常闇之神社訪問譚――あやかしたちの夜宴

※筆者渾身のお風呂シーン・ラブコメシーンをお楽しみください。

なお、クレーム等は随時受け付けます(筆者より)


 

 銭湯や大衆浴場で男湯と女湯に分かれているのは、実は近代に入ってからの事なのだそうだ。日本では元々混浴が珍しくなかったが、近代化に伴い混浴から男女別になっていったという。

 一方で妖怪たちの中には長い年月を生きる者がいる。源吾郎と雪羽はそれぞれ生を享けて二十数年と四十数年経つが、妖怪社会の中ではほんの子供のような物だ。百年で肉体的に成熟し、二百年で大人と周囲に見做される。妖怪たちの年齢観はそのような物だった。

 従って、長命な妖怪たちの中には混浴形態を知る者がいてもおかしくないという話だ。

 何故そんな話になっているのか? それは今源吾郎が入浴中だからに他ならない。



「神社の裏手に露天風呂があるなんて本当に豪華だなぁ。ともあれ、男湯と女湯と別個にあって助かったぜ」


 肩のあたりまで湯に浸りながら源吾郎はしみじみと呟いていた。年数経た妖狐や妖怪たちが営む神社であるから、もしかしたら混浴なのではないか。源吾郎の懸念は杞憂だった。ごく普通に男湯と女湯に分かれていたのだ。ラヰカたちによると、山を下った街道や下町等々は二十一世紀に近い生活形態を取っているのだそうだ。従ってお風呂もそうした近現代的なものであってもごく自然な話だ。

 だからこそ、源吾郎と雪羽は安心してお風呂を楽しんでいるのだ。もしかしたら雪羽は残念に思っているかもしれないが。


「本当に、別個にあって良かったっすね」


 振り仰いで雪羽を見やる。意外にも彼は源吾郎の言葉に同意していた。思いがけぬ発言に驚いた源吾郎は、ゆっくりと雪羽の許に近付いた。

 広い露天風呂の中で二人きりだったのだが、会食の時と異なり源吾郎と雪羽は互いに離れて入浴していた。先程ラヰカの前で言い合いをした事を根に持っている訳ではない。単純に暑がりな雪羽がお湯の温度が低い所に留まっているだけだった。彼曰く温度勾配があるらしい。熱いお湯をむしろ好む源吾郎と離れた場所にいるのもまぁ致し方なかろう。


「えー、意外だなぁ。雷園寺君の事だから混浴とか慣れてそうだし、混浴じゃないからガッカリしてたと思ってたぜ」

「俺の事を何だと思ってるんですか、先輩!」


 雪羽は怒った表情を作りながら源吾郎に湯をかけた。怒り顔が単なるフェイクである事は源吾郎も見抜いている。だから源吾郎はひょいとしぶきをかわしつつドスケベだろう、と言ってやった。


「そりゃあまぁ本家にいた時は母さんとか弟妹たちと一緒に入ってた気がするけど……叔父貴に引き取られてからは女の人とお風呂に入ったりしてないよ。大体叔父貴か、春兄かのどっちかだったかな。月姉は叔父貴の奥さんだから、変に手を煩わせたくないって思ってたんだよ」


 しおらしい表情で雪羽は言う。春兄とは春嵐という風生獣の青年である。雪羽の保護者たる三國の重臣であり、雪羽も彼の事を叔父や兄のように慕っていた。かつては甥を甘やかす三國と甘やかされる雪羽の姿に真面目に悩んでいた事もあるくらいだ。だからお風呂に入れるというちょっとした面倒を春嵐が見ていたとしてもおかしくない。


「でもまぁ叔父貴とお風呂に入るのが一番だったなぁ。解ると思うけど、春兄は熱いお湯の方が好きでさ、ついつい温度を上げがちなんだよね。しかもお風呂でもお行儀良くしなさいって言ってくるし」

