第61話 洗脳文書のようで
「ああそうだオルカ。」
「はい?」
唐揚げをモグモグ食べながら、突然柳が畏まった声を出した。
「オーストラリアなんだけどな。
日本大使館だけじゃなく、世界中の大使館の撤収が決まった。」
「!」
「だからな、…もう一般人が行くのは厳しい。」
三年が経過してしまった今、オルカは自分からカファロベアロの話をしなくなっていた。
それは二人が自分にしてくれている数々の事に感謝をして余り心配をかけてはいけないと遠慮しているのと、この世界と真摯に向き合っている結果だった。
門松も、もう殆どカファロベアロについて聞くことはない。
聞けることは聞いたし、調べられることは調べた。
だからオルカと過ごす時間にその話題が出るのは稀となっていた。
だが柳は違った。
一番オルカの語るカファロベアロを敬遠していた彼だけが、今ではその話題を唯一出す存在となっていた。
「そう…なん…ですか。」
「カファロベアロとオーストラリア。
絶対に何かはある筈なんだよな。
だから連れてってやりたかったんだけど、状況は平行線どころか悪化してる。」
「…悪化?」
「ああ。」
鞄からタブレットを取り出した柳。
門松はこんな時、自分の立ち位置や目標がよく分からなくなり、いつも複雑な気持ちで静観していた。
コトン。
「これ見てみろ。」
「…!」
「ミストの影響なのか、何なのか。
魚が海から姿を消したんだ。
…それに伴って生態系のバランスが著しく乱れてる。」
「……緑の…海。」
「プランクトンの大量発生だよ。
…それだけじゃない。大陸の外周から中心に向けて野生動物が避難してるって。
…まるでミストから逃げてるようだ。…って。」
「………」
三年前よりも白いモヤは濃くなっていた。
調査隊が調べた結果によれば、そのモヤの成分は水なんだそうだ。
つまり、霧や曇と同じという事だ。
今では通称『ミスト』と呼ばれ、何故気化もせず流れもせずにオーストラリア大陸を包み込んでいるのかが、学者や研究者達の論点となっていた。
オーストラリアがミストに包まれてしまったのは4年前だった。
つまり、オルカがこの世界に来る一年前だ。
最初は淡く薄く…『霧がなかなか晴れないな』程度だったのが、日を追う毎に濃くなっていき、いつの間にか雲のように衛生に映る程となった。
最初の半年こそ、観光客を喜ばす謎の自然現象として売りにもなったが…
地元の漁師達が『これはおかしい』『魚がおかしい』と不安の声を上げ出すなり、ミストは観光客でなく研究者達の目的地となった。
オルカが現れた、ミストが発生して一年目は、視界すら無くなってきた海への一般人の出港が禁止された頃だった。
海に出られるのは研究者や学者など、特別な許可を得た者達だけだ。
当然漁師や海の観光客をメインの収入源としていた者達は職を失い、余りに異例の事態に国がある程度生活を保証してくれたが…、長続きはしなかった。
何故ならば、飛行機の離着陸が不安だと、通年観光客で賑わっていた空がスッカラカンになってしまったのだ。
オーストラリアを目指すのがほぼジャーナリストや他国の学者のみとなってしまっては、財政破綻は回避できない。
生活用品の多くを輸入に頼っている分関税だけでも大変な額なのだから。
日本でも『史上最低額!』と銘打ちオーストラリア旅行があちこちの旅行代理店から売り出されたが…、通常の10%未満しか集客出来なかった。
そんなオーストラリアの現状に、現地に住んでいたり働いていた外国人は次々に撤収していき、一年前にはちょこちょこと大使館すら撤収する事態に。
そんな頃の現地の人々の反応は様々だった。
『ここで生きてきたのだから何があろうとも受け入れる』と国を出る意思の無い声があれば…
『出ていきたい』『助けて欲しい』と、難民受け入れを懇願する声も。
その内貨物船だけでなく、飛行機での輸入も絶たれ、オーストラリア政府は世界にヘルプを出した。
『難民として受け入れてくれ』と。
そのヘルプに応えるように全世界で急ぎ難民受け入れが始まった。
そして今は、その難民受け入れの真っ最中で…
柳の言ったように、全世界の大使館の撤収が国連会議で決定してしまったのだ。
「…実はな、確かな筋の噂なんだけどな?
