出来なかった。雪羽に頬のあたりを殴られ、ついで喉を締め上げられたからだ。頬は熱を伴った鈍い痛みが広がっていく。その間にも喉が塞がれていく。声だけではなく息まで止めようという目論見なのか。

 源吾郎は混乱し、驚愕し、困惑していた。何が何だか解らない間に雪羽の怒りを買い、殺されかけているのだ。俺はここで死ぬのか――その疑問がひらめいた時、源吾郎の中に烈しい感情が去来した。それに名を付けるとすれば、憤怒や激昂が相応しいのだろう。


「……っ!」


 ともあれ源吾郎は反撃に出た。闇雲に腹の辺りを殴りつけるとおのれを抑え込んでいた雷獣はいとも容易くよろめき体勢を崩した。源吾郎を殺そうとしたケダモノもまた当惑していたが、それでも嫉妬に狂う翠眼をギラギラと輝かせ、源吾郎への呪詛だの怨嗟だのをのたまっている。

 おかしい。今のこいつはおかしいんだ。だから俺が大人しくさせなければ。おのれの五体に力が満ち満ちるのを感じながら、源吾郎は傍らの異形に体当たりした。そしてそのまま馬乗りになり、相手が大人しくなるまで腕や尻尾を振るったのである。口やかましい罵詈雑言が聞こえなくなるまでには少し時間がかかったが、相手が暴れるのを抑え込むには更に長い時間が必要だった。

 

「……ふぅ、これで雷園寺のやつも大人しくなっただろう」


 下敷きにしている相手が完全に大人しくなったところで、源吾郎は一息ついていた。ケダモノのように振舞う雪羽を大人しくさせるために奮闘していた源吾郎だったが、途中から行為そのものに源吾郎も昂っていたのだ。その事に気付いたのは、やはりある種の興奮状態から抜けたからなのかもしれない。

 源吾郎はゆっくりとその場を離れた。雪羽が起き上がって来るのを待つためだ。下敷きにしている物から離れた時、ベタベタしたものが自分の許にまとわりついているのを感じた。魍魎を狩っていたからその影響なのかもしれない。

 雪羽が起き上がる気配はなかった。疲れ果てているのだろうと源吾郎は思った。何せあれだけ暴れまわっていたのだ。源吾郎とてそれを大人しくさせるのに骨が折れたのだから。

 それにしても……源吾郎は暗がりの中で目を細める。べたついたものは手にもこびりついていたのだ。匂いはよく解らない。足許はさておき手にもべたついたものが付いているとは。源吾郎は軽く念じて狐火を顕現させた。日頃は攻撃術に用いる狐火であるが、こうして照明代わりに使う事も可能なのだ。

 おのれの周囲に数個ばかり浮かべた所で視界ははっきりとしてきた。そこで源吾郎は、手にこびりつくべたつきの正体を知ってしまった。全体的に紅色だったのだが、桃色の塊や赤黒く汚れてもつれた銀色の束がまず見えた。指先には白い糸が絡みつき、その先には翠色のひしゃげた何かがぶら下がっている。いや――ソレが何であるか源吾郎には解っていた。解った上で真に理解する事を拒んでいただけだ。


「ひ、ひぃぃっ」


 蹴とばされた犬のような声を上げ、手にこびりついた肉片やら銀髪の束やらを振り払う。雪羽はまだ起き上がってこないが、それは当然の事だった。既に源吾郎が殺した後なのだから。

 周囲を照らすために顕現させた狐火は、無残な屍となった雪羽の姿をもくっきりとあぶりだしていた。致命傷は恐らくは喉元の鋭い傷か腹部の大きな裂傷であろう。しかし全体的に損傷が烈しく、特に顔や頭部は酷いありさまだった。


「あ……」


 気の抜けたような声が、源吾郎の喉から漏れる。何を何処で間違えたのか? 回転の鈍くなった頭で思考を巡らせたが、何が正しいのか源吾郎には解らなかった。

 堪り兼ねて源吾郎はその場で嘔吐していた。途中で失神すれば良いのにと思ったが、そう言う都合の良い事は無かった。


「ねぇねぇどうしたの。何でそんなに悲しそうな顔をしているの?」


 背後で囁き声がして、弾かれたように振り返る。異形が二匹、源吾郎の傍らに影のように控えていた。一方は鎖でつながれた合成獣めいた異形らしい異形。他方は一見すると人間のように見えたが、鎖でつながれた異形よりもはるかに異形らしい存在であると源吾郎は思っていた。

 そいつらは人工的に作られた蠱毒と、蠱毒を操る術者であると源吾郎は見抜いていた。見抜いていたというよりも源吾郎は彼らの事を知っていた――何せ彼らは源吾郎のなのだから。

 源吾郎の曽祖父は、おのれの息子らを玉藻御前の娘と交配させ、強大な力を持つ半妖を得ようと画策していた。ゆえに一族を裏切って駆け落ちした祖父母夫妻を付け狙い、幼かった叔父をかどわかして禁術で蠱毒の媒体にした。ある意味魍魎以上に禍々しい存在であるが、彼らが幽世に潜んでいたとしてもおかしくはない。


