第63話 赤いピン

「リンクしろ。オルカ。」


「…え?」



 寝間着を脱ごうとしていた手はピタッと止まった。

…当然だ。

『リンクに頼るな』と、『コアを信用していない』とコアから引き離そうとしていたのは、他の誰でもない柳なのだから。


 オルカが停止を続ける中、柳は立ち上がり勝手にタンスを開けて服を選んだ。



「…お前はもうあの頃とは違う。」


「!」


「人を無闇に信じもしないし、それはコアに対しても同じになった。

…俺はこの時を待ってたんだよ。

『お前が誰にも振り回されない強い意思と観察眼を持つ』…この時を。」


「…………」


「今ならお前は第三者の目線でコアと向き合える。

…こっからが反撃だ。」



 柳は目を細めクスッと笑い、オルカに服を渡した。





プカー~



 門松は一服しながら、ボーッとオルカと柳を眺めた。

それは二人が共に出掛ける時にだけ起こる光景で見慣れたものだったが、少々不思議な光景だった。



「でさー。アホ後輩がフザケて門松さんにタメ口きいたからさー『テメ殺ッぞ!?』てキレてー(笑)

そしたら次の日の朝、怖いんだかなんだか知んねーけど門松さんより俺に先に挨拶してきたからさ~。『テッメ門松さんに先に挨拶しろや殺ッぞ!?』ってキレたら慌てて挨拶してさー。」


「フフ!」


「そしたら別の後輩がフザケてさー。

『ほんと柳さんて門松さん大好きすよね!』とか言うからさ。『ハ?』ってなって。

『テメエ俺が門松さん好きなのなんざ当たり前だろまさかお前、門松さん嫌いなんか?』ってキレたら『いやいや大好きですよ!』…とか言うから?

