常闇之神社訪問譚――妖怪たちの来訪

 令和四年、八月某日。北関東某所にその三人組はいた。新幹線の駅を出て、徒歩で十数分ばかり歩き続けていたのだ。衣装も風貌もまるきり異なっているが、彼らは明らかに三人組というほかなかった。互いに向ける視線は仲間に対するそれであったし、何よりまとう雰囲気が似通っている。奇しくもこの三人組を眺める者はいなかった。だがいたとすれば、彼らに対してこのような感情を抱く人間がいてもおかしくなかろう――人に擬態した、である、と。

 三人組の構成は若い男二人と若い女一人だった。男二人は成人男性というには若かった。一方は大人に足を踏み入れた青年、もう一方は少年と青年の中間と言った所であろうか。青年の方は服装からして辛うじてビジネスマンに見える。しかし少年の方は何処かコスプレめいた衣装を着こんでいた。神社の神官が身にまとう衣装を洋風にアレンジしたもの、と言えばいいだろうか。しかも銀髪に翠の目をしているのだから尚更だろう。

 若い女はと言うと、ツレの二人よりもやや年長に見えた。背が高い事もあるのだろうが、それ以上に若者二人よりも落ち着いた雰囲気を放っているのが要因だろう。男子二人があまりにも子供っぽく若々しく見えるだけなのかもしれないが。

 女は周囲を慎重に見渡すとゆっくりと右手を持ち上げた。真夏であるにもかかわらずしっかりと着込んだローブの裾が、風もないのに揺れている。

 ややあってから、女の手許を起点として空間が揺らいだ。その揺らぎが広がっていき、三人を取り囲んだようだった。

 直後、三人の姿はそこから消えていた。

 もっとも実際には消えたのではなくて、別の場所に移動しただけである。しかしそれが何処なのか、いかなる技を使ったものなのか。それは余人には解らない話だった。

(本文中で使われたツレとは、「一緒に同行する仲間」と言った意味合いである。

 関西圏ではツレをそのような意味で使うのだ)



 ※

「そ、それじゃ二人とも。これから幽世かくりよに向かうよ!」


 黒いローブを着込んだサカイ先輩は、彼女特有の転移術を使うや否や源吾郎たちにそう言った。曰く次元の違う部分に発生する揺らぎを使った転移術であり、すきま女やすきま男が得意とする術らしいが詳細はまぁ良いだろう。


「万が一の事があったらいけないから、ね。あ、あんまりわたしから離れたり変な事をしないように、ね。その、ここは、あなたたちが知ってる場所とは違うんだから」

「確かに……」

「せやな……」


 サカイ先輩の注意を受け、源吾郎と雪羽はめいめいに口を開いた。自分たちが紅藤の部下として幽世の神社を訪れる事、幽世が現世とは違う理を持つ事は事前に聞かされていた。しかし実際に幽世への道に足を踏み入れ、サカイ先輩の真剣な表情を見てその事を思い知らされたのだ。

 さてここで源吾郎たちがいる場所について説明しよう。つい先程まで燦燦とした八月の陽光に照らされていた場所とは打って変わり、全体的に薄暗く、どこもかしこも淡い藍色に包まれているような場所だった。地面はアスファルトではなく、淡い水色の石畳が敷かれている。せせらぎの音、水の匂いから察するに近くに川もあるようだ。

