お嬢様が「悪役令嬢転生しちゃった」とか厨二病な事言いだしたけど、わたしは粛々とお務めを果たします。

前森コウセイ

厨ニに目覚めたお嬢様

はじまりは妄想、そして執筆

第1話 1

「――フランチェスカ・アルドノート公爵令嬢!

 貴様のような悪女は見た事がない!

 婚約など破棄だ!」


 多くの貴族子女が集まったパーティーホールの中央で。


 第三皇子リーンノルドがひとりの令嬢をその腕の中に庇い、目の前に立つ、もうひとりの令嬢――フランチェスカに指を突きつける。


「――殿下、誤解です!

 わたくしは国の為を思い……」


 糾弾されたフランチェスカは両手を握り締めて訴える。


 ……けれど。


「――黙れっ!

 いかに公爵家とはいえ、これだけの証拠が揃っているのだ!

 貴様を庇い立てもできまい!

 冷たい牢の中で深く反省するのだな!」


 リーンノルドが目線を送ると、ホールの入り口に待機していた衛士が駆け寄ってきて、フランチェスカを抑え込んだ。


「――殿下っ!

 信じてください! わたくしは決して罪など……」


 なおもフランチェスカは訴え続けたが、リーンノルドは聞き入れてはくれず。


 ホールから引きずり出され、閉じられるドアの向こうで。


 リーンノルドは冷たい目で、フランチェスカを見据えていた。





 ……フランチェスカお嬢様が倒れられてから三日。


 わたしは温くなった水桶を替えて、お嬢様の寝室に戻って来た。


 寝台の上で、熱に苦悶の表情を浮かべるお嬢様。


 三日も手入れをしていないから、本来は綺麗な蜂蜜色の髪もいまはボサボサに乱れてしまっている。


 おいたわしい。


 わたしはお嬢様の首元に落ちてしまっていたタオルを水桶に浸し、軽く絞って額に乗せ直す。


 これまで病気らしい病気を患った事のないお嬢様だから、さぞかしお辛い事だろう。


 旦那様も奥様も大慌てでお医者様を呼んだものの、原因は不明との事で。


 処方された解熱剤を飲ませるくらいしか、できることがない。


 水差しから吸口に水を注ぎ、解熱剤を溶かし込もうと薬包に手を伸ばしたところで。


「――うぅ……ティナ?」


 名前を呼ばれて、わたしは慌ててお嬢様に駆け寄る。


 途端、お嬢様は不意にわたしを抱き締め。


「――ああ、本当にティナだわ!

 でもどうして?

 貴女はクビになって、公爵家を追放されたはずなのに……」


 ……恐ろしい事をサラリと仰る。


「……どんな夢を観てらっしゃったんですか?

 わたしはクビになるような事をした覚えはありませんよ?」


「……夢?

 そうよ! わたしは牢に繋がれて――それじゃあ、これも夢なの?」


「落ち着いてください、お嬢様。

 ああ、きっと熱で混乱してらっしゃるんですね?

 倒れる直前の事は覚えてますか?」


「――倒れた? わたしが?」


 わたしはお嬢様に布団を掛け直し、額に手を当てて熱を計る。


 先程までの熱さがウソのように、熱はすっかり引いていた。


「ええ、覚えてらっしゃいませんか?

 リーンノルド殿下とのお茶会の最中、突然倒れられたのですよ」


「……お茶会って?」


「殿下との婚約の顔合わせです」


「――ウソ……」


 お嬢様は顔を真っ青にして、不意に上体を起こした。


「――ティナ! わたし、巻き戻ってるわ!

 三年前に戻って来てる!」


 再びわたしにしがみつき、そう仰るお嬢様。


「どうして戻ったの?

 いいえ……それより。

 もうリーンノルド殿下との婚約が済んでしまっているの?

 ああ……どうしよう……」


「お、お嬢様?」


「――ティナ! このままじゃわたし、悪役令嬢として処刑されてしまうわ!」


 ……ふむ、これは。


 わたしは寝台脇に積み上げられた書籍に目を向ける。


 近頃のお嬢様のお気に入りで、著者の名前はホヅキ・ユメ。


 中原東部にある、ホルテッサ王国で書かれた物語だ。


「――つまりお嬢様は十七歳で処刑されたはずなのに、十四歳の今に戻ってこられた、と。

 ……そういう事でよろしいですか?」


「ええ、そうよ!

 このままだと貴女は公爵家をクビになるし、その後、わたしは濡れ衣を着せられて処刑されるの!」


 ――まるであの本のようですね、とは口にしなかった。


 ホルテッサは、生と死を司る女神、サティリア様が広く浸透している国だからだろうか。


 ホヅキ・ユメの物語には、転生や異世界を扱ったものが多い。


 例えば異世界『ニホン』から転生した男の子が、困難に苦しむ少女を救っていく物語。


 あるいは孤児に転生した少女が、関わった人々を幸せにする為に奮闘する物語。


 中には物語の中の悪役令嬢に転生してしまったというものもあったはず。


 お嬢様の話す内容は時間を遡った事を除けば、まさにそれだ。


 ふー、落ち着け、わたし。


 お嬢様も多感なお年頃だ。


 まして急な熱病で混乱している今、現実と幻想の垣根が薄くなっていたとしても不思議ではない。


 同い年のわたしはまだ平気だけれど、情緒豊かなお嬢様はすでに罹患なさってしまったのかもしれない。


 ――厨二病。


 幻想の中の存在に憧れるあまり、自らもまた特別な存在だと思い込んでしまう病だ。


 抜本的な治療法は存在せず、時の流れで根治を待つしか無いという、非常に難しい病でもある。


 中には、治ったにも関わらず、将来長くに渡って後遺症に苦しめられる人もいると聞く。


 わたしはお嬢様の肩に両手を置いて、安心させるように微笑む。


 そう。厨二病は下手に否定したり、刺激するような事を言うべきではない。


「わかりました。お嬢様。

 でも、それをよそで言うと気が狂ったと思われる恐れがあります。

 わたしとお嬢様だけの秘密にしておきましょう」


 将来、お嬢様が後遺症に苦しまなくても良いように、わたしは先手を打つ事にする。


「え、ええ。そうね。そうよね。

 でも、ティナ。

 このままじゃ、本当に大変なの。

 ……協力、してくれる?」


 不安げに上目遣いで尋ねてくるお嬢様に、わたしは顔が赤くなるのを感じる。


 お嬢様はこの歳にして、他に追随を許さない美しさを誇っている。


 今は自信なさげに下げられている目尻は切れ長で。


 当のお嬢様は、見る人にキツい印象を与えてしまうのを悩んでいるのだけれど。


 だからこそ、ご自身を悪役令嬢などに当てはめてしまったのだろうか?


 けれど、物心つく前から乳姉妹として育ったわたしは、彼女がひどく繊細で優しい少女なのを知っている。


 ――例えお嬢様が厨二病を患っていようとも。


 お嬢様の専属にして万能メイドたる、このティナ・バートンの仕事は変わらない。


「……お任せください。

 お嬢様のお望みのままに――」


 わたしの全力をもって、お嬢様の願いを叶えて差し上げるだけのこと。

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