第149話 瞳を奪う

「さて。ここで二択です。

まだ暴行とバグラーの両方を追うか、もう暴行の裏は取れましたのでそちらは終了し、お二人はこの先には進まないか。

僕はどちらで構いませんが。」



 海堂の提案にイルは『そうねぇ?』と悩んだ。



「裏が取れたのなら、次にせねばならないのは暴行を働いた監守の投獄と、穴の空いた監守の補充。

あと、この先の体制についての検討だものね?

確かに私はもうお役御免かしら。」


「僕は進みます。」


「…あら、そう?」


「シスターはヤマトに報告を。

多分ギルトがもう新体制について案を練ってる筈だから、それに合流して?

あ、でもその前に女性の牢にも確認に行って?」


「ええ勿論よ?、…けど、私で大丈夫かしら。

こう言ってはなんだけど、私、同性によく嫌われてしまうの。…いつもありもしない事を影で言われて悲しくなるわ?」


「「あ~…。」」



 それは恐らくヤキモチや嫉妬だろう。

男二人はピンとは来たが口には出せず、『じゃあ僕が行くね?』とイルの背をナデナデした。



「この後に僕と海堂さんで行くから、シスターは報告に行って?」


「そうね?、ではお願いするわっ?」



 踵を返した彼女を、『あ!』とオルカは引き止めた。



「シスターは素敵な女性だよ?」


「あらっ!、ありがとオルカっ?」



グイ… チュ!



「っ!!」


「…もしシスターが女性に嫌われるって、そう感じてしまうのなら。それはシスターが誰よりも素敵な笑顔で誰よりも輝いているからだよ?」



 腕を引き頬にキスをし、『だから元気だして?』と微笑んだオルカ。

イルは『キャーーー💖💦』…と、顔を押さえ大騒ぎした。



「もうオルカったらまたからかって!

ああもうっ💦いやだわもう熱いわっ💦!」


「……ごめん??、でも本当の事だよ?」


「も…もう!、…でも、ありがとっ?」



 イルは照れながら、顔を手で扇ぎながら戻っていった。

 二人きりになると、海堂はニヤニヤとオルカを肘で小突いた。



「君もやるじゃないの~。」


「別にそんなんじゃ。…なんでか、親衛隊の皆にはキスをしたくなるんです。

…それにシスターが悲しむのは嫌なんです。」


「ほうほう特別な絆ってやつですかねっ?

…安心しましたよ。作法は大して紳士じゃないけど根が紳士なら女性も口説けそうですねっ?」


「……」


(なんでこの国の男は紳士でなければ女の人を口説く権利すら無いと思っているんだろう。)



 納得がいかず少しむくれながら奥に進んだオルカ。


 ここからは海堂の指示に従い調査をする。

オルカには、バグラーと保安官の繋がりをどう暴くのか想像も付かなかった。





「…え?、オルカ?」


「やあトルコ。…ちょっと野暮用でね?」


「…ふーん。王様も大変だな?」



 トルコは不思議そうに二人を見送った。


 二層を抜けるとなかなか長い道程が続いた。

三層はかなり深く、その道中は入り組んでいるのだ。

これは脱走防止の為の迷路のような物なんだとか。



「君もはぐれたら危ないからね~?」


「…本当ですね。もうとっくに分かりません。」



 海堂の案内で進んでいくと、一枚の頑丈な鉄の扉が。この先が三層の牢だ。

扉の横には壁に埋め込まれた棚があった。


 海堂は無事に辿り着いたと少し安堵し、改めてオルカと向き合った。



「この先に収監されているのは、冗談抜きに凶悪犯です。…そうですね、言うならば…。

意思無き殺人犯は、ここには入りません。」


「!!」


「事故や不慮のものは、二層です。」


「…じゃあ、ここは。」


「そう。『殺すと決め、殺した者』。

…一度の殺人なんてレベルじゃないよ?

もうなんて言うのかな。…手遅れ?

罪を罪と本当に認識していない者の末路。

それが三層です。」


「……」


「彼らは社会奉仕もしません。

真っ暗な牢で一生を終えるべき者達。

風呂も月2のみ。食事は二回ですが、かなり簡素。

常に数メートル先が見えない程、暗い。」


「……」



『それでも行きますか?』

 海堂の問いに、オルカは頷いた。



「光だけ見ても、それは知ったとは言えません。」


「…!」


「表面に見えるものだけが全てではない。

…僕はそれを、知っています。」



 海堂は微笑み頷き、棚を開けランタンを持った。

このランタンが無ければ、この中では囚人の顔の判別すら難しいのだ。



「…じゃあ、行こうか。」


「はい。」



ガチャン…  ブワッ!!



