第90話 呪解

季節外れの本署入り。

きっと噂なら流れていたかもしれない。

『訳あり刑事だ』と。


色々ありすぎて、暑い夏だった事さえ忘れた俺は、フワフワな視界のまま横浜本署の門を潜った。


先ず何処に行ったのか、誰とどんな挨拶をしたのかも覚えていない。



カツ… カツ…



節電のために薄暗い、長い廊下。更に薄暗い階段。

三階に上がるといよいよ一般人の姿は消え、通りすぎる人皆が警察官となった。


制服を着た者が居れば、スーツを着ている者も。

…本当に、派出所とは別世界に感じた。



カツ… カツ…



前を行く誰かは、『ここだ』と上を指差した。

ドアの上には『捜査第一課』の文字が。



「…緊張してるか?」


「…いえ。」


「ん。…とりあえず皆に紹介した後、いずれかのチームに入ってもらう。

…所轄とは大分勝手が違うからな?

現場投入だってすぐかもしれない。

それなりに覚悟して、気合い入れて挑むように。」


「…はい。」



ガチャン…



…俺がなんで警察官になったのか。

それは、門松さんに救われたから。

…門松さんが繋いでくれた命だから。

何がなんでも、お礼を言いたかった。


たとえ明日俺が死んでも、どうか気に病まないで下さい。


貴方に直で会えた事。

ちゃんとお礼が言えた事。


それだけでもう、悔いなど無いのですから。



 遺言を心の中で呟きながら、扉は開かれた。

夏の日差しが差し込む部屋は眩しく、柳は微かに目を細めた。

母親の入居からほぼ眠れていない脳と瞳には、夏の日差しは余りにも眩しすぎた。



「皆!、例の新人を紹介するからちょっといいか!」



 あちこちに走り書きされたホワイトボード。

その前に立たされた柳は、ぼんやりとする頭でボーっと部屋を見回した。


疲れたようなやつれたような顔の者達が点々とデスクに座って、自分を見ていた。



「…!」



 その時だった。

自分から真っ直ぐの…一番奥のデスクで顔を上げた男性の顔に、柳はハッと目を大きくした。


周りは全て霞んでボヤけているのに、彼だけはハッキリクッキリと形を帯びていた。


短髪で、少し強面で。

気難しそうだが、優しそうな……



「…っ! …~~~っ…!!」



ああ、…門松さんだ。



 パチッと門松と目が合った。

彼は軽く目を細めていた。


 記憶よりもずっと歳を取っていたし、何処か顔が強張って感じたが、柳は彼と目を合わせ続けた。



「紹介しまーすハイ皆注目! …手止めろって!

…え~、珍しくもなんでか捜査一課を希望し、本日より当直となりました柳さんです。

…どうぞ宜しくお願いします。

んじゃ、軽く自己紹介してくれ?」



 門松が更に目を細めた。


 柳はじっと門松と目を合わせたまま、ボロ…と涙を落とし周りをギョッとさせた。



「柳、…楓…です。」


「…!」


「っ、…~… …門松…さん!」


「……………」



 周りが『なんだ?』と門松と柳に交互に目線を送る中、柳は歯を食い縛りながら、上擦りながら、必死に言葉を紡いだ。



「門松さんの…お陰…で!

…貴方の…お陰…で!」


「…………」


「っ、……ここまで!、生きてこられました!」


「っ…!」


「あん時も…あん時…も!、あん時も!、いつだって!、いつだって…門松さんが…俺を!

…あの日から!、貴方を追う事だけが俺の唯一の光でした!」


「…………」


「本当に…本当に!

本当に…!!、ありがとう御座いました…!!」



 目を愕然と開いていた門松は、バッと勢いよく下げられた頭に椅子を鳴らし立ち上がった。



「~~っ…!」


ガバッ!!