世界各国から集結した…、彼等がミストの謎を解けないならもう終わり!…って位有名な研究者達が現地入りしたらしいんだ。」
「!…じゃあ、何か進展が?」
「……行方不明になったらしい。」
「な!」
「……待てよ柳。」
ここで門松が待ったをかけた。
『確かな筋の噂ってなんだ』と。
『不確定要素で不安を煽るな』と。
だが柳は鋭い目付きで門松と向き合った。
「俺の知り合いがこのチームに入った研究者とダチだったんですよ。」
「!」
「オーストラリア入国後、『野生動物が向かってる大陸の中心を目指してみる』って連絡を受けて。
…その後、音信不通。」
「………見たのか?」
「はい見ました。
俺が刑事やってるから、何か分からないかって相談されたんすよ。」
これは…、『確かな筋の噂』だ。
門松もこれには髪をグシャッと掻き上げ、鼻で大きくため息を溢してしまった。
オルカは「中心…」と呟き、神妙な顔になってしまった。
(カファロベアロの中心には…王都が。)
「…でさ、オルカ。
カファロベアロでは、…中心に王都があるだろ?」
「!」
「王都には王宮があり。」
「……」
「そして王宮には……」
世界の理、…コアがある。
柳はじっとオルカと目を合わせ、「実はな?」とビールをグイッと傾けた。
オルカは新しい缶を持ってきて柳の前に置き、真剣に向き合った。
「実は俺さ、…コア、信用してないんだよね。」
「……ん?」
「ああー。…分かる。」
「ですよね門松さん。」
「…え?、……信用して… へ?
え、二人とも、……コアに不信感を💧?」
「そりゃな。」「当たり前じゃん。」
目から鱗のオルカ。
彼からすれば信じる信じない以前の問題というか。
…そんなの考えたこともなかったというか。
「…何故ですか?」
「……スイッチ、割ったって言ってたろ。」
「!」
「その元凶の話聞いた時…、ギルトの件を聞いた時にさ。
…ほら。『呪われろ』のやつ。」
「…はい。」
「それ聞いた時にな、『ないわー』って思って。」
(…… …軽い。)
少し間が抜けたオルカに、今度は門松が真剣に話した。
『人を呪おうとするなんて普通におかしい』と。
「人なら…、生きてりゃ色々あるから。
時に心を病んで…全部人のせいにして。
そして呪われてしまえと願ってしまうことも…
まあ、なくはないと思う。
…だがギルトの件の呪いは、明らかにコアがギルト単体に向けて放った殺意だろ?」
「……多…分。」
「人が人を呪うならまだ分かる。
だが、『コアが』人を呪おうとしたんだ。
…それも、目に見える程の確かな力で。」
「!」
「コアと繋がるお前を介して、強制的にギルトを攻撃しようとした。
それは明らかな意思だ。…独立した意思。
…そんなのを、世界のコアと呼ばれる存在が成していいと、…お前は思うのか?」
『いい筈がない』。
それはオルカも感じていた。
その日の事はたまに悪夢として見てしまう程、オルカも恐怖と共に記憶していた。
「……ラーメン屋、覚えてるか?」
「! …はい。」
柳の言葉に、オルカの脳裏に鮮明に柳の手と目が思い出された。
『スイッチに頼るな』と強く諭されたその光景は、何故か印象深く、たまに思い出してしまう程の強い記憶となっていた。
「あの頃まだ、その呪いの事は聞いてなかったじゃん?
でも後々聞いてさ。『ああ良かった』って。」
「……」
「『俺の判断は間違ってなかった』。
『スイッチから離して正解だった』…って、すんげー心の底から思ったんだよね。」
「……」
「…なんかさ。……嫌だったんだよ。コアが。」
「!」
「カファロベアロ云々も訳分かんねえし。ってのもあったけど?
なんつーのかな。…感覚?、直感…本能的に?
なーんか嫌だったんだよ。」
『日本のことまで何でも教えてくれる』。
『カファロベアロにある石を自在に操る能力をオルカに与える』。
『オルカの疑問に答えてくれる』。
一見すれば親切、万能と思えるコアの反応だったが、柳と門松は思っていたそうだ。
『まるで都合のいい洗脳文書のようだ』と。
「!」 (…洗脳…文書。)
「お前ももう18だから言うけどさ。……
コアは答えたり答えなかったり、まちまちだろ?」
「はい。…その基準はよく分かりませんが。」
「俺がキナ臭えと思ったのは……
『どうして僕はこの世界に?』って質問に無反応だった時だ。」
「…! …あんな頃から?」
「ああ。その質問には無反応なのに、『カファロベアロの人口は?』という問いには即答。
だが『どうしてコアは時計の形なの?』
『時計の針が一本足りないのは何故?』
…この質問には無反応。」
「そっ。…つまりなオルカ。
こっち生まれこっち育ちの俺と門松さんからすればな?、余りに都合のいい問答に見えたわけ。」
「!」
…都合のいい……
「まるで、大切な部分を覆い隠しながら…、外面だけは善良。…みたいな気持ち悪さと違和感。
…それはお前もあっちで感じたって言ってたろ?」
『人類に都合が良すぎじゃねえか?』
久しく見るオルカのじっと驚愕する顔に、二人は口を閉じた。
カファロベアロについてしっかりと話すのさえ久しぶりだったのに、不安を煽りすぎたか?…と。
だがオルカは、不安よりも何よりも…『今という時間』について考えていた。
自分をこの世界に飛ばしたのは間違いなくコアだろう。
それなのに、何故そんなことをしたのかという問いに答えないのだとすれば…
「……コアにとって都合が悪いから。」
「!」 「……」
「沈黙こそが答え。」
オルカはふと法石を握った。
外で不意にリンクをしない訓練をした彼は、自分の意思のみに呼応するようにリンクをコントロール出来ていた。
『そんな今ならば…』と、オルカは声に出して訊ねてみた。
「…日本の現在時刻は?」
キィィ…!
