第1話 2
翌日、すっかり良くなられたお嬢様は、中庭のテラスで奥様とお茶を楽しんでいる。
――あの後。
お嬢様の様子を見に部屋を訪れた旦那様と奥様は、お嬢様のお目覚めに喜び、大泣きして大変だった。
お嬢様はわたしとの約束を守って、前世のことなどは口に出さず。
ただただお二人に礼を告げて、抱き締め返していた。
そうして旦那様と奥様が去った後、お嬢様は机に向かわれた。
そのまま夜通し書き連ねたであろうノートを、今朝になってわたしに手渡してきて仰ったのだ。
「――これが、わたしが覚えてる限りの、これから起こるであろう出来事よ。
貴女も覚えて、回避に協力してちょうだい」
……まさか執筆まで始められるとは。
病の侵行速度に冷や汗が止まらなかったわ。
お嬢様が書き記した出来事は、まるで日記のように真に迫っていて。
一部、日付が付いていない部分もあったものの、時系列に矛盾はないように思えた。
そのノートによれば。
今日は奥様とお茶をしているところに、旦那様がやってきて。
「――ああ、こんなところに居たのか。
実はふたりに聞いてほしいことがあるんだ!」
と、中庭を囲む回廊から。
旦那様がやって来て笑顔でお二人にそう告げた。
……ふむ?
旦那様が椅子に腰掛け、わたしはお茶の用意を始める。
お嬢様が訴えるような視線を送ってくるけれど、今は静観するしかない。
旦那様の前にカップを置いて、わたしはお嬢様の後に控える。
「――フランチェスカがリーンノルド殿下に嫁ぐのが決まったから、我が家に跡取りが必要になるだろう?」
リーンノルド殿下は第三皇子。
いずれ臣籍降下されるのが決まっている。
新たな公爵家を興して、お嬢様は公爵夫人となられる。
アルドノート公爵家にはお嬢様しかお子がいらっしゃらないから、当然、跡継ぎを何処かから用意する必要に迫られるわけだ。
こんな事は貴族社会に身を置いていれば、すぐに予想ができる事だ。
お嬢様はずいぶん頭を捻られたようだけど、ね。
「実は遠戚から引き取りたい子が居てね。
――ジェイル、来なさい」
旦那様が回廊に向けてそう声をかけると、小柄な少年がビクビクしながら進み出てきた。
わたしは思わず持っていたトレイを取り落してしまう。
――ジェイル。
それはお嬢様のノートにあった、義弟となる子の名前。
偶然? それにしては……
「……失礼致しました」
わたしは平静を装ってトレイを拾い上げる。
「おまえが粗相をするなんて珍しい事もあったものだな。
これは雨でも降るのかな?」
朗らかに笑う旦那様。
一方、奥様は怒りに顔を赤くなさっていて。
「旦那様! どういう事ですか!
こんな……フランとそれほど変わらない大きな子をどうして!」
お嬢様のノートによれば。
この時、奥様はジェイルを旦那様の隠し子だと思い込むのだという。
そして前回のお嬢様もまた、奥様同様にそれを信じ込み、ジェイルに辛く当たったのだとか。
お嬢様はノートに、破滅に繋がる出来事だから、なんとか回避したいと注釈を入れていた。
「お、おまえ……なにをそんなに怒っているんだ?」
「なにをですって!? わたくしに愛人の子を育てろと言うのですかっ!?」
「――私が不貞を働いたと言いたいのかっ!?」
お嬢様の思い込みが激しいのは、きっと奥様譲りなのね。
そして短気なのは旦那様譲りだと思う。
一夫多妻が普通のミルドニア貴族の中でも珍しく、旦那様と奥様は愛人を囲う事なく、長く仲睦まじい夫婦生活を送ってきた。
だからこそ、奥様は裏切られたとお考えになって、怒り心頭なのだろう。
旦那様は拳を握り締めて奥様を睨み。
突然始まった口論に、ジェイルはオロオロとおふたりを見上げて、身を小さくしている。
「――もう、話になりませんわ!」
奥様がテーブルを叩いて席を立とうとしたところで。
「――わ、わぁ。わたし、弟が欲しかったの~!」
めっちゃ棒読みで、お嬢様がジェイル――坊ちゃまに駆け寄った。
お嬢様は彼を弟として扱う事に決めたようだ。
「ジェイル、わたしはフランチェスカ。
あなたのお姉様よ」
「……お姉、さま?」
「ええ、そう」
オドオドしているジェイル坊ちゃまの手を取り、お嬢様はうなずく。
「――あら?
お父様、お母様、この子怪我をしてる!」
と、お嬢様は掴んだ坊ちゃまの袖をまくり、旦那様と奥様に見せる。
坊ちゃまは慌ててお嬢様を振りほどいて、後ろに両手を隠したけれど。
「――ティナ、お願い!」
お嬢様に促されて、わたしは坊ちゃまの背後に回り込み、その両手を掴んだ。
確かにお嬢様が仰る通り、彼の両腕には鞭打たれたようなミミズ腫れがいくつもあって。
それは念入りに袖からは見えない位置に付けられていたから、お嬢様が気づけたはずはない。
――そう。初めから知っていない限りは……
わたしは坊ちゃまに治癒の魔法を施しながら、お嬢様の顔を覗き込む。
両親に背を向けたまま、彼女は口の形だけで、『ほらね?』と呟いて見せた。
――ジェイル・アルドノートは……公爵家に引き取られる前の彼は、生家のコンダート男爵家で虐待されていたのだと、お嬢様のノートには記されていた。
お嬢様がそれを知ったのは、処刑される直前だったそうで。
それまで旦那様の不貞の子と信じて疑わなかったお嬢様は、深く後悔したのだという。
「ねえ、お父様。
この子はどうしてこんな怪我を?」
お嬢様に尋ねられて、旦那様は椅子に腰掛け直した。
奥様も興味を引かれたのか、席にお戻りになる。
「私がその子を引き取ろうと思ったのが、それだ。
彼の実家のコンダート家はどうしようもないクズでな」
――やはりコンダートなのか。
旦那様が坊ちゃまの境遇を説明している間も、わたしは治癒の魔法を続けていたのだけれど。
わたしの手が揺れたのに気づいて、坊ちゃまがわたしの顔を覗き込んでくる。
「……お姉ちゃん?」
「いいえ、なんでもありませんよ。
もうじき治りますからね。
それから、坊ちゃま。
わたしの事はティナとお呼びください」
わたしは背中を伝う冷や汗を感じながら、坊ちゃまに微笑んで見せた。
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