第97話 夜空と海と狭間の一時

 三人は布団の上で一時間程雑談をすると、ヘッドホンを外し耳栓に替え、寝た。

このヘッドホンはヘリの轟音の中で人と喋る為と、耳栓の役割を果たしている。

なので起きている時はいいのだが、寝るには適さないのだ。


 意外にもオルカはすんなりと眠った。

離陸時は『絶対に吐く』と思ったのだが、ヘリの速度が一定となると振動もほぼ無く、揺れも無く、意外にも快適な空の旅となったからだ。

藤堂曰く、それこそが初代BEASTの魅力なのだとか。

この巨体だからこその安定性があり、そしてこの巨体なのに実は小型ヘリよりも何倍も運転性能が良く小回りが利くそうで。

…柳は藤堂よりもBEASTの性能について詳しく説明してくれた。

本当に好きなのだろう。


凜はそんな柳に『自衛隊好きな芸人さんが番組の企画でいらっしゃって…』なんて藤堂が昔話してくれたな~…と思い出にクスクスしていた。


 そんな凜も今はスヤスヤと夢の中だ。

彼は移動が多い生活をしているので車中泊などが得意中の得意な上に、ふわふわの布団まで敷いてあるのなら、ただのホテルとしか思えなかった。


 だが柳は眠れなかった。

何をしていても、門松に殴られた頬が痛むのだ。

それが怪我の痛みではなく、心の痛みなのは流石に気が付いていた。



…カチャ。



「…すんません、ちょっといいですか?」


「おや柳殿。…眠れませんか?」


「はい。…だからちょっとお喋りに付き合って貰えません?

あ、運転の邪魔なら遠慮無くそう言って頂いて」


「いえいえ大丈夫ですよ?

こんな航路、訓練に比べれば眠っていても楽勝です。」


「ハハ!」



 柳はヘッドホンを着け起き上がり助手席に向かった。

成人男性が機内を歩こうが、BEASTは微かも揺れなかった。



…ストン。



「……うわあ。…コックピットヤッベ~!!」


「ふふ。一警官が座れることは滅多にないですからね?、貴重な経験となりましたね?」


「はい。スッゲー…感動する。」



 柳はほう…とフロントガラスの外の景色や、コックピットにある山程の機器、ボタン、レバーを見詰めてしまった。

どれもこれも写真では見たことがあったが、当然生で見るのは初めてで、感動がとんでもなかった。


 だがすぐに心に影が射した。

 藤堂はじっとそんな柳の表情の変化を見つめ、ふと口を開いた。



「蒼から貴殿の事は聞き及んでおります。」


「…『ソウ』? …ああ、夜明さんすか?」


「ええ。……」


「…なんすかその間。

まっあの人のことだから、どうせ『クソ生意気な奴』だの『トラウマ持ち』だの『マザコン』だの… 」



『いや、そんな事は言わないなあの人は。』

 そう思いフッ…と言葉を消した柳に、藤堂は口角を上げ話した。



「蒼は本当に昔からユニークで。

…物事を見る目が、着目点が他者とは明らかに違うのです。

勉学において成績は中の上程でしたがね、とにかく頭の回転が早く素晴らしい洞察力を備えていて。」


「…へえ。……ぽいです。」


「そして、本当に優しくて。」


「……」


「…時に優しすぎて何度もトラブルを。

基本的に人と人の間に立つのが得意なんですがね?、一度火がつくと止められなくて。

…一体何が彼をそこまで突き動かすのかと、彼の祖父は不思議そうにしておりましたが、私共からすれば…、当然の事のように思えていました。

…祖父にそっくりなのですよ。

祖父もそれはそれは……暴君で。」


「プッ!?」


「頭がキレてキレて。…でも明るくて。

かと思えば本当に口が悪く、殴ると決めたら殴り通すような。」


「ハハ!、いーい性格してんじゃないですか。」


「そしてやはり、本当に優しくて。

…山の事件を止めに行った刑事の一人だったんですが、…彼は盲目な少女を安全な山の麓に下ろす為に、自分で左手を捨てたのです。」


「…え?」


「火炎弾を放ったのはBEASTだと言いましたね?

