第85話 ベストアンサー

 海月での接見から二日後。

大きな石造りのお屋敷の一階で、凜は荷造りをしていた。

彼はもう、オーストラリア渡航を決めたのだ。

費用も責任も全て自分持ち。

 現在日本からオーストラリアへ渡航する許可が下りるのは学者等の特別な理由がある者だけだったが、凜は持ち前の権力を用いて無理矢理資格を得た。



「……パスポート、…ねえ。」



 使い古したクタクタのパスポート。

今までは国外に出るのなら本当に肌身離さずしっかりと管理していたが、今回の渡航にこれは使用しない。

『持ってかなくていいかな?』と笑いながらも、彼は念のためにパスポートを鞄に詰めた。

…落ち着かないからだ。



コンコン!



 そんな頃ノックが鳴り、凜は『うえっ!』と慌てながら『誰?』と返した。


 彼は皇族に次ぐ権力を持つ、曲がり無き凜の当主なのだ。

そんな彼が空港を使わずパスポートさえ使用出来ない危険な渡航に挑みたがっているのを、一派の人間は重々承知していた。

正直99%が彼の渡航に猛反対している。

…ので、荷造りを見られるのはまずいのだ。


彼は『行く』と決めたことを、夜明と藤堂(トウドウ)という一派以外には話していないのだから。



『ヨアケっす~!』


「ふう。…入っていいよ?」



 小声で返事を返した夜明にホッとしたが、入るなりすぐにドアに鍵をかけさせた。

彼の住むこの石の屋敷は先祖代々受け継がれてきた物で、当主である凜以外にも多くの一派が住んでいる。

…つまり、敵だらけだ。



「あ。荷造り中でした?」


「まあね。…で、どしたの?

誰かに嗅ぎ付けられた?…花丘とか。…花丘とか。花丘とか花丘とか搭夜(トウヤ)に。」


「花丘と搭夜がチョー警戒してますよ?

さっきなんて『やはり交代で見張った方が』ってコソコソ喋って」


「嘘でしょ💢!?」


「しーっ!、声がデケーし!!」


「あ、と。……コホン、失礼。」


「ったく。…で、コソコソやってたから、『流石に見張りなんて付けたらキレると思うよー?』

『プライベート監視とか流石に無いわー幻滅~!』

…とは言っときましたけどね~?

どんだけ効き目あるかはグレー。」


「…ありがと。」



 夜明だって、本音では行かせたくはなかった。

だが凜一族は一派を本当に大切にしてきた。

代替わりしようが、絶対的に自分達を守り、愛してくれたのをしっかりと理解していた。


だからこそ、彼が海堂と燕を捨てられやしないのなんて当たり前で。

…だからこそ、止めきる事も出来ず、快く送り出す事も出来ないのだ。


 目の前で荷造りを再開した背に何と言葉をかければいいのか。

オルカ達と話してから、尚更夜明は言葉に詰まるようになってしまっていた。



「……ハァ。…ハゲそ。」


「え!?、ハゲてます!?」


「ちげ…フハッ!?、チゲーしアハハハッ!!!」


「…なんですかまったく。

曾祖父さえハゲなかったのに僕がハゲたとあっては、一族の笑い者ですよ。」


「凜の大じじは天の御使いだぜ?

…ハゲたらハゲたで、……ポイじゃん。」


「イエス・キリストを言ってんのかお前は?」


「ギャハハハハッ!!!」



コンコン!



 更なるノックに夜明はパシッと口を押さえた。

だがその勢いで仕事着の、公安の制服である白い軍服テイストのダブルスーツのボタンが僅かに音を立て、夜明は『しまった』と苦笑いした。



『…夜明、居るんでしょ?』


「あー、……居ませんよ~?」


『はは!、父さんそこに居る?』



 夜明が凜を窺うと、凜はキャリーバッグをガー!!っと大きなベッドの下に突っ込んだ。

夜明はまた吹き出しそうになり口を押さえつつ、「い、いらっしゃいますよ?」と半笑いで返した。



『……だったら開けてよ(笑)!?』


「あーはいはいスンマセーン。」



ガチャン…



 扉の向こうに居たのは、先に父さんと述べていた通り、凜の息子だった。


 凜一族は小柄で、男児は100%黒髪黒目で産まれてくる。

戸を開けた息子もやはり凜一族らしく、170あるかないかの身長に黒目黒髪で、つり目でシャープで引き締まった口元の知的でキレイな顔をしていた。



「あれ。夜明仕事帰り?」


「ええそうですよ御子息~。

これから飲みに行く……カモ💖!?」


「はは!、いいじゃない。」



 腰に手を突きハンサムに笑う、次期当主である彼の名は『叶枝』(カナエ)。

25才というだけあり、まだまだお肌もツヤツヤだし髪もツヤツヤだし、当然シワも無い。


若い頃はかなりの美形と名高い凜一族らしく美しく、やはり人を惹き付けるカリスマ性を持っていた。



「…父さん、床で何してるの?」


「夜明に教わったストレッチにトライしようとしていたところなんですよ。

…最近花丘だの花丘だの搭夜が煩くてしゃーないからストレス発散に。」


「そう言わないでやって。

…皆、気持ちは一つな筈だよ?」


「…はーい。」


「言われてやんの~!」



バタン!!



