第1話 4

 翌朝、お嬢様は朝食のテーブルで、食後のお茶を愉しみながら目を通していた新聞を広げて見せて。


「――ねえ、ティナ。

 コンダート家の屋敷が崩壊ですって」


「まあ、それはまた……」


 わたしは素知らぬフリで、紙面に目を通す。


 大判で写された写真には、屋敷のど真ん中を真っ二つに抉られて、内側に倒れ込んだコンダート家の屋敷。


「――物騒な事もあったものですねぇ」


 紙面では、魔獣の仕業を匂わせる説が書き連ねられている。


 コンダート家に生存者はおらず、みな瓦礫に潰されていたという。


「あんなクズな家はどうなっても構わんが、ジェイルの為にも葬儀はちゃんとやってやらないとな」


 当の坊ちゃまはというと、奥様とお嬢様と一緒に眠ったのが気恥ずかしかったのか、それとも嬉しかったのか。


 立派な公爵家の跡取りになりたいと言い出して、朝から剣の鍛錬を始めた。


 今も食堂の窓からバルドに教わって、素振りしているのが見える。


 この後、旦那様が坊ちゃまの家族の最後を告げる事になっていた。


「葬儀もそうだけど、魔獣が出たとなると民も不安ね」


「ああ、それなら冒険者ギルドに討伐依頼を出したから、心配しなくていいよ」


 コンダート家はアルドノート公爵領内に領地を持つ陪臣貴族だ。


 その当主が不在となれば、旦那様が采配を振るう事になる。


「そうなの。それは良かったわ」


 安堵したようにお嬢様は微笑を浮かべ、カップを傾ける。


「それにしても、コンダートが滅んでくれたのは本当に良かったわ」


 わたしと旦那様は思わず顔を見合わせる。


「これでジェイルは本当にウチの子だもの!

 わたし、姉として、あの子をうんと可愛がるわ!」


 ああ、そういう。


 思わず、こっそりふたりで安堵する。


 あのノートの内容を知っている身としては、お嬢様が過激な事を仰ると、ついつい身構えてしまう。


 旦那様としても、お嬢様の手は綺麗なままでいて欲しいでしょうからね。


 お嬢様のノートを読む限り。


 これでジェイル坊ちゃまがお嬢様を害する要因は、なくなったと思って良いはず。


 わたしはお嬢様の顔を盗み見る。


 今後、お嬢様はあのノートを基準に行動なさる事だろう。


 厨二ノートと思って流し読みしかしていなかったけれど、一度、精査をかけた方が良いかもしれない。


 そんな事を考えていると。


「――そうそう、お父様」


 お嬢様は新聞を畳んでテーブルに置きながら、旦那様に声をかける。


「わたしね、隣のルークス領に行ってみたいの」


 旦那様がどういう事かと、わたしに視線を送ってくる。


 わたしは首を横に振る。


 本当にわからない。恐らくは前世の記憶に関係している事なのだろうけど。


「ず、ずいぶんと急だね?

 どうしたんだい?」


 するとお嬢様は新聞を旦那様に差し出し。


「ルークス領では、孤児院での子供達の扱いがひどいそうよ。

 わたし、ジェイルの事もあって、他人事とは思えなくて……」


 ――どう思う?


