第91話 本当の願いの傍に居たいから

ゴクン…



「…!」



 ビールを一口飲んだ瞬間、柳は目を大きくしてジョッキを下ろした。



(……味が…する。)



『まさか』と思いもう一口飲むと、やはり気のせいではなくちゃんと味がした。

門松と共に居る時に感じる味と、同じだ。


 柳は驚愕しながらも、串焼きや漬物に箸を伸ばした。



…パク。



「!」 (やっぱりだ。…ちゃんとウマイ!)



パクパク…



 何故突然味がするようになったのか。

その答えならちゃんと分かっていた。

二人に心を許したからだ。

 不意に降らされた人の優しさを受け取る事が出来た自分にも驚きながら、柳は食べ進んだ。

きっと散々泣いたし過去を回想したし、彼は自分が思っているより疲労していたのだ。


 急によく食べるようになった柳を、不思議そうに二人は見ていた。

『あんな荒れた後でよくこんな食えるな』と思いつつも。



(良かった。…死のオーラが消し飛んでる。)



 凜からすれば、自殺する前の人間が放つ独特な黒いオーラが消え去り安堵はしたが、正直こんなにあっさりと消失するのを見るのは初めてで、柳に対し少し意外に思っていた。

柳という男はもっと慎重で人に心を開いたりが特に苦手な印象があったからだ。



(意外と素直…いや、かなり素直な人間なのでしょうね。)



『それにかなりいい子だ』と感服もしていた。

彼が背負った心の闇の理由は、余りにも綺麗に感じた。


 夜明も似たような事を考えていたが、柳が素直な人間だというのは察していたのでその点に驚きはしなかった。

ただ、最良のタイミングだった…と実感していた。

この感覚は実は今回が初めてではなかった。

凜と共に行動していると、『ああ結果として最良のタイミングだったのかもしれない』…と思う事が多々起こるので、『またか~。やっぱスゲーな凜。』とそっちにも沁々だ。



(…てか、いい子すぎかよって柳。

本当に素直で曲がりの無い…真っ直ぐな奴だったんだな。)



 一番感服すべき点は、壮絶な人生を送りながらも柳が歪まなかった点だと思った。

過去も今も。きっと柳という人間性の根本は何も変わっていないのだろうと。


 柳は『ヤバ。楽し。』と料理に次々と手を伸ばした。

派出所での事件が起きるまでは、彼も普通に味を感じていたし、人とご飯を食べるのが好きだった。

それを妙に思い出し、なんだか堪らなかった。



「…改めて、乾杯しよっか?」


「!」


「いっすね~!、柳なに飲むー?」



 凜の声かけで新しくお酒をオーダーし、改めて乾杯をすることに。


 凜は日本酒を。夜明は梅サワーを。

そして柳はジントニックを頼み、改めて三人はグラスを持った。



「それでは。新しい出会いと…」


「…?」



 凜は柳と目を合わせ、クスッと笑った。



「君の再出発に。」


「…!」


「乾杯…♪」



カツカツン…!



