第116話 血に苦悶した先

「制服よく似合ってる!

まさか『記録的快挙の制服』がアンタの事だったなんてさっ?、思いもしなかったよ!」


「ハハ!、なんかそうらしいね?」


「…デカくなったなこのこのっ!」


「髪を乱すな~💧」



 涙が落ち着くと、二人はソファーに座り語り合った。

 ついジルは昔のようにヤマトを子供扱いしてしまった。

頭をガッシガシと撫でたり、足先で小突いてからかってみたり。

だがその度にヤマトが返してくる表情が大人びていて、彼の成長をひたすら感じた。

『15から18の三年て本当に凄い!』と感動した。


 ソファーの腕置きに肘を乗せ、足を組みながら昔のように元気に話すジルに、ヤマトは『変な感じ』と違和感を感じていた。

トークと態度に似合わないのだ、ドレスが。


それに記憶の中の彼女と今の彼女は、本当に変わっていなかった。

若く美しい女性のままだ。



「あ!?、今日誕生日じゃんよヤマト!?」


「…まあね?」


「去年今年と用意してないよプレゼント💢!

だって辛かったんだもん許せよな!」


「はいはいスンマセンでした。」


「後であげるっ💖!、…何が欲しい?」


「いいってそんなん」


「何が欲しいかって聞いてんだよ。」


「なんで脅すんだよ。」



 彼女が自然体に話せば話す程、胸が軋んだ。



「………」


「…ねえ。彼女いんの?」


「…なんで?」


「だってカッコイイじゃんアンタ。」


「…居ないよ彼女なんて。」


「うっわつまんねえの!」


「つまんないとか言う?」



…ごめん。



「……あのさ、…ヤマト?」


「…なに。」


「……聞いてもいい?」


「うん。なに?」



ごめんアネさん。…ごめん。

マスターが死んだの、……俺の所為なんだ。



「私に、会いたく…なかった?」


「…!」


「私はアンタに会えて嬉しいよ?

でも、…ね、ほら。……もう三年だから。

…会いたくなかったなら、なんかごめんね?」


「違…」



『違う』と否定しようとしたのに、口ごもった。

本当は避けていたからだ。


 だがその理由は、彼女に会えなかった理由は、彼自身向き合いたくないもので…

ヤマトは口を縛り、顔を逸らしてしまった。


 ジルは、何故ヤマトが自分を避けたかったのかはいまいち分からなかったのだが、何か理由があるんだろうと深追いはせず、ゆっくりと深呼吸した。

彼の気持ちを尊重するべきだと思った。



「…会えてよかった。ありがとね?

でもこれからは無理しなくていいから。

…私もアンタに心配かけないように、…うん。

これからは大丈夫だから!」


「………」


「イルにもちゃんと顔だけは見せてやってね?

…あ。ギルトにも見付かったって教えないとな。」


「ツ…!!」



 だが気まずい顔から一点、ギルトの名が出た途端にヤマトは顔を強張らせ拳を強く握った。

血管が浮き出る程強く握られた拳は、僅かだが震えてさえいた。


心はあっという間にどす黒く染まり、ヤマトは今さっきとはまるで別人のような顔をジルに向けた。



「…俺からも聞いていい?」


「ん、なに?」


「なんであんな男と婚約したの。」


「…! ……」


「…マスターのこと、愛してたんじゃないの。」


「…ヤマト、落ち着いて聞いて。」


「あいつが何したかも知らねえでッ!!!」


「っ…!」


「ハッ!、…マスターが哀れだよ。

アンタは知らないだろうけどな!?

マスターは殺されたんだ!!、ギルトに!!!」


「…!」


「どうせ何も聞いてなかったんだろ。

あの卑怯者はっ、マスターを殺すだけじゃ飽き足らずアンタを騙したんだよッ!!!」



 ヤマトは立ち上がり怒りを露にした。

思い出すのは三年前のあの日、茂の胸を貫いたサーベルだった。



「俺を守って…俺の所為でマスターは…!!」


「!、違う…ヤマト!!」


「違わねえよ!!!」


「っ、」


「…俺さえ居なきゃ、マスターが負ける筈が無かった。

俺の所為でマスターはあいつに背を向けなきゃなんなかったんだッ!!!」


「ヤマト!!」


「~~ッ!!」



ドサッ!!



