第六夜

 こんな、夢を見た。

 彼女は水面に足先を浸している。

 彼女の周りには、鏡のような湖面が広がっていた。

 そこに、ひとつ、ふわりと花が咲く。ほのかに白く光る花だ。美しく咲き誇り、花は緩やかに枯れていく。

 その様を眺めながら、彼女はつまらなさそうに足先を振った。

 ちゃぷちゃぷと、水が鳴る。子供のように伸びをして、彼女は呟いた。

「あぁ、兄さまはどこでしょう?」

 美しさにも拘わらず、彼女は周囲の風景に飽きていた。それに、彼女には目的がある。彼女は消えた大事な人を探さなくてはならないのだ。彼は彼女にとって命よりも重い存在だった。彼は優しく、ぼんやりとしていて、やわらかな人だ。彼女は彼を愛している。

 なればこそ、一刻も早く捜し出さなくてはならない。

 それに、彼女は知っていた。目の前の光景は本当は美しくなどないのだ。

花は咲き、また枯れる。その中心には、人間の目玉がある。

 ねっとりとした蜜に包まれながら、目玉はぎろりと視界に入るすべてを睨んでいた。まるで、なにもかもが憎いといった調子で、ぐるり、ぐるりと花の奥底で回っている。

 彼女は思う。手を伸ばせば、眼球は歯に変わるだろう。そうして、人の指を食い千切るのだ。するりと、彼女は立ちあがった。美しくよそおった、恐ろしい花達を無視して、彼女は歩き出す。ぐしゃり、ぐしゃりと、彼女は素足で花を踏み潰した。その度、血液がぱっと散り、湖面を紅く濡らした。 

 点々と、水を染めながら、彼女は歩き続ける。

「兄さま、私の愛しいおまえさま。どちらですか?」

 返事はない。もしやと、彼女は思う。この花達の眼球のいずれかひとつが、彼のものなのではないかと。だが、それは錯覚だ。そう、彼女は気づいていた。ここに、彼がいる。そう思いこむのは危険だった。

 強く思い込んでは、少しずつ、夢に呑まれてしまう。

 そうして、帰ってこられなくなるのだ。彼のように。

 だから、彼女は花を殺して歩く。

 ぎゃあと、ひとつ、花は啼いた。


 そこで、ひのえは目を覚ました。隣では、かのえが眠っている。

 彼女は彼を追いかけて、夢を見ることにしたのだ。だが、不思議な夢の中に、今回、かのえの姿はなかった。

 ひのえは小さく溜息を吐く。そうして、もう一度眠ろうとした時だ。あることに、彼女は気がついた。指先が濡れている。見れば手近な棚から水が垂れていた。何かの拍子に花瓶が倒れたらしい。ひのえはそっと手を伸ばす。

 水は綺麗に足裏全てを覆っていた。

 まるで、涙のようにも思えた。

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