実はそのBEASTに乗っていた自衛官のリーダーが、不時着後に山にミサイルを発射したんです。

…何発も何発も。

理由は、『悪政政府を憎んでいたから』。

…彼は山の住民が悪魔の…悪政政府の残党だと信じて疑わなかったのです。

…自暴自棄になった彼が放ったミサイルが、盲目の少女の腕を引く祖父の側に着弾。

彼は少女を抱きゴロゴロと転がされ…」


「…………」


「最後には、折れた二本の木に左手を挟まれ止まった。

…彼は後程言っていたそうです。

『俺は特別な事なんかしてない。

彼女が一人で麓に行くには障害が多すぎた。

だから障害が無くなる場所までは共に行く必要があった。』」



 柳はゾッとして手を揉んだ。

つまりそれは、『木に挟まれ動けなくなったから自分で手を切断した』…という事なのだ。


同じ警察官として、そこまでの正義感や義務感、そして犠牲の精神が自分にあるとは…、到底思えなかった。



「蒼はそんな祖父の血を見事に継いでいる。

『人の内面を見抜く』という、一見すれば直感だと思いたくなる能力も、実は相手の顔相や表情筋の動き、目線、声のトーンや体全体のアクションを分析し結論を出しているんです。」


「!」



『俺、人を見る目はピカイチだぜっ?』



「ですが蒼はそんな知識や経験をひけらかさない。

基本的に非常に軽いトークをしますので、相手はまさかそこまで自分を分析されているとは露にも思わない。」


(…ですね。)