「春嵐さんが言ってる姿が頭に浮かぶよ。いやマジで」


 風生獣は頑健な肉体を持つ獣妖怪である。刃物で傷つかず、猫車に載った薪ごと燃やされても文字通り涼しい顔でやり過ごす。そんな風生獣ならば、並の妖怪が快適な湯温でもそれこそ温いと感じるのかもしれない。源吾郎はまた、前に聞いた春嵐のブラッシングの話を思い出した。やはり並のブラシでは刺激が足りないという事で、春嵐は剣山やおろし金のようなブツを自分専用のブラシにしているのだという。聞くだけでも驚いてしまう話であるが、当の春嵐はそれで満足しているのだそうだ。

 今回の風呂話もそれに似ているのではなかろうか。



 雪羽が小さくため息をついたのを源吾郎は聞き逃さなかった。見れば何となく元気がない。どうしたんだと源吾郎は軽く戸惑った。雪羽はイケメンムーブをかましたりドスケベだったりヤンチャだったり色々とあるが、概ね快活に振舞うのが常だった。だからこそ、しおらしく思案に暮れる様子は異質に見えてしまう。


「どうしたんだい雷園寺君。やっぱり出張疲れ?」


 源吾郎が問いかけると、雪羽は笑みを作って首を振る。


「……ラヰカ姐さんもお狐様だったなって思ってたんだ」


 やっぱりも何も何処からどう見てもラヰカ様はお狐様じゃないか……喉元までせり上がってきた言葉を源吾郎は飲み下す。向けられた翠眼は、嫉妬と羨望でギラギラと輝いていた。文字通り雪羽は翠眼の魔物と化していたのだ。


「仕事説明の時も会食の時も、ラヰカ姐さんは島崎先輩の事ばっかり見てたんだよ? そりゃあ確かに、ラヰカ姐さんもお狐様だから、玉藻御前の末裔である島崎先輩に興味を示すのは解る。解るけど……」


 雪羽の言葉を聞きながら、源吾郎は数時間前の事を思い出していた。確かに雪羽は源吾郎が説明している時も隙を見て発言していた。会食の場でもラヰカと話し込む源吾郎の許に乱入していたではないか。

 自分も注目されて欲しいという、幼い欲求であるとなれば腑に落ちる話だ。物の本質を見抜き、直感の鋭い雪羽であるが、実は妙に不器用な所を持ち合わせてもいた。彼は年長者に甘えるのが苦手なのだ。そこは強がらずに甘えれば良いのに、と雪羽を見て思った事も何度もあった。とはいえそこは気質や環境によるものだから致し方なかろう。


「そっか、それで……ごめんな雷園寺。さっきは妙に興奮しちゃってさ」

「別に、先輩は悪くないっすよ」

「雷園寺君。それに雷園寺君だって山囃子さんが凄い子だって言ってただろう。しかも、山囃子さんは雷獣の知り合いがいるって言ってたし」


 実はラヰカが源吾郎に強く関心を見せていた事ばかりが印象に残っているが、雪羽も雪羽で注目されていたのだ。ラヰカもチャンネルの登録者の一人として雪羽を認識していた。何より隠神刑部たる伊予は、むしろ雪羽に関心を示していたくらいなのだ。

 ラヰカの補佐としてまめまめしく働いている伊予であるが、実は外の世界では退魔師部隊の副隊長という肩書の持ち主だった。そんな彼女が所属する部隊に、雷獣の青年が所属しているらしい。

 雪羽はその雷獣の青年・大瀧蓮に似ている所がある。伊予のその言葉にどのような意図があるのか源吾郎には解らない。しかしその言が出てきたのは、雪羽がおのれについて余すことなく言及した後の事だった。能力も、強さも――いずれは雷園寺家の当主に返り咲く事も。

 それにラヰカ様も山囃子さんも俺らの事をかなり強いって言ってくれただろう……そう言いかけた時、露天風呂の入り口で声が聞こえた。


「ごめんください、竜胆です。島崎さんに雷園寺さん。僕も一緒に入って大丈夫でしょうか……?」


 窺うような少年の声音は、そこはかとない憐れさが滲んでいた。良いっすよ大丈夫ですよ。源吾郎と雪羽は湯につかったまま、めいめい応じたのだ。


「それじゃあ、失礼します」

「私も一緒にお邪魔するよ」


 遠慮がちな竜胆の声の後ろに、もう一つの声が重なる。源吾郎たちの視線は白狐の少年、いや彼の後方に向けられていた。

 もう一つの声とは、事もあろうにあのラヰカだったのだ。思わせぶりにバスタオルをその身に巻いたラヰカは、いたずらっぽく艶然と微笑みながら竜胆の背後に控えている。源吾郎たちはここで、何故竜胆が申し訳なさそうな表情だったのか悟った。