 柳はもう、この店に入った時とは顔が違った。

自然に『なんすかそれ。』と照れたように笑った顔は、門松とオルカにしか見せなかったありのままの彼の顔だった。




「さって!、…んじゃ本題いってもいいすか?」



 互いの仕事の話や凜一派の笑える身内話を散々した頃、柳はやっと本題に入った。


もう既に色々あった飲み会だったが、そもそもこの飲み会は柳が凜に『電話する』とメモを渡した事が発端なのだ。

ということは、柳から凜に何か話したい事があるということだ。


 話を振られた凜は、『ああはい。』…と首を傾げて見せた。

…夜明と柳の三倍はもう飲んでいる凜だったが、この中で一番ケロッとしていた。



「何かお話があったんですよね?、どうぞ?」


「うん。……ぶっちゃけ訊いてもいいすか?」


「はい。…あ。答えられる範囲で良ければですが。」


「いつ、オーストラリアに発つんですか。」


「…! ……」


「…行くんですよね。オーストラリア。」



 凜と夜明はスッ…とオーラを変えた。

今さっきまでてふりはふり面白可笑しく話していたのに、本当に一瞬で独特な雰囲気を放った。

…それは静かな、けれど強烈な圧にも感じた。

普段の柳だったなら『まずった』と口を閉ざす程だったが、今の柳はどうしても引けなかった。


 凜は静かに日本酒を飲むと、『何故です?』と問いかけた。

柳は目を逸らさず答えた。



「貴方は絶対に仲間を諦めないから。」


「……」


「…この雰囲気から察するに。

花丘や…トウヤ?、という身内の方々は貴方のオーストラリア渡航に猛反対している。…が、この夜明は違う。

…恐らく貴方はもう心を決め、動いている。

だがそれを知るのは夜明だけ。」


「……」


「……何が必要ですか。」


「…え?」


「今のオーストラリアに飛ぶのに必要な物は何ですか。」


「…何故、そんなことを聞くんです。」



 眉を寄せた凜の前で、柳は姿勢を正した。

そして真剣な目で凜と目を合わせ、ゆっくりと頭を下げた。



「…!」


「厚かましいお願いなのは重々承知の上で、お願いします。

どうかそのフライトに、俺とオルカを同乗させて下さい。」


「!」


「それであいつが帰れるかは分からない。

…まだあいつに『行くか』とも聞いてません。

ですがもう…この国にあいつの帰路は無い。

…そんな気しかしないんです。」


「…………」


「俺個人の力では…もう辿り着けないんです。

…全て自己責任は承知の上です。

路銀もちゃんと出します!

何があっても貴方に責任を押し付けたりしません!」


「………」


「だからどうか…お願いします!」



 凜は下げられた頭をじっと見つめ、夜明と目を合わせた。

夜明は軽く肩を上げると、微かに頷いた。



「…柳君。…貴方も分かっていますよね?

我々の憶測が正しければ、…オルカ君が本当に未来のオーストラリアから来たのなら…

…彼とは、もう二度と会えなくなります。」


「はい。」


「……もし、もし僕が、………

オーストラリアに起こる『何か』の原因を発見することに成功し、…そして、破壊することに成功したなら。

……オルカ君は、……その、…」


「存在ごと消えてなくなる。」


「……」


「コアの言う『ワタシを壊して』が、『どの時点のコアを差しているのか』。

それすら定かではない。

もしかしたら…コアは『まだオーストラリアでいられている時点』。

つまり、現在のコアを壊せと命じている可能性もある。」


「…ええ、そうです。

そして僕は…、…僕は……選べなかった。」


「!」


「海堂と燕の二人か。

…オルカ君の故郷、カファロベアロか。

どちらを取るのかという選択が、…決意が、どうしたって今の自分には出来ない。

…だから僕はもう、流れに身を任せる事にしました。

その場その場で、もう…、心のままに動く。

これしか決められなかった。」


「…はい。分かってます。

それでいいと思います。

貴方に『オルカの絶対的な味方であれ』なんて、全く思っていません。」


「……」



 柳の決意は固かった。

声を、目を見ていればその覚悟の重さが嫌という程伝わってきた。


 凜はそんな覚悟の前に口を閉じてしまった。

自己責任を了解していたとしても、やはり渋るのは当然だ。


 夜明は煙草に火をつけゆっくりと煙を吐き出しながら、先日のカファロベアロについての考察を思い出した。



「…『最後の王』。」


「……」


「Cに始まりCで終わる。時計型のコア。

12を指し示し停止した……エネルギーチャージ。」


「…!」


「あくまで仮説だが、コアを生んだのはオーストラリアに取り残された学者達だ。」


「っ、……俺もそう思います。」


「それはすなわち、人間だ。

俺らと同じ現代を、この時代を知る人間。

…そして現在のオーストラリアを『救おう』と奮起した者達だ。

でなければ納得がいかない。」


「…はい。」


「だとしたならば。……

オルカがコアの言葉に従ったなら…」


「っ、」


「………」



 柳は眉を寄せ口をグッと縛った。

夜明は『こいつも同じ結論に辿り着いていたわけか』…と、うんざりと煙を吐き出し、背凭れにグーっと寄りかかった。



「…フゥー。

…だとしたなら、あいつは消えるぜ?」


「……」


「それでも、あいつを帰してやりたいんか?」


「っ、」


「ハッキリ言って、……まだ18のガキによ?

『世界滅ぼせ』って。

『カファロベアロを滅ぼし、オーストラリアを救え』……なんて、…よ?」


「……」


「…人道的じゃないにも程があんだろ。」


「……」



『答えが出せない』。

三人に共通する苦悶だった。


どんな未来を選択したとしても、後味が良い結果になりはしない。



「…あいつは。」



 だが柳は、拳を握りながら顔を上げた。



「それでもあいつは、帰りたがってる。」


「…本当か?」


「俺には分かる。…あいつは責任を放棄できる奴じゃない。

あいつは…!、人の心に真っ直ぐだから!

だから要らん事まで背負うし、要らん気遣いもする!