「つ…」



 覚悟を決め扉を開けたが、途端にオルカは片目を瞑り口と鼻を押さえてしまった。

風呂の回数が少ない上に、トイレが備え突きの牢はかなりの悪臭だった。目に涙が滲んだ程だ。


 だが海堂は平然とした顔で前に進んだ。

『誰だ?』という目線や、理解不能な数々のイチャモンを受けながら先に進むと、海堂は足を止め、牢から距離を取りしゃがんだ。



「やあ?、久しぶり。」



 すると牢の奥からボワ…と人影が近付いてきた。

人の姿がぼんやりと現れる様は、冗談抜きに幽霊に近付かれたような気がする光景だった。



「こりゃ珍しいな。お隣さんじゃねえか。」


「隣の『大きな』芝生のね…?」


「相変わらず嫌味ったらしい奴だよ。

…まあ否定はしない。俺は負けた。」


「宜しい。」



『この男が』とオルカは唾を飲んだ。

 バグラーは茂と見間違うレベルで筋骨粒々だった。

今は座っているので正確には分からないが、間違いなくかなりの長身だろう。

浅黒い肌、太い腕、微かに光る鋭い瞳、低い声。

牢という鉄格子は、彼を閉じ込める為にあるのではなく、自分を守る為にある気さえする程、バグラーは迫力のある男だった。


それに、含んだ笑みは妙に興味をそそってきた。

オルカはこの感覚に覚えがあった。カリスマだ。



(この二人は、正反対のカリスマを持ってるんだ。)



 まさか自分が暮らしていた第三地区のアングラで、正義のカリスマと悪のカリスマであるこの二人がバッチバチの関係だったなんて。



(……まずい。少し萌えてしまった。)


「…で、何の用だ海堂?

まさか俺が恋しくなったんじゃあるめーし?

何か訊きたい事があんだろ?」


「!」 (なんか、意外と協力的?)


「まあそうですね。でなければこんな所には来ません。」


「臭いしウルセエし。ってな?

分かるぜ~?、三層はボケばっかだ。

…捻り潰したくなるわ。中途半端な雑魚ばっか。」


「そんな雑魚と土台を共にしてるなら、お前も所詮は雑魚って事だよ…?」


(か、海堂さん…?、言い過ぎでは?)


「ターッハッハ!!、そりゃそうだハハハ!!!

……ブッ殺すぞチビ。」


「どうぞやってみなさいよ負け犬?」


(海堂さーん!?!?)



 つい火が付いてしまったのだろうか。

海堂は質問どころか完全に喧嘩を売りに来たようにしか見えなかった。

オルカはタラタラと汗が背中を伝うのを感じながら、空気に徹した。


…だがバグラーはオルカを空気のまま居させてはくれなかった。



「…お前は誰だ?

海堂んトコのおチビちゃんか?

大変だねぇこんな上司を持つと。…嫌味臭え。」


「無礼にも程がありますよバグラー。」


「あ?」


「彼はオルカ王です。」


「…!」


「っ、」



 バチ!…と目線が繋がり、オルカは口をキュッと縛った。

独特な熱が込められた瞳だった。

驚愕だけでなく、畏怖、読み取れない程の何かを秘めた、強い瞳だった。



「……へえ。」 ジャラ…


「っ、」


「あんたがオルカ様。…もっとよく顔を見せてくれよ。」



 鎖の音を響かせ鉄格子にもっと顔を寄せたバグラー。

オルカはどうしたらいいのか分からず、海堂の反応を窺った。

だが海堂はオルカに答えを渡さず、瞬きもせずにバグラーを凝視していた。



「…なんだい。凶悪犯には顔も見せないのかい?」


「…おい今『オルカ王』つったか?」

「聞こえた。…おい!?、王様が居んのか!?」



 バグラーと海堂のやり取りを聞いていた他の囚人がザワつき始めた。

それはあっという間に喧騒レベルとなり、誰が何を言ってるのかすら分からない騒音となった。



「ウルセエぞ黙れッ!!?」



 だがその喧騒はバグラーの声にシン…と静まった。

 オルカは恐怖にバクバク鳴る心臓に堪えながら、一歩牢に近寄った。

バグラーはまだオルカの顔がハッキリ見えないのか、目を細めもっと鉄格子に近寄った。



「…よく見えねえよ?」


「……」


「ほら。…もっと近くに来てくれ。」



 オルカは悩んだ。

彼からは敵意を感じない気がしたのだ。

なんとなく、『近寄っても大丈夫』『危害なんて加えようがない』と思った。


 海堂は息を止め、瞬きさえせずにバグラーの挙動から目を離さなかった。

バグラーに見えぬよう、忍ばせてあったナイフをそっと握りながら。



…ジャラ。 …カツン。



 バグラーは更に前に。

 オルカもバグラーが手を伸ばせば届く程の位置まで歩み、更に一歩前に出て、ゆっくりとしゃがんだ。


 ランタンの灯りがオルカの深紅の瞳を、白グレーのサラサラな髪を、知的で整った綺麗な顔を照らし、バグラーは『ほう…』と目を大きく開けた。



「…こりゃ驚いた。…アイランドのチビじゃねえか。」


「…!」


「まさか、お前が王様…?

