常闇之神社訪問譚――応接間の歓談

「――以上で説明を終了させていただきます。皆様ご清聴ありがとう、ございました」


 源吾郎がそこまで言い終えると、ラヰカを筆頭に常闇之神社の面々から拍手が上がった。説明というのはビジネスの説明である。具体的に言えば雉鶏精一派・第二幹部が擁する研究センターの沿革と今後の展望、そして常闇之神社及び幽世かくりよそのものへのアプローチの仕方である。

 紅藤があるじとして動かしている研究センターは、妖怪社会の近代的・科学技術的な生活に大いに貢献してきた。この度幽世にやって来たのは、自分たちの世界と異なるエネルギーやテクノロジーを調査するためである……ざっくりと言えばこのような説明になるだろう。

 紅藤自身は幽世にある独自技術に興味を持つだけに留まっているが、これらの物品やノウハウをやり取りしたいというビジネス的な要素も含まれていた。紅藤の一番弟子にして営業マネージャーである萩尾丸が、この交流は金になると思っているからに他ならない。

 込み入った事まで知っている訳ではないものの、源吾郎はそう言った上席者たちの思惑をおおむね把握していた。何しろ、今回ラヰカたちに渡した資料を作ったのは、他ならぬ源吾郎と雪羽なのだから。

 だからこそ、こうして源吾郎と雪羽は分担して説明を行う事となったのだ。


「……いやぁ、島崎君も雷園寺君も頑張ったね。凄いね、立派な勤めにんって感じがしたよ」


 ラヰカの誉め言葉に源吾郎はじんわりとした安堵を抱いていた。気を緩めば涙が出てきそうなくらいである。ついでに言えば隣の雪羽もそうした態度を見せている。

 普段の源吾郎と雪羽であれば、褒められれば得意になったり調子に乗ったりしても何らおかしくない。しかし涙ぐむほどに安堵していたのにも訳があった。

 何せこの資料、リテイクにリテイクを繰り返して完成させたものだったからだ。ちなみに資料作成の指示とダメ出しの連発を行ったのが萩尾丸である事は言うまでもない。ほんのりと兄弟子に殺意を覚えたり(無論抵抗などできないのだが)、残業が長すぎて雪羽が源吾郎の居住スペースに泊り込んだりと色々とあった。

 そうした苦くしんどい出来事を源吾郎は思い出し、これらがはっきりと報われたのだと思っていた。源吾郎は実は不安だったのだ。ラヰカや伊予に、資料や説明がショボいとか解りにくいなどと言われるのではないか、と。きっとそれは雪羽も同じ気持ちだったに違いない。

 ラヰカは呆けたような表情の源吾郎から視線を外し、手元の資料を眺めつつ呟いた。


「ええと、ひとまず今回はこの常闇之神社への顔繫ぎと……幽世で使われている技術やエネルギーについての試料を集めたいって言う事で良いのかな」


 その通りです。落ち着いた調子で応じたのはサカイ先輩だった。


「も、もちろん幽世の土とか草花とか……そう言ったものを外に持ち出したらいけないって決まりがあればわたしたちはそれに従いますが」


 サカイ先輩の懸念はもっともの事だった。雪羽と目配せしながら源吾郎は思った。テレビなどでも、違う場所に生息していた動植物が持ち込まれて後々問題になっていると報じているではないか。幽世と源吾郎たちが暮らす世界の間でも同じ事が起こるかもしれない。サカイ先輩はそう思っているのだろう。