 そして何より肌寒い。凍える程の寒さとまではいかないが、つい先程まで炎天下にいたので一層寒さが際立つ。源吾郎は半袖だから、余計に寒さを感じてしまうのかもしれない。

 ちなみに隣の雪羽も一変した風景に驚いているようだが寒さに戸惑っているそぶりはない。文字通り涼しい顔だ。むしろ暑さが苦手で寒いのに強いから快適そうな表情でもある。


「あー、ですけど紅藤様や萩尾丸さんじゃなくてサカイ先輩が付き添いになったのは嬉しいですねぇ」


 雪羽は幽世の場所にいるという事に早くも順応したらしい。雷獣の切り替えの早さには恐れ入る物だ。源吾郎は雪羽に便乗して頷いたが、すぐにサカイ先輩のジト目に気付いた。


「そ、そりゃあ本当はわたしもこんな大役を受けてどうしようって思ってるよ。で、でもっ! お師匠様も萩尾丸さんも青松丸さんもここには来れないんだから仕方ないの」


 そもそもこの出張は観光ではない。紅藤と常闇之神社との顔つなぎであり、一種の営業活動に当たる。そして研究センターの中で営業に最適な存在と言えば萩尾丸である。

 研究センターの長たる紅藤やセンター内の営業マネージャーたる萩尾丸がこの出張に出向かなった理由は簡単なものだ。紅藤も萩尾丸もからである。経緯はさておき二人は存在である。紅藤は莫大な妖力と共に死なぬ身となっているし、天狗となった萩尾丸が身を置く天狗道は六道とは異なったものである。それ故に輪廻の源流ともいえるこの場所に足を踏み入れる事は叶わないのだ。だからこそ術を使ってアポイントを取り、普通の妖怪を遣いとして送り込むしかなかった。

 源吾郎と雪羽は大妖怪の血を引く若者として選抜されていた。彼ら自身に付加価値があるというよりも、若いながらもこうした妖怪を配下にしていると示すために。

 そして同行するサカイ先輩は単なる引率者ではない。現世と幽世を半ば強引に行き来する。その尋常ならざる事柄をすきま女の能力にて実現させるという大役を彼女は担っていた。、外に出たがらない彼女も源吾郎たちの付き添いという形で常闇之神社に向かう事となったのである。その妖選じんせんを行ったのが紅藤であるのは言うまでもない。

 ――とはいえ、こうした小難しい事情は源吾郎も雪羽もさほど気にしてはいない。ちょっとだけ幽世がヤバいかもと思った源吾郎だったが、基本的に出張という事ではしゃいでいたし、引率者がサカイ先輩であるというのが嬉しかった。それは雪羽も同じ気持ちであろう。サカイ先輩は確かに先輩であるし、百年近く生きているので雪羽たちよりも年長だ。しかし彼女の引率ならば多少はしゃいでも問題なかろうと源吾郎たちは思っていたのだ。これが他の面々ならばそうは行かない。紅藤が相手だと素直に気を遣わなければと思うし、青松丸でも同じだ。萩尾丸に至っては、おイタをすれば後々それをネタにされるという恐怖さえあったくらいだから。

 ついでに言えば「常闇 野 ginger channel」の主たるラヰカに会える事が素直に嬉しかった。藍黒色の毛皮を持つ五尾の妖狐を、源吾郎は先輩と見做して尊敬していた。尊敬するあまり、最近は知人の魔法少女のユニットが動画配信を画策しているなどという事をコメントしてしまった位である。

 ちなみに雪羽もまた「常闇 野 ginger channel」の登録者である事は源吾郎も察しがついていた。何せアカウント名からしてyukihaなのだから。とはいえ、二人とも面と向かって「常闇 野 ginger channel」について話す事はない。上司とか先輩にバレたらマズいという事を本能的に察しているからだ。


「島崎君、雷園寺君。本当に気を付けないと駄目だからね」


 サカイ先輩の声には切実さがこもっていた。きっと生で見るラヰカの姿に思いを馳せ、主に雪羽がニヤニヤしていたからだろう。


「幽世には魍魎とかいうよくないモノがいて、他の生き物を襲って食べようと狙ってるんだ。もちろん、他の生き物って言うのはわたしたちみたいな妖怪も入るよ。それに……神社の周りも邪神とかがやってくるかもしれないし。そ、それこそ八頭怪みたいなのが」


