常闇之神社訪問譚――隘路に潜む魍魎 ※残酷描写あり

 幽世某所。輝く花の光源も少ないその場所では、代わりに二種の鳥の啼き声がひっきりなしに聞こえていた。まずもって耳に飛び込んでくるのは夜鷹の合唱である。大群なれど姿を見せぬその鳥たちは、忙しく何かを待ち構えているかのように啼き続けていた。

 その夜鷹の合間を縫って鋭い啼き声を放つのはホトトギスである。ひっきりなしに啼いている訳ではない。それでも、ピアノの音に似たその声は鋭いアクセントとなっていた。

 夜鷹とホトトギス。両者の声には共通点があった。いずれも冥府の遣いと信じる者がいるという点だ。

 さてそんな鳥たちが啼き交わす中で、一人の青年がゆったりと歩を進めていた。長身痩躯の青年で、出で立ちは白いワイシャツに黒のスラックスとごくごく普通だ――首許を飾る、小鳥の頭部を模した七つの首飾りを下げている事を除けば。そして彼を仔細に観察している者がいれば、その首飾りが動き、不浄な符牒を唱えている事に気付くであろう。

 青年の歩みが止まる。彼の周囲には、いつの間にか奇怪な姿をしたモノたちが集まっていた。それらは唸り声を上げ、粘性のある涎を垂らしながら様子を窺っている。明らかに青年を狩ろうとしていた。青年を取り囲み狩ろうとしているモノ。それはこの幽世では魍魎と呼ばれていた。

 いつの間にか鳥の声が止む。その瞬間に動きがあった。

 魍魎の一匹が青年に躍りかかったのだ。それが皮きりであったかのように、他の魍魎共も青年に躍りかかる。襲い掛かり、打ち倒し、喰い殺して貪るために。

 ところが――青年が倒れる事は無かった。むしろ躍りかかった魍魎の方が吹き飛ばされ、食い散らかされて骸や肉片を露わにする始末である。青年は微動だにせず、その面にうっすらと笑みを浮かべたままだった。いや、よく見れば首飾りの一つが変形していた。巨大な邪竜の首そのものとなったそれには、墨色の粘液がべったりとこびりついている。異形の青年は魍魎を迎え撃ち、むしろ捕食していたのだ。


「魍魎に襲われるどころか返り討ちにして喰い殺すとは――」

「あの若者は影法師に所属していたのか――」


 昼なお昏い幽世の中でも更に昏いこの場所で、何処からともなく囁く声が聞こえてくる。青年もその言葉は聞こえていたらしい。白皙の端麗な面には、いつの間にかとろけるような笑みが浮かんでいた。


「ボクは影法師なんかじゃない。道ヲ開ケル者の御使いであるボクは、そんなみみっちい事はやってないからね」


 遠くで囁いていた声がどよめく。彼らはきっと影法師を知っているのか、影法師の関係者そのものなのだろう。

 青年は気にする様子もなくそのまま続けた。


「大丈夫だよ。ボクは別に君らと対立するつもりは無い。永遠に続く闘争世界の顕現というのも面白そうじゃないか。それにボクもここには狐狩りに来ただけだからさ……」


 魍魎をものともせず、影法師にすら怯まないこの青年は、巷では八頭怪と呼ばれていた。かつては九頭駙馬きゅうとうふばとも呼ばれていたこの妖怪の正体は、大いなる邪神の忌まわしき御使いである。




 ひとまずフィールドワークは常闇之神社を下った山の中腹で行われる事となった。中腹と言ってもなだらかな山道であり、獣道というには広い道が出来ているので作業には丁度良かったのだ。

 この辺りで良かろう、というラヰカの言葉を受け、源吾郎たちは採取を始める事にした。山あいとはいえやはり植生は現世とは異なるらしく、咲き誇る花々はやはり色鮮やかで輝いている。摘んだら輝きが失せるのではないか。そんな事を思いつつも源吾郎はめぼしい花を摘んだ。摘んだ花や掬い取った土は、自前のスクリュー瓶に詰めていく。