 いや、幽世はそもそも源吾郎たちの知る世界からも超越した場所である。外来生物大繁殖以上の大問題が発生してもおかしくなかろう。

 別に大丈夫だよ。懸念を抱くサカイ先輩たちとは裏腹に、ラヰカは至極あっさりした様子で許諾した。


「幽世も幽世で他の世界とやり取りがあるんだ。私だって外の世界で買い物とか拾い物もあるし、ここから外に物が流れていくのも……多少はあるかな。

 それに君や君のボスがここから何かを持ち出したとしても悪用はしないだろうしね。だから無問題だよ!」


 ここでラヰカは笑みを作り、OKマークまで作ってくれた。


「本当にありがとうございます……そうしましたら、明日、わたしどもで持ち帰る物を採取しますね。多分この幽世の土とか草花、可能ならば鉱石などを採取しようと思っているのです。センター長は妖力を増幅する技術を持っているので、少ない量で大丈夫です。

 フィールドワークになる事は二人にも伝えてますし、島崎も雷園寺も獣妖怪なので大丈夫かと……」

「幽世産の物、幽世の力や技術がこもった物なら街道沿いの雑貨店で入手できるけど、どうします?」


 静かに提案するラヰカと、その提案を耳にしたサカイ先輩の双方に、驚きの色が浮かんでいた。が、源吾郎も実は驚いていたのだ。藍色の空と輝く草花に支配された幽世に、街道とか雑貨店があるとは。

 源吾郎はラヰカのチャンネルを何度か視聴していたが、幽世の事はそれほど詳しくなかったのだ。もちろんラヰカが現世に近い物品を持っていた事は知っていた。しかしそれらは外の世界で調達したのだと思い込んでもいた。

 ややあってから、ラヰカは気を取り直したらしく笑みを浮かべてくれた。


「君らはお金の心配はしなくて良いよ。実を言えば、雉仙女様から頂いた封書には小切手も入っていたからね。営業担当の萩尾丸さんだっけ……の名義だったけど」


 ラヰカの笑みが一層深まる。その小切手とやらはかなりの額だったのだろうと推察された。というかいつもはケチな事を言っている萩尾丸が、を喜ぶラヰカを微笑ませるほどの小切手をしたためるとは。それだけこの幽世のビジネスに執着しているという事か。

※光学再戦とは高額賽銭の事なのだが……配信動画では時々誤変換されてしまうのだ。


「フィールドワークをなさるのか、それとも街道の買い物をなさるのかは、サカイさんたちが決めて頂けたら良いと思っております」


 ずっとやり取りを聞いていた伊予が、穏やかな調子で告げた。


「ラヰカさん。もしかしたらサカイさんたちは雉仙女様にフィールドワークにて試料を集めるように言われている可能性もあるわ。書面を見る限り相当な研究者気質ですし……

 現地の石ころを欲していたのに、旅先で手に入れたのは高価な宝石だったという食い違いも聞いた事があります。なので今一度すり合わせをなさった方が安全だと思うのですが」

「あ、あのっ、別にセンター長から指定は無いんです」


 気遣うような伊予の言葉にサカイ先輩はすぐに応じた。その顔は何故か赤面している。


「お店があるってお話は有難いですし、どんなお店かも見てみたいです。も、もちろんフィールドワークでその土地の試料も採取したいですが。

 実はわたし、幽世って、その……この神社と三途の川しかないのかって思い込んでたんです。ええと、本当に恥ずかしいです……」


 サカイ先輩はそう言って頭を下げた。源吾郎たちもそれに倣い首を垂れた。

 結局ラヰカも伊予も気を悪くする事はなく、フィールドワークとお店巡りの両方を快諾してくれたのだ。ラヰカたちがそれを先導するのは言うまでもない話だが。



 

 夕食は所謂ビュッフェ形式だった。面談が真面目な流れで進んだから、食事をとりつつ歓談しようというラヰカの厚意によるものであろう。源吾郎たちが説明と面談を行った部屋の二倍ほどの広さのある場所が会場である。小規模ながら披露宴を行えるような場所のようにも源吾郎には感じられた。

 そして妖たちの数も面談の時よりも増えている。面談に出席してくれたラヰカと伊予がいるのは言うまでもないが、神使として働いているという妖狐の兄妹や、袖や裾の短い忍者っぽい衣装の猫又などが件の会場に集まっていたのだ。