「ら、ラヰカ様……? どうしたんです」


 源吾郎は瞠目しつつラヰカに問う。女性であるはずのラヰカがこの男湯に乱入するとは夢にも思っていなかった。可哀想に雪羽などはオロオロし質問するどころでは無いみたいだし。


「どうもこうも、君らともっとじっくり話がしたいと思ってね。会食の時は私も伊予ちゃんの目が合ったし、君らもサカイ先輩に気兼ねしてただろう?」

「でもここは男湯ですよ、ラヰカ姐さん!」


 雪羽がここで声を上げた。スピッツ犬めいた声色だった。ラヰカは笑みを浮かべたまま、余裕の表情だ。


「大丈夫。今の私は男だから」


 そう言って前に進むラヰカの姿は、成程確かに男狐のものだった。背格好や美しい面立ちは変わらない。しかしその体型は完全に成人男性のそれである。

 文字通り狐につままれたような気分の中、ラヰカが言葉を続ける。


「実は私は男でも女でもないんだ。男であり、尚且つ女でもあると言った方が正しいかな。私はラヰカとして数百年過ごしているけれど、実は異なる生き様の記憶が三つあるんだ。ギンギツネだとは思っているけれど、きっと色々なものが混ざっているんだろうね、私には。両方の性別を持つのも、きっとそのためなのかもしれない」


 アンドロギュノスなのか……雪羽は小さな声で呟いている。三國の影響なのか、横文字とか小難しい単語を使う癖が雪羽にはあるのだ。


「さて。ここなら遠慮なく色んな話ができるんじゃないかな。私も伊予ちゃんの目がないし、君らの引率者で護衛であるサカイさんももう休んでおられるみたいだし。

 それじゃあさ、何の話から始めよっか? 『常闇 野 ginger channel』の舞台裏? それとも君らのの魔法少女の配信の話とか?」


 言いながらラヰカは堂々とした足取りでこちらに向かってくる。むしろ一緒にいる竜胆などは尻尾と耳を垂らし困惑した様子を見せていた。

 雪羽が声を上げたのは、ちょうどその時だった。


「ラヰカねえさ……ううん、ラヰカ兄さん! 僕、ちょっと湯あたりしたみたいなんでそろそろ上がりますね。のぼせて倒れてもいけないんで」


――ナイス、ユッキー! 丁度良い口実を思いついたじゃないか!

 湯あたりしたという方便を耳にした源吾郎は素直に雪羽の機転を称賛していた。暑がりである雷獣の性質とマッチしているし、ついでに自分もこの場から脱出できるではないか、と。


「僕も上がりますね! 雷園寺君と相部屋なんで様子も見れますし」


 言いながら二人して浴槽から脱出し、あわただしくラヰカたちの隣を通り抜けた。しんどいのなら伊予さんを呼びましょうか? 妖狐の竜胆は親切にもそんな事を申し出てくれていた。



『……それじゃあ島崎君。また明日ね。ひとまず大丈夫そうで良かったわ。明日に備えて今日はもうおやすみなさい、ね』

「はい、失礼します――」


 宿舎の一室。通話を終えた源吾郎は横目で雪羽を見やった。スマホを耳にあてつつ、雪羽は実に楽しそうに話し込んでいる。お兄ちゃん、という単語が何度も出てくるので、通話相手は弟妹(厳密にはいとこたち)であろう。

 源吾郎と雪羽にそれぞれ電話がかかってきたのは、湯あたりと称して宿舎に舞い戻った数分後の事だった。源吾郎に電話をかけてきたのは師範の紅藤である。今日の仕事ぶりに問題は無かったかそれとなく聞き出したのち、ホップが普段通り元気にしているという事を伝えてくれたのだ。使い魔であるホップは源吾郎の居住区で暮らしているが、今日は紅藤の寝床に泊り込んでいたのだ。