「それにしても玉藻御前の末裔の血は偉大なものだなぁ。人間の血が混ざりに混ざったとしても、偉大なる大妖怪の力と志は薄まらなかったんだからさぁ」


 合成獣の手綱を握る男はそう言って、源吾郎に笑いかけた。


「わが眷属よ。この世は殺すか殺されるかに過ぎないんだよ。わが甥の言う通り、そこの獣を殺したくらいで思い悩むな。むしろ我らは君が第一歩を進んだという事で小躍りしたいくらいに喜んでいるんだからさ」


 男の声が止む。遠くで奇妙な鳥の啼き声が聞こえてくる。だがそれ以上に意味を成す人の声がさざ波のように沸き立つのが聞こえた。


「あの狐が正真正銘の玉藻御前の末裔か……」

「確かにあの狐を使えば逢魔時計画を進められそうだ」

「桐谷殿、いくら大伯父と言えどもあの狐の独占は我らが許さぬぞ」

「八頭怪殿も我らに良い手土産を持ってきてくれたではないか」


 さざ波やノイズのように聞こえてくるその声の主を探る事は叶わなかった。彼らは闇に潜み、しかし源吾郎をしっかりと観察しているらしい。だが八頭怪という単語から、途方もない事に巻き込まれたのだと悟った。いやそもそも、雪羽を殺した事自体が途方もない事に違いないのだが。


「わが眷属よ。島崎源吾郎よ。私の許に来い――」


 異形の男が合成獣を従えながらにじり寄ってくる。雪羽の血肉とおのれの吐瀉物で汚れ切った源吾郎はその場にへたり込んだままだった。あの手を取れば、おのれは魍魎以上の怪物になってしまう。そう解っていても何もできなかった。

 次の瞬間、異形の動きが止まった。白くて大きなものが彼らに突っ込み、半ば吹き飛ばされていたのだ。男も合成獣も上半身が無い状態でそのまま地面に転がっている。

 白く大きな塊が源吾郎の前方に着陸する。それは巨大な獣だった。虎とかライオンよりも大きい。全体的に細長く、この度の出張で乗り込んだ新幹線を連想させた。毛皮は穢れの無い純白で、しかし瞳は充血したように紅い。その獣は肉塊を飲み下すと源吾郎に笑いかけていた。無邪気な少女のような笑みだと、場違いながらも源吾郎は思った。


「いつも唐揚げばっかり貰ってるけれど、も美味しかったよ」


 血肉と死の匂いを漂わせながら白い獣が言葉を紡ぐ。やはりその声音は少女の物だった。

 影のように集まっていた声がどよめく。呪いだの冬華だのと言い立てているが、全くもって何の事か源吾郎には解らない。


「――あーあ。君に憑いて君が嫌がる連中を食べたいけれど。今の私にはちょっと無理かもね。君はもっと強いで護られているし。

 それにビリビリするのがもうすぐやってくる」


 まったねー。ざわめく外野も呆然とする源吾郎もそのままに、白い獣は地面を蹴り、そのまま幽世の昏い空の何処かへと飛び去って行った。巨大なイタチ、ないしはそれに類する獣なのだとその時気付いた。

 

 それからあの獣の言う通り、「ビリビリするもの」がやって来た。人語を操る影たちがいたあたりに稲妻が放たれたのだ。


「ちっ、仕留め損ねたか。魍魎共と違い、あいつらは知恵も逃げ足もあるからな……」


 やはりこちらにやって来たのは雷獣らしい。雷獣の妖気を知っている源吾郎はその事がすぐに解った。無論その雷獣は雪羽でもなかったし、彼の保護者である三國でもない。源吾郎にとっては初対面の相手だった。百九十を超える体格の良い巨躯に、狼に似た耳と尻尾が特徴的な青年である。


「大丈夫か。何故こんな所に迷い込んでいるのかは解らんが、幽世でもガキどもの度胸試しは流行っているのか?」

「あ、あなたは……?」


 色々と質問したい事や伝えたい事はあった。しかし喉から漏れるのは掠れた声だけである。雷獣の青年の顔には、いつの間にか優しげな笑みが浮かんでいた。


「お前さんは狐じゃないか。しかも連中の話じゃあやんごとない身分みたいだな……何を見たのか解らんが、狐が狐につままれるとはな。

 しっかりしろ。魍魎や影法師はもういない。それにお前は幻影を見せられていたんだ」


 雷獣の言葉が鼓膜から入り、源吾郎の脳をゆすぶるような感覚がした。源吾郎は怖々と、雪羽だったモノに視線を向けた。それは雪羽でも何でもなく、黒々とした奇妙な生物の骸に過ぎなかった。


「ここに迷い込んだガキはもう一人いたな。俺とは大分見た目は違うがだ。そいつは稲尾さんが……隊長が保護している所だ」


 青年のその言葉を聞いて、源吾郎はやっと立ち上がる事が出来た。

 雪羽は無事だったのか。そしてこのひとが、山囃子さんの言っていた大瀧さんだろうか。そんな考えが源吾郎の脳裏に浮かんだが、疲れ切っていて言葉は出てこなかった。

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