第167話 発狂

 一層に入ったオルカは一つ一つの牢に笑顔で挨拶をしながらおにぎりを配った。


誰もがオルカに会えただけで先日の監守についての礼を言い、感動した。

そしておにぎりを貰うと本当に不思議そうにしたが、有り難く頂いた。


 二層でも同じようにおにぎりを配り最後にトルコの牢に行くと、声で気付いていたのか彼はニッと笑った。



「物好きな王様が居たもんだな…?」


「やめてよ。」



 オルカはおにぎりを二つトルコに渡した。

トルコは首を傾げ受け取り、更に首を傾げた。

黄色く丸い物が一つと、緑やオレンジの小さな具とおほしき物が入った何かを渡され、『どうしろと?』と思ったのだ。



「…これなに?」


「それね、おにぎり。」


「おにぎり??」


「そ。今日から全国で売り出された、新しい食材を使った料理だよ?」


「へ?」


「僕が作ったみたいなんだ。

…良かったら食べてみて?」


「…………」



 トルコは首を傾げながら、袋を開き、まずは匂いを嗅いだ。

黄色い方はどうやら卵とケチャップの気配が。

オルカがニコニコする中一口食べてみると、『!』とトルコは目を大きくしぺろりと平らげた。



「なんか知らんけどウマー。」


「ふふ!、良かった。それはオムライスっていうんだよ?」


「こっちは?」


「んーっとね、…あ、チャーハンだね。」


「ふーん?」



 よく分からなかったが期待して食べると、また美味しかった。

 こんな風に特別な料理を全国に発表し、特別な施しを行う姿を見ていると、オルカが王様なのだと妙に実感したが、お連れの一人も連れずに来るあたり、王様の実感が足りないような気もした。



「…変わんねえなオルカは。」


「うーん。…どうだろう。」



 オルカは牢の前に座ったまま少し伸びをし、何処か遠くを見つめた。

トルコは懐かしい空気を感じた。

よく孤児院でも、こうして座り日向ぼっこをしていたなと。



「…もっときっと、変わらなきゃいけなくて。

でも僕は自然と変わっていきたくて。」


「……」


「僕らしく居ることも、王様で居ることも、きっと両方大切だから。…考えることは多いよ。」



 オルカの言葉にトルコは目線を外し、少し指先をいじりながら口を開いた。

彼は少し痩せた気がしたし、目の下には隈が浮いていた。



「…なあ、オルカ。」


「ん?」


「ヤマトの奴、あいつをあんなに憎んでたのに、なんで許したんだ?」


「…!」


「ヤマト言ってたよ。『マスターを殺したのは奴だ』『どいつもこいつも騙されてる』。

…茂さんのことは俺だって好きだった。

お前は知らないかもしんねえけど、あの人、孤児院に寄付してくれてたんだぜ。」


「!」


「そんな茂さんに世話になったんだヤマトは。

そりゃあいつが憎いもの納得だった。

…けど分かんねえ。そんな憎しみがちょっと会話した程度で消えるもんなんか?」


「……」



 オルカは静かに口を縛った。

その理由は、大崩壊の発端は決して口にしてはならないのだから。



「……理由があったんだよ。」


「そんな大それた理由って何だよ。」


「それは、……分からない。」


「……」


「そろそろ行くね?、おにぎり、女性の方にも配ろうと思ってて。」


「!」



 にっこり笑ったオルカの笑顔に、胸がチクリと痛んだ。

おにぎりは心が温まる味だった。

オルカのことだ。きっと妹のエリコにもおにぎりを渡してくれるだろう。


そんな優しいオルカを、彼は裏切ろうとしているのに。



「…っ、」


「あ、そうだこの間ね?」



 オルカは先日女性の牢に行った時の話をした。

エリコが一言も喋らず牢の角で踞っていたこと。

あまり食べられていないし眠れていないとジェシカ達が教えてくれたことを話した。

 途端にトルコの胸から痛みが消え、決意と闘志がその胸を埋めた。



(エリコ!)


「今日は食べてくれるといいんだけど。」


「…俺の話をしてやってくれ。」


「え?」


「俺はウマそうに食ってたとか、なんとか。

最初はただ睨んでくるかもしんねえけど、それでも話してやってくれ。

そしたらその内エリコは喋る。」


「……」


「あいつ辛いのは苦手だから、甘めのおにぎりにしてやってくれ。」


「…分かった。」



 トルコは昔からこうだった。

普段は掴みどころなくフワフワと生きて見えるのに、妹の事となると本当に献身的なのだ。


 オルカは立ち上がり、トルコに手を振りながら女性牢へと向かった。



「……ごめん、オルカ。」



 トルコは小さく呟いた。

一人牢となった鉄格子の中で、誰にも聞こえぬ程に小さな声で。



「お前の事は、やっぱ好きかもしんない。

…でもな、あいつだけは譲れないんだ。」






 女性牢でも同じ様におにぎりを配ったオルカ。

妹達の牢に行くと、前回来た時よりも扉に近い牢になっていて、本当に驚いた。



「やっほー?」


「わあオルカ兄だあっ💖!!」


「久しぶり皆、これお土産だよ?