 ちょっとテンションの高い挨拶の後に、小さな電子音が響く。雪羽もようやく電話が終わったらしい。くるりとこちらを向いたその面は、笑みで緩み切っていた。


「萩尾丸さんと、三國の叔父貴から電話があったんだよ。途中から弟妹達に替わったけどね」

「俺の電話は紅藤様からだよ。きちんと仕事は出来てるか、今日はもう休むようにってね」

「俺も同じような事を萩尾丸さんに言われたよ」


 数秒ばかり二人の間に沈黙が漂った。萩尾丸はともかく、紅藤はまだ仕事中なのだろう。よしんば仕事が終わったと言いつつも、趣味だのなんだのと理由を付けて機材を触ったり何かやっているに違いない。出社時に、寝落ちした紅藤が妙な所に挟まっているのを源吾郎は既に何度も目撃していた。


「それでどうするの? もう寝るの?」


 雪羽の問いかけは若干子供っぽい響きを伴っていた。対外的には湯あたりした事になっているが、表情と言い問いかける姿と言い元気そのものだ。眠そうには見えないし、源吾郎も浴場での一件で目が冴えているくらいだ。


「どうするもこうするもまだ眠くないぞ、俺は」

「だってまだ九時前だもんなぁ。そんな、九時に寝るなんて子供じゃないんだし」

「よっしゃ、そうと決まれば眠くなるまで遊ぼうぜ」


 言いながら、源吾郎は部屋の隅に置いていたバッグの方へとにじり寄る。部屋の四隅には、小皿に盛られた丸い雪の塊が鎮座している。常闇之神社に縁深い雪女が用意してくれたものらしい。すぐには融けず、ゆっくりと部屋を涼しくしてくれるのだそうだ。説明会の際に出された麦茶に入っていた氷も、彼女がわざわざ用意してくれたものだった。


「ほらっ、飽きないように色々と用意したんだからな」


 源吾郎はバッグから出したものを畳の上に置いた。卓上オセロ、ウノ、トランプ、双六すごろくである。これらは相部屋になるであろう雪羽と一緒に遊ぶために源吾郎が持参したものだった。二人っきりで遊ぶわけだからきっとオセロとか双六になるかもしれないが、元来複数名で遊ぶカードゲームを二人で遊ぶのも面白いかもしれない。

 抜かりないだろう? ボードゲーム達を黙って眺める雪羽を前に、源吾郎は声をかける。


「枕投げも乙かもしれないけどさ、俺らじゃあ絶対途中で取っ組み合いになるかもしれないしさ。それならこうしてボードゲームをやった方が……」


 雪羽は源吾郎を一瞥すると、わざとらしくため息をついた。こちらを見つめるその顔には、小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。


「せんぱーい。先輩が俺より年下って知ってたけど、まさかここまでお子様だったとは予想外だよー」


 遊ぶってそりゃあもちろん女の子たちの所に突撃するんだよ! そう熱弁を振るう雪羽もまた子供っぽかった。それを指摘したらやはり取っ組み合いになりそうなので、呆れたような眼差しを向けるだけにしておいたが。


「そう言えば雷園寺君は猫又の女の子にご執心だったねぇー」

「ご執心とか言うな。大げさじゃないか」


 半ば棒読みに近い源吾郎の言葉に、雪羽が苦笑する。少し照れたように頬を赤らめているのが滑稽だった。


「万里恵ちゃん、だったっけ。あの娘めっちゃ良かったなぁって思ってさぁ。見た目とか性格とかもうドストライクだったわー」

「確かに雷園寺君はああいう娘が好みだろうなぁ」


 万里恵、と馴れ馴れしく雪羽が呼ぶ猫又少女の姿を源吾郎は思い浮かべていた。若干彫りの深い、勝気そうな面立ちがいかにも猫っぽい美少女だった。忍者装束とは裏腹にフレンドリーでいっそコケティッシュな感じもしたが、源吾郎はああいう娘はタイプではない。末っ子として子ども扱いされてきた反動か、源吾郎はいかにも少女、と言った華奢な感じの娘の方が好みなのだ。

 雪羽や他の若妖怪からはロリコンかよ~とからかわれるが、ショタコンよりはマシだろうと言えば大体黙るので問題ない。どっかの炎上天狗の事でも連想するのだろうが、源吾郎にはよく解らない。