俺らとの、この世界での人生とだってちゃんと向き合ってきた。

…馬鹿みてえに受けた恩を忘れねえから、あいつだって『どっちで生きていきたいか』分かってない!

…いつだって世界はあいつにとって残酷だ。

いつだって二者択一だ。

あいつの運命は成立しない天秤ばっかだ!!」


「……」


「けど!?、それでも…っ、例え未来で今より酷い選択を迫られたとしても…!!

あいつはそれらから逃げて築く平穏の中で幸せになれるほど…!、器用じゃないんだ!!」


「…っ、…」


「……あいつを、…帰す。」


「……」


「俺はあいつの本当の願いの傍に居たいんだ。」



『だからどうか、お願いします。』

 再度しっかりと、深々と下げられた頭に…

凜は答えられなかった。



「……直前まで、悩ませて下さい。」


「…何を用意しとけば良いですか。」


「いいから。」


「……」


「…同行を許可してもしなくても。……

一報だけは入れさせて頂きます。」



 この言葉を最後に、飲み会は終わった。




 柳は出来ることを全てやった。

『後は凜次第か』と思いつつ、その胸には複雑な想いがあった。


それを察してなのか、凜が会計する間、夜明は柳に問いかけた。

 外は暗く、涼しかった。



「……門松抜きで話した理由がコレか。」


「…!」


「あいつは、……お前とは違うんだろ?」



 柳は苦笑し、『当たり前じゃないすか』と首に手を当てた。

そして少し遠い目をして、ボーッと宙を見つめた。



「…優しすぎるんだ。あの人は。」


「…ふーん?」


「でも、…俺だってあいつの事に関しては、どうしたって譲れないから。」


「……親離れ?」


「!」



 パッと顔を上げると、夜明は頭の後ろで手を組みニシシと笑っていた。

柳はプッと吹き出し、『チゲーよ』と答えた。


 夜明は『そっか~』と夜空を見上げると、『あのさー?』と柳と向き合った。

柳は彼が纏う公安警察の制服、通称『白制服』に改めて目を止めた。



「…全部終わったらさ?」


「?」


「うちに来ねえ?」


「…  ハッ!?」



 目を大きく驚愕した柳に、夜明は白制服のジャケットをピシピシとつまんだ。



「あれだぜ?、『俺の家に遊びに来ねえ?』って意味じゃなくて『公安に来ねえ?』って意味な?

あっ?、いや別に俺んちに遊びに来るってのも全然アリなんだけど」


「いやっ…分かってるよそんくらい!?」



『そうじゃねえだろ!?』『なんで!?』

…と激しく動揺する柳に、夜明はまたニシシと子供っぽく笑った。



「欲しいから。」


「っ…!?」


「…お前、知ってる?

公安のこの白制服には、本当に色んな意味と願いが込められてるの。」


「…し、知らな…い。」


「これは公安創立者であり初代署長だった、凜の曾祖父が制定した制服で。

当時唯一の悪政政府への対抗手段で。

…でもさ、普通に考えてさ。悪政なんだぜ?

それなのになんでそんな特権が与えられたと思う?」


「! …そう…だよな。

悪政なのに、…許す筈が無い。」


「それはさ?、凜の曾祖父の…育ての親であり、従者だった人がさ?

