第119話 分かち合う涙

カツン… カツン…



 ヤマトは日が傾く中、とてもゆっくりと家を目指し歩いていた。


 今の彼には、煙草を吸う余裕も無かった。

ジルにしてしまった行いへの後悔と罪悪感に、ひたすら蝕まれていた。



「……ハァ。」



 明日がウツかった。



「…どうしよ。…はは。……しにた。」



 本当に死んでしまいたかった。

彼女にしてしまった事もそうだが、王宮付きになるという事はギルトとの接点も増えるという事だ。

 これまで、ギルト単身ならばニコニコと猫をかぶっていられた。

『マスターを殺した癖に』とどれ程心の中で増悪を膨らませようが堪えてこられた。

…だがそこに、ジルが居たなら?

今日のように暴走しない自信が無かった。



カツン… カツン…  カツ…



…俺が制服になったのは、復讐のためだ。

あいつの側近になり、あいつの罪を世界に知らしめ…、そして殺す為。


その為ならなんだってやってやる。

今だってその意思は潰えてない。


…けど。



『大丈夫だよヤマト。

私も疲れてたからよく分かる。

アンタはね?、疲れきってるんだよ。』



襲われかけた体で抱き締められて、あんな風に言われたら……

…いやもう、あれは襲ってんだろ。

裸にして舌を絡めて。……


…なんで叫ばなかったんだ。

なんで…!、婚約者だってんなら!、しかも政府長官なんだぞ!

俺なんか一瞬で視界から消し去れ



『生きててくれて、ありがとう?』



…っ、………


…そうだよな。…出来る筈ないよな。

なんだかんだ情の厚い人なんだから。

…そういうところが、俺も好きなんだから。


でもさ、もう分かんねえよ。

アンタの優しさに甘えていいのか…?

そんなんでいいのかよ、俺!!



『マスターを…殺したくせにッ!!』



…死ねない。

あいつを殺すまでは、絶対に死ねない。


…けど!!、それ以上に今はっ、許せない!!

アネさんを傷付けた自分が…憎くて…憎くて!

憎くて憎くて気持ち悪くて仕方ない…!!!



……ドサ!!


「ツ…!!」



今すぐこの喉を…ッ、掻き切ってやりたいッ!!!



「も、  … 」



どの面下げてアネさんの前に…!

…もう二度と顔なんか見せちゃ駄目だ。

…もういい。今すぐ死のう。

その方がアネさんは幸せになれ



『また明日なっ?』


『……』


『また居なくなったら、今度こそ許さないから。』


『!』


『…また明日。

アンタが来るの、楽しみにしてるっ!』



 別れ際にニカッと笑ったジルの顔が、言葉が甦り、ヤマトはどうにも出来ず地面に突っ伏した。

悔し涙が勝手に溢れ出て、どうしたって止められなかった。


 もし彼女の笑顔が無理矢理絞り出したものだったなら、無理をして作った笑顔だったなら、ヤマトはここまで苦しまずに済んだ。

『嘘を吐かせてしまった。もう彼女には会えない』と決別を決められただろう。


だが彼女の笑顔は、心からの笑顔だった。

茂の記憶でも自分自身でも何度も見てきた、嘘偽りの無い彼女らしい本音だった。



「なん…だよ!!、ソレ…!!」



 ギルトへの憎しみと、彼女への愛情と。

…彼女から向けられた愛情と。


まるで、決して織り交ざらない光と闇を無理矢理体の中に押し込めたような。

吐き気を催す感情達の鬩ぎ合いにヤマトの心は苦悶に支配されたが、…彼は立ち上がった。



「……帰んねえと。…モエが…待ってる。」



 彼はジルの見抜いた通り、疲れ果てていた。

三年前のあの日からずっと、『茂は自分の所為で死んだのだ』と。『俺が殺したようなものだ』と自分を責め続け、もうズタボロだった。

更にはギルトへの憎しみがどうしても払えず、復讐のためだけに身を粉にして勉学に励み、働いてきた。

その上、ジルに抱く気持ちが自分のものなのか茂のものなのかも分からず…。



カツン… カツン…



 それでもヤマトは家に帰るために必死に歩いた。

モエの嬉しそうに食べたいものを聞いてきた顔を、絶対に裏切ってはならないと。



カツン…



(…着いた。……気、引き締めろ。

せめて今日くらい…最後まで、怒らせずに…)



 そんな彼の前に、石は舞い降りた。



スゥー… ストン。



 余りに突然の出来事にヤマトは全く反応出来なかった。



「よっと! …取りあえず置きっぱでいいか。」


「…… …」


「えっと、ここで合ってるよ…な…… 」



 二人の視線が繋がった。

互いに背が伸び顔も変わり…

全く違う人生を歩んだ兄弟が、再会した。



「……ヤマト…?」


「……まさか、…オルカ?」



 オルカがパアッと笑い自分に向かって走るのがスローに見えた。

今の姿に幼い姿がかぶって見えた。



「ヤマト!!」


「…………」


「久しぶり!!、久しぶりだね!!」


「…………」



 自分より背が伸びたヤマトを抱き締め再会を喜んだオルカだったが、ヤマトが余りに無反応で体を離した。



「…!」


「………」


「……ヤマト。」



 ヤマトはボロボロと泣いていた。

力が抜けた顔で、何粒も何粒も大粒の涙を落とし続けた。


 その顔を見ただけでオルカの胸は激痛を放った。

…見れば分かったのだ。

ヤマトが壮絶な三年を送ってきたことが。



「…突然消えて、ごめん。」


「……」


「…でも。…… …ただいま。」


「つ…!」



 ヤマトはやっと温かい涙を流せた。

憎しみや悲しみや自責の涙ではなく、心が溶け出すような涙を。



「…お帰…り。…オルカ。」



 誰かと分かち合う涙を。



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