本日新発売の米料理、おにぎり。」



 …あちこちで説明しすぎたのだろうか。

これでは新発売は米ではなく、おにぎりだ。


 

「皆凄いね?、もう扉があんなに近いよ?

ご褒美にもなったね良かった。」


「ふふん♪、女は倒れれば倒れる程に強くなるのよっ?」


「あ、あ…うん。……そうなの?」



 ジェシカや皆はおにぎりに大興奮してキャッキャと食べたのだが、エリコはやはり角で踞っていた。

しかも今回は顔さえ見せてくれない。

膝を抱く腕に顔を伏せ、ピクリとも動かなかった。



「…エリコ?」


「……」


「これ、トルコも食べたやつだよ?」



ピクン…



 トルコの言っていた通り、兄の名を出すとエリコは顔を上げた。

その顔が余りに痩せてしまっていて、オルカは少しゾッとした。



(…大丈夫かなこれ。ちょっと痩せすぎじゃ。)


「ねえオルカ兄。」 こそ!



 ジェシカが小さく耳打ちしてきた。

どうやら妹達は皆エリコをかなり心配しているようだ。

気にしないようにしつつも皆がエリコを気にしているのが見て分かってしまった。



「全然食べてくれないし、動かないの。

ずっとああやって踞り続けてて。

…食べないからフラフラになっちゃって、奉仕もここ数日行けてないの。」


「!」


「このままじゃ私達とも牢が別になっちゃう。

今でさえあんななのに、別の牢になったらどうなっちゃうか分かんないよ。」


「…うん。少しやってみるね?」



 オルカはエリコと笑顔で目を合わせ、トルコの話を聞かせた。

おにぎりをあげた時、食べている時の様子、どんな風に笑っていたか。

 話しているとふとエリコは足を崩し、ズリズリとこちらに這ってきた。

その手足を見たオルカは、本当にこのままでは駄目だと思った。



(骨と皮じゃないか…!?)


「…ね、…オルカ…」


「無理しないでエリコ。…大丈夫?」


「……トルコ…」



 汚れたワンピースで、フラフラしながら這ってくるガリガリのエリコ。

目は吹っ飛んでいるし、正直妹でなければオルカは逃げていただろう。

声は枯れてしまっているし、爪は何本か縦にヒビが入っていた。



「…エリコ、ちゃんと食べよう?

ここを出たらまた一緒に暮らせるんだから。

…でもこのままじゃ、体を壊しちゃうよ。」


「……ト…を、」


「え?」



ガチャン!!!



 何かを呟いた途端、エリコは鉄格子を叩くように掴んだ。

驚き目を大きくするオルカの前で、エリコは眼球を震わせながら叫んだ。



「ヤマトを殺してッ!!!」


「つ…!」 「エ…エリコ!?」


「あいつがお兄ちゃんを取ったんだ!!」


「な…」 「ちょ、どうしたのよエリコ!?」


「触んなッ!!!」



 どこにそんな体力が残っていたのか。

彼女の怒鳴り声は甲高く響き、思わず数名が耳を塞いだ。

それだけでなくエリコは鉄格子を全力で叩き始めた。

まるで溜めに溜めてしまったストレスが爆発したように、気が触れてしまったかのように叫んだ。



「お兄ちゃんを返せ…返せッ!!!」


「ちょ…駄目だエリコ腕が」


「返して返して!!返してよッ!!!」



ガンガンガンッ!!!



「エリコ!!」


「どいつもこいつも嫌いだッ!!死ね…死ね!!」


「…エリコ。」


「お兄ちゃんと引き離す奴なんか大ッ嫌い!!!

どいつもこいつも死ね!!、死んじまえッ!!!」



 エリコが甲高く叫び頭を抱え、オルカは音石を使い監守を呼んだ。

すぐに監守が飛び込んできて耳を押さえ、オルカに驚きながら牢を開けたが、エリコは頭に爪を立てながら大暴れし、叫び続けた。



「オルカ様お下がり下さい!医務室へ運びます!」


「僕が抱えます案内して下さい!」


「キャアアアアアアアアアッ!!!!」


「っ、…いえ私一人で大丈夫です!

