第2話 ダンジョン
ダンジョン。
それは今から三十年前に突如として現れた大規模地下迷宮の総称だ。
幾多の階層に分かれた迷宮内では、毎日の様に未知の宝物、未知の薬品、未知の鉱物が見つかった。
ダンジョンは未だ、浅い歴史の中にある。
だがその存在感は今や、他の産業、職業、話題性を大いに凌駕していた。
世界で一番金が動いているのは、ダンジョン産業だし。
子供たちの将来成りたい職業ランキングでも、冒険者が五年連続堂々の一位だ。
ダンジョン関連の動画や出来事を綴るブログはその勢いを増すばかりで、未だ限界は見えてこない。
さらに、ダンジョンを探索する冒険者を国が主導で育成するための学校までも設立されると言う。
まさに。
ダンジョンを制した者が、有名人になる。
ダンジョンを理解した者が、金持ちになる。
ダンジョンを利用した者が、成り上る時代。
世はまさに大ダンジョン時代だと言っていいだろう。
さて、そんな大ダンジョン時代にダンジョンがどう誕生して来ているのかだが……残念ながらそれは未だ解明されていない。
と言うより、生まれる傾向が完全にランダム過ぎて全容が全く掴め切れていないと言った方が正しい。
もしかすると国の根幹部分では、その傾向や誕生の原因を掴んでいるのかもしれない。だが、世間一般ではダンジョンは偶発的に生まれると言うのが常識だった。
今回、木島家の庭に現れたダンジョンも、その世間一般の例に漏れず、偶発的な代物だろう。
「って、役所の人は言ってたけど? 後色んな申請書を貰って来た」
庭でダンジョンが見つかった夜の事。
木島家では、緊急家族会議が開催されていた。
開催場所はリビング。
議題はもちろん庭に出来たダンジョンについて。
出席者は、主催として父。補助に母が着き、傍聴席には弟と妹が座っていた。
剛士は、ダンジョンの発見と報告をその日の内に役所へと届け出た重要参考人としての出席だ。
「あら、三枚もあるのね……えっと、『ダンジョン管理申請書』『ダンジョン発生による固定資産税減免申請書』『ダンジョン内出土品の所持・取り扱い申請書』、こんなにあるの?」
目を丸くした母が三種の申請書を手に取り、困り顔を浮かべながら呟いた。
「うん。ここを引っ越さない限りまだまだ色々な手続きが必要だってさ」
それに重要参考人の剛士が頷きながら答える。
続けて剛士は、おさらいするかの様に近年のダンジョン管理についての事情を話し始めた。
もはや、司会進行役も兼任しているようだ。
___今時、ダンジョンが家や敷地内に現れるのは珍しくない。
___そう言った人たちが、ダンジョンを個人で管理、運営することを国は認めてる。
___その代わり、嫌になるほどの申請書を行政は求めてる。
___管理がめんどくさい代わりにダンジョンは、それを補って余りある利益をその家に、そして個人に齎す。
____有名動画投稿サイト『ITUBU』などでは、偶然家に出来たダンジョンの事を『プライベートダンジョン』と呼び、その管理者の事をダン主と呼んでいる。
___後、土地の資産価値が上がる。めっちゃ上がる
その他にも、ダンジョンに関連する常識と管理における苦労や問題点などを挙げていった。
「___って感じだけど。どう?」
「うむ……」
家族が真面目に頷く中、剛士は最後に父へと視線を向けた。
結局のところ、この家に関することを決めるのは父だ。
引っ越しの代金的にも、冷静な意見的にも、一家の大黒柱的意味でも、今から父が示す方針こそ木島家の行く末を握っていると言っても過言ではないのだ。
その証拠に、母はどちらでも良さそうな顔を浮かべ我関せずを貫こうとしているし、弟と妹はワクワクと好奇心が疼いていて冷静な意見は求められないはずだ。
ん?
剛士?
剛士は、プロの親の脛齧り虫として縋りついてでも両親に張り付いて行く所存であるので、何の問題もない。
こうして一人、余裕をかましてこの場に立っていられるほどだ。
なんだか非常に情けない気がする。
「うーむ」
腕を組みながら唸る父は、目を閉じていた。
恐らく、色々な葛藤や想定が父の脳裏を過っているに違いない。
___父よ、後は任せる
微笑む剛士は自分の出番はもう終わりだ、とでも言うように席へと着いた。
後は流れのまま、気ままに過ごすつもりらしい。
___ダンジョンを管理しようと、引っ越そうと俺はあんまり変わらんからな
ただのんびりと惰眠を貪る日々を送る。
ゲームして、漫画を読んで、飯食って、クソして寝る。
楽園にいるかの様な生活を続けるのこそが、剛士の目標だった。
___父も母もやりたいことが見つかるまでは、それでいいって言ってたし
へっへっへっ、と気持ち悪い笑みを浮かべる剛士に、変わる気は一切ない。
レッツ、プロニートへの道。
ゴーイングマイウェイ。
我が道を行くである。
そんな剛士が、この度生じたダンジョンに関わるだなんて、もってのほかだ。
命を賭けて、しかも労働環境最悪と言われる地下に潜る?