「あ!、ねえお父さん!」



 …更なる来客だ。

凜の個室に走ってきて扉にバンと手を突き、凜を見て『お父さん』と呼ぶのだから…、この女性は凜の娘である。

二十歳になったばかりの、カリスマ性が少し妖艶な雰囲気として滲み出ているが中身はかなり活発で社交的な『香』(コウ)という名前の娘だ。

だが彼女は凜一族の代表色、黒ではなかった。

髪はホワホワとした癖っ毛の翡翠色、瞳はエメラルドが入ったブルーだ。


 第三次世界大戦は、生き残った人類にも多大な影響を及ぼした。

その一つに、核や生物兵器によって人類の遺伝子配色が異常をきたしたのがあった。

染色異常を起こした遺伝子を持つ人間は、髪と瞳の色が一般的でなくなる。

だが他にこれといった異常は無いのが通常で、生活には何の支障もきたさないのが殆どだ。


強いて言うなら就職で不利になりやすい事があったりするが、今時は誰がいつどんな色で産まれてくるか分からない時代。

なので面接時に自分の見た目の理由として『遺伝子証明書』という医者から発行される書類を提出すれば、『ああはいはい』と特に問題なくスルーされる事が多い。


凜の祖母である水は正にこの染色異常体質だった。

それが彼女にも出て、日本人でありながらこんな不思議な配色なのだ。


 彼女は到着するなり兄の背をグイグイ押し部屋に押し入れ、ガチャンと鍵をかけた。


『なんだろう?』と皆が首を傾げていると、彼女はかなり声を落とし、凜の前に両膝を突いた。



「…お父さん。…誰にも言わないでね。」


「え?、なに?」


「夜明さん。……信じてるよ。」


「……うーん。

全幅の信頼を預けられる程に口が堅い印象ありますかね俺、御子息?」


「正直物事によるよね。」


「タッハーズッパリ切られたウケる~!」


「いいからほら!、皆座って!!」



グイッ!!



 凜からすれば、今床に座られる事ほど嫌なことはない。

大きなベッドは背が高く、…下の空間が良く見えるのだから。



(ああ~…息子と娘の向く…方角…にぃぃ💦!!)


(…ったくしゃーないなあ。)



 夜明は仕方なく子供達からキャリーバッグが見えぬようにベッドに寄りかかりつつ座った。


 香は皆が座るとまた声を落とし、念を押した。



「絶対!、絶対に誰にも言わないでね!?

お兄ちゃんもお父さんも夜明さんも!!

…特に花丘さんとか搭夜さんには言わないで!!」


「あれー。…もう嫌な予感がするぅ。」


「…俺もなんだけど💧」


「僕もなんですが。」


「もう!、いいから聞いて!!」



 香は夜明の腕をバシンとすると、真剣に皆と目を合わせた。



「……あたし、オーストラリアに行く。」


「ブ!?」「ブー!?」「…なんて(笑)!?」


「しーっ!、声が大きいよ皆して!!」



 彼女は父と兄の頭をはたくと、瞬きを繰り返す夜明が見守る中、真剣に話した。



「調査隊は行方不明。…でも、絶対生きてる。」


「……香?」


「分かってるお父さん、…でも、聞いて。

お爺ちゃんはもう長旅は辛いでしょ?

それにお父さんは当主だし、お兄ちゃんは次期当主。

皆オーストラリアに行きたいのに…行けない。

花丘さん達は猛反対するし、…実際危険が無いとは言い切れないでしょ?

…実際、…音信不通になっちゃったんだから。」


「……」 「……」 「……」


「だったら、……あたしが行く。」


「香、ちょっと兄ちゃんと二人で」


「お兄ちゃんが残れば何の問題も無い!!

家はお兄ちゃんが継ぐんだから。

…あたしは将来誰かと結婚して、お嫁に行くのにここを出るかもしれない。

…ここを出る可能性が一番高いのはあたし。」


「……香。」


「皆、二人が心配なんでしょ?