 という旦那様の視線。


 目線だけで会話できるなんて、わたし達すっかり以心伝心ですね。うふふ……


 なんて、現実逃避をしてる場合じゃない。


「そ、それでお嬢様はその孤児院を訪れて、どうなさろうと?」


 恐る恐るわたしが尋ねると、お嬢様はそれはそれは良い笑顔を浮かべて。


「――悪は滅びるべきでしょう?」


 わたしは旦那様を見据える。


 その言葉は、旦那様の教えそのものだ。


 けれど、旦那様は首を振って否定する。


「……孤児院が悪いのか、そもそも領主が悪いのかはわからないけど……

 子供が苦しんでいるのを放置する領主なんて、必要ないわよね」


 ルークス領の領主、ルークス家は子爵だ。


 それこそアルドノート家の力で、いくらでもねじ伏せられるだろう。


 それをも見越して、お嬢様は仰っている。


「だ、だが、そんなに急ぐ事なのかい?」


 たしなめるように仰る旦那様に、お嬢様は微笑みを向ける。


「孤児を助けるなら、早い方が良いと思うの」


 孤児が虐待されていると確信しているご様子。


 やはり前世の記憶に関係している事なのだろう。


 旦那様は諦めたようにため息をついて。


「わかった。

 けれど、バルドも護衛として連れて行くんだよ?」


「ええ、ありがとう。お父様!」


 満面の笑みを浮かべるお嬢様に、わたしも旦那様もため息をつくしかなかった。





 朝食を終えたお嬢様は勉強の時間となるので。


 わたしは手早く朝食を取って、騎士団隊舎にやってくる。


 用があるのは詰め所ではなく、その横にある<兵騎>舎。


 全高五メートルほどの短足低重心な巨大甲冑――<兵騎>が駐騎されて並ぶ中を進み。


 わたしは自分の愛騎の駐騎所までやってきた。


「よう、新聞見たぜ。昨晩は大暴れだったようだな」


 そう声をかけてきたのはバルドで。


「暴れてなんかいないわ。

 ――一撃だったもの」


 用具入れからデッキブラシを取り出しながら、わたしはバルドに応える。


 見上げる先には、去年の誕生日に旦那様から頂いた、最新の特殊雌型<兵騎>――<闇姫>だ。


 雌型<兵騎>製造の大家である北方のダストア王国に、旦那様はわざわざわたしの為に発注してくださったのだ。


 ――フランチェスカを護るのに必要だろう?


 そう仰って。


 いかに譜代陪臣の娘とはいえ、最新の<兵騎>を下さる貴族はそうそういない。


 だから、わたしは大切に大切に、この騎体を扱ってきた。


 雌型の特徴であるドレスを思わせる装甲服に、腰まである黒く長いたてがみ。


 その名を表すように全身が漆黒で統一された騎体は、初めて見た時から気に入っている。


 けれど今、腕には細かにだけど返り血が飛び散っていて。


 明日からのルークス領行きを思えば、今のうちに洗っておくべきだと思えた。


 お嬢様には見せられないものね。


「お前さんが侍女をやってるのが不思議でならん。

 今からでも騎士を目指さないか?」


 バルドは事あるたびに、そうやってわたしを勧誘してくる。


「いやよ。わたしの武も才も、すべてはお嬢様の為にあるんだから」


「……建前じゃなく、本気で言ってるところが、お前の恐ろしいところだよなぁ」


 バルドは頭の後ろで腕組みして呟く。


 そう、わたしはお嬢様の為ならば、いくらだってこの身を捧げられるわ。


 一番古い記憶は、お嬢様と一緒に遊んでいて、わたしに向けられた笑顔。


 わたしはこの笑顔を守る為に生まれたんだって、あの時に理解したのよ。


 乳姉妹の姉として、そして今は仕え、支える侍女として。


 わたしはあの方の行く末の万難を排除する覚悟がある。


「――魔獣の仕業に見せかけるなんて、どうやったんだ?」


 水精魔法で<闇姫>の腕に水をかけて。


 脚立を登ってブラシがけを始めるわたしに、バルドは不思議そうに尋ねてくる。


「ふふ。内緒」


 侍女は手持ちの技術を見せびらかすものではないって、師匠も言っていたもの。


「それよりバルド。

 明日の準備は良いの?」


「あー、それよ!

 場合によっちゃ、ルークス子爵と事を構えるんだろ?

 どうなってるんだ?」


 そんな事、決まってるじゃない。


「――お嬢様がお望みなのよ」


 わたしは微笑み、バルドは呆れたようにため息をついた。





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