常闇之神社訪問譚――朝のひとこま

 源吾郎が目を覚ましたのは、夜中と早朝の合間の時間帯だった。時計を見ていないから定かではないが、きっと早朝の四時台とかそのあたりだろう。

 十姉妹妖怪のホップと同居しているためか、源吾郎の朝は地味に早い。今回は普段より早く就寝したから早く目が覚めてしまったのだろう。泊りがけの出張であるから緊張もしているだろうし。

 布団に収まったまま、源吾郎はぼんやりと隣の布団を見やった。雪羽は流石に寝ているだろう。そんな源吾郎の読みは甘かった。雪羽もまた起きていて、首をねじってこちらを向いていた。恐らくうつぶせになっているのだろう。獣妖怪は人型を取っていてもうつぶせに寝たり横向きに寝たりする事が多い。源吾郎もそうだ。


「起きてるんですね、先輩」


 雪羽の翠眼は妙な塩梅に輝いており、源吾郎の視線に気づくと笑みが浮かんだ。そうしてごく普通に声をかけてきたのだ。


「大丈夫ですよ。ある程度までは音が漏れないような術が壁にかかってますし。度を越えて騒がなければラヰカ姐さんたちの迷惑にもならんでしょう」


 僅かに首を持ち上げた雪羽は、事もなげにそんな事を言ってのける。そこまで判るんだなぁ、と源吾郎は素直に感心していた。雷獣と言えば電撃・雷撃の攻撃術に特化した種族であると思われがちであるが、彼らの能力はそれだけにとどまらない。生体レーダ―よろしく電流を操り、そこに何があるか読む第六感を具えているのだ。もちろん若き雷獣である雪羽もこの能力の使い手である。源吾郎との戦闘訓練の時はもちろんの事、部屋の整頓やスーパーの詰め放題などでもこの能力を遺憾なく発揮しているのだというから恐れ入る。

 とはいえ、ステルスで電流の流れを誤魔化されたらどうにもならないらしいのだが。


「それで、何か話があるの?」


 源吾郎はごそごそと布団から這い出していた。雪羽もいつの間にか身を起こし、胡坐をかいて座っている。本来の姿が獣という事もあり、雪羽の動きは身軽ですばしこい。


「考え事をしてたんだ。何で俺たちがこの常闇之神社の遣いに選ばれたって事をね」

「そんなん考え無くても解るだろうに」


 いつになく大真面目な表情で告げる雪羽に対し、源吾郎は思わず笑いが漏れた。


「それはもう、俺たちが優秀な大妖怪の子孫である事を見込んでの事に決まってるだろう。確かに俺たちは未熟者かもしれないけどさ、玉藻御前の末裔な訳だし。それに雷園寺君だって、雷園寺家次期当主って看板を背負ってるんだからさ」


 妖狐らしくニマリと笑っていた源吾郎だったが、雪羽はそんな彼を見て鼻で笑うだけだった。先輩ならそう言うと思った、などと言いながら。


「俺らが名門に名を連ねるのは確かにそうだよ。だけどそれだけで俺たちを遣いに抜擢するほど、萩尾丸さんは呑気なお方じゃあないと思うな。萩尾丸さん自身もさ、それこそ現時点で大妖怪に準じる優秀な部下がいるわけだし」


 雪羽の冷徹な分析に源吾郎は唸るほかなかった。源吾郎たちが大妖怪の子孫である事は事実だ。しかし、組織のメンバーとして見た時に重要な立ち位置にいるかと言われれば微妙な所でもあった。その上萩尾丸が優秀な部下を持つ事も紛れもない事実である。萩尾丸の部下と言えば若い妖怪ばかり頭に浮かぶが、確かに大妖怪も存在する。大人の妖怪も中級妖怪も当然のように部下として存在していた。そして萩尾丸が、一般庶民である彼らを戦力として大切にしていた事も源吾郎は知っている。