「そりゃあもちろん神社の関係者――退魔師だったっけ――だからさ、失礼が無いように気を付けはするよ。しかしちょっとくらい話し込んだり遊んだりしてもばちは当たらんだろうに」

「確かに。三人だったら双六もウノも楽しいだろうなぁ」

「まだそこから離れてなかったのかよ!」


 さてこんな感じでまた二人で盛り上がっていると、引き戸の向こう側から声が聞こえてきた。明るい声音には聞き覚えがある。

 山囃子さんの声ではないし、まさか……そう思っている間に引き戸が開けられた。

 やって来たのは二人の妖怪だった。一人は今しがた話題に上がっていた猫又娘の霧島万里恵、もう一人は妖狐のラヰカである。風呂場では男の姿を取っていたラヰカだったが、いつの間にか見慣れた女性の姿に戻っていた。


「こんばんは、yukiha君にきゅうび君! 向こうがお酒が回り始めた頃だから、君たちの所に遊びに来たよ! 確か、ボスから飲酒はダメって言われてたんだよね?」

「ふふふ、昼の仕事のご褒美さ。『常闇 野 ginger channel』の特別放送を始めようと思ってね」


 万里恵とラヰカは各々要件を口にすると、臆せず源吾郎たちにあてがわれた部屋に入っていった。勝手知ったる我が家での振る舞いそのものであるが、そもそもラヰカたちはここに馴染みがあるので当然と言えば当然だろうか。

 源吾郎の傍にはラヰカが、雪羽の近くには万里恵が控える事となった。思いがけぬ来訪に源吾郎のみならず雪羽まで驚いてしまっている。ラヰカが懐から何か――小型のカメラだろうか――を探している間に、万里恵が雪羽に話しかけていた。


「こんばんは雪羽君。あはは、ずっと会食の時から私の事チラチラ見てたでしょ? んもぅ、イケメンでヤンチャな感じなのに、案外控えめなんだねー。まぁ、控えめな子も好きだけど」

「ははは、まぁあの時は引率者の目もありましたし……」


 万里恵ちゃんの所に突撃する。数秒前にそう豪語していた雪羽であったのだが、他ならぬ万里恵を前にしてたじたじとなっていた。初手から万里恵が上目遣いしつつ尻尾でハートマークを作ったり、しれっと密着しようとしているからなのかもしれない。

 しかし雪羽らしからぬ事だとも源吾郎は思っていた。雪羽は女遊びに慣れているドスケベなのだ。まぁ実際数年前の生誕祭では慣れた手つきでウェイトレス(♂)を連行しようとしていたし。

 それとも自分からアタックするのは問題ないが、向こうからグイグイ来られたら困惑するタイプなのか?


「ちょっと万里恵ちゃん。あんまり派手にやったら配信できないよぉ。最近動画も規制が烈しいんだから」

「えー、ラヰカさんだって大事な所見えかけてるけど、それでも問題ないじゃん。

 ね、それで雪羽君。ラヰカさんよりも先に私からご褒美あげよっか?」

「あ、あのぅ……」


 なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。源吾郎はそんな事を思いつつ声を絞り出した。畳の上に並べたままのトランプや双六を手に取り、ラヰカたちに見せたのだ。


「折角なんでウノでもやりましょうよ。その……雷園寺は二人っきりでウノやっても面白くないって言ってましたが、四人なら話は別ですよ」


 源吾郎の言葉は即興だった。トランプとかウノとか双六で遊ぶのなら、この猫又娘が放つ妖しい空気も中和されるだろう。そのように踏んだのだ。ウノも面白そうだなー、とラヰカも同意してくれているではないか。


「確かにウノも面白そうね! やるやる私も参加するよ!」

 

 遅れて万里恵もウノに興味を示してくれた。黒髪の間にある猫耳がピクピクと動き、先端だけ白い黒い二尾は機嫌よく伸びあがっていた。

 これで妙な流れは解消されたようだ……源吾郎が一息ついている間に、万里恵の尻尾は再びハートマークをかたどった。事もあろうに雪羽の胸元にしなだれかかってきたのである。


