第123話 ギルトとジルの今

 政務執行議会、長官執務室の奥。

三年前、ジルが大暴れして滅茶苦茶になったこの部屋も今では綺麗に片付いていた。


 忙しい長官の為の第二の個室。それがこの奥の部屋だ。

シックな茶で統一された調度品の数々は、ほぼほぼが引き継ぎ物だ。

何代も何代も昔から引き継がれ、大切に使用されてきた歴史ある家具達。

ギルトの前に長官だった茂も、同じクローゼット、デスク、キャビネットを使ってきた。

代継ぎをして替わるのはベッドと、老朽化してしまった物だけ。

それらも可能な限り修理して、新しく生まれ変わりこの部屋に戻ってくる。


 そんな歴史ある個室のベッドで、ギルトは目を覚ました。



「……ジル。」


「…ん~~。」


「お早う。朝だよ?」



 ジルが目を覚まし大きく伸びをすると、ギルトはクスッと微笑み彼女にキスをした。


 昨夜、ギルトは本当に驚かされた。

王宮から出られなかった彼女がたった一人執務室に現れたからだ。



『ギールート!』


『!』



 しかも、何年も着ていなかった黒以外のドレスを纏ってのご登場に、一体何が?と本気で思った。

だが彼女は多くは語らず、ギルトを労い後ろから抱き締め、夜に誘った。



『どうしたいんだい姉さん。』


『いいから。』


『…風呂に入らせてくれないか💧』


『いいよ平気だって!』



 どうしたんだろう?と疑問には思いつつも、やはり嬉しくてギルトはお誘いを受けた。

彼女が自ら王宮から出ると決めた事。

その行き先に自分を選んでくれた事。

積極的な指先や熱が、嬉しかったのだ。





ギシ… ガシガシ!  カサ…



 風呂上がりの半裸のまま、男らしくガシガシと髪を拭きながら書類に目を通すギルトを、ジルは『ほぅ…』と後ろから眺めた。

引き締まった背中、腕。

何処を見ても胸がキュンとしてしまった。



「いーい男~💓」


「フ!…なんだい姉さん突然。」



 苦笑いする横顔、綺麗な紫の瞳。

それらに思うのは、『この人を選んでよかった』という幸福感だった。

真面目で誠実で、頭が良く優しくて。

紳士で、完璧なレディーファーストで。

仕事が出来て。けれど決してパーフェクトマンではなくて。



「……」



 そんな彼に、『昨日のは浮気なのかな?』と罪悪感を抱えたまま一夜を越したジル。

決して自分からヤマトを誘った訳ではなく、ヤマトを守りたいが故の無抵抗ではあったが…、やはりどうしても心に引っ掛かりが出来てしまった。

最後までは至らなかったが、そんなのは関係無い気がした。


 だが素直にギルトに告白するのは躊躇われた。

どれ程事情を訴えたとしても、ギルトがヤマトを許すかはグレーだ。

それにもし許してくれたとしても、ヤマトが政府として生きていく道は断たれるだろう。

…もしそれさえ温情で許されたとしても、ギルトとヤマトが相容れる日など来る気がしなかった。

そんなギスギスの、心の奥に引っ掛かりがある関係を目の前で見ていく事に自分が堪えられなくなるのは、目に見えていた。



(でも、黙っているのも辛い。)



 ヤマトの味なら、ギルトが塗り替えてくれた。

キスの味も愛撫の味も、やはりギルトだけが自分にくれる最上の快感だった。


だが黙って上塗りさせてしまった事が、また彼女の引っ掛かりになってしまった。



(ハア。…なんで私って、昔からあーだこーだとウダウダウダウダ悩むんだろ。)



 下着も身に着けず、薄いワンピースを羽織ったままベッドにデーンと寝転がり続けるジル。


 ギルトは書類に目を通しつつもそんなジルを時折チラチラと盗み見て、意を決し口を開いた。



「…コホン。…姉さん?」


「んーーー?」


「珍しいね?、白いドレスなんて。」



 ギルトがベッドの横を指差し、ジルは昨日着てきたドレスを見つめた。

白地に金の刺繍の入ったこの綺麗なドレスは、遠い昔に母がくれた物だった。



「…似合わないかな?」


「まさか。…私は黒よりも好きだ。

あ、いや、黒が似合わないと言ってるんでなく、引き締まりのある黒も勿論素敵なんだが、親衛隊の白がとてもよく似合っていたのが印象的で、やはり綺麗に見えてしまうというか。」