『門松さんは俺の門松さんなんだよ馴れ馴れしく話しかけてんじゃねえ💢!?』…ってキレたら『引くわー!』とかケラケラ笑ってて。

…ったく、笑い事じゃねっつうんだよ。」



 コテやドライヤーでオルカの髪をセットしながら職場であった事を話す柳。


これこそが不思議な光景だ。


 なんでか、柳はいつもこうなのだ。

共に出掛ける時はオルカの服を選び、髪をセットし、…と、所謂全身コーデを行い外出するのだ。


 そうでなくとも柳はオルカをいじりたがる。

酷く仕事で疲れた日なんて、家に帰って寝ればいいのにここに直行し、『オルカ髪いじらせろ!』と隈の浮いた瞳で言うのだ。


そして出掛ける時は全身コーデまでする。


 門松からすれば、この柳の習慣というか性癖というか趣味が謎すぎて、ついこうやって眺めてしまうのだ。



「柳さんは同担拒否ですもんね(笑)?」


「そうだよ!ったく、そこんトコちゃんと御理解頂かねえとさー。」


「フフフフ!」



 オルカもいじられ慣れている。

時に髪をコテで巻かれてなんだかチャラくされてしまおうが、構わず笑い外出していく。


『二人とも若いもんなー』と門松は呑気に思っているが、柳とオルカだって一回り離れているのを忘れてはならない。



シュー… シュー…



「…やっぱお前はストレートだな?」


「…そうですか?」


「うん。…で、赤ピン。」


「…左でクロスですよね(笑)?」


「分かってんじゃーん♪」



 コテで髪を伸ばされながら、オルカは柳の顔を忍び見た。

いつもこんな時間、柳はとても穏やかな顔をしているのだ。

なんだかその顔が妙に『お兄ちゃん』に見えて、つい見てしまうのだ。


 柳はコテが終わると、細いピンを二つケースから出した。

いつも左前髪の横にこのピンをクロスさせて着けると、オルカいじりは終了するのだ。



「……どうして必ず赤ピンを着けるんですか?」



 オルカは『そういえば』と気になって聞いてみた。

今では帽子をかぶらず外出する事が増えたが、リンクの制御が難しかった頃は必ず帽子をかぶっていたのに、それでも柳はピンを着けてきたのだ。

 三年もこんな事をされてきてとっくに慣れてはいたが、理由は訊ねた事がなかった。


 柳は『似合うじゃん』と端的に答えたが、少しだけ手を止めてじーっとした。



「……俺さー。」



 そしてまた髪をいじりながら、ふと口を開いた。



「妹居たんだよね。」


「…!」


「あっ、そうだったんですね?」


「そう。…俺が12ん時に生まれて。

歳が離れてるからさ、メチャクチャ可愛くて(笑)」


「分かります。歳が離れてれば離れてる程可愛く見えちゃいますよね。」


「そうそう。」



『でもさ?、3才で亡くなっちゃって。』



「!!」


「…交通事故で。

ほんと一瞬、…親父とお袋と、俺と。

三人がなんでか目を離した…本当に一瞬で。」



 オルカが切なく眉を寄せる中、柳はサラサラとオルカの髪をとかした。



「……妹の髪いじるの、…大好きでさ。」


「!」


「もう…毛がちょっと生え揃ってきたかな?って頃から頭にブラシかけてて。

…母親に『まだ髪とかせないから!』『お肌に悪いから!』って言われてもさ、どうしてもいじり倒したくてさ(笑)。チョー怒られたけど。」


「…フフ。」


「いつも俺が髪切ってて。

それだけじゃなく服も選んでて。

親と買い物行けば『あーちゃんこれ似合うよ』『ねえ買ってよ』ってさ!

でも子供ってすーぐデカくなんじゃん?

だから当然渋るわけだ。

でも俺も引けないわけ。だから俺の服いらないから買ってってねだったら、『そうだったアンタの服買わなきゃじゃん!?』とか言い出して。」


「……献身的ですね(笑)?」


「ウケんよなー!

友達にも言われたもん『マジシスコン』て。

『妹と結婚するとか言い出しそう』とか言うから、『ハ?いやするし』って答えたら大爆笑。

妹がいる奴なんか爆笑よりドン引きで。

冗談に決まってんじゃんな(笑)?」


「ふふっ!」


「中2でもう進路決めてたんだぜ?

なんだと思う?」


「…美容師さん。」


「惜しいスタイリスト!」


「ああ!」



 オルカは精一杯笑っていた。

普段の柳からは想像も付かないような過去に胸が痛んで仕方なかったが、悟らせぬように笑顔を心掛けた。


 柳は時折思い出したようにクスクス笑い、オルカのサラサラな髪にピンをさした。



「……だからさ、お前の服を初めて選んだ時。」


「はい。」


「ほんと、…スッゲー楽しかったんだよね。」


「…はい。」



 優しく朗らかな笑顔、声。

もうお兄ちゃんにしか感じられない存在。


まだ15だった自分に対し厳しく接してきたのは…

きっと柳自身に重ねていたのだろう。

柳も15才の時に妹を失い、きっと酷く人生の闇をさ迷ったのだろう。


 柳の過去を知っていた門松は、『おお話した』…とかなり驚きつつ聞いていないふりに徹した。

柳が誰にも過去を話したことがないのを知っていたからだ。

それに、スタイリスト志望だったのは初耳だった。


 柳は微笑みながらもう一本ピンをさし、オルカの頭にポンと手を乗せた。



「……ありがとな。」


「!!」



 フッと笑い立ち上がった柳。

オルカはパッチリと大きくした目で、トイレに行ってしまった柳の背をじっと見つめてしまった。



……『ありがとう』…?



 ふと門松と目が合うと、彼は鞄を持ち立ち上がり、小声で耳打ちしてきた。



「可愛い奴だろ(笑)?」



 オルカは吹き出すように笑い、「知ってましたよ?」と鞄を持った。



『ありがとう』…


…この世界からしたら自分は異物でしかないと思ってた。

事実、僕はこの世界の住民じゃないから。


けれど何故か…、何故かこの時、僕はとてつもなく嬉しくて。

…気を抜けば泣いてしまうんじゃないか。って程。



「よーし行こうぜバイキング!」


「はい!」


「…蕎麦あるかな。蕎麦食いてえ。」


「あんじゃないです?」



よりによって僕に当たりがキツかった柳さんの口から、まさか、お礼を言われるなんて。


こんなの、…嬉しくない筈がなくて。



『でもなオルカ。

リンクは門松さんの前ではするな。』


『…え?』


『ちょっと思うことがあんだよ。

…検証は俺ん家でやる。

検証内容は門松さんには伏せとけ。

…タイミングみて俺から話す。』


『…分かりました。』



だからこそ、柳さんのこの言葉に、僕は戸惑っていた。



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