 八頭怪。その名を聞いた源吾郎たちは真剣な表情を浮かべて顔を見合わせた。邪神の脅威を感じるのにその名は十二分すぎる物だったからだ。

 解りました。源吾郎たちは揃って返事していた。サカイ先輩は少し困ったような笑みを浮かべながら言い添える。


「あとね、二人とも動画ちゃんねるでお馴染みさんみたいだけど、そのノリでラヰカさんに接しないように気を付けてね。わたしたちは、あ、あくまでも仕事で来ていて、それでお師匠様の遣いっていう立場なんだから」

「……!」


 源吾郎と雪羽はまたも驚き、目をしばたたかせつつ顔を見合わせた。

 実の所、八頭怪の名がサカイ先輩の口から出てきた時よりも緊張していたのだ。但しそれは、おのれの言動一つで紅藤の顔に泥を塗りかねないという事実におののいたのではない。密かに「常闇 野 ginger channel」を視聴していた事をサカイ先輩に把握されていた事にショックを受けたのだ。

 職場の先輩や上司に密かな趣味を把握される事程恥ずかしい事は無かろう。しかも「常闇 野 ginger channel」はちょっと大人向け(意味深)な部分もある。それこそ萩尾丸辺りに知られたら十世紀先までいじられるのではないかと源吾郎は思っていた。雪羽も同じかそれ以上の懸念を持っているだろう。

 サカイ先輩。何でその事を知ってるんですか……? そんな疑問が脳裏に浮上する。しかし源吾郎は疑問を口に出来なかった。サカイ先輩の言葉を肯定する事になってしまうからだ。そしてそれは雪羽も同じらしい。


「実はラヰカさんの動画は私も見た事があるの。そ、それであなた達と思しきコメントを見つけちゃったのよ……」

「そんな、バレないと思ったのに……」

「いやyukihaとかいうハンドルネームだったらバレるやろ」


 子供のように驚き呟く雪羽に対し、源吾郎はツッコミを入れていた。


「と、とりあえず二人は言動に気を付けてね。そもそもお師匠様の手紙も、予定から遅れて昨日到着したみたいだし。お師匠様の話では電話で応対してくれたマネージャーのひとがとっても真面目そうだったから……」

 

 確かにそれは気になりますねぇ。したり顔で告げる雪羽を眺めつつ源吾郎も頷いていた。紅藤は常闇之神社のラヰカにあてて書面を送ったのだが、余裕をもって送っていたのだ。向こうから連絡が来なかったので密かにヤキモキしていたのは源吾郎たちも察していた。



 ※

 両耳の上を軽くなぜてから、源吾郎は力を込めた。変化術を得意とする源吾郎であるが、こうした変化を行使するのは初めてだ。形が安定するまでに数十秒かかってしまった。しかも肌寒い幽世にいる筈なのに額からは汗すら滲んでしまった。

 源吾郎の変化に気付いた雪羽が、驚いたように目を丸くする。


「あれ、先輩。その耳はどうしたんです」

「どうって……ラヰカ様とお揃いにしてみたんだ。色味は違うけど」


 源吾郎の変化。それは狐耳だった。源吾郎の知る限り、獣妖怪たちは獣耳を生やすような人型の変化は行わない。尻尾を出す事があってもほぼ人に近い姿に擬態するか、直立する獣の姿を取る事がほとんどだった。

 しかしラヰカは常時狐耳を見せていた。妖狐である源吾郎もここはひとつ先輩に倣い、狐耳を生やしておいた方が良いだろうと思ったのだ。


「雷園寺君もやっとく?」

「いや、俺は別に良いかな」

「ええと、わたしも生やしといたほうが良いかな?」

「サカイ先輩は大丈夫だと思いますけど?」


 源吾郎の狐耳に触発されたのか、サカイ先輩も耳を生やしていた。但し、彼女は彼女でこだわりがあるのか、目撃した時には三対ほどに耳が増えていたのだが。とはいえ源吾郎たちの言葉を聞くと、途中で錬成したらしい二対の耳は顔や首と思しき部分へと引っ込んでいったのだが。


「……それはそうと、常闇之神社に向かいましょ」

「場所は解るんですか? 地図らしきものもありませんし……」


 諸注意やちょっとした準備も終わり、これから目的地である常闇之神社に向かうという事と相成った。とはいえ問題が一つある――ここからどのように向かえば良いか、という事だ。サカイ先輩は独特の空間転移術で進もうかと考えているらしく、雪羽は電流を読んで場所を探し出そうと思っているらしい。源吾郎は二人と異なりそれらしい案が出てこなかった。千里眼を体得していれば話は別だろうが、生憎そう言った能力はない。


「先輩、雷園寺君。く、車が――!」


 さてどうしたものか。三人で悩んでいる丁度その時、源吾郎は一台の車がこちらに向かってくるのを発見した。淡い藍色の空気を照らすかのようにヘッドライトが煌々と灯っている。源吾郎は一瞬目がくらんでしまった。

 その間に車はゆっくりと速度を落とし、源吾郎たちから数メートル離れた所で停車した。黒塗りの高級車、厳密に言えばスタイリッシュなSUVである。十円傷も汚れもなく、丁寧に磨き上げられた車体だった。

 と、運転席のドアが開き、中から一人の女性――すぐに相手も妖怪だと判った――が姿を現した。

 若草色の作務衣姿と、髪色と同じ色調の尻尾と狸耳が特徴的な女性だった。その特徴や妖気の質からして化け狸である事は明らかである。面立ちからして二十代半ばから後半程に見えたが、あくまでもそう見えるというだけの話だ。術を知る妖怪は姿を自在に変えられるし、年数経た妖怪が若々しい姿を取るのも珍しい話ではない。

 その狸妖怪の女性は、笑みをたたえて源吾郎たちの許に近付いてくる。昼なお昏いこの幽世の中でも彼女が美人であると源吾郎は気付いた。暖かみと包容力があって、思わずこちらの心がほぐれるような、そんなタイプの美人である。胸元が豊満なのもそう言った印象に拍車をかけているのかもしれない。


「初めましてお三方。私は常闇之神社の神使を行っております、山囃子伊予と申します」

「は、初めまして山囃子さん……! わたし、わたしたちはこの度雉仙女・紅藤の遣いで参りました。私がサカイスミコと申します。こちらの二人は妖狐の島崎と雷獣の雷園寺です」


 サカイ先輩の紹介が終わった所で、源吾郎と雪羽も軽く自己紹介をする。山囃子伊予と名乗った狸妖怪は源吾郎たちを観察していた。観察されている事は源吾郎も気付いたが、そんなに悪い気はしなかった。笑みを浮かべていた事もあいまって、好意的な雰囲気が感じ取れたからだ。


「本日はお忙しい中遠くからありがとうございます。関西から来られたんですよね。大変だったんじゃあないですか」


 いえいえとんでもないです。気遣うような伊予の言葉にサカイ先輩はひらひらと手を振る。


「幽世に入ったのは今さっきですし、裡辺の近くまでは新幹線で向かいましたから」


 裡辺。聞き覚えの無い地名を耳にした源吾郎は首を傾げた。横目で雪羽を観察するも、彼もピンと来ていないらしい。とはいえ源吾郎たちは関西出身であるし、若すぎるので昔の地名まで知っている訳でもない。あの辺は裡辺とも言うのか、と思った程度だった。


「長旅でお疲れでしょうから、神社まで私が車で案内いたしますね。本当は同僚の霧島が送迎したいと言っていたのですが……この幽世で猫又が運転手となると、ちょっと縁起が悪いと思いまして……」


 伊予はそう言うと茶目っ気たっぷりの笑みを見せた。猫と車の組み合わせを、冥府の使者たる火車に掛けたジョークなのだろう。真面目で穏和そうな人だと思ったが、そう言った冗談を言う人でもあるんだ。源吾郎は伊予に親しみを感じていた。


「猫又の霧島さんか……俺、彼女の事知ってるかも」


 雪羽は茫洋とした表情でそんな事を呟いていた。伊予に促され車に乗り始めていた所なので、特段誰も気にしなかったけれど。

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