第181話 馬の耳に念仏
ザッ… ザッ… ザッ!
「よう!」
「……」
「久しぶりだな?、会いたかったぜ?」
バグラーは『周りが見えていないのか?』と疑問に感じる程普通に話した。
まるで親友と街中で偶然出会ったかのように。
その普通さこそが、本当に恐怖を誘った。
その態度は、自分が脱獄犯だという事も、自分の仲間がこれだけの事をやらかした事も、本当に全て忘れてしまったかのようだった。
オルカは心を強く持ち、なんとか彼を牢に戻せないかと思考した。
この男をこのまま外に出してしまうのだけは、絶対に駄目だと。
「いや~風呂入ったんだけどよ?、お前居ないし迷ったし?、随分さ迷っちまった!」
「…!」 (風呂にまで入ったのか!?)
「こんなトコ居たら危ないだろ。」
「!」
「あーあ。折角綺麗なのになぁ王都。
…バカ共の考える事は分かんねえなっ?」
「ッ…!」
『お前が指示したんだろ!?』
オルカの声は、辺り一帯に響いた。
「暴徒は僕とお前が手を組むだのなんだの!?
そんな妄想の為にこんな事をしでかしたんだぞ!」
「…??」
「どれだけの人が犠牲になったと…っ!」
怒りを露にするオルカに、バグラーは首を傾げながら返した。
「いや、俺はそんな指示出してねえぞ?」
「は…あ!?、嘘まで吐くのか!?」
「いや本当だし!、お前らが三層の監守を替えちまったんだろが!」
「…!」
「でもまあ、穴はあったみてえだな?」
「…どういう意味ですか。」
「保安局の奴だよ。」
「…!」
「なんかアホやらかした保安官の代わり?、代打で入ったお偉いさん?だとかなんとか。
そいつが巡回ん時に『暇だろう?』って三層の奴らに紙とペンの芯を渡してきてな?
皆して有り難いって手紙書いたりなんだりしたんだぜ?」
一点に注目が集まった。
眼鏡をかけた長身の、気難しそうな保安局副主任に。
彼はただ大きく目を開き、何も出来ずに立ち尽くした。
「んで俺はトルコに手紙を書いたんだよ。」
「!」
「俺を出せってな?
報酬は俺の全財産。それで妹と何処にでも行けってな?」
オルカはバグラーから距離を取ろうとゆっくりと下がった。
こんな事を平然と話すその人格も、巨体も、全てが不気味で距離が欲しかったのだ。
だがバグラーはズイッと前のめりになった。
オルカは『っ!』…と口をキュッと縛った。
「なんでだと思う?」
「…何がですか。」
「俺が出たかった理由!」
「…何ですか。」
バグラーは、いい笑顔でハッキリと告げた。
「お前だよ!」
「…っ、」
「お前だよお前!、お前と話したかったんだよ!」
「………」
「そんでほら、牢でも言ったろ?
お前が望む物をプレゼントするってよ!
まあそれはおいおいとしてもだ。
取りあえずあそこに居たらお前と話せもしないだろ?
だから出てきた。オーケー?」
屈託のない笑顔には嘘を感じなかった。
彼は恐らく、本当にそれを望み出てきたのだ。
脱獄を悪い事とも思わず、ただ『オルカと話したい』というだけで。
『善悪の見境が無い』『愛が幼稚』。
全て、海堂が言っていた通りだと痛感した。
「…っ、だったら何故、もう既に僕の望みを裏切ったんですか。」
「?、裏切ってないだろ。」
「僕は貴方にお願いした筈です。
『もう誰も傷付けないで下さい』と。」
「……」
「その願いを既に裏切っているのに、どうして僕が次の望みを口にすると?
