15


 目覚めた時に、気を失ってからどれくらいの時間が経過していたのか、そして自分が今どこにいるのかも、まるでわからなかった。ただ一つはっきりしていることは、俺がどこかの場所で捕らわれの身になっているということだけだった。


 捕らわれた部屋は三畳ほどのスペースしかなく、せまっ苦しいことこの上ない。ベッドは壁に収納式になっていて、寝る時はそれを倒して横になるのだが、そうするとベッドの周りに歩くようなスペースはほとんど見つからない。扉は鉄格子ではなく分厚く白い壁になっていて、外の様子はまるでわからない。とはいえ、尋問のため度々この狭い部屋から連れ出されるので、それはそれで息抜きにはなっていたし、外の様子も推し量ることが出来たのだが。


 どうやら俺は犯罪者を収監する刑務所というよりは、精神病棟のような施設に捕らわれているらしいことが、薄々わかってきた。しかも、暴れ出すような凶暴性を持つ、危険な患者を収容する場所ではないかと思われた。その証拠に、狭い部屋を出るとこれまた狭い通路があって、そこから別の場所へ行くには監視のいる扉を通り抜けていかねばならない。ここに収容した者は、滅多なことでは外に出すわけにはいかないという思いを込めた造りなのだろうと察せられた。



 そして連日俺に対して行われる尋問はといえば、これが同じことの繰り返しで、そろそろ飽きて来たので他のことも聞いて欲しいところだが、俺が最初からずっと口を閉ざしたままなので、そういうわけにもいかないのだろう。向こうも目先を変えて別の質問をしてくれればいいんだがと思いつつ、そんな贅沢を言える立場ではないことも、十分に承知していた。


 生爪を全部剥がされるとか、指を一本一本切断したりへし折ったりとか、そんな酷い拷問は思ったよりされなかったが。それでも、スタンガンのような機器による電気ショックや、手の指と指の間に鉛筆を挟むといった古典的な痛めつけ方まで(これがまた結構痛いんだ)繰り出し、何とかして俺に口を割らせようという奴らの意思は伝わって来た。しかしそれくらいは捕らえられた時点で予想の範囲内で、さすがに俺も「危ない橋」を度々渡って来ただけに、幾度かそんな目に逢ったことがある。そんな経験を積みながら、自分の嗅覚を鍛え上げてきたわけだ。俺が口を割らない以上拷問のレベルも上がっていく可能性はあったが、それもまた新しい刺激になるかもなと、俺は努めて前向きにこの現状を考えていた。


 奴らが俺に聞いてきたのは、「お前はどこまで知っているのか」。そして、「そのことを知っているのは何名で、誰なのか」。単純明快で、わかりやすいことこの上なかった。しかし、岩城から送られてきたUSBも取り上げられてしまった今、それ以上のことを俺が知る由もない。ということを、奴らもまた知る由もないのだろう。奴らはなんとかして俺に「それ以上のこと」を言わせようと苦心惨憺していたが、俺の方も特に答える内容の用意はしておらず、今日もまた「頑固な奴だ……」と奴らにため息をつかせる結果になっていた。



 そんな感じで飄々と監禁された日々を過ごしている一方、気になっていたのはカオリと橋本のことだった。ペントハウスで気を失って以来、カオリにも橋本にも会っていない。奴らに「2人は今どうしているのか」と聞いたところで、まともに答えてはくれないだろう。奴らもカオリが詳しいことを知らないのはすぐにわかるだろうが、橋本は別だ。正規のバイヤーでしかも「腕利き」だっただけに、この件に深く関わっているとみなされるだろう。そして橋本は恐らく、俺と違って痛めつけられることへの耐性が少ないものと思われる。


 ならば、俺にもまだ話していない「最後の切り札となる手札」のことなんかも喋ってしまっているかもしれない。まあ、奴も相当の「やり手」のようだから、上手いこと立ちまわることも可能だろうけどな……。俺は俺で、この「極めて閉鎖的な日常」を続けていくだけだ。もちろん、完全に諦めてしまったわけではない。どこかで必ず、チャンスは訪れる。今はただ、焦らずにじっとその機会を待つだけだ。