 なお食事の用意を行っているのは刑部狸の伊予と竜胆りんどうと名乗る妖狐の少年だった。日頃自分で料理も作る源吾郎は手伝った方が良いかと申し出たのだが、「あなたは大切なお客様だからお料理を楽しんでね」と微笑まれただけだった。

 

「ねぇ島崎君。その姿って本来の姿なんだよね」


 肉じゃがの優しい甘みと暖かさに密かに感動していると、ラヰカが傍に来てくれた。白磁の皿の上にはマウスの天ぷらと五目いなりが仲良く並んでいる。源吾郎たちが用意したお土産も、きちんと皆に行き届くように手配されていたのだ。ただ――十二個入だったはずのマウスの天ぷらがだったのは気になるが。

 ともあれ狐耳を動かしながら問いかけるラヰカを前に源吾郎はまず頷いた。見た目に関してはいくばくかのコンプレックスがあったが、それでもその面には笑みが広がっている。


「その通りですラヰカ様。僕は兄弟たちの中でも玉藻御前の血を色濃く継いだのですが……不思議な事に見た目だけは遺伝しなかったんですね。ええ。実はこの見た目は父親譲りなんです。兄姉たちは母や祖母と言った妖狐の美貌を兼ね備えているみたいなんですがね」


 見た目の事をあれこれ言われるのは源吾郎の好みではない。しかしラヰカの質問に対して嫌な気分にはならなかった。その美貌とは裏腹にざっくばらんであけすけな雰囲気だったし、何より源吾郎はラヰカの事を尊敬していたのだから。


「ふふふ。血統書付きの玉藻御前の末裔だって聞いていたから、私はてっきりかなりの美形なのかなって思ったんだ。写真とほとんど変わらないし、仮の姿って感じじゃあ無さそうだもんね」

「僕が美形だなんて。ラヰカ様もご冗談を……僕は常々思っているんですよ。漢の魅力なんてのは見た目じゃないってね。そもそも妖狐は見た目を変えられるわけですから、真の姿には意味がないのかもしれませんし」


 カッコいい事を言うねぇ。ラヰカの言葉に源吾郎は密かに喜んでいた。動画越しに尊敬のまなざしを送っていたラヰカ様が、源吾郎の言葉に同意してくれている……! と。

 喜びのあまり自分の世界に入りかけた源吾郎は、二の腕に微かな刺激を覚えた。見ればいつの間にか雪羽が控えていて、びっくりするほど爽やかな笑みを浮かべて源吾郎をつついていたのだ。皿の上には卵サンドとフルーツサンドらしきものが乗っていていかにも彼らしい。

 くっつきすぎだぞ雷園寺……源吾郎がそう言うよりも早く、雪羽は口を開いていた。


「ラヰカ姐さん! 言うて島崎先輩って変化術が大好きなんですよ。もうね、事あるごとに美少女に変化しちゃうんです!」


 頬を紅く染める程に興奮した雪羽は、源吾郎の趣味を高らかに暴露した。源吾郎は雪羽の所業に一瞬イラっとしたが、お返しに尻尾で彼の尻尾をはたく程度に留めておいた。別に自分が女狐(♂)モードになる事を知られるのは構わない。しかしそれもタイミングありきの話だ。

 少なくとも、見た目が漢の魅力ではないと言った直後に明かすべき内容では無かろう。勘の鋭い雪羽はそこまで解った上で敢えて発言したのだろう。ついでに言えば、源吾郎がムカッとしても反撃しない事も計算済みに違いない。雪羽の事は友達だと思っている源吾郎だが、中々に油断ならない妖怪だった。


「事あるごとにって、別にそんなに変化してないからな雷園寺。そりゃあまぁ忘年会とか新年会の余興で女の子に変化したし、今回の生誕祭はウェイトレスとして参加したよ。だけど余興の件は上司命令であって俺の意志じゃないよ。

