常闇之神社訪問譚――歓待するは常闇の妖狐
まず花の数が多い。街路樹よろしく桜が植わっているのだが、いずれも見事に咲き誇り、ついで花びらを散らしている。地上から数十センチの高さの所には、曼殊沙華が並んで開花している。線香花火が烈しく火花を散らしているその瞬間を切り取ったかのような咲きっぷりは見事というほかなかった。しかも曼殊沙華は緋色の花だけではなく、淡いクリーム色や紅白入り混じった斑入りの物さえ見受けられた。
もちろん花は桜や曼殊沙華だけではない。白椿の低木や高木に絡みつく藤花、或いは地を這うように群棲する金色の花など様々だった。季節の枠組みを超えて咲き続ける花たちは、さながら仄暗い幽世を照らしているようにも見える。
照らしていると言えば、燐光めいた狐火もふわふわと浮かんでいた。
「ボタニカル・アートをやってる人にとったら楽園みたいな所かもね、ここは」
隣席の雪羽は、窓の景色に視線を向けながらぽつりと呟いた。日頃の快活な言動とは打って変わり、しんみりとした声音である。
しかしそう言った言動もまた雪羽らしいと、源吾郎は密かに思っていた。雪羽は時々しおらしい態度を見せる事があり、本来はとても繊細な性格なのではないかと思う事さえあった。ついでに言えば画力もあるし芸術を愛好する心も持ち合わせている。
なればこそ、様々な百花が咲き乱れるさまを見てあの言葉が出てきたのだろう。
「お三方。もうすぐ常闇之神社に到着いたします」
車の走行速度が若干落ちた。そう思っている間に伊予の声が源吾郎たちの鼓膜を震わせる。助手席にはサカイ先輩が座っていたのだが、道中の会話は多少あった程度だった。サカイ先輩の人見知りしがちな性質故の事であろうか。
「ほんとうにすみません。急に押し掛けるような形になっちゃって……」
「いいえ。気にしなくて大丈夫ですよサカイさん」
さも申し訳なさそうに告げるサカイ先輩に対し、伊予は柔らかな口調で言い添えた。源吾郎たちからは彼女の顔は見えないが、きっと優しい笑みをたたえているに違いない。
「あなた方のボスは、きちんとここに来るにあたってラヰカさんに連絡を入れてくれたでしょ。ギリギリとはいえ間に合ったんですから問題ないわ。そもそもこの幽世に……常闇様に仇成す存在だと認識されていたら、連絡の手紙どころかあなた方も幽世に入る事は出来ませんでしたわ」
小さく口ごもっていたサカイ先輩がはっと息を呑むのが源吾郎には聞こえた。あなた方のボスだって、敵意や悪意、害意を持った存在を自分のテリトリーに敢えて入れる真似はしないでしょ? 伊予の言葉には、サカイ先輩のみならず源吾郎も雪羽も同意するほかなかった。常闇様というのが何者なのかは定かではない。しかし伊予の口ぶりから察するに、この幽世の支配者なのだろう。
「それにね、ラヰカさん自身もあなた方が来るのを楽しみにしているの。今回は珍しく、若い
若い
若い
もっとも、もしかしたらサカイ先輩も含めた三人が若い
「皆さんは気付いていると思いますけれど、幽世ってあんまり色んなヒトが頻繁にやってくるような所ではないんです。なのでどうしても、幽世に来て常闇之神社に遊びに来る面々となると大体決まってしまうんですよね。知ってる妖たちとの交流をラヰカさんが楽しんでいるのは事実ですが、あの方は好奇心旺盛ですからね。
だからきっと、今回も動画配信を始めたんだと思うんです」
伊予は最後に、さり気なくラヰカが行っている「常闇 野 ginger channel」について言及していた。彼女にも自分たちが動画の登録者である事はバレているのかもしれない。そんな事を思う源吾郎の隣で「もしかして……」と雪羽は小声で呟いていた。
※
「常闇之神社にようこそ。長旅だったから大変だっただろう」
とうとう源吾郎たちは、常闇之神社の神使たるラヰカと対面する事になった。本殿の脇にある社務所と思しき建物の中での話である。社務所はもちろん本殿よりも小ぶりであるが、それでも戸建ての一般家屋に負けない程立派な作りだった。その社務所の二階、会議室とも食堂とも取れるその場所に源吾郎たちは通されたのだ。