 ソファーに押し倒され、ジルは目を大きく開けた。

顔にも胸にもヤマトの涙がポタポタと滴り落ちてきた。

 だがそんな弱々しさとは対照に、手首は信じられない程強く押さえ付けられていた。



「~~っ…俺が…マスターを殺したんだ。」


「っ、…違うのヤマト。…ねえ、違うの。」


「……それなのに。」


「ねえヤマト、お願い聞いて。

ギルトは茂を殺そうとなんて」


「ハ…?」


「っ、」



『二つの顔』、ジルはそう思った。

 ジルの知る優しいヤマトの顔の裏に、禍々しい程強烈な一面を持った顔が覗くのだ。

それは『ギルト』という名を聞く度に顔を覗かせた。



「殺そうとしてなきゃ許されるわけ?」


「つ…!!」


「…どいつもこいつもどうかしてる。

…大崩壊を引き起こした張本人を、まるで英雄のように祭り上げて。

…何が『危機は去った』だ。

何が『皆で平和を築いていこう』だ。

全部全部オルカの恩恵の癖に。

あいつは壊すだけだったのに。…二枚舌も良いとこだよ。」


「…ヤマト…」


「…そんな男と婚約したアンタは、もっと哀れだよ。」


「! ……」


「何も知らなかったんだろ?、騙されてたんだろ?

…分かってるよ大丈夫。

俺がアンタの目を覚まさせてやるから。」


「何言って… !!」



 突然唇を重ねられたジルは、抵抗しようと腕に力を込めたが動けず、必死に顔を振り抵抗した。

だがヤマトは片手でジルの手首を拘束すると、彼女の顎を持ち自分に向かせ無理矢理に唇を重ねた。



ドクン…!



「…!」 (…え?)



 だが何故なのか、子供としか思えていない筈のヤマトに対し心臓が大きく跳ねた。


するとヤマトは唇を離し、優しく微笑んだ。



「それでいいんだよ。アネさん。」


「…退けヤマト。

今なら若気の至りで忘れてやる。」


「……名字持ちの血は…」


「退けヤマト!!」


「名字持ちの血を大量に飲むとどうなるか。

…知ってる?」


「…!」



 蹴りを入れる準備をしていたジルは、ヤマトの言葉にバッと顔を上げた。

ヤマトはそんなジルと僅かに目を合わせると、今度はジルの首筋にキスをした。


ジルの体をゾワッとした悪寒と共に、懐かしいような快感が僅かに走り…

彼女は訳が分からず、自分の感覚を拒否するように抵抗した。



「やめ…て!!」


「アンタ達の血は…飲みすぎてはならないんだよ。」


「離して!!…お願い…ヤマト!?」


「だって、……その人になってしまうから。」


「…!」



 ジルは目を大きく大きく開き、耳を疑った。

 ヤマトはジルの首筋から離れ、彼女と目を合わせた。



「…俺がこんなに優秀な筈ねえじゃん。」


「………」


「全てにおいてトップなんだぜ?

