第72話 絶対に戻れない

カツンカツンカツン…!



 10月も終わろうとしている秋の日。

女性が金属音を響かせながら階段を上がった。

古いアパートの二階へ上がる鉄階段の手摺は錆びていて、女性は錆が手につくのが嫌で顔をしかめつつ、足を止め振り返った。



「ねえお父さん。なんで叔父さんこんなトコ住んでるの?」



 訊ねられた男性は本当に微かに微笑み、『こら?』と先を行く娘を見上げた。



「そんな風に言ったら、他の住民の方に失礼でしょう。」


「ここ、もう他に誰も住んでないって叔父さん言ってたもん。」


「…一階の一番奥は住んでるよ?」


「え!?」


「そこの庭だけ真新しいビニール紐で物干し竿が縛られていたからね。」


「そんだけー!?」


「そこのお宅のミカンの実りも根拠。」


「……ウソくさー!」


「ふふ。真偽は不動産のみぞ知る。だね?」



 二人は二階の共用廊下を数歩歩き、『門松』と表札の出たドアの前で止まった。

 換気扇が動いているその様子に、男性は微かに目を細め瞳の奥に鋭い何かを秘めた。



ピンポーン!



 女性はワクワクとインターホンを押した。

『叔父さんに会うの久しぶり』『元気かな』

『今日一緒に遊べて嬉しい』と、それはウキウキワクワクと。

そんな娘の前で男性は小さく呟いた。



「門松はいないよ?」


「………え!?

連絡取って…今日お休みだから『行く』って言い出したんじゃないの!?」


「ううん?」


「もう意味分かんない💢!!」



『インターホンの無駄押し、むしろ無駄足』と心底驚愕した顔を父に向け、ウンザリと項垂れた娘。


 そんな二人に母親が合流した。



「なんで二人でさっさと行っちゃうのよ!」


「ねえお母さん聞いてよ!」


「…でもね、開くよ?」


「え!?」 「??」



ガチャン…



 扉が開き、娘は大きく目を開けた。

母親は目を大きくしつつやんわりと首を傾げ……



「…はい。どちら様ですか?」


「こんにちは。」


「……えっ…と、」


「初めましてだね、…オルカ君。」


「…あなたは?」



 本田は柔らかい微笑のまま、秋の風に冷やされた手でオルカと握手をした。




「ヤッダもう驚かせないでちょうだいよ!

留学生を受け入れるって、…ねえ(笑)!?

弟にそんな酔狂なトコあったなんてねアハハ!!

こんな家に間借りじゃ嫌んなっちゃうでしょう!」


「ねえねえオルカ君いくつ~💓?

あたし『メイ』。今年で二十歳~💓」


「あっ、僕は18です。」



 最初玄関を開けた時は誰かと思ったが、門松からも聞いていた『小田原に住む姉夫妻』と分かるなり疑問も解け、三人を家に上げたオルカ。

『本田』という名字も一致していたし、数年前のものだが写真もチラリと見ていたので本人だと確信し家に上げた次第だ。


 常に穏やかなオーラを纏い、白髪の短髪でとてもゆっくりと喋る家長の本田は小田原の刑事で、妻は門松の姉で専業主婦。娘はメイという名前の専門大学に通う二十歳の女性だ。


 女性二人はとてもお喋りで、派手な見目のオルカに最初こそ度肝を抜かれたが、見目よりも穏やかに笑い礼儀があり可愛らしくもカッコいいオルカにすぐに興味を持った。


 かたや本田は気配なくふわふわと部屋を一通り見て回った。



(やっぱりねえ…?)