テーブル越しに対面するラヰカを前に、源吾郎は緊張しておのずと背筋を伸ばしていた。ついでに術でこしらえた狐耳もピンと立ちあがっている。
ラヰカが妖狐らしい、蠱惑的な美女である事は動画越しできちんと知っていた。しかし動画越しと実際に対面するのとはわけが違う。
まずもって藍黒色の五尾に釘付けになった。妖狐は尻尾に妖力を蓄える獣妖怪の筆頭格である。尻尾が多さこそがその個体の強さに直結し、尻尾の数が増えれば増える程、その身に有する妖力の差は段違いとなる。一尾と二尾の間に見られる差と、七尾と八尾の間に見られるそれは全く異なるという事だ。
源吾郎はそれから、今更のようにラヰカの美貌に気が付いた。面立ちや豊満な体型は明らかに女性のそれであるが……怜悧なその面は男性的な魅力をも具えているかのようだった。ボブとショートカットの中間という、男女ともにありうる髪の長さだからなのかもしれない。髪色は全体的に暗灰色であったが、右耳の真下から伸びるひと房だけは明るく鮮やかな藍色を見せていた。
色白らしく際立った化粧はしていないが、額と下瞼には藍色の紋様を入れているのも神秘的だった。おのれが神使の妖狐である事を示しているかのようだ。そこまでつらつらと観察しておいて、源吾郎は自分がすっぴんである事に気付いた。まぁ彼がすっぴんなのはいつもの事なのだけど。
「い、いえ。こちらこそ急に押し掛けた形になり申し訳ありません……」
あれこれと思案に暮れる源吾郎は我に返った。サカイ先輩が頭を下げ、ちょっとした謝罪をしているのを見たからだ。サカイ先輩が存外根は真面目である事、真面目であるが故に師範である紅藤に信頼を寄せている事を源吾郎は知っている。そして今回は一行の責任者でもある。実に彼女らしい言動だった。
「別に私は大丈夫だよ。むしろ大妖怪の許で働いている君らがわざわざ時間を取って来てくれて嬉しい位なんだからさ」
ラヰカはそう言って華やぐような笑みを浮かべると、今なお無言で居並ぶ源吾郎や雪羽に視線をスライドさせた。
「何せきゅうび君とyukiha君は私が担当する『常闇 野 ginger channel』をずっと応援してくれているんだろう。それなら、私たちも歓迎するのが筋ってやつさ」
サカイ先輩のみならず、ラヰカ様まで気付いていたんだ……! 源吾郎の心中にはそのような驚きの念で一杯になってしまった。ところが隣の雪羽は気を取り直したのか得意げな笑みを浮かべている。笑みを浮かべながら、自分がyukihaとして応援しており、隣の源吾郎はきゅうびとして応援していたのだという事をご丁寧に説明までしていた始末なのだ。
驚く源吾郎や得意げに喋る雪羽などを見やりながら、ラヰカもまた微笑んだ。灰紫色の瞳も細められており、心からの笑みであるようだった。
「サカイさんに……島崎君と雷園寺君だったっけ。そんなわけで君たちは私たちに対して畏まったり、無理に敬語を使わなくて大丈夫だからね。特に島崎君と雷園寺君は私の動画のファンだし、何より大妖怪の血を引く者たちじゃないか。私自身堅苦しいのは苦手だし、ここにいる時は気軽に接してほしいんだ」
敬語を使わなくて大丈夫。ラヰカの寛大な言葉に源吾郎は嬉しさのあまりほおが緩んだ。雪羽に至ってはまた何か話しかけようとする素振りまで見せる始末だった。
とはいえ、実際に源吾郎たちがラヰカに話しかけ始めた訳ではない。サカイ先輩のじっとりとした視線に気づいたためだった。研究センターでの姉弟子にして、今回の出張での責任者の視線に、である。
源吾郎たちが大人しくなったのを見計らい、サカイ先輩は笑みを作ってかラヰカの方に視線を向けた。当惑と困惑をそれこそ隙間に押し込んだような作り笑いだった。
お気遣いありがとうございます。若干たどたどしい口調で言い終えると、サカイ先輩は今再び源吾郎たちを見やった。
「あの、今回ラヰカさんたちのためにちょっとしたものを私たちで用意したんです。どうぞ受け取ってください!」