…自分で言うのはなんだけど、あり得ねえよ。」


「……まさ…か。」



そう。俺はあの時、マスターの血を飲んだ。

心臓を貫かれ溢れ出た血を。

…それは一滴なんて量ではなかった。

何度もゴクリゴクリと喉を通る…あの飲みづらい鉄の味なら、今でも思い出せる。



「あの日から俺は、マスターになったんだ。」


「…………」



始めこそ気付かなかったが、確かにマスターは俺の中で生き続けていた。


栄養価の高い食べ物が自然と頭に浮かんだから、その日暮らしでも一ヶ月持ったし、海堂さんの養子になるのが制服への最短だというのも簡単に導けた。

勉強だって少しやれば全部覚えられた。

剣なんて、武術なんて、誰かに教わる必要さえなかった。

もう何年も何年も鍛練してきたかのように体が勝手に動いてくれるんだ。


それにいつの間にか、マスターの記憶まで見えるようになっていった。

王宮内部を、アネさんの自室を知ってたのも記憶で見たから。

…マスターが再婚だったのも記憶で知った。


…そして、アネさんとのことも。


マスターが本当にアネさんを愛していたのが、自分の心臓で分かるんだ。

アネさんの事を考えれば勝手に胸が熱くなり、心臓が自然と高鳴った。



そしていつからか、自分とマスターのボーダーがどんどん曖昧になっていった。



自分の意志で動いているのか、マスターの意志で動いているのか。

俺は俺だという自覚は確かにあるのに…

自分好みでない食事を欲する度に、記憶の中のアネさんにしか胸が踊らない事実に……



「会うのが、…怖くなった。」



アネさんと再会した時、もしアネさんが女に見えてしまったらと、…怖かったんだ。


だがその一方で、もう一つある心は叫び続けた。

『ジルに会いたい』…と。



「…大当たりだ。

…こんなたまらないキスがあったなんて。」


「……………」


「アンタだって、……感じてんだろ?」


「っ…」


「俺に対し、拒絶と許容があるんだろ?

…相反する心が。

それは正しいよ。俺の中でマスターは生きてる。」


「…………」



……もう、終わりだ。



「だからさ、…俺にしときなよ。」


「な…」


「あんな男やめて、俺にしなよ。」



もう…引き返せない。



「その方が幸せだって。

…あいつがマスターを殺したの、知らなかったんだろ?

だったらしゃーないって。

…フッちまえよ今からでも。

そんで俺の女になって…?」



心のボーダーはもう……無いんだ。



 ジルは胸で呼吸しながらも、グッと口を結びヤマトを睨み付けた。

その気の強い態度がまた、ヤマトをそそった。



「馬鹿言ってんじゃねえよ。」



人を哀れな女扱いしやがって。

…茂の魂に飲まれそうだってんなら、先ずはその口から治して出直して来いってんだよ。



「私が騙されてるだの何だの。アンタの妄想に私を巻き込むな。」


「…は?」


「茂がどう死んだのかなんて、私もイルも知ってるよ。」


「!!」


「その上で私達は和解したんだよ。

大崩壊だってな、… …陛下から話を聞かされたのが私だったなら、きっと私が陛下の首を跳ねていた。」


「ハ…?」


「そん位の裏が、真実があるんだよ!!

それを勝手に好き放題言って!!

…私はね、大崩壊前だってギルトと婚約してた。」


「知ってんよんな事はッ!?」


「今回想いを打ち明けたのは私からだ。」


「…は?、…いや、…あり得ねえだろ。」


「いや?」



茂の死と、ヤマトの行方不明と。

…私は疲れ果ててしまった。

けれどギルトはいつだって私を勇気づけてくれた。

『きっと大丈夫さ』『すぐに見付かるさ』と。

その言葉の通り、ギルトはヤマトを探し続けてくれた。


名前が一致しているけど、私の話したヤマトとこのヤマトは似ても似つかない。

…だから気付けなかったんだろう。

『直情的でお調子者のヤマト』としか、私から聞かされてなかったんだから。


今でもギルトはヤマトを探し続けてくれている。

私と同じように、無事を信じてくれている。



「そんな人柄に素直に惹かれたんだよ。」


「つ…!!」


「だからねヤマト。……

確かに今の私の中には二つの心がある。

アンタを拒否する心と、受け入れたくて仕方ない心がね。」


「……だったら」


「でも私はギルトを絶対に裏切らないよ。」


「っ、……へえ!?」


「愛しているから。」



…今なら分かるんだ。茂の気持ちが。


私に『過去から解放されてほしい』と真剣に話してくれた…茂の気持ちが。



 ジルはヤマトを睨み付け、改めて告げた。



「私はギルトと結婚する。」


「………」


「アンタは私の中で男じゃない。

…アンタだって、本当は私の事を女としてなんか見れてない筈だよ。

…心を強く持ち、本当の自分を取り戻して。」


「……」


「…本当はこんなこと、したくないんでしょ…?」


「…っ、」



 ヤマトがぐっと口を結び、『ほらね?』とジルは苦笑した。

彼女には分かっていたのだ。

ヤマトは女性に無理強いなど出来ない性格なのを。

ヤマトが茂の意志に、血に振り回され、疲れ果てているのだと。



「……ハ。…何だよ…それ。」


「ヤマト?、茂を大切に想って…心を消さないでいてくれて、ありがとう?