…ああ、ああ成る程な、そういう…事…か。」


「……」



 彼はオルカを知っていた。

どういう経緯で知っていたのかは分からないが、何かに勝手に納得もした。


オルカはただ静かに彼と目を合わせた。

訊きたいことならそれなりにあったが、質問は全て海堂に任せると決めていた。



「綺麗な、…いい面構えだ。」


「…ありがとう。」


「…先王よりも地に足が突いてるな。」


「!」


「何がこうさせたのか。……

…いい顔だ。本当に、実に良い。」



 不思議な空間だった。

その笑顔、言葉、声が妙に心地好く感じ、彼がそっと手を伸ばしてきても、オルカは警戒もせずじっとしていた。



…ス。



 バグラーの大きな手が頬を包んだ。

オルカは少しだけ目を閉じ、体温を感じた。


 バグラーもまた、不思議な感覚を感じていた。

自分を恐れる仕草をせども、触れたら目を閉じ、そっと頬を手に当ててきた小さな王に。



「……誰かにこんな、……」


「…?」


「瞳を奪われたのは、……初めてだ。」


「!」



 思わぬ台詞にパチッと目を開けたオルカ。

その真っ直ぐ見つめてくる深紅の瞳に、バグラーの心は久しく高鳴った。


いや、初めて感じる鼓動だった。



「…なあ、王様?」


「はい。」


「アンタの望みは、…何だい?」


「え?、『望み』?」



 海堂は目を細め、まだ息もせずナイフを握り続けた。

 オルカは質問の意図が分からず、未だに頬に手を添えられながら首を傾げた。



「えっと、僕の望み…ですか?」


「ああそうだ。」


「…何故ですか?」


「……」



 海堂は『早く手を離せ』…と緊張し続けた。

バグラーはさっきまで火花を散らしていた宿敵の存在さえ忘れていた。



「…叶えてやる。」


「え?」


「アンタが欲しいもの、全て、献上してやる。」


「…え…と、」


「何が欲しい。…金にも権力にも興味の無いお前は、一体何を望む。」


「…!」



…なんだろう。この感じ。…なんだか覚えが。



「……さあ。」


「…僕の、望み。」


「ああ。」



…そうだ。…これは、この感じは…門松さんだ。

門松さんの家に居候して一年目のクリスマスだ。

『何が欲しい?』って訊いてきた門松さんと、似てるんだ。



 門松とバグラーは似ても似つかない。

見目も、何よりも中身が。

だがオルカはそう感じた。

それはつまり『何かをあげたくて仕方がない』という心が似ていたのだ。



(どうして急に、僕にそんな、……

どうしよう。望みって言われても…。)


「…すみません、思い付きません。」


「そうか。随分と謙虚だねぇ?」


「いえ、僕は謙虚ではありません。」


「…何故そんなに言い切るんだい?

どちらかと言えば、『僕は謙虚です』ってアピールすべき立場だろう?」



『まったくその通り』と海堂が思う中、オルカは少し思考し口を開いた。



「僕はこの国に、世界に、きっと貪欲です。」


「…!」


「…足りない隙間があったなら、埋めたい。

……双方を取れるのなら、…取りたい。」


「!」



 海堂はつい眉を寄せてしまった。

バグラーには分からない、オルカの言葉の意味が分かったからだ。


オルカは微かに首を振り苦笑すると、笑顔をバグラーに向けた。



「…お話出来て、良かったです。」


「!」


「どうかもう、誰も傷付けないで下さい。」



…ス。



 それだけ言うとオルカは立ち上がった。

海堂はすかさずオルカの背を掴み、バグラーから距離を取らせた。


その時海堂は気付いた。

バグラーが『そういや居たなお前』という顔で自分を見たことに。



(…流石だなオルカ王。…やらかしましたね。)


「…昔のよしみです。

王を御覧になった事がないここの者達に、彼の姿を一目。…とね。」


「へえ?、随分と殊勝なことを。…寿命か?」


「ブン殴んぞ♥️」


「やってみろチビ。」



 海堂はグイッとオルカの腕を引き来た道を戻った。

『あ…』と思いながらオルカは振り返りバグラーを見た。

バグラーも鉄格子を掴み、オルカを見ていた。


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