第95話 『愛』

 オルカが風呂に入った時、柳は意を決した。

もう時間が無いのだから。

凜の助言に従い後悔無き渡航にする為には、門松に話さねばならないのだから。



「……門松さん。」


「んー?」



 だがそれは、本当に勇気が必要な事だった。

門松は絶対に反対してくるし、説き伏せる自信も無い。

渡航を伏せ今夜オルカを自分の家に招いてしまえば全て解決するが、それだけは駄目だと自分を制し、必死に口を開いた。



「オルカ…なんすけど。」


「んー?」


「…… …その、……」


「?」



『オーストラリアに連れていきます』

そう告げた瞬間、…門松は吹き出した。



「プ!?、ははは!!」


「!?」


「おま…冗談が上手くなったなあ!

どうやって今のオーストラリアに行くってんだよタハハハハハハ!」


「…いや、…あの。」



『そうきたか』と動揺しまくりの柳。

ちょっと温度差が酷すぎて吐き気がしてきたし、『そ!そうすよね面白いっしょー!?』…と、内心では逃げてしまいたかったが、グッと堪えた。



「違…違うんすよ門松さん。

その、マジなんです。」


「…マジって、一体どうやって行くってんだよ。」


「…凜…です。」


「!」


「勿論!、オルカだけ同乗させて貰う。…なんて無責任な事はしません。俺も勿論行きます。」


「………」



『凜』と口に出した瞬間、門松の顔が変わった。

 彼ならばそれが可能だと理解しているからこそ、この話が冗談ではなく本当なのだと理解したのだ。


ここから門松は穏やかなオーラを一変し、激しすぎる程の怒りを全身から発した。

柳はどうにかせねばと説得を試みた。…が、どんな言葉も無意味だった。



「海堂と燕を探す為にあっちに行く凜に…?

オルカだけでなく、お前も同乗する。

…必要なのは出発前の一筆だけ…?」


「…はい。」


「~~ッ…!!」



『フザケんなッ!!!』



 こうして怒声は放たれた。

オルカが間に入ろうが、門松は柳から一切目を離さず怒りを露にした。…が、柳は言い切った。


『俺はこいつを帰す』…と。



ビキッ!!



「それはお前の自己満足だろッ!!」


「っ、…じゃあ門松さんは!、このまま日本で…俺らと居て!

こいつを帰す算段があると本気で思ってんすか!」


「あっちに行きゃ帰れんのかよ!?」


「つ…でも!?、ここに居たって!?」


「んな不確定要素に頼れるかッ!!!

調査隊は!、現地で!!、音信不通の行方不明になってんだぞ!!!」


「ツ…分かってますよんな事ッ!!!」


「!」


「それでも…っ、もうコレくらいしか手なんて無いじゃないすか!?

本当にカファロベアロが未来のオーストラリアなら!

…凜の夢が現実となってしまうなら。

もし『何か』が起きてしまうんだとしたら!!

本当に今しか無いんですよ!!?」


「つ…!!」



ゴッ…!!



 オルカは目を大きく開け、『止めて下さい!!』と殴られた柳に駆け寄った。


だが門松はオルカをスルーし、柳の胸ぐらを掴み上げた。


そんな門松に、柳は必死に訴えた。



「こいつの気持ちを汲めるのは…俺達だけじゃないですか!!」


「…もし何かあったらどうしてくれんだよ。」


「だから…っ!、そうならないように俺が」


「…オルカだけなら許可を出すと思ってんのか。」


「…!」


「もしこいつが帰れたとしても。

…お前が無事に帰ってこられる保証は無い。」


「…門松さん。」



 門松はズッパリ言い切ると、スマホを操作しながら吐き捨てた。



「俺から断る。」


「な!?」



『フザケんなよ!?』…と今度は柳が怒声を放った。

 それだけでなく彼は立ち上がり門松のスマホを取り放った。

キッチンの床板をスマホが滑る音が響く中、柳は歯を食い縛り訴えた。



「なんでそんな勝手が出来んだよ!!」


「勝手はどっちだ!!」


「っ…」


「確かにこの三年俺らは足踏みしたよ。

今だってオルカを帰す術なんて見当もついてねえよ。

だが!!、余りにも危険な…プライベートなフライトに同乗しあまつオルカだけでなくお前までオーストラリアに行くなんて許可出来る筈がないだろ!!

そもそもオルカ自身自分の気持ちが定かじゃねえのに勝手が過ぎる!!!」


「…本気でそう思ってんすか。」


「ハア!?」



 柳は切なく眉を寄せ、うつ向いてしまったオルカと門松の間に立った。



「ここに居たいのも帰りたいのも、本音すよ。

そこまで俺らとの三年を大事にしてくれたのは、普通に嬉しかったですよ。」


「……」


「でもこいつの責任は、…どうなるんです。」


「…責任て、まさか最後の王の責任てか!?」


「そうすよ!!」


「そもそも俺はこいつが」


「こいつは責任から逃げる奴じゃない!!!」


「っ…!」



 オルカはハッと目を大きく開けた。

ゆっくりと顔を上げると、大きな柳の背中が自分を庇うように立っていたと気付いた。



「こいつはこのままここに居ても…幸せにはなれない!!

永遠にあっちへの罪悪感を抱えて生きていかなきゃなんないんすよ!!

そんなの…真の幸福って呼べるんですか…!!」


「っ…~~!

もしこいつがオーストラリアで帰れたとしても!!

お前が帰ってこられないなら意味が無い!!!」


「…っ!」



 グッとたじろいでしまった柳。

門松は落ち着こうと大きく何度も深呼吸し、『殴って悪かった』…と言うとスマホを拾い玄関へ向かった。



「…頭冷やしてくる。」


「……門松さん。」


「悪いが絶対に渡航は認めない。

…これから断りの電話を入れる。」


「門松さん!!」



 柳は跡を追えなかった。

ただドアから出ていく門松の背を見送る事しか出来なかった。



「……ハア。…悪かったなオルカ。」



 溜め息を溢しオルカの隣にしゃがむと、『あの分からず屋の頭でっかちめ』とわざとらしく悪態を突いた。

オルカは柳と目を合わせ口角を上げると、柳の腫れた左頬で目を止めた。



「…大丈夫ですか?、冷やしますか?」


「ん?、ああ忘れてた。

へーきへーきこんなの。……慣れてっし。」


「…そうですか。」



 オルカが申し訳なさそうに顔を背け、柳はゆっくりと息を吐いた。

申し訳なく感じているのは、柳も同じなのだ。



「…気にすんな?」


「はは。…無理ですね。」


「まあ気持ちは分かるけどさ?

人は時に争わなきゃいかん事もあんだよ。」


「…僕が居なければ生まれなかった争いだとしてもですか。」


「おう。」


「…!」


「そんな現実なんて存在しねえんだから、んな事言ってるだけ時間の無駄だぜ?