 源吾郎も雪羽もスクリュー瓶は五、六本ほど持参していた。それらを使い切るまで採取は可能だが、それ以上は不可、という事である。


「せんぱーい。お花を摘むのは良いけどさ、その摘み方じゃあ根っこまで取れてないじゃないっすか」


 淡い黄金色に輝く花を眺めていた源吾郎の耳元にヤジが飛ぶ。声の主が雪羽であるのは言うまでもない。彼もまた源吾郎の近くに屈んでサンプルを採取しようとしていたが、彼は地面にスコップを突き刺し地面をほぐしている。幽世の土を持ち帰ろうと思っているらしい。

※ここで言うスコップとは花壇の手入れに使う小型な方を指す。これは源吾郎たちが関西圏の出身だからである(註)


「根っこまで取れないって言ってもさ、地面が硬いんだから仕方ないやんか」

「硬かろうと地面にも目があるんですよ先輩。それを見定めればイケると思うんですがね」

「それにしても地面を掘るの慣れてるなぁ。慣れた手つきを見せてるから妙に説得力を感じるわ」

「へへへ、こう見えても土いじりには慣れてるからさ」


 採集という事で今も仕事中と言えば仕事中ではある。だが気付けば源吾郎も雪羽も話し込んでしまっていた。若いしなんだかんだで気が合うからどうしてもこうなってしまうのだ。


「やっぱり島崎君と雷園寺君は仲が良いみたいだね。二人ともイキイキしちゃってさ」


 気付いたようにラヰカに言われ、源吾郎と雪羽は笑いながら頷いていた。かつては雪羽と仲が良いと言われて戸惑う時期もあったが、今はそう言う時期でもない。

 ちなみにラヰカと伊予は源吾郎たちの動向を見守ってくれているのだが、その傍らでムカゴや山菜を採取してもいた。料理を担当する伊予が、そうした物について詳しいのだそうだ。

 見守っている、という所で源吾郎ははたとある事に気付いた。少し前からサカイ先輩の姿を見ていないという事に。もちろん彼女も最初は傍にいた。しかしいつの間にかふらりと行方をくらませたのである。


「ラヰカ様。そう言えばサカイ先輩が見当たらないんですが――」


 何処に行ったんでしょうか。若干の疑念が混ざった問いを放ってみたものの、源吾郎は最後まで言い切りはしなかった。問いを発したまさにその時、ラヰカの斜め後ろにサカイ先輩の姿を見つけたからだ。彼女の出現は本当に唐突な物だった。何せ、日頃電流で相手の存在を把握する雪羽でさえ驚いた様子を見せているのだから。


「今戻りました、ラヰカさんに山囃子さん」


 サカイ先輩はまずラヰカたちに挨拶をした。源吾郎たちとは異なり、ラヰカや伊予には特に驚きの色は見当たらない。彼女がこのタイミングで戻ってくるのを予期していたかのようだ。やはり妖怪としての年季が違うのだと源吾郎は思い知らされていた。

 さてサカイ先輩はというと若干申し訳なさそうな表情で上目遣い気味にラヰカたちを見つめている。ローブの下が不自然に蠢いている。一瞬彼女を構成する触手や獣の肢らしきもの、そして奇怪な動物の頭部がローブの合間から露わになった。


「ええと、ラヰカさんたちが仰っていた魍魎が近くにたむろしていたので、少し間引いておきました……昨日教えて頂いた魍魎と同じ特徴を持っていたので食べちゃったんですが、その……勝手な事をしてしまっていたら申し訳ないです」


 近くに魍魎がたむろしていて、その魍魎を捕食した。サカイ先輩の言葉に源吾郎たちは顔を見合わせた。魍魎が近くにいた事よりも、サカイ先輩が魍魎を捕食した事に驚いていたのだ。

 妖怪の中にはもちろん、他の生き物や妖怪を生きたまま捕食する者もいるにはいる。大きな声では言えないが、共喰いや同族殺しで力を蓄える者も一定数存在する。とはいえ源吾郎自身はその出自に関わらず、血生臭い方法で力を蓄えてきた妖怪ではない。それ故にサカイ先輩の所業に驚き、若干恐怖心さえ抱いてもいた。