「分かってるよゴメンゴメン。」



 ギルトは乾いてきた髪を整え、また意を決した。

先程から彼が訊きたいのは、何故突然王宮から出る気になったのか。という事なのだ。


だが繊細な内容なだけあって、どうしてもストレートに訊くのは躊躇われた。



「……」


「……」



 ジルはちゃんと察していた。

彼が疑問に抱いている内容を。

それに昨夜、自分が執務室に来たというだけでギルトは本当に嬉しそうに笑ってくれた。


 その笑顔を思い出した途端、ジルは自然と口を開いていた。



「昨日の新人のヤマト…さ。」


「?、…彼が何か?」


「彼さ、…ヤマトだったよ。」


「!?」



 バッ!!と勢い良く振り向いてしまったギルト。

視線の先のジルは、これでもかとニパ~っと笑った。



「よ…良かったじゃないか姉さん!!」


「ありがとねギルト~!!」


「信じられない!、こんな奇跡があるなんて!」



 ギルトはジルを抱き上げ喜んだ。

本当に自分の事のように。

ジルも最高の笑顔でギルトの腕に抱かれた。



「本………っ当にありがとねギル!」


「…いや~…まさか、…なあ。

正直聞いていた特徴と余りに違うので、別のヤマトとばかり思っていたが。」


「私もビックリさ。…それでねギルト、それについて話がある。」



 ギルトは興奮冷めやらぬままジルをまたベッドに下ろし、隣に座った。

 ジルは今さっきまで悩んでいたのが嘘のように、しっかりと話した。



「実はヤマト、あの時茂に血を貰ったらしいんだ。」


「…血を?」


「そう。…茂は事情を知らないままだったでしょ?

だから多分…ヤマトを逃がす為に能力を与えたんだ。」


「…そうか私から逃がす為に…か。

確かにあの時の兄さんならばそうする…か。

…それにしても、まさか伴侶以外の者に血を与えるなんてな。」



 その理由なら、ジルには分かっていた。

自分が『ヤマトが居ない』という、たったそれだけで心が参ってしまったのと、同じだと。



「…ふふ!」


「うん?」


「茂はさ?、ヤマトを息子として可愛がってたんだよ。」


「! …そうか。」



『だから姉さんも。…だったんだね?』

 ギルトは優しく笑いジルの肩を抱いた。

心からおめでとうと思いながら。



「私も彼と話さねばな。

…彼と会ったのは第二期の真っ只中で。……」



『きっと私を恨んでいるだろう』…と思ったギルトだったが、ヤマトが政府入りしてから二年。もう何度となくヤマトとは顔を合わせてきた。

だがヤマトからは、自分を恨んでいる片鱗を一切感じなかった。



(だとしたなら…余程狡猾なのか、それとも。)


「でね、ギルト?

昨日再会した時、あいつおかしくて。」


「…どういう意味だ?」


「茂の血を飲み過ぎて、自我が飲まれてるんだ。」


「!」


「アンタについても完全に勘違いしてた。

…多分、茂が死んだショックから立ち直れてないんだ。」


「……」


「…そんで私の事が茂と同じように、女に見えるとか言い出して。」


「…… んん!?」


「茂は私にメチャ惚れだったじゃん?

だからなんか勘違いしてるっぽくてさ~!

いや~参った参った!」


「……姉さん?」


「何もなかったよ!?、誓って言う何もなかった。

…とにかくだ!、私はこれからあの子に血のコントロールを教えてあげたいのね?

だから温かく~?、…見守ってあげてほしいと申しますか…。」


「……」


「……ダメ、かな?」



 ギルトは真顔でジルと目を合わせ続けた。

ジルは『勢いで言っちまった!』と少々ドキドキしながらギルトの決断を待った。

『彼なら分かってくれる』と信じて。



「…… …ハァ。」



 暫くするとギルトは小さくため息を溢し、『それは奴次第だ』と告げた。

ジルは一瞬緊張し、その言葉の意味を聞いた。


するとギルトは目を細め、ジルの腕を掴み手首を見せ付けた。



「…私がこの肌の赤みに気付いていないとでも?」


「!」


「まさかヤマトの行い故とは夢にも思わなかったがな。」


「ち…違うんだギルト!!

本当にヤマトは今…疲れきってて!!」


「だから『奴次第だ』と言ったんだ。」


「……」


「もし次に君を傷付けたなら。 ……」


「……」


「…だがもし奴が改心し、努力するならば。

…事情が事情なんだ。私も咎めん。」


「…!」



 ギルトは眉を寄せながら立ち上がり、クローゼットを開けてシャツを取り出した。


ジルは放心しつつ、『大丈夫だっ…た?』とじっとギルトの着替えを見つめてしまった。


 ギルトはシャツを着てベストとタイを取り出すと、パタンとクローゼットを閉め、ゆっくりとジルに向き直った。



「念のために確認するが、…ジル?

本当に。本当に、何も、…無かったんだな…?」



ビクッ!