…お前だってちゃんと分かってんだろ。

カファロベアロの王様なのに横浜に居るって現実は変わらねえだろ?」


「!」


「だったら建設的に。着実に進むだけだ。」


「……」



 柳は改めてしっかりとオルカと向き合った。

深紅の瞳を赤くし涙を堪えるオルカと。



「行きたいか?、オーストラリア。」


「!」



 真剣すぎる声、顔に、オルカはグッと口を縛った。

今本当にしっかりと自分の気持ちを見極め口にしなければ、一生の後悔になる。

そう確信し、自分の素直な心を探した。



「……僕…は…」


「……」



『12の円環』

『お前は自由なんだオルカ。』

『オーストラリアに何かが起きる』

『カファロベアロはオーストラリアの未来の姿』



 自分の心を探す脳裏には数々の言葉と人の声が甦った。


それだけでなく、生きたトンボの姿や植物が風に靡く音、図鑑やテレビで見たカンガルーの姿。

晴れ渡る…過酷とも言えるオーストラリアの気候。



『どうか貴方がこの日を…

独りではなく、誰かと過ごせていますように。』



 そして、ギルトの切ない横顔が。



「っ…!」



 オルカは強い決意を瞳に宿し、柳と目を合わせた。



「行きます。」


「…帰れる保証は無いぞ。」


「分かってます。…が、柳さんも同じ考えなんでしょう?」


「……まあね。」



 柳はオルカの決意を受け止め、胸をチクリと痛めながら笑い、オルカと頷き合った。



「「オーストラリアに行けば、きっと終わる。」」



 それは根拠無き確信だったが、確かな確信だった。

『カファロベアロのベースである、ミストに包まれてしまった、『何か』が起きる直前のオーストラリアに行けば…、この長い旅は終わる』と。


 柳は軽く目を伏せ、『ごめんなさい』と目を瞑った。



「深夜迎えに来る。」


「…深夜。」


「最高の晴れ着、持ってけ。」


「!」



 オルカは目を大きくし、思わず笑ってしまった。



「…はい。最高に気合い入れた服であっちに帰ります。」


「おう♪

…あとあっちで服の仕立てが終わるまでの着替えもちゃんと持てよ。」


「そんな無茶な。」


「クソダサになんてなったら意地でも追っかけてブン殴るからな?」


「…柳さんが来てくれるなら、それも悪くないですね?」


「なにをお前いっちょ前に!!」


「ハハ!」



『ですが…』とオルカは顔を伏せた。

 門松は断りの電話を入れるとハッキリと告げたのだから。



「…断られてしまいますよね。

それに勝手なんですが、…門松さんにも、本当は納得して欲しかったです。」


「俺もそう思って今さっきのゴングとなった訳でして。」


「…ふふ。」



 柳は苦笑いし、『きっと大丈夫』と目を細めた。



「凜はスゲーもん。…悪手は放たねえよ。」


「…?」



 首を傾げるオルカに『ほれ動け!』と柳は急かした。



「キャリーバッグなんて使えねえんだから。

お前のいつもの鞄に着替えを詰めにゃならんのだから…門松さんの目の届かぬ場所で!

時間がねえぞとっとと動け。」


「…… え!?」



『内緒で出ていくんですか!?』と仰天したオルカに、柳は平然と『当たり前だろ』と返した。



「で…ですが。」


「…ありゃ押しても駄目だよ引くしかない。

が、本当に引いたらお前はオーストラリアへのチャンスを逃す。」


「……」


「だったらもう、……しゃーないだろ。」




 門松は外廊下の一番奥まで行き凜に電話をかけた。

その胸は未だ激しい怒りを燻らせていた。



『…はいもしもし?』


「門松だ。」


『はい、どうされました?』



『お前は何を考えてるんだ!!』…と門松は挨拶もそこそこに怒りを露にした。


 電話先の凜は『やはりこうなったか』と、門松の怒りとしっかりと向き合った。



「アンタが勝手にオーストラリアに行くのはいい。

だがそれに二人を同乗させるなんて…どうかしてる!!