まぁ、家族が困っていれば、若干の手伝いくらいならやっても良い。
が、それはもちろん報酬付きでの話だ。
報酬がないならやらない。
やる意味がない。
これこそ
そうやって自分にとって都合の良い事ばかりを思い浮かべながら剛士が夢想に耽っていると。
「……」
「……ん?」
ふと、顔を上げた父と目が合った。
ゾクリと、酷く不快な電流が背筋を伝うのが分かる。
何かがヤバい。
その何かは分からないけれど、とにかく何かヤバい事だけは察することができた。
一瞬にして顔を青褪めさせた剛士は、すぐさま目を斜め下に逸す。
しかしそのヤバい視線が途切れることはなかった。
目を逸らした剛士を追う様に、側頭部へとジーっと視線が注がれていた。
___え、は? なんか嫌な予感がするんだが
冷や汗を浮かべる剛士は頭の中で、先程の都合の良い想像が音を立てて崩れて行く光景を見た。
___待って、待ってくれ! 崩れないでくれよぉぉぉ
崩れ行く幻想に必死になって手を伸ばす。
崩れる欠片を一個一個鷲掴みにして行く。
鷲掴んで。
鷲掴んで。
鷲掴んで。
ようやく幻想の崩壊に終わりが見えた時、その先には真っ黒な渦が生じていた。
完全にダンジョンの入り口である。
____うわぁぁぁぁぁぁぁぁ
幻想の中の剛士は吸い込まれるように真っ黒なダンジョンへと取り込まれて行き、
「ハッ」
そこでやっと剛士は現実へと回帰した。
ブワッと冷や汗が体中から漏れ出し、瞬きの速度が上がる。
なぜか不思議とバクバクと言う心臓の音が良く聞こえて来た。
「剛士……」
父の低い声が食卓に響き、剛士はピシリッと固まった。
___確定演出入りまーす
と、どこからともなく囃し立てる幻聴が聞こえてくる。
一体誰の声だ。
周りを見渡せばジーっと見つめてくる弟達の視線を感じ、マイペースな母は「さて、お茶でもいれますか」と炊事場へと消えていった。
即座に剛士も「付いて行こうか?」と提案したら母には普通に無視された。解せぬ。
「さて、お前が大学を中退して一年が過ぎたな……うん。もう、休憩は終わりでいいんじゃなかろうか」
父が徐に話し出す。
どうやら溜まりに溜まりまくった負債を返済する時が来たようだ。
年貢の納め時である。
「あ、あははッ、お父さん。いえ、お父様。ちょっと、一旦、落ち着いて考えませんか?」
「剛士」
最後の抵抗を試みようとする剛士に、父は「やらせねーよ?」とでも言いたげに言葉を重ねる。
「分かるな、剛士。剛士……私たちは十分に待ったはずだ。私は、今日お前に遅れていた誕生日プレゼントを送ろうと思っている_____とても魅力的な
「へぁ~」
カハッっと心の中の剛士が血反吐を吐きながら倒れた。
ダメージは相当深い。
現実の剛士は剛士で「いま、ぼく、なにをいわれたのぉ?」と呆けた面を晒している。
完全に阿保の子になってしまった。
恐らく、余りの衝撃に頭がパーになったに違いない。
「剛士ッッ!!」
「はぃぃぃぃッ!!」
呆けた剛士の姿に、眉間に皺を寄せた父が身を乗り出しながら迫る。
余りの鬼気迫る形相に、剛士は咄嗟に逃げられなかった。
細いのに力強い手がガシッと剛士の肩を固定し、目と目を合わせた父が、今度こそ至極簡潔に剛士へと言い募った。
「剛士ッ、働けぇッッ!!! 働くんだぁぁぁぁ!!いいかぁぁぁ働けェェェェたぁぁぁけしぃぃぃぃ!!!」
「は、はひぃぃぃぃぃ!!! ____あっ」
有無を言わさないとは、まさにこういうことを言うらしい。
叫びながら迫りくる父に、剛士は思わず頷いてしまった。
もちろんその頷きが、どういった意味を持つのかはすぐに理解できた。
「うん、言質は頂いた……後は任せるぞ息子よ。我が家のために、そして自分自身のため。ダンジョンを程よく管理してくれ。それと困ったことがあれば、その都度相談してくれて構わないからな。就職おめでとう。立派になったな息子よ」
「今日はお赤飯ね」
ポンポンと剛士の肩を叩きながら笑う父と、マイペースな母の声が台所から聞こえた。
「あぁ、ぁぁぁぁぁ」
絶望の表情を浮かべた剛士はそのまま椅子から崩れ落ち。
「「おおぉぉぉぉ」」
___パチパチパチ
と、碌に会議に参加しなかった弟と妹の拍手が、嫌にリビングに響いた気がした。
これにて臨時の家族会議は解散となった。
本日の木島家の食卓には、ふっくら美味しいお赤飯が新しく並び、家族皆で笑顔で食べることになる。
___そう、たった一人の例外を除いて
「もしかして、ほんとに____おれ、就職したのか???」
こうして、剛士はニートからダンジョン管理人に就職することになるのだった。
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