4,『黎明』

 「起きてくださいませ」と呼ぶ声がして、ああ自分は眠っていたのだ、と気付く。まだ寝足りない気分を振り払って礼は瞼をこじ開けた。

 黒ずくめの魔女の姿はそこにはなかった。

 代わりにメイドがそこに立っていた。

 ここはどこだろう。彼女は数時間前と同じ疑問を抱いた。昨夜の出来事は夢だったのだろうか。否、朝日の差し込むこの部屋は記憶にある通りだ。

「おはようございます、お客様。朝食をお持ちしました。皿洗いと片付けの仕事タスクが控えておりますので、お早く召し上がっていただければ幸いです」メイドは無表情で淡々と述べた。

「あー、えーと……、烏丸さん? はどちらに?」まだ状況が飲み込めない。

「綾羽様は先程自室にお戻りになられました。『夜が明けるまでお客様を保護・観察する事』が隊長様より仰せつかった任務でしたので。空閑くが様がいらっしゃるまでの間、つまりお客様のご朝食の間は僭越ながらわたくしこと自律型侍女人形四号ラ・クエルタ・アウトマティカス・デ・コンパニア、通称カルメンが勤めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」カルメンと名乗るメイドは優雅に一揖した。よく見れば半袖から露出した腕は肘、手首、更に指と関節ごとに分割線があった。

「……ええと、あなたは人間じゃないんですか?」

「はい、わたくしは人形でございます。お嬢様セニョリータより任命された役職は給仕と、調理担当・カメリアの補助でございます」

 脳髄から全ての疑問符が消えるまでの道程みちのりはまだまだ長そうだ。

 



 礼は入院患者よろしくベッドの上で朝食を摂る事になった。カルメンは台車カートから簡易テーブルへ料理を並べていく。トースト、カラフルなサラダ、パンと卵の入った白いスープ、よく焼けたベーコン、何かの揚げ物、コーヒー、牛乳。こんなに食べきれるだろうか、と内心に滲む不安から目を背けて「いただきます」と手を合わせた。まずは牛乳から。

「カルメンさんは外国の人なんですか?」トーストを手で千切りながら礼は尋ねた。

「『外国の人』という表現は適切ではありません。わたくしが造られたのはお嬢様が日本にいらしてからです。そして、わたくしは人ではなく人形です」

「お嬢様というのは?」

「お嬢様は南米・コロンビアのお生まれでございます。父方の祖父に当たるお方が日本人であると聞いております。ここへいらしたのもその縁だとか」

「ふむふむ」スープの白は牛乳の風味がした。「あっ、ところでカルメンさんはご飯食べないんですか?」

「わたくしには有機物を代謝する機能はありません。それと、わたくしを『さん』付けで呼ぶ必要はございません。どうぞあっさり『カルメン』とだけお呼びくださいませ」





 その後も食事を続けながらいくつか質問をしてみたが、有意な答えは得られなかった。カルメン曰く、自分は給仕と調理補助の為だけに造られた人形なので、それ以外の知識は与えられなかったという。

「詳しい事は」と食器類を片付けながら人形は淡々と言った。「空閑様からご説明があるかと思います」 

「その、クガさんっていう人は誰なんですか?」

 カルメンは首を傾げたが、表情は全く変わらない。「お客様のご友人様と伺っておりますが、ご存じないのですか?」

「もういいよ、カルメン。あとは私が話すから」

 一人と一体は声のした方――部屋の入り口に目を遣った。

 凍堂空がそこにいた。礼のよく知る、穏やかな笑み。しかしその目に光る意志はいつものおっとりした彼女にはないものだった。

、『





「昨日聞いたかもしれないけど。ここは表向きは警備会社って事になってるの」

 ベッドの傍にあった丸椅子に腰を下ろして、知っているはずの見知らぬ少女が話し始めた。

「じゃあ裏で何をしているか。率直に言えば、……かな。単に退治するだけじゃなくて、昨日の蛇姫みたいなものを監視したり、所謂が使える人を保護して、その能力を正しく扱う為の教育をしたり。と言えばすごい組織なのかと思うけど、実際は万年人手不足なんだよねえ。私みたいな、大した能力もない人間が『上級職員』にカウントされちゃうくらい」

 礼は詰めていた息をゆっくりと吐き出した。分からない事は一向に減らない。でも、何より先に訊くべき事があった。

「カルメンさ……カルメンは、凍堂さんの事を『クガ』と呼んでいました。あなたは、何者なんですか。凍堂空じゃ、ないんですか?」

「うん、そうだよ」相手はさらりと答えた。「私の本名は空閑くが瑞華ずいか。凍堂空は学生の中に入り込む為の偽名。それも、もう何個目か分からないけどね」

「何個、目? あなたは一体――」

「倫理の時間にさ、自己同一性の喪失アイデンティティ・クライシスって習ったでしょ? 高校生くらいの年の子は色々な事で精神が不安定になりやすいんだ。それが悪意のある霊体や超常的実体にしてみれば格好の獲物になるの。だからそれを防ぐ為に監視する人が必要でしょ。教師やスクールカウンセラーでは駄目、同年代のにしか打ち明けられないものを抱える子はすごく多いから。あっちの高校を卒業したら、次は基本設定プロフィールを変えてこっちの高校の新入生――なんて事をずっと続けてるのが私。これで分かった?」

 彼女のいたずらっぽい笑みを、礼は呆然と見つめていた。何度も見た事のあるはずのそれは今、ひどく異質なものに見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る