「そんな彼が『君が欲しい』と言ったのなら。」


「っ!」


「君は非常に能力が高く、そしてきっと、優しいんだと思います。」



 パッと顔を向けてきた柳に、藤堂はにっこりと優しい笑顔で返した。

そして、分かっていたかのように話した。



「…痛むのでしょう?」


「っ!!」


「…門松さんという方に。…ですか?」



 柳は顔を伏せ、ゆっくりと息を吐きながら真っ暗な景色に目を移した。


所々に見える遠い光は、何処かの島のものだろう。

下に広がるのは真っ黒な海で、海とは思えない程の闇色をしていた。



「信念…ってのが、こんな俺にもあるとしたなら。

…それは間違いなく、…門松さんで。」


「……」


「唯一譲れなかったもので。

唯一叶えた夢で。……唯一、やり遂げられる可能性があったもので。」


「……」


「…それなのに、憧れちゃったんすよ。

夜明さんて存在が居る、…公安に。」


「!」



 藤堂は夜明からスカウトの話を聞いていた。

だが『反応はどっち付かずで返事は読めなかった』と夜明は話していた。

だが柳は憧れだと口にした。

それは夜明からすれば嬉しい事だが、柳からすれば『門松の相方を辞めること』だ。

つまり、唯一やり遂げられると信じていた夢を、自分から放棄するという事なのだ。


 藤堂は柳の悩みを敏感に察したが、口には出さずにただ聞いた。



「ぶっちゃけ、自分の事を誰かに話すとか、ほんと経験無かったんすよ。

…門松さんだけ。

んで三年経って、ようやくオルカにも少し話して。

…でもそんだけで。

元々自分の内面曝すの好きじゃないし、人にズカズカ入ってこらんのも嫌いで。

…それなのに、凜さんと夜明さんすよ。」


「……」


「なんか自然と抉じ開けてきて。

…てか、勝手に内側から溢れ出したっていうか。

それも凜流に言えば『必然』?、なんでしょうけど、こっちはそんなんよく分からんし。」


「…ええ。」


「でも。……あれからよく眠れてる。」


「…良かったですね?」


「はい。胸が明らかに軽くなって。

…オルカの事とか、門松さんの内情とか。

気にする事なんか山程あったのに。

…頭、クリアでいられたんすよ。」



『そうなるとどんどんと実感した。

俺は夜明さんと凜さんが好きになってしまったと。

そしたらもっと公安への憧れが膨らんだ。』


 そう柳は話し、大きく伸びをした。



「……バカだな俺。

こんな時なのに、門松さんと公安の事ばっか考えてる。」


「……」


「…集中しろっての。」



 そして柳はまた実感するのだ。

『一派の人間には何故か話せてしまう』と。


 それはきっと、人格だろう。

無闇やたらに人に言いふらすような人間ではないのを、柳も直感しているのだ。

だが柳本人からすれば、ただ不思議だった。


 藤堂は柳の話を聞くと暫し思考し、口を開いた。



「柳殿は、御自覚が薄いやもしれませんが、とても優しい御仁です。」


「……自覚薄いっすねー。」


「そして貴方は、失ってきた人です。」


「…!」


「失った事がある人間は『もう二度と失いたくない』『こんな思いはしたくない』…と、過剰に反応するようになります。

トラウマというものが、云わばその過激版です。」


「……」


「優しい人は…他者の痛みに敏感で、心に敏感なんです。

だから貴方は…、どうしても門松という御仁から思考を切り離せないのです。

『相手に失わせてしまった』と、心が嘆いているのです。」


「…!!」


「まるで自分が味わった苦しみを、門松殿にも味あわせてしまったような。

…故に酷い罪悪感を抱えているのです。」


「……」



『そうかもしれない』と柳は思った。

 確かに柳は門松を裏切るような形でヘリに乗った。

だがその内情は『努力した上で仕方なく』なのだ。

ちゃんと柳は門松と話そうとした。

むしろ話を聞こうとしなかったのは門松の方なのだ。


それなのに柳は罪悪感に胸を痛め続けていた。

己の信念に従い、努力し、そして至った結果だというのに、彼は『自分が悪い』と決め付け、責めていたのだ。


それに気付かされた途端、柳はグッと口を縛った。

夜明と凜と話したあの居酒屋のように、勝手に腹の奥底から涙が溢れそうになってしまったのだ。



「つ……」


「…柳殿にはまだ分からないかもしれませんが、私は子供が居る身として、こう考えます。

『自分が子供の足枷になるのなど御免だ』。

『自分の事など気にせずに好きな事に取り組んでいって欲しい』。」


「……」


「まあオルカ殿ならまだしも、柳殿は『子供』というより『弟分』かもしれませんが、特に大差は無いかと。

…きっと門松殿が今の柳殿の気持ちを、公安への悩みを話したら、門松殿はきっととても嬉しそうに送り出してくれます。」


「つ…!」


「寂しくも、嬉しいものなのです。

…だから柳殿?、自分の中に新たに展望が生まれた事を、『裏切る』なんて思わなくていいんです。」


「………」


「それはね、勘違いだと思います。

…いや勘違いと言うより、貴方の一方的な思い込みで、門松殿の気持ちを無視する行為です。」


「!!」


「自分の『したい、やりたい』という直感を実行する時、貴方の胸に迷いは無い筈。

…それでいいんです。わざわざ振り返って己を裁く材料を探す必要など無いのです。」


「………」


「貴方がそれらから解放され、本当にしたい事に突き進むなら。

きっと門松殿は、誰よりも嬉しく感じ、そして誰よりも祝福してくれる筈です。」


「……」



 痛みが溢れ、そして軽くなった胸に…

柳はグッとしっかりと藤堂の言葉を噛み締め、顔を上げた。



「……寝ます。」


「!」


「自分で選んだ道で、……

寝不足で判断力落ちるとか。…ナイんで。」



 藤堂は嬉しそうににっこりと笑うと、『良い夢を』…と後ろを顎で差した。

柳は口角を上げ、後ろに下がり寝転がった。

そしてヘッドホンを外す直前、大きく深呼吸して口を開いた。



「ありがとう御座いました。」


「! …いえいえ。」


「…マジで、どうもでした。

すんません俺らだけ寝てしまって。」


「タハハ!、私を舐めてもらっては困ります。」


「ハハ!、…そうすね?」



 柳は満足そうに笑うとヘッドホンを外し、耳栓を着けて寝転がった。

そしてすぐにウトウトと眠くなり、寝た。


 藤堂はクスクスと笑うと、一人呟いた。



「本当に良い子を見付けましたな蒼。

…この子は、デカくなりますよ?」



 彼もまた嬉しそうに夜の世界をフライトした。

島の形に光る世界は美しく、彼の心を満たした。

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