5,自動人形

 技術部顧問ソフィア・モモトセが平時より三十分早く起床した、という知らせを侍女人形が内線電話で伝えてきた。かつてなかった事である。曰く「見せたい物があるからご足労願いたい」。一も二もなく留美絵は廊下を走った。

ご機嫌ようブエノス・ディアス隊長殿ドニャ・カピターナ。わざわざすまないね」言葉とは裏腹に爪の先ほども悪びれる事なくその女は待っていた。百七十五センチの身長にハイヒールを合わせて並みの男よりも高い視点、衣服がはち切れんばかりの豊満な肢体。人形達の母親にして女王たる彼女は溢れる程の生命力に満ちている。

「見せたい物って?」留美絵は早速切り出した。

「ああ、こっち」ソフィアは自分の部屋――彼女が工房アトリエと呼ぶ技術部の作業部屋に案内した。

 雑然とした部屋の中央の空間、四角い台座の上に佇立する、全裸の女、否、人形。

「始めたまえ」ソフィアが室内に待たせていた侍女人形に指先で指示を出す。

はい」人形はリモコンのような物を手にしていた。台座の上の人形にそれを向け、こう言った。

「『ダビデ』」

 台座の人形が動き出し、ポーズをとった。左手を軽く握って胸元へ掲げ、右足に重心を乗せる。ミケランジェロの『ダビデ像』だ。

「えーと……、これ、何?」留美絵の問い。

 ソフィアは達成感に満ちた笑みを浮かべた。「よくぞ訊いてくれた。これはだよ。ドン・案藤アンドーへの贈答品にしようかと思ってね」

「……はあ?」

「おや、これの凄さが分からないのかね? ならば教えてさしあげよう。今、この人形は人形ドミンガの指示で動いただろう? 指示者が人間ならば言葉すら不要のはずだ。コントローラーを向けて、させたいポーズを想像イメージするだけでいい。これは先よりの課題である『完全自律型自動人形ムニェーカ・オートマティカ』の、言わば習作と言ったところだよ」

「……あのさ、昨夜ゆうべの出来事をメールで送ったはずなんだけど、それに対しての話とかはないの? 私はてっきりその件で呼ばれたのかと、思って来たんだけど」

「うん?」今度はソフィアが首を傾げる番だった。「これは昨夜、眠気と戦いながら仕上げたものでね。今日この時に貴女に披露する為だけに早起きしたんだ」

「つまり?」

「メールのチェックなんて忘れてたよ」彼女はにこやかにそう宣った。

 留美絵は頭を抱えた。





「隊長、五代ちゃんをお連れしましたー」留美絵が昨晩の顛末をかいつまんで説明している時、空閑瑞華が五代礼を連れて入ってきた。「おはようございます隊長、ってほんの何時間か前ですけどねー」

「おはよう二人とも。五代さんはちゃんと眠れた?」

「ええ、まあ……」友人の裏の顔を知ってしまった礼の心中は複雑だった。返答も歯切れが悪くなる。

「君が問題の保護対象かね」ソフィアが留美絵を押し退ける勢いで間合いを詰めてきた。「私が技術部顧問、ソフィア・ルイサ・デ・ラ・ピエダ・モモトセ=イグアランだ。祖父が日本人でね。呼び方は好きにするといい、ソフィアでも、日本風に百歳モモトセ知恵チエとでも。ああ、君の名前その他は隊長に聞いているから大丈夫。では早速テストといこうではないか」一息でそう捲し立てると、新しいおもちゃを手にした子供さながらに目を輝かせ、ソフィアは礼の手を引こうとした。そこに割り込む留美絵。

「ちょ、ちょっと待ちなさい。まだ説明してないんだから」

「私にはもう説明してもらう事はないが」

「あなたじゃなくて、五代さんの方に」

「ああそう」ソフィアは手を離した。「コーヒーを一杯飲むくらいかかるのかね?」

「そんなにはかからないから、待っててちょうだい」

「そうかい。ドミンガ、椅子を。いや、私用のだ」ドミンガと呼ばれた人形は奥の些か幅の狭い扉の向こうから背もたれ付きの椅子を運んで来た。そこが彼女ソフィアの個室なのだろう。