 だから今年は……自発的に変化したのはまだ三回くらいかな」

「年に三回でも多いってば」


 半分ムキになりながら雪羽に言い聞かせるも、雪羽は逆にツッコミを入れる始末である。

 ラヰカの視線を感じた源吾郎は、あたふたと雪羽やラヰカを交互に見やった。さてどうしたものか。折角ラヰカ様とお話していたのに……雪羽はいたずらが成功した子供のような笑みを浮かべていた。


「それにしても水臭いっすね先輩。ラヰカ姐さんとお話しなさっているんなら、僕にも声をかければ良かったのに」


 知らんがな。すっとぼけたように唇を尖らせる雪羽に対し、源吾郎は言い返した。


「言うてさっきまで料理を探したり猫又の女の子に近付こうとウロウロやってたじゃないか。別に俺がラヰカ様とお話してても良いじゃないか。お狐様なら竜胆さんだって雷園寺君と話したがってたし」

「そうは言ってもさ、向こうの妖たちも忙しそうだったから仕方ないでしょ? 猫又の霧島さんは魍魎もうりょうがどうとか言って伊予さんと話し込んでたし、竜胆君は配膳とか飲み物運びで忙しそうだったしさ……」


 だったらしゃあないな……言いながら源吾郎はため息をついた。くっつく雪羽を追い払うのが難しそうだと悟ったためだ。

 それと共におのれの言動を客観的に見直し、少し憂鬱な気分にもなった。言動はソフトなものであるが、源吾郎は雪羽と言い争ってしまったのだ。それもラヰカの前で。賓客としてやって来た自分たちは、よりにもよってあるじの前で醜態を晒したのだ。その事に気付き恥ずかしくなってしまった。


「な、何かすみませんラヰカ様。何と言いますか、みっともない所を見せてしまいまして……」


 もしかしたら雪羽が茶々を入れるかもしれない。そんな懸念が源吾郎の脳裏にふっとよぎった。しかし雪羽もまた神妙な面持ちで黙っているだけだ。


「みっともないとかそんな事はないよ、二人とも」


 ラヰカは目を細め、そして袖で口許を隠しつつしとやかに微笑んでいた。


「いつもさ、二人ともそれぞれきゅうび君とyukiha君としてコメントをくれるでしょ。その時の掛け合いから思っていたけれど、んだね、君たち」


 本当に仲が良い。思いがけぬ言葉に源吾郎と雪羽は目を瞠り、互いの顔を思わず見やった。自分たちとしてはちょっと言い争っていたつもりだった。もしかしたら雪羽はからかっているだけで、それに源吾郎が乗ってしまっただけかもしれない。

 しかしいずれにしても、そうしたシーンで仲が良いと判断されるのは気恥ずかしかった。雪羽と仕事をし始めてかれこれ数年が経ち、友達だと見做してはいたけれど。


「はい。そりゃあもう僕たちはズッ友なんですよ!」


 ズッ友。雪羽の口から飛び出したのは一昔前の女子高校生が使いそうな単語だった。笑顔だが先程とは違い、邪気の無い笑みだった。


「確かに島崎君は面白いしよくあるごとに女子に変化したりしてますけどね、本当はめっちゃ良いやつなんですよ。俺も最初は変わったやつだなって思ってましたけど、何と言うか……友達になりたいって思わせる所があるんですよね」

「あはは、確かにそれは解るかもしれないね。玉藻御前の曾孫っていう前情報もあるけれど、愛嬌があって親しみやすい感じだもんね」

「お、お褒め頂有難うございます」


 源吾郎が礼を述べている間に、雪羽はニコニコ顔のラヰカにさらに説明を重ねていた。


「――僕も、島崎君には元気をもらっていますし」


 説明の最中に雪羽はそんな事を言っていた。その時のシーンが印象に残ったのは、言い放った時に一瞬だけその面に寂寥の影が走ったからだ。

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