第86話 真っ黒に染まった舌
ジャンジャジャカジャカ♪
「…!」
着信の音に柳はパッと顔を上げた。
見てみると『夜明蒼』と出ていて彼は目を細めた。
チラッと時計を見ると、夜の七時だった。
…カタン。
鳴り続くスマホを持ちデスクを立つと、門松が『上がりか?』と訊ねてきた。
柳はスマホの画面をそれとなく隠しながら、『まあそろそろ上がれますね』と答えた。
「最近後輩のサポばっかすから。
…まっ、門松さんはソッチの方が長くかかるでしょうけど。」
「後輩育てんのも先輩の仕事!」
ジャンジャカ~♪
「…早く出ろよ迷惑だろ。誰からだ?」
「……母親の施設からす。」
「…そっか。尚更早く出ろ?」
「うす。すんません。」
柳が出ていくと、『やっと静かになった』と一人が笑った。
それを皮切りに皆伸びをしたりと、少し息抜きに入った。
門松も煙草を持ち、『誰かツレプクするか?、飲みもん奢るぞ?』…と笑った。
途端にガタガタと数名が立ち上がり、『俺コーヒー』『俺コンポタ』『俺コーラ』『俺甘酒』『俺しるこ』…と別々の要望を述べた。
「「「「「ゴッチ~。」」」」」
「全員バラバラに言うなよな。
…誰だ甘酒としるこの奴。」
「どっちも体にいいんだぜ?」
「え。そんなん気にすんなら寝る方が懸命では?」
「「ハハ!」」
因みに『ツレプク』は『一緒に一服』の事だ。
柳が勝手に生み出した言葉で、この一課でのみ通用する隠語である。
屋上の喫煙所を目指す廊下で、門松はチロ…と振り向いた。
柳は屋上へ続く階段とは逆方向の廊下で、電話をしていた。
「……」
「…門松ぅ?」
「んー?」
「柳のお袋さん、どっか悪いんか?」
会話が聞こえてしまったのだろう。
門松の数年上の先輩が同じように振り返りつつ門松に訊ねた。
門松は少し悩んだが、柳から口止めされてもいないので簡単に話した。
「お袋さん、ちょっと病気で施設入ってて。
たまーにだけどああやって連絡来んですよ。」
「…病気で施設?」
「入院生活ってことか?」
「あーいや、そうじゃないんですけどね?
…プライベートな話だから、俺からは。」
「ああそうだな悪い。」
門松は苦笑いしながら、『アレで苦労してんですよあいつ』…と溢した。
それなりに人を見てきた同僚達は、『だろうな』と納得した。
「根がいいこ君だもんねぇ?」
「一癖二癖も、なーんか許せちゃうんだよなあ?」
「…そういやあいつ、顔に似合わず料理得意なのな?
よく後輩に料理を例にして教えてんの見るよ。」
「でも弁当持ってきた事なんて、……あ。
ここ数年はたまに弁当持ってるか。」
「あー、…アレは柳じゃないです。」
「?、彼女いんのかあいつ?」
オルカお手製手作り弁当である。
門松はまた苦笑いしながら、『俺の姪っ子です』と答えた。
これもオルカの身バレ対策のマニュアルだ。
皆納得し、この話は流れた。
柳は一服するのに出てきた門松の背をチラッと盗み見、電話に出た。
今夜11時に電話する事を知っているからこそ夜明が電話してきたのだろうと思うと、無性に苛ついた。
「はい。何の用だよまだ勤務中だぞ。」
『凜に電話する予定だったんだべー?
だったら大差ねえじゃーん!』
「大アリだクソッタレ。」
『あらまゴキゲンナナメ?
俺まだなんも怒らせる事言ってねえのに。』
「…!」
今日の昼、母親の施設から連絡があったのは事実だった。
彼は連絡があった日は決まって調子が悪かった。
咄嗟に出た言い訳で自分を追い込んだとこの時気付き、柳はグシャグシャと頭を掻いた。
「…悪かったよ。で、何?
俺マジでまだ勤務中なんすよ。」
『何時に上がんのー?』
「……まあ、…もういつでも。」
『じゃあ飲みいこーぜ!?』
「ヤだよ。」
『即答!?』
柳は基本的に門松としか飲まない。
一課の先輩に『お前頑張ったな?、どうだ今日一杯。奢るぞ?』…と誘われようが容赦なく『いいっす』と答える、ある種のタフマンだ。
無作法者の礼儀知らずとも言えるのだが、柳は一課に配属された初日から『門松さん💖!』で、その他には『あ、はい。』『そっすか。』『はは。(完全な愛想笑い)』等の塩対応で、嫌でも皆慣れた。
門松と二人の時とそうでない時の温度差は本当に異常な程で、オルカが職場での柳を見てもきっと彼とは気付けないだろう。
それ程までに、彼は二人以外の前では笑わないのだ。
「あの人には後で電話するし。
アンタに用は無いよ。」
『…どしたーん。よっぽど何かあったべー。』
「…!」
『オッサン聞くぜー?