 ジルの反応にギルトは目を細め。

ジルは何処まで話していいのか、詳細を話すべきなのか分からず……。



「……襲われはしなかった。」


「! ……」


「ただ、…キスと、…ちょっと、……」


「………」


「ちょっと…触られただけ。」



 明らかにギルトの雰囲気が変わったが、ジルはしっかりとギルトと目を合わせ、向き合った。



「あいつは自分から止まったんだ。」


「……」


「私は正直、……何処か諦めていたのに。」


「…何故。」


「……天秤になんて掛けられる筈がない。」


「……」


「だからもう…ヤマトが生きててくれればいいって。

…馬鹿だよな。…もし最後までしてしまっていたら、きっとあの子、堪えられないのに。

…でも確かに止まろうとしてたんだ。本当に。

でもアンタへの心の蟠りが…変にあいつの背を押しちゃうみたいで。」


「……」


「あの子は私の事なんか好きじゃない。

…好きになる筈がない。

あいつを暴走させるのは…、茂なんだ。

だから自分と茂とのボーダーを明らかにする術を学べば、絶対にもう大丈夫な筈なんだ。」


「……」


「……お願い。…ギル。」



 懇願するようなジルの瞳に、ギルトはベストを羽織りタイを締めた。

そして大きくため息を溢すと、もう一度しっかりとジルと向き合った。



「先にも言ったが、それは奴次第だ。」


「……」


「碌に己の行いに後悔もせず、虎視眈々と私を狙うようならば。…私にも考えがある。」


「っ、」


「だが、…もし勇気を持ち己と向き合い、そして努力すると言うならば、…私は咎めない。」


「! …ギルト。」


「罪の形は違うが、私だって散々己を自責し、追い詰め、疲れ果てた頃があった。

…過ちはもう、どうにもならない。

だが私は多くの理解に支えられここまで来られた。

ならばヤマトにも多くの理解が必要であり、そして努力する姿勢があるのなら…

私からはそれ以上言える事は無いだろう。」


「ギルト!…~~っ、ありがとう!!!」



 ジルは軽くなった胸でギルトに飛び付いた。

だがギルトは軽くジルの腰を抱くと、ジルをベッドに押し倒し手首を押さえ付けた。


熱い目線が繋がった瞬間、ジルはギルトが男としては激怒していたと気付いた。



「今夜は覚悟してもらおうか。」


「!」


「正直、私が譲歩出来るのはここまでだ。

…姉さんが王宮から出られた事を踏まえてもな。」


「…はい。」


「正直に告白してくれたのは嬉しかった。

…だが私もこれで男なのでね。

……いつものように優しく、なんてのは期待しないでもらおう。」



 凄み、ジルを解放したギルト。

ジルはベッドに倒れたまま、『スッゲードキドキした。…なんて言えない。』と真顔で天井を見つめ続けた。



「…ほら朝食にしよう。」


「あーい。」


「……気の無い返事だな。

別に私は今日の全てをほっぽりだして今すぐ君をメチャクチャにしてもいいんだが?」


「……それ、気になるなぁ。」



 つい口走った言葉に、『ほう?』と頬をピクつかせたギルト。

本当にタイを弛めながらこちらに向かってきたギルトに、ジルは焦り『待て待て!』と手を向けた。

だがギルトは上体を起こしたジルを押し倒し、キスをして体に触れた。



「待て待て長官!」


「…たまにはいいだろう。」


「長官の台詞じゃないよっ!?

おち…落ち着けって!、…なっ!?」


「君が挑発したんだろう(笑)?」


「だだ…だってそれはさ!?、惚れた男にそんな風に言われたら誰だってキュンと」


「ほーう?」


「待て…まってって💦」


「いやだ。」



ストン!!



 窓の外を通った影に二人はバッと窓を見つめた。


 オルカはジルの上に馬乗りになっているギルト、そして足を開いているジルを確認するなりボンッ!と顔を爆発させ、『しまった!?』とグルンと回れ右した。



バクバクバクバク!



(ど!?、どーしよ!?)



ガチャン!! ガバッ!!



「オルカ様…!!」


「!」



 後ろから勢い良く抱かれ、オルカはハッと目を大きく開けた。


 ギルトは成長し容姿が変わってしまったのに、一瞬でオルカだと気付き迷わず窓の外へ駆け出しオルカを抱き締めたのだ。



「~~っ、…オルカ…様!!」


「…ギルト。」



 ギルトは震えていた。

『会いたかった』と何度も震える声で絞り出した。


オルカも三年抱き続けた想いが爆発し、泣きながらギルトの腕から出て、彼を自分から抱き締めた。



「…!」


「~~…っ、…会いたかったよギルト。」


「っ!! ~~っ、」


「ただいま。ギルト・フローライト。」



チュ…



 ギルトの頭を掴み無理矢理しゃがませ、オルカはギルトの額にキスをした。

そして満面の笑みをギルトに見せると、『ジルさん!』と部屋に駆け入り彼女を腕に抱いた。


 大きくなったオルカに抱き締められたジルは、放心しつつもオルカの背に腕を回し、強く強く抱き締めた。



「…お帰りオルカ。」


「うん。うん!」


「……も、…」


「…!」


「勘弁して! …こんな…の!」



 オルカは初めてジルの涙を見た。

気丈に振る舞う癖がある彼女が、自分の腕を掴んだまま堪えきれない涙を流してくれるなんて…。

素直に嬉しかった。


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