 以前ここを訪れた時にもあった寝室は変わりなく、その隣のリビングと一体化させていた部屋が独立している。見てみれば布団がありタンスがあり小物があり…と、若い使用人の気配が。

そして以前にもあった、リビングの片隅に布団が一式。

これが柳が泊まりに来た時の為の物なのは、もう本田は知っていた。



(…どんなトリックを使って彼を保護し続けたのか。

……なーんてね。…道は一つしかない。)



 オルカはキラキラとした粒が溶け込んだ紅茶を、本田家へのもてなしに出した。

ふわふわと歩き回る本田に声をかけると、彼は『ありがとう?』と変わらぬ微笑で応え、やっと座った。


 そんな本田にオルカは微量な違和感を感じた。

観察されているような…、なんとも言えない雰囲気を感覚で察知して、違和感なのだ。



(門松さんに言われていた通り、『留学生』って説明はしたんだけど、…なんだろ。……変な感じ。)



『公称は留学生』。

 これは三年前、門松が保護者となった時に決めた事だった。

…実際使用したのは今回が初だったが。


 娘と嫁がオルカに次々質問する中、本田はとても静かにお茶を飲み、ただ聞いていた。



「ねーねー、…彼女いるの💓?」


「あっいえ。フリーです。」


「ウッソだあっ!?」


「ふふ、本当ですよ?

…メイさんは彼氏さんいますよね?」


「…え?、いないよ?」


「え?、…可愛いのでてっきり居るのかと。

あっそうか、専門大学に通われてますもんね?

勉強忙しいとあんまりそっちに手が回りませんよね?」


「あっ!?うん!!…そうそう!!」


「いやーね!、メイはそんな殊勝な子じゃないわよアハハハッ!!」



 本田は『ふーん?』と、ただ聞いていた。

そっと会話を録音し、…門松に送信しながら。


そして送信を終えると、本田はやっと口を開いた。



「…俺の事、門松から聞いてる?」



 突然の質問に少し驚いたが、オルカは素直に答えた。



「あ、はい。」


「…柳からも?」


「はい。」


「…なんて?」


「えっと、『姉貴の旦那は小田原の刑事』と。」


「…柳はなんて?」


「…えっと、……」



『まあ、一番凄いのは本田さんだけどな。』

『尊敬はしてっけど苦手なんだよあの人。』



 柳の言葉が綺麗に甦り、オルカはやんわりと困った顔をした。

だが本田は変わらぬ微笑を浮かべている。



「…えっと、『凄い人で尊敬している』と。」


「……ふふ!」



ピピピピピ!!



 その時、本田のスマホが鳴った。

オルカは『助かった』と思ったが、本田は着信元の『門松』を確認せども、電話には出ずにオルカと目を合わせた。



ピピピピピ!



「…当ててあげようか。」


「…え?」


「『苦手だが尊敬はしている』…でしょ?」


「!」



 返答は待たずに『もしもし?』と電話に出た本田は、立ち上がり家の外に出た。


妻は『ごめんなさいね?』と、気にしないようにオルカに言った。



「あの人いっつもああだから、よく気味悪がられるのよ気にしないでねっ!」


「……あ、いえ。…そんな。」


「いっつもああなの。ふわっふわでフワワ~…で!」


(『ふわっふわでフワワ』(笑)💧)



『確かに』…とオルカは思った。

 最初こそ穏やかな印象を受けたが、本田という男は底知れぬ感じを、只者ではないオーラを全身から発している。

穏やかな雰囲気と柔らかな物怖じさせぬ微笑、ゆっくりと喋るそのトーンまで、それら全てがある種の不気味さを増長して感じた。



(それにしても、どうして突然訪ねて来たんだろう?

三年間一度も来てなかったのに。)



 そう疑問に思いつつ、オルカは女性二人の相手をした。




『アンタそれ…俺んちだろ!?』


「そうだよ流石だねご明察…?