これでもそれなりに生きてきてるしー?
…凜も呼ぶし?、門松とオルカには聞かせらんない事話すんなら、折角だしちっと飲もうよ。』
「……」
『……んじゃ一時間後にメールの場所でヨロ!』
「…は!?」
急ぎデスクに戻りメールを確認すると、知らないアドレスからメールが届いていた。
『一時間後な!』とだけ書かれた文。
添付されている居酒屋のデータに、『行くなんて言ってねえだろ!』と怒鳴ろうとスマホを耳に当てると…
ツー ツー
「💢!?」
切られていた。
柳は声を殺し『あ…の…ヤロ…💢!?』とブルブル震えたが、プスンとエネルギー切れを起こし、椅子にペタッと座り込んだ。
「………」
カチカチ… カチ…
遠い目で数秒ボーっとすると、柳は夜明からのメールを消してパソコンの電源を落とした。
そして鞄を持ちスタスタと屋上に行き…
「うひぇぇ!、もう外はキツイなあ!」
「今時喫煙所が三ヶ所もあるだけ有り難いべ。」
ガチャン!
「…ん?、どした柳。」
「すんませんお先失礼します。」
「…お、おーう。」
…ガチャン。
門松とその他に挨拶をし、ドアを閉めた。
本当に疲れきった柳の様子に門松は『大丈夫か?』と眉を寄せ案じたが、『過保護は良くないぞ』と皆に言われ、苦笑いした。
ピピ! …バタン。 ブロロロロ!
柳は車に乗るとすぐに発進し、指定された店へと向かった。
30分以上早く着いたが、彼は車を下りスタスタと店の中へ。
ここは海月とは違い、至って普通の居酒屋に見えた。
ガヤガヤと賑わってはいるが、全席個室タイプなので人目は気にせず飲めそうな店で、悪くないと思った。
「…すみません『ヨアケ』か『リン』で予約を。」
「あっ、夜明様のお連れ様ですねっ?、どうぞ!」
「…ドーモ。」
『ほれみろ』と柳は思った。
彼は一時間後という直前過ぎる要望に、自分が店に行く前提で夜明が誘ってきたと察したのだ。
故に早く始めて早く帰る為、指定の時間より早く着き店に入った。
カラカラ…
「とうぞこちらです!、最初のお飲み物は」
「生。」
「はい畏まりました!」
可愛い店員さんに通されたというのに、柳はしかめっ面で個室に入った。
夜明は『よっ!』と手を上げ、凜は立ち上がり『お疲れさまでした』と丁寧に頭を下げた。
そんな二人をじっと見つめると、柳はジャケットを脱ぎながらため息を溢した。
「なーんでアンタみたいな礼儀正しい人がこんな奴を傍に置いてんだか…?
例のカタチってのがなきゃ、アンタ捨てられてんじゃねーの?」
「うわヒッドー!!
そんなことないですよね凜~?」
「……うん。」
「なんで間を開ける!?」
「あ、いや。……あの、柳さん?」
「はい?」
凜は微かに眉を寄せながら、『本当に大丈夫ですか?』と真剣に問いかけた。
柳はキョトンと首を傾げ、何の事かと思いつつ着席した。
「…そこまでマジで心配される程、特に体調不良とかはないですけど。」
「………何か、…キツイ事とか、ありました?」
「……特には。 …?」
凜は『そう。』と呟き、口に手を添えてしまった。
柳は『何なんだ?』と思いつつ、運ばれてきたビールを乾杯もせずグビー!!っと飲んだ。
夜明は『乾杯しようよ!?』と本当に驚いたが、柳は職場の先輩にさえ敬意を払わない。
…なので他人である夜明になんて、一切気を使わなかった。
「いいっしょ別に。」
「……ありゃまあ~。…予想を遥かに上回る警戒心と変貌っぷりだなー。」
「…予想?」
「そ!」
夜明は凜と『乾杯!』とジョッキを当てると、柳のジョッキにも『遅れて乾杯~!』と勝手にジョッキを当てグイ~♪…と飲んだ。
柳は、上品にジョッキを当てた後永遠にグビグビとジョッキを傾け続ける凜を二度見してしまった。
「俺なあ、人を見る目はマジでピカイチだぜ?」
グビッ…グビッ…グビッ…
「あ、……そう。」
グビッ…グビッ…グビッ…
「てか個人的に?、門松が居ないお前ってのを知りたかったってのが、今日の俺の目的だし?」
「……ふぅ…ん。」
グビッグビッグビッ… ゴン!