お父さんもお兄ちゃんもやつれたよ。」


「……」 「……」


「…お爺ちゃんにもお父さんにも、お兄ちゃんにも代えなんかきかない。…あたししか居ない。」



『だから!』と彼女は声を張った。

正直ここに居る誰もが、泣きたい気持ちだった。



「だから!、……お金出して!!」


「ブッ!!」


「夜明…💧」


「お金と渡航プラン立てて!!

そしたらあたし、オーストラリアに二人を探しに行くから!!」



 …なんと可愛らしいのだろうか。

だがこの提案は仕方なかった。

凜の家の資産は当主の物であり、彼女が扱えるお金はバイト代とお小遣い程度なのだから。

彼女は就職はしておらず、バイトと称して、家督を継ぐべくあれこれと忙しい兄の手伝いをしていた。

故に、自由なお金が少ないのだ。

勿論貯金など大してある筈もない。


 夜明はうつ向き震え笑いながら、同時に溢れてきた涙を拭っていた。

…彼は本当に涙脆いのだ。



「お金…出して…とか!」(ウケるけど泣ける!)


「笑わないで夜明さん💢!!

あたしこれでも真剣なんだよ!?」



 香は怒ったが、凜は苦笑いした。

『心配だよね?、分かるよ。』…と。


 だがここで、兄である叶枝がキョトンとしながら真顔で言った。



「驚いた。俺も似たような事話しに来たんだ。」


「……え!?」


「…なんですって?」


「いや、『俺が行くよ』…って?」


「駄目です御子息。」


「聞いて。…まだまだこの世界には父さんと先代の手腕が必要だよ。

…方々と上手くやりつつ、不足を補ったり。

福祉充実化の為に知恵を絞ったり。

…政界だって二人を必要としてる。」


「……だからあたしが!」


「だから!、俺が行くんだよ。

俺に万が一の事があっても、お前が婿養子取ればそれで済む話だろ?」


「あたしが行く方がシンプルじゃん!!」


「…プラン練ってもらわなきゃ行けない癖に?」


「そんな言い方ってある!?」


「お前は駄目。絶対に駄目。」


「だからっ!?なんでよ💢!?」


「なんでも。駄目なもんは駄」


「バカお兄💢!!、ハゲ💢!!」


「な!?、まだハゲてないし血的にも俺はハゲないよ!!」


「なにさ頭でっかちのヒョロモヤシ💢!!」


「あ💢?」



 兄妹の喧嘩を聞きながら、凜は本当に笑ってしまった。

『お兄ちゃんが危ないのは嫌だ』

『大切な妹を行かせられる筈がないだろ』

…とは言えない、兄妹ならではのジレンマに。



(まったく。…皆、考えることは同じか。)



 夜明が笑い涙を拭う中、ヒートアップした香は勢い良く立ち上がりビシッと父を指差した。



「じゃあどっちが行くか!!

当主に決めてもらおうよ!!」


「ああいいよ!?、当主の言葉には従えよ!?」


「当たり前じゃん!!

どっちが選ばれても恨みっこナシだかんね!!?

お父さん!?、どうか冷静に!、公平に!

しっかり熟考してお答え下さい💢!!」


「父さんならしっかりとした答えを導けるよね?

まあ不安なんてこれっぽっちも無いケド。」



 子供二人に決定権を預けられた父の答えなど、初めから決まっていた。


 凜は優しく目を細めながら、フルフルと首を横に振った。



「お前達の愛は…、二人に届いているよ?

二人ともありがとう。…本当にありがとね?」


「……」 「……」


「優しい子供を二人も授かれて僕は幸せです。

…が、どちらもオーストラリアには行かせません。」


「!」 「ちょ!?」



『父さん!』『お父さん!!』…と子供二人に詰め寄られようが、凜はピシャリと言い切った。

『行かせません』と。



「でも…!」


「父さん、俺だってちゃんと考えて」


「そんな事は分かっています。

軽はずみな、生半可な覚悟ではない事くらい。」


「「だったら!?」」


「ですが認めません。これは最終決定です。

これについて君達と話す事はもうありません。」


「っ、」 「…お、お父さん!」


「分かったなら出ていきなさい。

花丘達には今の話、黙っておきますから。」


「…父さん。」


「…本当に、少し休ませて。」


「!」 「!」


「……お願い。」



 凜の切実な言葉に、子供二人は部屋を出ていった。


また二人きりとなった部屋で、夜明は顔を上げ呟いた。



「卑怯者。」


「……ほんとね。」


「……」


「…本当の答えはこう。

『全てにおいて経験不足の香には荷が重い。

先代が居ればこちらの事は全て任せられるし、叶枝を立派に一人前の当主に育ててくれる』。」


「……」


「それに、『年功序列』。

…息子と娘を、危険が待っているだろうオーストラリアになんて、……送れない。」



『だったら、僕がベストアンサーだよ。』



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