オルカ様は妹達を!」


「分かりました!」



 監守は叫び暴れるエリコを抱きかかえ、走って行った。

オルカ達は息を荒らしながら放心し、叫び声が聞こえなくなると皆でその場にペタンと座り込んだ。



「オルカ…兄。…鍵。」


「あ、そっか。」



ガチャン。



 開けっぱなしだった牢の戸を閉め監守の置いていった鍵をかけると、ジェシカは涙ぐみながら鉄格子を掴んだ。



「…ごめんなさいオルカ兄。」


「…え?」


「私…私達…!、頑張ったんだけど…!」


「…」


「食べさせようと…しすぎたのかな!?

寝かせようと…しすぎたのかもしれないわ!」


「そんな、…ジェシ」


「妹一人支えられないで!、なにが兄弟よ…!!」



 彼女だけでなく、皆が泣いてしまった。

本当に思い詰めていたのだろう。

聞けば、監守もエリコの様子を慎重に観察し、巡回の回数も増やしてくれていたらしい。

エリコ専用の栄養価の高い食事を作ってくれたりと色々としてくれていたのだが、エリコは何一つ受け取らなかったそうだ。


 オルカは色々とショックで、ただ話を聞くしかなかった。

普段ニコニコと笑い、妹達の中でも特に明るく活発なエリコが…、まさか兄と引き離されただけでここまで変貌してしまうとは。

まさか、ヤマトを憎み…。全てを憎み、死ねと叫び散らすだなんて思ってもみなかった。



「…僕は一体、何を見てきたんだろう。」



 彼女はきっと、変わってしまったのではない。

きっと彼女は、初めからああだったのだ。

トルコが居なければ、トルコと共にでなければ…、彼女はきっと荒み、弱り、ああやって歯車が狂ったようにおかしくなってしまうのだろう。


 きっとどれだけ『お兄ちゃん、お姉ちゃん』と周りを呼んでも、本当は彼女にとって兄弟は一人だけだったのだろう。



「…僕らには本当の兄弟なんて居なかったけど、もし居たなら、案外そんなもんなのかもしれないな。

他人の境界を出ることは、無いのかも。」


「……そんな事ないわよオルカ兄。」


「…そう?」



 ジェシカは腕を抱えながら苦笑いし、頷いた。

 彼女は4歳で孤児院に来た。

兄弟こそおらずとも、親は健在だった。

生活も安定している方だった。

だが親はジェシカを孤児院に入れた。

…つまり、捨てたのだ。

『養えないから』と嘘を吐いて。


今ならば慎重に調査をしその言葉の真偽を調査するが、当時はあちこち余裕がない者ばかりで、調査も省略されていた。



「私も最初は怖かった。

四歳とはいえよく覚えているわ?

知らないシスター、知らない子供達、知らない家。

そこに連れて行かれて…すぐに迎えに来てくれると思っていたのに、親はもう来なくて。

…怖くて怖くて、なんで?って、泣いたわ?」


「…うん。」


「でも皆が私の気を逸らしてくれて。

…その内ね?、どんどん楽しくなってきたの。

だって私、親に構われてなかったから。」


「…そうだったの?」


「今思えばよ?、…孤児院の皆が教えてくれたの。

会話ってキャッチボールなんだってこと。

悪いことをしたら叱られて、良いことをしたら褒めてもらえること。

…それだけじゃない色んな事を教わったわ?

…親にとって私はきっと要らない子供だったのね。

会話すら教えてくれなかったもの。

…まあそれでも、初めは親に頼っていたけれど。

あんなでも子供にとっては親なんだもの。

…怖かったなら、頼りたくなるのよ。」



 ジェシカは苦笑し首を振ると、穏やかに笑い言った。『私にとっては皆が本当の家族なの』と。

それを決めるのは、受け入れるのは、自分の気持ち次第なんだと。



「…!」 (…確かに、そうだな。)


「私は血の繋がった家族を覚えてる。

…でも私は、皆の事を本当の家族だと思ってる。」


「…僕もだよジェシカ。

僕にとって君達は、永遠に家族だ。」


「うふふ!、…だからねオルカ兄。

トルコとエリコだって、自分の気持ち次第なのよ。

私達を信用するもしないも、家族と思うも思わないのも。

…強制じゃない。彼らの問題なの。」



『ずっとここに居ても、いいんだぞ…?』



 本当にそうだと思った。

門松のその言葉に、想いに、全力で応えることも自分は出来たのだから。

だがオルカは門松の家族にはならず、本当の家族の元に帰ってきた。



「…そうだね。」



 だからこそ、余計に分からなくなった。

もしかしたらトルコとエリコに対し、自分が出来ることなど無いのかもしれない。…と。



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