…叶わないのに。」
オルカは懸けに出た。
恐らくバグラーは素直な人間だ。
だが精神が余りに単純で幼稚なのだ。
だったら『僕は裏切られた』と伝えれば少なからず後悔し、『牢に戻って僕から会いに行くから』と願えば、『今度こそ叶えてやんねえとな?』…と大人しく牢に戻るのではと。
こんなの普通なら願える筈もない展開だが、相手がバグラーならば通用する気がした。
恐ろしい程に単純な男なのだから。
だがバグラーは、オルカが思うより更に斜め上の男だった。
「誰も傷付けてねーじゃん。」
「…は。」
「そもそも『傷付ける』って、…なんだ?」
「は?」
バグラーは本当にキョトンと首を傾げた。
オルカは逆に目が点となり、何か聞き間違いをしたのかと思った。
「…傷付け…た、…じゃないか!?、今も!!」
「は?、いつ?」
「今さっき!、彼を蹴り飛ばしただろ!!」
壁に吹っ飛び気絶した制服をオルカは指差した。
その胸は異様な鼓動に支配されていた。
例えようのない恐怖だった。
バグラーは制服を見て、『?』とまた首を傾げた。
「?、生きてんじゃん。」
「な…!」
「…え?、まさか蹴りが『傷付ける』に入るってのか!?、そりゃ無理があるぜオルカ。」
「……なぜ、…何故ですか。」
「むしろ俺は、俺からあいつを守ったんだぜ?」
「…は、」
「そもそもあいつは剣で斬りかかって来たんだぞ?
それを俺は蹴りで返した。
…どっちがアブナイ事だ?」
「…それは、…」
「それに俺はあいつを殺すことも出来た。だがしなかった!
剣で斬りかかられたのにだぞ?」
「…………」
「この服だってそうだ。
俺は汚えボロしか持っていなかった。
だから仕方なく拝借したんだ。」
「!、誰かを襲ったのか!?」
「いいや?、気絶してもらっただけさ?」
「………」
「普通に考えてみろよ!、お前は王様なんだぞ?
あんなボロで御前に立つ方が不敬ってもんだろう!」
「…… …」
…なに言ってるんだこの人は。
どうしよう。…言葉が出ない。
こんなことは初めてだ。
…言葉にならない恐怖が足を後ろに引かせる。
きっとこの人には、何を言っても無駄だ。
「俺は本当にこいつらが暴れる事なんて知らなかった。
今さっきトルコに聞いてやっと知ったんだぜ?
だから俺の指示じゃない。こいつらが何を願ってこんな事をしでかしたのかすら、俺は知らない。
更に俺は誰も殺していないし?、傷付けてもいない。つまり!、約束を破っていない。」
「…………」
「だったらそんな風に睨まずに!、こないだみたいに親愛を向けてくれてもいいんじゃないのか?」
「…………」
「…だろっ?」
いつの間にか、深い恐怖は深い怒りに変化していた。
彼は確かに、自覚がなかったのかもしれない。
本当にこの暴動の事も知らず、蹴り飛ばした事も『傷付けた』とは思っていなかったのかもしれない。
ス…
「ほら。…笑ってくれ?」
だが、『それがどうした』だった。
パン…!
「!」
オルカは頬に伸びてきた手をはたいた。
微かにうつ向いたまま、手の裏で拒否した。
バグラーはその反応に、ピクッと眉を動かした。
「なん…て身勝手なんだ。」
「……」
「『知らなかった』『そうとは思わなかった』。
…それで全て済むと思っているのか。」
「……」
オルカは顔を上げ、鋭くバグラーを睨み付けた。
バグラーは無表情にオルカを見下ろしていた。
「非常識にも程がある!!」
「……」
「何故何かをする前に一本踏み止まり考えなかったんだ!?
そもそもお前は脱獄したんだぞ!?
それを…『会いたかったから』だって?
会いたい人に会えなくなるのも刑の内なんだ!
自分が何故三層に入ったのかすら、お前は分かっていなかったんだな!?」
「……」
「これだけの…っ、これだけの被害だぞ!?
それを自分の為にしでかした人々に、『あいつらが勝手にやった』!?『本当にバカだな』!?
そうやって人の心を蔑ろにするから!、お前は誰からも愛されないんだ!!」
ガシッ!!
腕を振り乱し言い切った瞬間、オルカの首が鷲掴まれた。
周りの制服は一斉に鳥肌を立たせたが、オルカは皆に『来るな!!』と叫んだ。
呼吸は出来た。だが、大きな手からは暴れても抜け出せなかった。
「っ、…こ…の!?」
「……お前まで、そう言うのか。」
「な…に!?」
「お前まで、海堂と同じことを言うのかよ。」
「…!」
…え?
バグラーは真顔でオルカの首を掴みロックしたまま、ため息を溢し空を見上げた。
制服達はオルカを人質に取られたも同然で、どうにも動けなかった。
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