 そのためにも今は、目をギラつかせて隙を伺うのではなく、「淡々としている」方がいい。監禁部屋から拷問や尋問を受ける部屋まで何度か行き来することで、今いる建物の全体像もなんとなくつかめて来た。そうやって少しずつ、必要と思われる情報を仕入れ、脱出するためのビジョンが明確になったところで実行に移せばいい。チャンスは必ず来るとは思っていたが、恐らくそのチャンスは一度きりだ。失敗は許されない。そのために俺は、派手に抵抗するでもなく泣き喚くでもなく、飄々と日々を送ることを心掛けていた。



 そして俺が捕らえられてから、一週間ほどが経過し。俺はパンひと切れに小皿のスープだけという簡素な昼食を終えたあと、見張り番の奴らに両手を拘束されて、監禁部屋を連れ出された。両腕を体の脇にぴったりと付けて、肘から上を体ごとベルトで巻いて固定し。その上で、手首に手錠をかけるという形だ。この状態で何か抵抗しようとしても、すぐに押さえつけられるだろうと思われた。そして見張り番の奴ら自身も、連れ出す時に「ぐっ」と腕を掴んだその力加減からして、こいつらは相当にタフで、加えて格闘技や護身術あたりをマスターしてることを感じさせていた。つまり、この格好でこいつらに逆らおうと試みても、「無駄な抵抗」に終わると言うことだ。


 俺は、またお馴染みの拷問部屋に連れて行かれるのかな……とぼんやり考えていたが、どうやら今回は違うようだ。見張り番はいつもと異なるコースを辿り、建物の別の階に向かっていた。初めて来て初めて見る場所に俺はわくわくしながら、これから一体何が始まるのかと胸をときめかせていた。


 監禁部屋を出てから10数分歩いて、厳重に封鎖されたドアの前で、見張り番は「お役御免」となった。ここから先は、こいつらも入れない「禁断の場所」というわけか。ますます面白くなってきたぞと思いつつ、俺はドアの中から出て来た男の後について、禁断の地へ足を踏み入れた。



 そこはどこか実験室のような雰囲気が漂う場所で、床も壁も、天井までもが妙に白く、味気無さと共に少しひんやりするような感覚を覚えた。その時俺は、こんな場所をどこかで見たことがあったな……と考えたが、すぐには思い出せなかった。そして俺は、封印されたもうひとつのドアを抜けて、「それ」を思い出した。目の前には、岩城から届けられた映像で見た、あの「個室の並んだ廊下」があったのだ。


 俺から見て個室は左側にあり、右側は壁になっているだけだった。岩城が入ったのとは逆方向からだったので、すぐに気付かなかったのか……。俺は納得して、ここまで俺を連れて来た男に従い、個室のひとつに入った。表から「ガチャリ」と厳重に鍵がかけられ、俺は狭い個室の中で、映像でも見た窓にかかったブラインドと、その下にあるブザーを確認した。するとそこでブザーではなく、アナウンスのように男の声が個室に流れ始めた。


『今日は、君の他に「客」はいない。君だけのためにしつらえた、特別なイベントだ。ブラインドを開けて、ゆっくりと見物してくれ』


 それはそれは、ご丁寧に……。俺は言われた通りにブラインドを開け、どんな見世物が始まるのかと、窓の向こうの「白い個室」に目をやった。個室の中には特に家具などはなく、岩城の映像で見た通り、部屋の真ん中にベッドがひとつ置いてあるだけだったが。そのベッドを見て、俺は「そういう手で来たか……」と、密かに唇を噛んだ。



 ベッドの上には、明らかに何かの薬物を接種したかのように、心ここにあらずといった様子のカオリが。薄い下着だけを身に付けて、「ちょこん」と1人で座っていた。


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