「…!!」


「っ…~~~!!」



 そしてただ、柳を勢いよく腕に包んだ。

 声を押し殺していても、門松が号泣しているのは分かった。

押さえ込めない息と背と肩の震えは、作れるようなものではなかった。


 腕に抱かれた柳は決壊したように、叫ぶように泣いてしまった。


門松が何故泣いているのかは分からなかったが、自分を覚えていてくれたのは明白で…、それが堪らなく嬉しかった。



「ごめ…なさい…門松さん!!」


「ズッ! …なーに謝ってんだよ?」


「ごめ…っ、ごめ…!!」



 それが、死を選ぼうとしてしまっていた事の謝罪だと彼が気付けたのは、ずっと後だった。


この時の柳は、何故『ありがとう』ではなく『ごめんなさい』を口にしているのか分からず、だが、どうしてもその言葉ばかりが出てしまって、彼自身戸惑っていた。


涙は治まるどころかどんどん悪化していった。

門松は鼻をすすりながらも、柳が落ち着くまでずっと背を優しくポンポンし続けてくれた。



「ズッ!!……すんませんした。」


((…ん?))


「…初日で泣くとか。……でも、まあ。

俺がここに来たのは門松さんに挨拶したかったからでその他はちょっとどうでもいいんで、悪しからず。」


(((なんか急にキャラ変わってないか!?)))

(無作法が過ぎる!!)(うわーー。)



 泣き止んだ柳は平然とそう言い切った。

周りの反応は、笑う、眉をしかめる、苦笑いする、放心する…など、様々だった。


 門松はというと、その辺のデスクからティッシュを拝借し何度も鼻をかんでスッキリすると、やっと周りの『説明してくんねえ?』に応えた。



「あー、なんだ? …ちょっと昔な?」


「……お前でも泣くんだな門松(笑)?」


「一生分泣きましたよ。

…しかし、…デカくなったな? …青年(笑)?」


「!」


「…ありがとな。」


「っ、……お礼を言うのは俺の方です。

…門松さんにお礼を言うのが、俺の人生の目標になってくれたから、俺は…」


「いいや。」


「…え?」



この時の門松さんの笑顔が、何故か忘れられない。

『ありがとな。』…と、そう笑った顔が。


…泣いた直後で目元が赤かったから?

それとも、お礼を言って貰えて嬉しかった?


…なんだかどれもピンと来ない。



「さーて。やっと自己紹介が終わったな?

…んじゃ、まあ、…熱烈だし?

やっぱお前が面倒見るか門松?」


「絶対門松さんでお願いします。

てかその他には興味ないって言いましたよね。」


「こら口を慎め青年… …柳。

少なくとも皆お前より年上だし、先輩だぞ。」


「……俺は門松さんの役に立ちたいんです。」


「………」


「使えないなら辞めます。

…遠慮は要りません。ビシバシ鍛えて下さい。」



 門松は苦笑いしながらも、うーんと悩み口を開いた。



「俺が面倒を見てもいい。」


「うす。」


「が!、条件がある。」


「…何ですか?」


「ちゃんと先輩を敬え。」


「………」


「そんなとんがって、それを平然と口にして。

言っとくが言われた方は気分最悪だぞ?

取りあえずその態度を謝罪し、ちゃんと敬意を持って人に接しろ。

…お前が思うよりな?、人と人を繋ぐ糸には、礼儀ってものが必要なんだ。」


「……」


「それが出来ないなら、俺は面倒を見ない。

あそこの…真田。あいつともう組んでるしな?

一応はうちの主力って呼んで貰えてるし忙しいし。

…さ、どうす」


「失礼な態度取って申し訳御座いませんでした。」


「…!」


「皆さんの事はちゃんと尊敬しています。

…ただ、俺の優先順位は譲れません。」


「……」


「ですが、……申し訳ありませんでした。」



 門松が言えば素直に従う。

だが己の欲求や理念は決して曲げない。


 門松は周りが呆れ笑う中、『しゃーねえなあ?』と、柳の頭をポンとした。


見上げてきた柳は、もう青年ではない。

それなのにどうしたって、昔の柳の姿がだぶって見えた。



ポン…ポン。


「…今回は、それでヨシとしてやるよ?」


「うす。」


「ん。…んじゃ皆、こいつは俺と真田がもつな?」


「うっえ~また面倒そうなのが担当~!?

いい加減にしてくんない門松~?」


「……なんすかあいつ。」


「こら指差すな!

さーなーだ。お前もちゃんと礼儀を守」


「大人役はお前がヤレ。

俺は自由奔放な先輩役で充分♪」


「んじゃ自由奔放な先輩。

デスク退かしてもらっていいすか。」


「ハア!?」


「邪魔っす。」


「………」 「………」



…こうして俺は、何故か死なずに済んだ。


初現場は確かに堪えたが、…堪えられた。


『門松さんの隣』という絶対領域に居続ける為なら、なんだってやれた。



「……」


「…柳、お前今日どうした。」


「…へ?」


「顔色悪いぞ。大丈夫か?」



…でも月に一度、俺は死にたくなった。


門松さんの隣に並べたのに。

やっと俺の夢が叶ったのに。


施設から入金の確認と共にお袋の様子を報される度に、…心があの頃に逆戻りして。

一日中頭が痺れて、何処かが震え続けた。



「…大丈夫です。すみません。」


「……まだまだ夏バテ危ないし、無理は適度以上にするなよ?」


「はい門松さん。」



…とてもじゃないが、門松さんに母親の事は言えなかった。

スタッフから母親の話を聞かされる度に、嬉しくて懐かしい反面で、心底死にたくなるのだという自覚もいつの間にか消失していった。


だって門松さんが居てくれるなら、俺はやっぱり元気になれたから。


『そう言えばお袋さんとはどうだ?』と。

そう聞かれた時に簡単に事情は説明したが、その内情は言えなかった。


まるでそれは、光と闇で。

門松さんに真っ黒な心情を伝えてしまったら…

なんだか、光と闇の境界線が消えてしまうような気がして。…怖かったんだ。





「だってあの人は、…光そのものだから。」


「……」 「……」


「度が過ぎるお人好しで。

ハズレくじに当たっても、『他の人が引かなくてよかったな?』…って、平然と言い切れるから。

…あの光に当てられ続けてる内に、自分の罪まで消えていくような。

…そんな逃げも、あった気がする。」



 柳はそっと苦笑し、『バカだろ?』と己を嘲笑した。

『俺の罪がそんなんで消える筈がないのに』

『門松さんからすりゃいい迷惑だ』。


 夜明も凜も、『笑えばいいだろ』と呟いた柳に、悲痛な想いを抱いてしまった。


 夜明は凜が飲んでいた日本酒をチビッと飲み、『なんか分かったよ』…と口角を上げた。



「門松さ、…実は計算苦手だろ。」


「…!」


「オルカが現れたその爆発で、お前は吹っ飛んだ湯量を瞬時に計算した。

…やたら早いと思ったんだよな。

お前、あいつが面倒がって計算ソフトとか使ったり暗算に少し時間を食うのを見て…

あいつの計算機になったんだろ。」


「………」



 大きくなった柳の目と目が合うと、夜明はニカッと笑って見せた。



「自分の為にそこまで努力してくれた奴を、門松が迷惑に思うハズねえじゃん!」


「っ!」


「例え方向性が一人を基準にしていたとしても、そこまで努力出来るなんて、スゲーよ!」


「……」


「お前、…頑張ったよ。」


「………」


「…いつだって、悪い言葉は耳に残りやすい。

お前にだって経験あんだろ?

バカの放つ心無い言葉は、頭に、心に、張り付いて…剥がれないもんだよ。」


「……」


「…でも、お前はソレを信じるのに。

お袋さんの言葉は、信じてやらねえのか?」


「…!」



『楓…!』



「お前は会ったこともない母親の再婚相手と、ずーっと一緒に過ごしてきた母親。

…どっちの言葉を信じるんだ?」



『楓のお母さんやれて、幸せだった。』



「……お前の所為じゃない。柳。

全ては、…そう…だな。……仕方なかったんだ。

だって人はいつか…旅立っていくから。」


「っ…」


「…妹さんのことは、な?

本当は兄であるお前がそこまで抱える必要の無い事なんだ。

…お前は大人として、どう思う。

監督責任は……親にあると思わないか?」


「……」


「親父さんの事だってそうだ。

…お前が車を呼び寄せたわけじゃないし、突っ込んでくる車に親父さんを押し出した訳でもない。

……悲しいが、…事故だったんだ。」


「っ、」


「お袋さんについてお前はほんと、…真面目で。

母親なのに『女性としての彼女』とか……

大人でもそんな風に考えらんねえよ。

…母親は母親にしか見えない筈なのに。

お前、変に大人すぎ。…抱えすぎ。

一時はお前に付きっきりになったとはいえ、それも数年の話だろ?

彼女が旦那をそれでも愛して、旦那も彼女を本当に愛していたのなら……離婚には踏み切らなかった筈だ。

…再婚相手はな、彼女の過去は一切愛さず、『自分を優先してくれる』『自分だけに笑ってくれる彼女』を愛したんだ。

…それは愛ではなく、都合のいい利用だ。

…否定する訳じゃないがな?

『自分の傍に居てくれないからと、結婚して二年足らずで離婚してしまうのなら、所詮はそこまでの関係性だった』…と、俺は思う。」



『そうかもしんないけど…』と伏せ目がちの柳に、夜明はスッパリと言い切った。



「彼女は『息子と生きる』と決めたんだ。

…だったらそれは、彼女の決断の責任でしかない。

それを否定する権利は誰にも無い。」


「っ… …でも俺が、あんな状態にならなきゃ」


「そんだけお前が親父さんを大切にしてたって事だろ。」


「っ!」


「…あのな柳。

お前は『俺の所為で』って、呪いみたいに自分を追い詰めるけどな?

…本当にそうだったのか。…と、冷静に突き詰めたら、そうじゃないことはもう…分かってんだろ。」


「……」


「でも、…自分と向き合うのはしんどい。

それに、一人じゃキツイ。

……お前は本当に家族を大切にしてたんだ。

その愛の深さだけ、お前は苦しんだんだ。

…だから、こう考えてやれよ?、自分の為に。

『こんなに死にたくなる程に、俺は家族を愛していたんだな。』

『こんなに苦しむ程愛しい家族と過ごすことができて、なんて幸せなんだろう。』」


「…!」



 ゆっくりと目線を上げた柳。

夜明はただ、穏やかに笑っていた。



「お前がそんだけ愛した家族なんだ。

お前が彼らとのお別れを全て自分の所為にして、責め続けていたら……きっと、悲しい。」


「っ!! ~~…」


「俺だったら、…悲しいから。」



 悔しかった。

たった二回会っただけの男の言葉に、歯を食い縛る自分が。

たった二回会っただけの男に心を曝し、そして救われてしまった事が。


 恥ずかしかった。

『呪解』という言葉が何よりも似合うような堪えきれない涙に、なす術もない自分が。



「…っ、…生きてて…も…… 」



 理解出来なかった。

心を許した自覚の無い他人に、門松にも問いかけたことの無い問いを投げ掛ける自分が。


『俺は生きていていいのかな?』


今まで誰にも訊けなかった問いが、何故こんなにも簡単に口から出てしまったのか。



「当たり前じゃん。

…むしろ生きてて下さいませ。…だし?」


「ええ。…もう責めなくていいんです。

その苦しみに…死にたくて仕方なかった自分に、ちゃんと言ってあげて下さい。

『よく頑張ったね』…と。」



 柳は妹の死からずっと己を蝕み続けた自責を、やっと手放す事が出来た。


やっとこれまでの自分を、褒めてあげられるような気がした。


 散々泣いた後、心は信じられない程に静かだった。

物質的に感じてしまう程に軽くなった胸。

雑音の無い、クリアな耳。


ザワザワとした居心地の悪さの無い、心。



…コト。



『解放されたのかもしれない』…と自覚すると、なんとなく自分を祝いたくなった。

…母親がしてくれたように。


 柳は結露したジョッキを持ち、クイッと傾けた。

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