…殺されちゃったからなんだ?」


「!」


「殺したのは、…首相。

つまりは悪政政府の生みの親。」


「…ラスボスじゃん。

なんでそんな大物が…その人を。」



 夜明は目を閉じ笑い、『そもそも何故クーデターによって凜一派が壊滅的な打撃を受けたか』…と静かに呟いた。



「それは…首相が凜の曾祖父に恋をしていたから。」


「!!」


「だが二人が出会った頃には曾祖父は既に結婚して子供も居た。

…完全な横恋慕。

だけど首相は諦められなかった。

『私がこんなに愛しているのに』

『家庭があるからいけないのね?』。

…そしてクーデターと同時に、凜の…

今俺らが住む土地を急襲した。

……3/1がその場で射殺。

半数が拘束され、……後程殺された。

……曾祖父への見せしめとして。…目の前で。」


「っ…!!」


「…月日は流れ、それから25年。

首相は曾祖父への想いを断てなかった。

…そして、『私のものにならないのならこうよ?』…と、ちょっとした脅しのつもりで、曾祖父が住んでいた古い家に、……」


「……」


「…爆弾を仕掛けた。」


「な!?」



 ちょっと大きな爆発音と爆風での嫌がらせのつもりが、爆弾を仕掛けた場所が家の主柱で…、家は倒壊した。

曾祖父はその家に渦中の従者と住んでいた。

彼は激しい揺れと音に反射的に曾祖父を腕に包み…



「どうにか守った。」


「………」


「…僅かな隙間に偶然二人が落ちたんじゃない。

その隙間は……彼が無理矢理作った空間だった。」


「…え?」


「彼は瓦礫を背で受け止めて…。

…体の下に曾祖父を入れて。

……胸と地面の間にブロックを立てたんだ。」


「ッ…!!」


「……つまり、捨て身で凜を守った。」



 そして彼の死こそが、曾祖父を奮い立たせた。


曾祖父と亡くなった彼の強い絆を知っていた首相は、流石にマズイと思ったのか曾祖父の要求を全て受け入れた。



「それこそが…公安。」


「………」


「この『白』は、『潔白』。

『我々は正義を成す者である』。

…そんな意味が込められてんだ?」


「……」


「だから俺らは、……負けない。」


「!」


「どれ程隠蔽されても、秘匿されても。

どんっだけ面倒でも。何を敵に回しても。

凜の組織であるその一員として。

正義の御旗の元に日の丸と同じ赤と白を纏い戦い続ける。」



 白制服の装飾がカチャリと音を立てた。

白のダブルスーツに映える肩のモールは深紅。

そして胸に光る階級は日本警察のトップ階級。


そしてそんな特別な制服を纏う夜明は、夜の闇の中に居る筈なのに、光り輝いて見えた。


信念のある強い瞳。芯のある声。

そして全身から溢れる……誇り。

全てが、輝いて見えた。



…トン!



「!」


「もしお前が奴らを許しているのなら。

…心の底から『あれで良かったんだ』と。

そう思えているなら、…忘れろ。」


「!!」


「だがもしお前がまだ、許せていないなら。

『あんな事もう二度と起きて欲しくない』。

『罪を認め償って欲しい』…と、心の底から懇願するなら。」


「……」


「お前には、その資格がある。」



 夜明が自分の胸にトンと拳を当てた時、チカッ!と車のライトが目に飛び込んできて、柳は目を細めた。


夜明は雰囲気を一変させ、『代行来たぜ~?』とヒラヒラと手を振った。



「まっ!、考えといてーっ?」


「え!? …ちょ、ちょっと待てよ!?」


「んー?」



 いつの間にか凜も合流していたが、柳は『なんで!?』とその場で夜明を問いただした。



「なんで俺なんだ!」


「…」


「俺より門松さんのが…よっぽどスゲーよ!!」



 夜明はじっと真顔で柳と目を合わせると、『そうかもね?』と笑った。



「でも、あいつは来ねえよ。」


「だから…なんで!」


「だってあいつは、己の正義を貫きたい訳じゃねえもん。」


「…!」


「あいつは法が好きな訳でも、正義に則りたい訳でも、譲れないものがあるから警察官になったんでもない。

…あいつはただ、『人が好きなだけ』。」


「!」


「ただ人が好きで、困ってる人が居たら放っとけないし、助けてあげたいだけ。

…だから地方警察やってんだべ?」


「…じゃ、じゃあなんで俺を、…公安に。」


「そんなん決まってんじゃん。

お前には貫きたい正義があるから。」


「…!」


「俺らの歩みは…ひいては全て人のため。

…けど人は、人のためにならない事も好きなんだ。

なんでかいつも、人を貶めるのは人だ。

…門松と本田は正義のためでなく。純粋に、ただ目の前の涙を拭いたくて仕事をしてる。

かたや俺ら公安は、ある種では見えない敵と戦っている。……権力とかな。」


「…………」


「そこに歴然たる違いは無い。

無いが、見てる景色と志は確かに違う。

…ルート違いって感じ~?

『俺らあっち行くわー!』『んじゃ俺こっち~!』

…一見違う歩みに見える。確かに道が違うのだから険しさも内容も違う。…が、目指す先は一つだ。」


「………」



 夜明はフッと微笑むと、『お前のスタンスはお前だけのものだ』…と踵を返した。



「んじゃ~な~!」


「…では失礼します柳君。」


「……はい。ありがとう御座いました。」



 柳は放心しながらも家に帰り、ジャケットを脱いでハンガーにかけた。


セールで買った紺色のなんてことないスーツをついじっと見つめて、想像してしまった。

あの真っ白な白制服をハンガーにかける光景を。



「……母さん。」



『もし白制服を着た俺を見たら、お袋は何て言うだろう。』


 何故か、そう思った。


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