…でももう、いいから。

アンタはアンタで生きていいんだ。」


「………」


「その能力は…茂からのギフト。

でも全てが全て茂の力じゃないんだよ…?

アンタが努力したから…今のアンタがあるの。

…それをわざわざ否定しなくていいんだ。

アンタはアンタなんだよ…?」


「……」



 どんどん手首を押さえ付ける力が弱まり、顔からも力が抜けてきて…、ジルはまた泣きたくなった。

『本当に優しくて、昔のまんまだ』と思った。



「…ほら。……起きて、仲直りしよ?」


「……」


「血の扱いやコントロール、教えてあげる。

…今よりずっと楽になれるから。」


「……」


「……泣かないで、ヤマト。」


「…!」


「私まで…泣けちゃうだろ。」



 ヤマトの涙が胸に落ちてきた。

彼は強張る体を必死に落ち着け、遂にジルを離そうとした。



コンコン!



『ジル…?』


「!!」


「!」



 だがノックと共にギルトの声が聞こえた途端、ヤマトを真っ黒な感情が覆い尽くした。

ジルはまた強く掴まれた手首にハッとした。



コンコン!



『……ジル?、居ないのか?』



 ヤマトは腹の奥底から押し上げてきた憎悪に、フッと片方の口角を上げた。

そしてジルの耳に口を近付け、囁くように呟いた。



「あんな男のものになるくらいなら。」


「…!」


「今ここで、……手に入れてやるよ。」


「っ…!?」




 ギルトは首を傾げ、ジルの個室を後にした。

『また理の間か?』と歩きだす彼に、ジルの声は届かなかった。


彼女はギルトに助けを求めなかったのだ。

それどころか、暴れる事もしなかった。

もし彼女に乱暴しているところなど見られたら、ヤマトが処刑されてしまうからだ。



 キスも愛撫も不快と快感が織り交ざり…、それこそが不快だった。


諦めたように大人しい彼女を前に、憎しみに支配されたヤマトは構わず進めたが…



「………」


「………」



 最後の最後で、する事は出来なかった。



「……ご… …」



 裸で停止し頭を抱えたヤマトを、ジルはそっと腕に包んだ。


襲われる寸前だったというのに、彼女はヤマトを許し、その心を慰めようとした。



「…いいんだよヤマト。

…止まってくれて、ありがと…?」


「ごめ…!!、…ごめんな…さ!」


「いいの。…大丈夫。」


「ごめん…アネさん!!」


「だーかーら、いいって。

…いーい女だろ私っ♪」


「……全然笑えねえ。」


「ハハ!」



 裸で抱き締めていると、何故かもっとヤマトを愛しく感じた。

止まってくれた事も含めて、感謝が胸を充たした。



「生きててくれて…ありがとう。」


「…!」


「まだ若いんだ。過ちの二つ三つ四つ五つあるさっ?」


「……笑えねえ。」


「いいから笑え。」


「……」


「…かーわーいーいっ💖!」


「マジでヤメテ。」


「罪滅ぼしと思って大人しく抱かれとけボケが。」


「……はい。」



…サイアク。

襲いかけといて…慰められるとか。

…さっきまで酷い事してたこの体が、俺を抱き締めてくれてるとか。

…あり得ねえ。…マジでこんなの、あり得ない。



「は~~!、……次はねえからな。」


「肝に銘じます。」


「よろしい♪」



……女って、強い。


アネさんは、……ほんと、強い。



 この事は二人の秘密になった。

 確かに最後こそ踏み止まったが、ヤマト的には自分を裁いてほしかった。


だがジルは『いいんだよ?』と笑うだけで、ヤマトを裁く事を拒否した。

ただ『秘密ね?』と、それだけを約束した。



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