サカイ先輩がそう言った直後、彼女の目の前に包みが二つ出現した。これらが今しがたサカイ先輩の言ったちょっとしたもの、すなわち手土産である。出張のセオリー(?)として食品だったのだが、暑さで傷んだり運ぶ道中で変に崩れたりしないようにと途中でサカイ先輩が持っていてくれたのだ。持っていたというよりも隙間に親和性のあるすきま女らしく亜空間的な所に隠し持っていたのだろう。そうした事はよくある事なので源吾郎も雪羽も特に気にしない。
それよりも、ラヰカが二つある包みのうちどちらを気に入るか。その事が目下の二人の関心事だった。源吾郎と雪羽がそれぞれ選定したものだからだ。
「こうした所では菓子折りがセオリ―なんでしょうけれど、ちょっとした夕食のおかずになりそうですね、むしろ……それで中身は……」
「下にある大きい包みにあるのはお稲荷さんですよ、ラヰカ姐さん」
サカイ先輩がおおむね話し終わったのを見計らい雪羽が声を張り上げた。雪羽は平素源吾郎の事を「先輩」と言って接するのだが、源吾郎は後輩がでしゃばるのを特に咎めずそのままにしておいた。雪羽がまずでしゃばるのは察していたし、源吾郎も源吾郎で後から説明しようと思っていたからだ。
「ラヰカ姐さんはお狐様ですし、この前の動画でもお稲荷さんが欲しいって僕たちに仰っていましたから……
それにかやくも一杯詰まった五目いなりです!」
若手営業マンを気取りつつ雪羽は説明していたのだろうが、その仕草と口調はやはり見た目相応の幼さが滲んだ。彼も彼で動画越しに絡んでいたラヰカを前にして興奮しているのだろう。
ともあれ雪羽が手土産にと選定したのはいなり寿司である。お稲荷さんを好むという妖狐の好みをピンポイントで狙い撃ちしていると言えるだろう。ついでに言えばかやく云々は過去にラヰカが行っていたゲーム実況にて登場した「イナリバクダン」に由来している。ユーモアのセンスも当然のように雪羽は持ち合わせていた。
ついでに言えば雪羽は雷獣であったがモノホンの妖狐である源吾郎よりもいなり寿司だとか甘い油揚げが好みである。それは雪羽がおにぎりにジャムを詰める程の甘党だからだろうと源吾郎は思っていた。源吾郎はいなり寿司や油揚げに関しては実はさほど執着しておらず、あれば食べるレベルに過ぎない。
だがそれでも、源吾郎の面には余裕の笑みが浮かんでいた。雪羽がお狐様たるラヰカを前にいなり寿司を用意するであろう事は把握済みだったからだ。というかお狐様を前にしていなり寿司、という安直な発想は多くの者が行いがちだろう。だが源吾郎は違う。
「へぇー、雪羽、いや雷園寺君がお稲荷さんを選んでくれたんだ。ありがとうね。それにしてもびっくりしちゃったよ。私はてっきり、九尾の島崎君の方がお稲荷さんを選んだのかと思っていたから」
「お狐様の好物は、何も油揚げやお稲荷さんだけではありますまい」
灰紫の瞳を向けられた源吾郎はニヤリと笑った。雪羽の挑むような眼差しやサカイ先輩の呆れたような視線を華麗にスルーし、源吾郎は続ける。
「僕はマウスの天ぷらを持参しました。本来僕たち妖狐の好物と言えばネズミの天ぷらだったではないですか。いなり寿司や油揚げなどは、時代が下ってからの代用品に過ぎませんし」
正攻法(?)でいなり寿司を用意した雪羽に対し、源吾郎はマウスの天ぷらを持参してきたのだ。だからこそ雪羽に手土産の説明を先に譲り、高みの見物とばかりに構える事が出来たのだ。
生憎衛生面を考慮して購入したものではあるが、それでもラヰカの心を掴むのはこちらだと踏んでいた。マウスの天ぷらを好む妖狐は現代社会でも一定数存在する。それにラヰカは若い妖狐ではなく年数経た妖狐である。普段は動画でいなり寿司とか油揚げと連呼しているが、内心ではそれらに食べ飽きている節があるのではないか――源吾郎はそのように思っていたのだ。
「二人ともわざわざ私のためにありがとう。そうだね。夕飯時にみんなで一緒にいただくよ。伊予ちゃん、とりあえず夕食時まで冷やしておこうか」
「そうですねラヰカさん。そうだ、こちらも冷たい飲み物とお茶菓子を用意しますね」
ひとまず源吾郎たちが用意した手土産は、伊予の手に渡った。
ラヰカはどっちを喜んでくれたのだろうか……源吾郎が視線を走らせると、一瞬だが雪羽と目が合った。
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