…言っておくけど、当然褒めてないからね。」



 一方、門松本田サイド。

こちらは門松が大荒れだ。


…それもそうだ。なんせ『オルカの保護者になったこと』から何から何まで、門松は柳以外には誰にも話していないのだから。

理由はシンプル、『捏造だから』だ。


故に録音には相当焦らされた。


本田夫妻はメイが小さい頃は門松の家にも遊びに来ていた。

その時だって当たり前に一報があり、休みを合わせての来訪だったのに…、今回はアポ無しの突然の訪問。

しかもそれを録音して送りつけてくるのだから…

本田からのメッセージは一つだ。

『どういう事なのか、説明してくれない?』



「…本田さん。いくらなんでもこれは」


『然るべき相談相手を俺は用意した。』


「……」


『…実はちょっとあってね?

彼等に問い合わせをしたわけ。

『連絡はあった?』…ってね?』


「……」


『そしたら答えはNO。

…もしかしたら?、地球外生命体の謎が解けて送り返すことに成功した?…とも考えたけど。

…三年前相談してきたお前達の様子を踏まえれば?、その可能性は限りなくゼロに近い。』


「…本田さん、聞いてくださ」


『ちゃんと俺の意図が伝わったようだね?

つまりはだ門松。…可愛い弟?』


「……」



 本田はドアに背を突けたまま、微かも笑わずに吐き捨てた。



「俺の納得のいく答えを開示しなさい。

でなければ俺は、身内を売らねばならなくなる。」



『以上だよ?』…と穏やかに電話は切られた。


 電話で話しながら『緊急事態』とジェスチャーされていた柳のサポートもあり、門松は誰に引き止められることなく廊下に出た。


 足早に行く門松に、緊張した面持ちで柳は訊ねた。



「どしたんすか緊急事態て!」


「逃げ道用意してもらって悪いんだが、お前は戻れ。」


「ハーア?」


「……家に兄貴が居る。」


「ハ…アアッ!?」


「し…!」



 柳は口を塞ぎ辺りに目線を配ると、階段を下りながら『なんで本田さんが』とかなり焦った顔で訊いた。

門松は『俺が聞きてえよ💧』と苦笑いしつつ答えた。



「さっき姉貴とメイちゃんとオルカの話し声が送られてきて。」


「うっわでたよ。」


「慌てて電話したって訳だ。

…で、嫌味ついでにハッキリ言われた。

納得のいく答えを開示しろ。…ってな。」


「……」



ガチャン!



 裏口を開けると門松は振り返り、『後は任せた』…と柳の肩にポンと拳を当てた。


だが柳は『俺も行きます』…と門松の車のロックを解除した。


そんな柳の腕を掴み慌てて止めた門松。



「お前っ…これは俺が強行した一件だ!」


「でも自分はそれを知りながら黙認しました。」


「それは関係無い!!」


「ありますよ!?」


「っ…」


「…本田さんはアマじゃない。

身内だろうが関係無くマジで行動する。

…けど、『納得できる答えを…』って言ってたんすよね?、だったら今回は『理由が理由』って事でしょ。」


「……まあ、…それが事実だわな?」


「そっすよ。…アンタは言い訳しなすぎるから。

俺も一緒に行きます。」


「……やっぱ駄目だ柳、戻れ。

お前だけならきっと勘弁してくれるから。」



 柳は門松と目を合わせたまま運転席を開けた。

門松は『柳!?』と、すがる気持ちで引き止めた。



「頼むから!!」


「……今、戻ったら。」


「…?」


「今戻ったら、……真田さんにキレられる。」


「つ…!」



『真田』(サナダ)とは…、亡くなったチームメイトの名前だった。



「ここで自分の首だけ守ったりしたら。

あの人はゼッテー俺を許さない。」


「………っ、…卑怯だぞ柳~💧」


「…俺の勝ちすね?

ほらとっとと乗って行きましょ。

どうせあの人の事だからあんま遅くなったら『柳と揉めてる時間なんてあるの?、余裕だね?』って要らん嫌味言ってきますよ。」


「……」



『本当にそうだな』と、門松は車に乗った。





「…ふう。

…さて。大体の予測は出来ているけども。」



 本田はドアに背を突けたまま、ぼんやりと遠くを見つめた。




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