「プッ……ハァァァァアア!!!」
「嘘だろアンタ!?」
「夜明、お代わり。」
「もう頼んであるし。」
「ヨロシイ♪」
「………」
夜明の話など一つも入ってこなかった。
凜は門松よりも年上だ。
それなのに中ジョッキを瞬殺。
更には初めから読んでいたように新しいビールが用意されていて、それさえグングンと減っていく。
ここまでの飲みっぷりを見るのが初めての柳は、流石に凜が心配になってアタフタしてきた。
グビッグビッグビッ♪
「い…いや、あの、……そんな、…一気に」
「でさー?、俺的に気になるのがお前の能力なー?
お前実は超頭キレんのにさ、それセーブする癖あんだろ。それ何なん?、門松へのお膳立て?」
「いやっあの!?、……止めろよ!?」
つい凜のジョッキを持ち下げると、凜は『?』と口を拭った。
その『どうしたの?』というキョトン顔に…、柳はゾッとした。
「酒好きって、……言ってたけどさ!?」
「ええ好きです。柳さんは苦手?」
「あなた程強くはないです確実に。
…じゃなくて!?、流石にペース早いだろって!
アンタ門松さんより年上なんだろ!?
…ぶっちゃけ見えないけどさ!?」
「ええ。ですが数個ですよ?
僕は50です。門松さんは48でしたよね?」
「柳は幾つなーん?、25くらい~?」
「バカにしてんのかアンタ。…30だよ。」
「え!?、ウソ一個下!?」
「…お若く見えますね~。
…え、…本当に30💧?」
「そうすけど。」
相当若く見えるようだ。
これでは、オルカと笑って歩いていたらただの兄にしか見えないだろう。
凜は『本当にビックリです』と半ば放心しながら二杯目を空け、デンモクを持った。
「柳さんの若いエキスを頂く為にも一杯食べないとね。」
「体のいい言い訳に俺を利用しないで頂けます?」
「柳はゴハン何が好き~?」
「……今の気分は蕎麦すかね。」
「焼き鳥盛り合わせ食べようよー!」
「柳さんどうぞ遠慮なく好きに頼んで下さいね?
車の代行料金も持ちますので。…夜明が。」
「うおう!?」
二人が何かと注文していく中、『やっぱりか』と柳は一人落胆していた。
ビールを飲んでも、お通しの漬物を食べても…
次々と運ばれてくる冷奴や焼き鳥や蕎麦を食べても…
「……」
味がしなかったのだ。
…カチ。
味を感じないなら、食事など楽しくない。
柳は『バカみてえ。』と、酒の席なのに箸を置き遠くを見つめてしまった。
心の何処かでは期待していたのだ。
初めて門松以外の人間を『凄い』と認め、その存在に敬意を抱いた二人とならば、味がするのではと。
(勝手に期待して勝手に裏切られて。
…なーにやってんだろな。俺。)
「……柳。」
「!」
突然の凜の呼び捨てに柳はパチッと瞬きをした。
見ると凜が梅酒を飲みながらも、真剣に自分を見ていた。
(しまったボーっとしてた。)
「…すんません。…なんすか?」
「……本当は、何かとんでもない事が身近で起きたのではありませんか?」
『またその質問?』と柳は瞬きをした。
正直本当に体調不良もなく、特に何かがあった一日ではなかった。
というかこの二日間はオルカやオーストラリアについて思考すれども特に進展も無く、仕事でも至って普通だった。
むしろ人のサポートに回っていたので、自分が事件を担当するより楽な程だ。
故に、何故こんなにしつこく似たような質問をされるのか、本当に分からなかった。
「……そんなに疲れて見えます?」
「疲れと…言うか、……」
「?、なんすかハッキリ言っていいすよ?」
凜は気まずそうに数度瞬きをすると、悩ましそうに柳の頭や肩の辺りに目線を送った。
「その。……死にたかったり…します?」
「…… はい!?」
「え!?、なに柳どしたん!?
そんなに思い詰めちゃったの二日前に凜がいじめたから!?」
「いや、本当に何の話すか💧」
凜は眉を寄せながら、ハッキリと突き付けた。
「真っ黒なんです。…今の貴方は。」
「…あ。例の未来見たりだのの…力の話すか?」
「そう。…僕ね?、とある事をする前の人が。
もしくはとある事を望んでいる…、それを実行する前の人が、全身真っ黒に見えるんですよ。」
「…とある事…て、何すか?」
夜明が眉を寄せる中、凜はゆっくりと口を開いた。
「…自殺。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます