第1話 3

 お嬢様のとりなしもあって、奥様の誤解は無事に解けた。


 旦那様の説明に、奥様はすっかり坊ちゃまに同情された様子で。


 その晩は恥ずかしがる坊ちゃまを抱き上げて、一緒に眠ると言い張る始末だ。


 お嬢様も――坊ちゃまに嫌われると処刑への道が開けてしまうそうで、奥様と一緒に坊ちゃまを挟んで一緒にお眠りになられた。


 そしてわたしはというと。

「――まさか本当に潜んでいるとは……」


 アルドノート城の屋根の上で、昏倒した黒尽くめの男を見下ろし、わたしは思わずため息をつく。


 お嬢様のノートによれば。


 ジェイル坊ちゃまは生家であるコンダート家の監視下に置かれているそうで。


 その中で、お嬢様もまた行動を逐一記録されて、後の冤罪の証拠になってしまうのだという。


 どうにかしてその密偵を排除できないかと、お嬢様がノートに注釈していたから。


 念の為に、夜の城を巡回してみたのだけれど。


「見つけられた事を喜ぶべきなのかな?」


 いよいよお嬢様の転生という話が、信憑性を帯びてきてしまった。


「でもなぁ……まだ本当にコンダートの密偵かはわかんないしね」


 未来から過去に戻る転生なんて、サティリア教でも伝えていない。


 彼の教会が教えているのは、死後、生まれ変わって別人になるという話だ。


 やはりホヅキ・ユメの著作の影響が強いのだろうか。


「まあ、実際のところ……」


 厨二病だろうと、本当に転生なさったのだろうと。


 わたしがする事は変わらないのだ。


 ――お嬢様の平穏と安寧の日々を保つ事。


 それがわたしの仕事だもの。


 昏倒した侵入者を肩に担ぎ上げ、わたしは城の地下牢へと向かう。


「――よう、ティナ!

 こんな夜更けにどうした――って、なんだそいつ!?」


 地下牢へと続く騎士詰め所の前を通ったところで、顔なじみの騎士、バルドに声をかけられた。


「なにって。侵入者を見つけたから、捕まえてきたの」


 もちろんお嬢様のノートの事は言わない。


 侵入者を捕まえるのは初めてじゃないから、バルドはわたしの言葉に苦笑する。


「お前さん、相変わらずだなぁ。

 そんな簡単に捕らえてこられちゃ、俺達の商売が上がったりだ」


 笑いながらも、バルドはわたしから密偵を取り上げて、そのまま地下牢へと続く通路を歩き出す。


 大柄で豪快。


 おっさん一歩手前の歳で、だらしなく無精髭に顔が覆われているけれど。


 わたしはバルドが良い男だと思う。


 小娘のわたしにも侮る事なく、それでいて気さくに話しかけてくれるしね。


 師匠の次には良い男だと思う。


 牢の入り口で少し待っていると、牢が開け締めされる音が響いて。


 ややあってバルドが戻ってくる。


「――それで、あいつはどこの手のモンなんだ?」


「すぐ倒しちゃったから、わかんないよ。

 けど、ひょっとしたら……コンダートかも」


「コンダートっていうと、新しい若様の?」


「そう。クズな家って旦那様も言ってたし。

 なにかしらケチをつける為に監視しようとしてたのかも」


 わたしが肩を竦めて見せると、バルドはまた苦笑して。


「ところがこの城には、とんでもない化け物が潜んでいたってわけだ」


「――だ・れ・が! 化け物だっ!」


 わたしはバルド目掛けて回し蹴りを放ったけれど、かわされてしまう。


「そういうところだよ!

 女がなんて蹴り放ちやがる!」


「それを難なくかわしながら言うんだから、バルドはヤな奴!」


「はっはー、これでも俺はアルドノートの筆頭騎士様だぞ?」


 むくれるわたしの黒髪をわしゃわしゃと撫でて、バルドは高笑いする。


「それで? 旦那様にはお報せしたのか?」


「――それはこれから」


「じゃあ、行くか」


 送ってくれようというのだろう。


 ふたりで城の中の本館に向かい、旦那様の書斎を訪れる。


 旦那様はこの時間、手紙の返信を書く為に書斎に籠もられているのが常だ。


 ノックするとすぐに旦那様の返事があって。


「ティナです。お報せしたい事が……」


「ああ、入りなさい」


 促されて、わたしは書斎に入室する。


 護衛のつもりなのか、バルドは入室せずにドアの横の壁にもたれかかって腕組みした。


「どうした? こんな夜更けに。

 乙女がうろついて良い時間じゃないだろう?」


 バルドと違って、旦那様は紳士だ。


 小娘のわたしまで乙女扱いしてくれるんだから。


 だからこそ社交界では、今でも多くの女性に大人気で。


 日中に奥様が旦那様の不貞を疑ったのも、まあ、そういう理由があるから。


 その気になれば、旦那様は愛人なんて選り取り見取りなんだ。


「――? なんだね?」


 おっと、思わず旦那様をマジマジと見つめちゃってたみたい。


「いえ、旦那様は紳士だなぁ、と」


「ハハ。こんなおっさんにお世辞を言ったって、なんの得もないぞ。

 いずれおまえにも恋人が……」


 そこまで言いかけて、旦那様は不意に真剣な表情を浮かべて。


「良いかい、ティナ?

 そういう人ができたら、必ず私のところに連れてくるんだ。

 今は亡きおまえの父に代わって、私が相手を見極めてやるからな?」


 幼くして父を亡くしたわたしに対して、旦那様は時折、こういう風に父親のように接してくださる事がある。


 それが嬉しい反面、ちょっと気恥ずかしくもあって。


 わたしは軽く咳払いして。


「わたしはお嬢様がお幸せになるまで、嫁ぐ気なんてありませんから」


「もったいないなぁ。おまえは母親似で可愛い顔をしているというのに……」


 そういう事を真顔で言うから、旦那様は始末が悪い。


 奥様も苦労するわけだわ。


「そ、それよりです!

 ――ご報告したい事が!」


 顔が赤くなるのを感じながら、わたしは密偵を捕らえた事を告げる。


 途端、旦那様は顔を手で覆って、深々とため息をついた。


「……おまえはまた……そういうのは騎士に任せなさいと言っているだろう?

 おまえは自分が女の子だという事を、忘れてやいないか?」


「申し訳ありません。

 止むに止まれなかったもので……」


 本当にいるとは思わなかったし、見つけた時には騎士を呼ぶ暇もなかった。


「どんな理由があったら、年若い侍女が城内を巡回警備するような真似をするんだい?」


 旦那様の問いかけに、わたしは良い機会と思って机に歩み寄る。


「……これです」


 取り出したのは、お嬢様の部屋から拝借したあのノート。


 今晩、旦那様だけには報告しておこうと、持ってきていたのよね。


 わたしからノートを受け取って、旦那様はパラパラとめくり――


「……これは……」


「……ええ。そうなのです」


 わたし達は声を揃えてその名を呼ぶ。


「――厨二ノート!」


 旦那様にも覚えがあるのだろう。


 顔を赤くして悶えるようにノートを机に置く。


「まさか……いや、フランもそういう年頃か。

 だが熱病から目覚めたばかりだぞ?

 侵行速度が速すぎないか?

 普通この手のものは、妄想を口にするところからはじまるものだろう?」


「それはすでに……」


 目覚めた直後のお嬢様の言葉をそのままに伝える。


 わたしの言葉を聞きながら、旦那様は改めてノートに目を通す。


「……これは昨晩書かれたものだと、おまえは言ったね?」


「はい。わたしは今朝、見せられました」


「それなのに、すでにジェイルの名前が出ている。

 コンダート家の内情もずいぶんと詳しく記載されているね。

 ――おまえ、フランに頼まれてコンダートを調査したことは?」


「ありません。

 そもそもここ一週間は殿下の来訪の用意と、その後はお嬢様への看病でかかり切りでしたし」


「……ああ、そうだったね。

 するとこれはどういう事だ?」


「……わかりません。

 本当に時間を逆行して生まれ変わったのか……あるいは別の力があるのか……」


 魔道が発展した現在にあっても、時間遡行の魔法は実現されていない。


 時間を停める魔道を使う竜や魔女のおとぎ話は聞いた事があるけれど、所詮は物語のお話。


 お嬢様には当てはまらないだろう。


「なにはともあれ、これは表に出せないな」


 ノートを見下ろし、旦那様は告げる。


 書かれている内容が真実ならば、これは予言の書となりえる。


 もし違っていた場合は、お嬢様の厨二病が書き連ねられた妄想の書だ。


 旦那様が仰る通り、とてもじゃないけど表沙汰にはできない。


「……それにしても、コンダートなぁ」


 ノートによれば、コンダート家はいずれ、ジェイル坊っちゃんを傀儡に立ててアルドノート家の乗っ取りにかかるのだという。


 その流れの中で、お嬢様の冤罪のひとつはでっち上げられて、処刑の一因となってしまうらしい。


「さっきはあんな事を言っておいて、こんな事を頼むのは心苦しいんだけどねぇ」


「いいえ、旦那様。

 ――バートン家はその為に存在しているのです。

 どうぞお命じください」


 旦那様はお優しすぎるのだ。


 ただ「やれ」と命じれば済む話なのに、わたしの身を案じてくださる。


 旦那様は深々とため息をつかれて。


「……コンダート家、邪魔だよね」


 それが指令の言葉。


 貴族たるもの、直接的な言葉でこんなことを指示してはならない。


 万が一があった時は、わたしが勝手にやった事にしなければならないのだから。


 ――まあ、コンダート家ごときで万が一など起こりようもないのだけれど。


「すぐに取り掛かります」


 わたしは旦那様に一礼して、書斎を後にする。


「……残業かい?」


 待っていたバルドがニヤニヤと訪ねてきて。


「ええ、そうね。

 夜勤になるのかしらね」


 わたしがそう笑ってみせると、バルドは肩を竦める。


「おー、おっかねぇ。

 迂闊に動いたコンダート家に同情するわ」


「――本当にね。

 それじゃ、急ぐから」


 そう告げて、わたしは窓を開けると夜の闇に飛び出す。


 時間は限られてる。


 お嬢様の朝の支度に間に合わせないといけないのだ。

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