「それでね、五代さん。あなたにはこれからちょっとしたテストを受けてもらおうと思う」昨晩に比べてややくだけた調子で留美絵が切り出した。「このモモトセさんは──まあその、少し変わってるけど、色々な物を作り出す能力があるのね」

「その情報は不正確だね。私は人形ヒトガタしか作れないよ」ソフィアは貴族よろしく傲然と脚を組んだ姿勢で口を挟んだ。変わってるのは否定しないんだ。礼はそう思った。

「まあ細かい事は置いといて。彼女に作ってもらった道具、じゃなくてね。その一つに『人形椅子』っていうのがあるの。ざっくり言うと、その人の中にある特殊なエネルギー、魔力とか霊力なんて呼ばれるものを計測出来る。じゃあ、試しに空閑さん」

「はあい」いつの間に用意したのか、空閑瑞華の傍らには木彫りの椅子があった。申し訳程度に薄っぺらいクッションが置かれたそれは、細部をよく見れば空気椅子の姿勢で長い両腕を真下に下ろした人間に見えなくもない。

「これが……人形?」礼は恐る恐る背もたれの上部──半ば開いた口を持つ頭部──に触れた。

「ああ、そうだとも」ひょいと立ち上がり、ソフィアが礼に歩み寄る。「私は創造神デミウルゴス、即ちクリエイターを自認しているが、制約が一つあってね。本来あり得ない機能を持たせて操作するにはのさ。この椅子人形は御神意様ドン・プロヴィデンシア──、おっと、セニョール・九之河クノカワの啓蒙によって生まれた最初のものだよ。という再解釈が……」

「あー、長いお話はその辺に。まずはモモトセさん、それに座ってみせて」瑞華が柔らかな笑みで遮る。

「十分な時間があれば、私の創作物の素晴らしさを何時間でも話せるのだがね。私以外の人間にとって必要なのは『これは使えるモノか?』という一点だけだ。人の一生のなんと短い事だろうね」言いながらも、ソフィアは言われるままに腰を下ろした。意外に頑丈なつくりらしく、軋む事はなかった。

 歌うような声がした。それは思いつきの旋律メロディを連ねたように捉えどころがなく、しかし決して不快なものではなかった。礼以外の三人は驚くでもなく平然としている。

 歌声は椅子人形の口元から発せられていた。

「レメディオス。この子の名前だ」

「それじゃあ次は私が」瑞華が促してソフィアを立ち上がらせ、空いた椅子に座った。

 先程と同じく、歌が流れ始めた。先程と違うのは、その出鱈目な旋律のあちこちに棘があって、鼓膜に違和感を刻む事だ。

「能力の質や総量で歌の調子が変わるんだ。じゃあ五代ちゃん、どうぞ」

「あ、はい」促されるままに礼は腰を下ろす。衣服越しに硬い木の感触。

 沈黙。ベクトルの異なる三種の好奇の視線が自分に向けられている。

 それは十秒にも感じたし二十分にも思えた。ブウ──ウウ──ンという微かな耳鳴りを破るように礼は口を開いた。

「音が……しない?」

「どういう事、モモトセさん?」留美絵が訝しげに問う。

「さて、どういう事だろうね」ソフィアは首を傾げた。「これは体脂肪計の原理を応用したもので、微弱な魔力を被験者の体に流してその反響で体内の魔力量や質を計測する。如何なる魔術の心得や特異な能力を持たない人間であっても、魔力量がゼロなんて事にはならないはずだが──それこそ死体でもない限り」

「死体……」礼はその言葉を反芻する。。脳髄を掠めたその抗議は、しかし礼のものではない為にその口に上る事はない。

「だとすると……」

「まあまあ、辛気臭い顔をしていてもしょうがない」留美絵の言葉はソフィアの陽気な声に遮られる。「今日はやはり早起きして良かった。魔力量が低すぎて測定不能になったのは君が初めてだ。それでは早速、他の人形達も呼んで更なる研究をだね」

「ちょっと、私抜きで話を進めるのはやめなさいって、これで何度──」

「あはは、五代ちゃんは人気者だねえ」

 礼は瑞華の笑いに曖昧に頷いた。死体より素晴らしいモノ。何だろう? 私はきっとその答えを知っていたはず/ワタシはその答えを知っている。

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