「でも雪羽君はどうかな? みんなでウノやる? それよりも楽しい遊びを私とやる?」

「ちょ、い、いきなりはマズいって万里恵ちゃん。その、やっぱり順序ってものがあるんだからさぁ」


 どさくさに紛れて万里恵は雪羽の背に手を回し、白銀の一尾を撫で始めている。はた目には軽くじゃれあっているように見えるものの、いつの間にか雪羽の面に切羽詰まった物が浮かんでいる。彼がこの猫又娘に無体を働く事はまずないだろう。しかし頑張って引きはがそうとしている事はその表情からして明らかだった。

 それにしても女子に耐性の無い中学生じゃあるまいし……そんな事を思っていると、唐突に雪羽と目が合った。まさしく縋るような眼差しである。源吾郎に助けを求めていたのだ。

 それに気付いた源吾郎は――にたりと笑って行動を起こした。雪羽は会食の場で源吾郎が美少女変化を好むと言っていた。それをラヰカと万里恵の前で披露したのだ。

 数秒を待たずして、源吾郎は十八、九の少女に変化していた。唐突な変化に皆が釘付けになっていた。源吾郎は数ある変化のバリエーションの中でも、宮坂京子なる狐娘の姿に変化していた。ラヰカたちは源吾郎の変化に驚いていたが、雪羽の驚愕はより強く深い物であろう。

 何せ雪羽はかつて、この宮坂京子に変化した源吾郎を、単なる狐娘だと思って連行しようとしたのだから。


「雷園寺君! 私の事は遊びだったのね。酷いわ」


 源吾郎もとい宮坂京子は声高にそんな事を言ったのだ。ラヰカはおお、と声を上げ、万里恵はいたずらっぽい笑みを浮かべるだけだ。年長の妖怪という事もあり、ラヰカたちはむしろ冷静そのものである。雪羽は万里恵に抱き着かれてからずっと驚き通しであるようだが。


「ずっと頑張って仕事をしてただけの私を捕まえてホテルに連れ込んだのは雷園寺君だったじゃない! 私、それからずーっとあなたの事だけ思っていたのに……そんな……」


 先輩、何を言って……? あからさまに戸惑っている雪羽をスルーし、京子は万里恵を指差した。


「こ、この泥棒猫!」

「凄いなぁ、間近で昼ドラを見ているみたいだぁ」

 

 確かに最近泥棒猫って単語は聞かないなぁ……ラヰカの言葉を聞きながら源吾郎は思った。万里恵はきょとんとした表情で首を傾げ、それからゆっくりと雪羽から離れてくれた。

 飴色の瞳に見据えられながら、源吾郎もまた静かに我に返っていた。変化を解き、元の若者の姿にさりげなく戻る。

 万里恵に絡まれる雪羽を前に、宮坂京子の姿になって寸劇をしたのは、雪羽へのちょっとした意趣返しのような物だった。芝居がかっているとはいえ、先程のセリフもすべて真実だ。美少女変化をラヰカたちにも見せる事が出来た訳だし、何より源吾郎もノリノリだった。

 しかし、万里恵に対して泥棒猫と呼んだのはやり過ぎた。そんな思いが去来したのである。


「うふっ。雪羽君も良いけどきゅうび君も中々面白そうね。でも、あんまり真面目な子を困らせても駄目だし、今日はこれくらいにしよっか」

「すみません……ありがとうございます…」


 万里恵の言葉は気まぐれさが多分に含まれていたが、源吾郎には優しい言葉に聞こえたのだ。



 さて結局のところ、源吾郎たちは遊びに来たラヰカたちと共に小一時間ばかりボードゲームに興じたのだ。小一時間で終わったのは、伊予が部屋の様子を見に来たからだった。彼女も彼女で源吾郎たちがしっかり休んでいるか心配だったらしい。或いは、ゲームに興じる騒がしさに気付いての事かもしれないが。

 伊予によって連行されるラヰカと万里恵を見送ると、源吾郎も雪羽もそれぞれ布団に収まり消灯した。

 山囃子さん、優しくておっとりしたお方だけど、だからこそ恐ろしいお方かもしれないなぁ……無抵抗で引きずられていくラヰカたちの事を思い浮かべながら、源吾郎は静かに目を閉じたのだった。

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