「もしかしたら、これは俺たちに課せられた修行みたいなものかもしれないね。俺と、島崎先輩と、サカイさんにさ」

「そう言うもんかなぁ」

「そう言うもんだろうね」


 ぼんやりとした源吾郎の呟きに、雪羽は割合しっかりした口調で応じている。こういう時、雪羽が自分よりも年長で経験を積んでいるのだと思う時が源吾郎はあった。

 そうして大人っぽさを見せていた雪羽だったが、「お腹が空いたから体力を温存しないと」と言って布団の上に転がり、そのまま二度寝してしまった。一連の言動は何と言うか雷園寺君らしい。そんな事を思いつつ源吾郎も横になった。



 昨日の面談通り、午前中はフィールドワークを行い、昼休憩を取った後に街道に出向いて買い物という段取りとなった。源吾郎たちを引率するのは、神使であるラヰカとその補佐である伊予だった。

 ラヰカも伊予も相当な力を持つ大妖怪である。そんな彼女らが護るべき神社を離れても大丈夫なのか。サカイ先輩はそのような懸念を見せていた。


「何、神社を空けると言っても半日くらいだから大丈夫さ。それに私たちが留守の間、竜胆りんどう君やすずなちゃんたちが代わりに護ってくれるからね。後は確か、万里恵ちゃんも残ってくれるんだったっけ」


 ラヰカは笑みを浮かべ、あっけらかんとそう言った。竜胆と菘とは白狐の兄妹の事である。どちらも子供であり、菘などに至ってはほんの童女にしか見えない仔狐だった。とはいえ、若狐に見える竜胆は既に三尾、仔狐の菘は二尾を具えている。彼らの姉である五尾の椿姫や、先祖たる柊が九尾であるそうだ。その辺りを考慮すると、彼らが幼いながらも二尾や三尾である事も納得がいく。

 ちなみに、椿姫や柊は今回用事があって常闇之神社を離れており、従って源吾郎たちが会う事は叶わないのだが。


「お三方。私たちもあなた達に同行いたしますが……くれぐれも魍魎もうりょうや『影法師』の面々にはお気をつけて」


 真剣な表情で言ったのは伊予だった。魍魎や影法師といったものが何を示すのか、源吾郎たちも実は事前に聞かされていた。魍魎は死せる魂の成れの果てであり、幽世の住民に害をなす者なのだそうだ。一方の影法師は、一応は術者の類らしいのだが、やはりよろしくない存在であるらしい。


「本来ならばこの土地を知る者として、私たちが魍魎たちを退けられたら言う事はないわ。だけど私たちがあれらと闘うには前もって結界の準備が必要なのです。なまじので、周囲への巻き添えがとんでもない事になりますからね」

「伊予ちゃんは隠神刑部だからねぇ。こう見えて強いんだ」


 強すぎるから闘うのに不向きである。伊予の主張はもっともな事だと源吾郎は思っていた。強すぎるから闘わない大妖怪は源吾郎たちも良く知っていたためである。そう言えば、紅藤が研究センターの主戦力と言っている萩尾丸が誰かと本気で闘っている姿は見た事が無い。

 妖怪は他の妖怪と相争う事で妖力を増す事がある。しかし皮肉な事に、妖力の多い大妖怪は闘う事に消極的なのだ。


「そ、そちらの脅威についてはわたしどもも、きちんと把握しています……」


 伊予の言葉に応じたのは引率者たるサカイ先輩だ。


「ラヰカさんに山囃子さん。ま、万が一の話ですが、もしもわたしたちの前に魍魎や影法師とかが現れて、お、襲い掛かってきた時には、わたしで対処しても構いませんか?」

「それは大丈夫さ。魍魎なんかは元々私らや『夜廻り』の面々が討伐しているし、影法師の連中も似たようなものだからね」

「そうですか……それを聞けて良かったです」


 ラヰカの気軽な言葉にサカイ先輩は笑みを漏らす。笑みと共に妖気さえも漏れていた。


「でしたら、その時はわたしで対処しますね。丁度良いになりそうだなって、実は思っていたので……」


――食事って出会った魍魎を捕食する気満々じゃないかサカイ先輩は!

 源吾郎は心中でそんなツッコミを入れていた。雪羽も同じ考えらしく、驚いたように視線をさまよわせている。

 サカイ先輩が源吾郎たちよりも強いであろう事は薄々感じていた。しかし自分たちとは別種のなのだという事実を突きつけられた気がしてならなかった。

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