アンタの夢のように『何か』が起きるんだとしたらこれ程危険な渡航は無いだろ!?」


『ええ。』


「…ハッキリ言って失望したよ。

何がハマの王だ何が凜一族だ。

…その実は只の考え無しの身勝手野郎だったなんてな!!」


『はい。』


「~~ッ…おうむ返しに謝りゃいいとでも思ってんのかッ!?」


『いいえ。』


「…!」


『僕だって悩みました。

本当にシャレにならない自己責任など、今回が初めてです。

航路すらオリジナル。僕が無理矢理国に許可させた渡航にまさか他人を乗せる事になるだなんて、僕だって驚いています。』


「だったら!?」


『ですが頭ではなく心が…、何かが囁くんです。』


「…!」


『彼らと共に行くことが、…正しいのだと。

…散々悩みました。

僕は海堂と燕を探し一生を終えるなら本望です。

…オルカ君だって、本当にその身に危険が迫ったのならコアが強制帰還させるでしょう。

…ですが柳君は違う。

彼はまだ若く将来のある身。

そんな彼の一生が最悪は異国の地で終幕を迎えるかもしれない。

……悩みましたよ。本当に。』


「……」



 凜はチェストの上にある山程の写真を見つめた。

彼の仲間との歴史とも呼べる写真達。

…彼らとも、最悪はお別れになるかもしれない。



「…ですが、『意地を通さなければならぬ時』というのが、確かにあるでしょう…?」


『……』


「僕に彼らの意地を、心を…、使命を折る権利は無い。

…言うならば、僕の意地を折る権利も誰にも無い。」


『! …身内は知らないのか?』


「行かせてくれるものですか。

危険が未知数過ぎる渡航が二つ返事で許可される程、僕は自由ではありません。」


『……』


「それに、愛があるから心配してくれるんです。

…そんな彼らに納得を求めたって、返ってくるのは愛だけです。

…貴方だって、オルカ君云々よりも…、本当は柳君の身を一番案じているのでしょう?

…先に言った通り、保険ありのオルカ君とは違い、彼は保険無しの生身なのだから。」


『…』


「…それでも、貴方に反対されると分かっていながら彼が貴方に渡航を告げたのは…

貴方を本当に愛しているからです。」


『っ…!』



 門松はグッと口を縛り、喉の奥に石が詰まったような感覚に襲われた。

先程の柳は、必死に訴えていた。

『お願いです門松さん』『ちゃんと聞いてくれ』と。

『分かってほしいんだ』と。



「っ…」


『…ですが門松さん。

柳君に貴方の行動を縛る権利も無いんです。

…だから、これでいいんです。』


「……悟ったような事言うな。

…怒りが引いたら許可するとでも思ったか。」


『いいえ。…そもそも、貴方の許可など二人は欲していません。』


「!」


『彼らが欲しかったのは、理解です。』


「……」


『ですが貴方の怒りこそが愛だと。

二人はちゃんと分かっています。

…せめて、柳君が素直に貴方に話した事こそ、彼からの最大限の愛だというのを…、どうか分かってあげて下さい。』



 門松は顔を伏せゆっくりと息を吐いた。

『その通りだ』と思った。

柳の性格上、かなりの勇気が必要だったのは容易に想像出来た。



「……それでも、許可は出来ない。

柳の先輩として。オルカの保護者として。

…止めるのは俺の義務だ。」


『分かっています。

…お話出来て良かったです門松さん。』


「……」



本当に、これが最後になるかもしれないから。



「…聞いていいか。」


『何でしょう?』


「いつ、発つんだ?」


『…!』



 凜は微かに目を大きくした直後目を細め、『これはブラフか?』と瞬時に思考した。

『柳がフライトの時間を教えたのか教えていないのか』、これで未来が大きく左右されるからだ。


もし柳がフライトの時間を告げていたのなら、この質問は『門松が事実のすり合わせをする為に仕掛けた罠』となる。


だが告げていないのなら、柳とオルカのオーストラリア渡航のチャンスが繋がれる。



「……二日後です。」



 凜は懸けた。自分の心が直感で選んだ選択を…

『チャンスを繋いであげたい』という意思を取った。



「…そうか。二日後か。」


『ええ。』


「……見付かるといいな。」


『っ、』


「なんだかんだ言ったが、…これだけは本音だ。

海堂と燕が見付かって連れ帰れたら…、オルカが帰った世界に二人は居ないが、……

それは関係無く、純粋に祈ってる。」


『…ありがとう御座います。』


「怒鳴って悪かった。」


『…!』


「あの二人の事となると、…どうもな。

ですが…頭が冷えました。

……無事に帰ってきたら、酒飲みましょう?」



『うわあ罪悪感があ…!』と項垂れた凜。

『なんか分かった分かってきた気がする』と門松に対して思うと、凜は必死に真面目な声で返した。



「ええ是非とも。

なんでしたら家にいらっしゃって下さい。

客間もありますし、そのまま泊まられてしまえば気兼ね無く酒が進むでしょう?」


『そりゃ大層なお招きだ。…楽しみにしてるよ。』


「…ええ。…では。」


『ああ。……御健闘をお祈り致します。』



 電話が切れた途端にデスクに突っ伏した凜。

『うああああああ……』と数分罪悪感に苛まれた。


 門松は電話を切るとコツンと壁に背を突け、ボーっと初冬の青い空を眺めた。



「…愛、…か。」



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