 ラヰカと伊予も、サカイ先輩の申し出に若干驚いたようだ。目を丸くして互いに目配せしていたのだから。しかし二人の顔に浮かぶのは笑みであり、驚きの色は殆ど無かった。


「いやはや、あなたはお客さんなのにむしろ気を遣わせてしまって悪いねぇ。それにしても三、四匹は食べたのかな? サカイさん、私はどうしてもきゅうび君やyukiha君にばっかり意識が向いていたけれど、あなたもあなたで中々良い線行ってるみたいだね」

「サカイさんは魍魎の方がお好きだったんでしょうか。もしかして、昨日のお料理は物足りないと思っちゃったかしら?」


 ラヰカも伊予も思い思いの質問をサカイ先輩に投げかけている。自分たちは強い妖怪だと思っていたが、所詮は仔狐と仔猫に過ぎないのだ。源吾郎と雪羽は顔を見合わせたが、そんな諦観が互いの顔に浮かんでいるようだった。



 午後。正月前の夜の街めいた、にぎやかな街道を練り歩く源吾郎であったが、その心中は重々しい物だった。午前中の事が尾を引いていたのだ。ラヰカたちは源吾郎を面と向かって仔狐だとか未熟者だと言ったわけではない。しかし魍魎を捕食したというサカイ先輩の姿を見て、妙に打ちのめされた気分になっていたのだ。格の違いをまざまざと見せつけられたような気がしてならなかった。


「あれ……?」


 あれこれ考えながら歩いていた源吾郎は、ふいに景色が一変している事に気付いた。街道の本通りを歩いていたはずなのだが、いつの間にか路地裏のような隘路に入り込んでいたのだ。周囲は昏く、また静まり返っている。

 源吾郎はここで、周囲にラヰカたちがいない事に気付いた。


「本通りは退屈だから、裏道に入ったんじゃあないですか、先輩」


 雪羽の声が聞こえたのは、誰かいるのかと声をかけようとしたまさにその時だった。銀髪と翠眼を淡く輝かせながら控える彼は、普段通りの笑みを見せている。確かにそうだったな、と源吾郎も思い直した。


「ああそうだそうだった。本通りなんてお行儀の良い店しかないもんな。俺たち、そんなのに興味ないし」

「そうそう。それでこそ玉藻御前の末裔だな!」


 源吾郎の言葉に雪羽もノリノリで応じる。その彼は遠くに視線を移し、それからこちらを見た。源吾郎を見据えるその顔には、普段以上に獰猛な笑みが浮かんでいた。


「読んだ感じ、この通りは魍魎がうようよいるみたいだよ。どうします先輩」


 何かを期待するような眼差しで雪羽が問いかける。どうもこうも進むに決まってるだろう。源吾郎は迷わず即答した。


「はっ。俺は天下の大妖狐・玉藻御前の末裔なんだぜ。サカイ先輩がおやつ代わりにぱくつくような魍魎ごときに尻尾を巻いて逃げるとでも?」

「それでこそ先輩ですね……そらっ」


 源吾郎の言葉に同意したかと思うと、雪羽がふいに雷撃を振るう。仄暗い路地裏が一瞬白い光に照らされ、それからまた元の闇が戻ってきた。暗がりで良く見えないが、数匹の黒々とした生き物――恐らく魍魎であろう――が斃れ伏していたのが源吾郎にはうっすらと見えた。

 そうだ。雷園寺でも魍魎狩りが出来るんだ。それなら俺も気兼ねしなくて良いじゃないか。雪羽の活躍を前に、源吾郎は昏い喜びを感じつつ狐火を灯す。ライト代わりに狐火を使っていたのだが、そこここに魍魎がいるのを見つけ出していた。

 源吾郎の心に恐怖は無かった。そもそも自分たちは護符で護られている。雪羽の雷撃ごときで倒れる魍魎など敵ではないと――源吾郎は無邪気に思ってしまっていたのだ。

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