久しぶりに見るリンク。
髪と法石の煌めきを、門松は反射的に録画した。
『西暦2500年、10月1日』
「…じゃあ、……柳さんはいくつ?」
(おい。)
『30歳』
「……」
「…ど、どうだった?」
「合ってます。…ふふっ!」
「楽しんでんじゃねえよ💢!?」
「うーん。…じゃあ……」
『どうしてギルトさんを呪ったの?』
…この問いに、コアは答えなかった。
(やっぱり無反応。)
「…どうして僕をこの世界に送ったの。」
『 』
「…駄目です。やっぱり答えません。」
オルカがリンクを切ると、髪の毛も法石も元の色に戻った。
オルカは暫し法石を見つめると、ふと顔を上げて二人と目を合わせた。
「検証結果。『僕が強制的にゲロらせるのは無理でした』。」
「……いや、そこなの!?」
「はい。…あ、でも意思の力が足りないといえばそうか。」
(警察用語普通に使うようになっちまったなあ。)
オルカは小さくため息を溢した。
なんとなく気まずくて大人二人はグイッと酒を飲んだ。
僕は、どうしたいんだろう。
「……ま、今さらですよね。
コアは諸刃の刃。…と、思っておきます。」
「タフ過ぎてリアクションに困るわ。」
「だって分からない事に費やす時間が勿体ないですし。」
「……まあ、そうかもな?」
「そうですよ。」
『僕にとっては、お二人が祝ってくれているこの時間の方が大切ですから。』
オルカの言葉に二人はキョトンと瞬きをし、照れたように笑った。
オルカも嬉しそうに笑って、二人から貰ったプレゼントを開けた。
そんなオルカを、化石は見守っていた。
タンスの上に置かれたショーケースの中で、淡くライトに照らされながら。
僕は…この二人が大好きだ。
友達が欲しいと思わないのも…、きっとこの二人が居てくれるから。
この二人が居るこの世界が…好きになってしまったんだと思う。
この二人の居るこの世界を、より良くする為に…
どうすればより素晴らしい世界になっていくのかを、僕はずっと考えているんだから。
だから勉強して…、大学に入って…
そして世界に貢献できる仕事に就きたい。…って。
それこそが二人に出来る、最大級のありがとうなんじゃないか。…って。
けれど心の何処かが…、チクチクと痛む。
ギルトさんは無事なのか…って。
ジルさんと茂さん、大丈夫かなって。
…ヤマトは元気かなって。
シスターは?、兄弟達は?
大災害で怪我をしなかったかな?
ロバートさんは?、海堂さんは…?
みんなみんな、…元気かな? ……って。
『この…犯罪者が!!』
…あんな世界は、きっと、終わった。
僕が王位を継承したんだから…
きっと政治は大災害以前に戻った筈だ。
だってギルトさんは、誰よりもカファロベアロを愛していたから。
『ジル姉さん!』 『ゲイル兄さん!』
たまに夢で見るんだ。
まだ少年の頃のギルトさんを。
初めは夢かとも思ったけど、その内、『これはコアを通じ過去を見ているんだ』と理解した。
『どうして…っ、どうしてッ!!!』
…けれど、夢は全てを見せてくれるわけじゃない。
母さんの首を飛ばす寸前の…、頭を抱え震えながら涙するギルトさんの姿は見せてくれても…
『何故そうなってしまったのか』は、見せてくれない。
『まるで都合のいい洗脳文書みたいだと…』
その言葉を聞いた瞬間、残念なことに納得してしまった自分が居た。
正直、もしもコアがネットのように検索に対し従順に答える『物』だったなら…
僕の意思に従わない筈がないんだ。
それなのにコアは『沈黙』をする。
それはつまり、『コアの意思』だ。
カファロベアロとは意思ある力に支配された世界。
そして僕は、…その力を使うための媒体。
『王家は世界の理と繋がる事の出来る唯一の存在』
『法石を媒体にしてコアと繋がる』
きっと法石は、リモコンみたいな物なんだろう。
柳さんが命名した『スイッチ』は、あながち間違ってもなかったのかもしれない。
『お前は自由なんだ。…オルカ。』
ああ。…自由が辛いよ。…茂さん。
…今僕は自分の意思で生きているつもりだけど、本当に自由の中に居るのかも…分からないよ。
『…オルカ様。』
っ、…会いたい。…会いたいよ!!
本当は振り返りもせずに駆け出したい!!
僕はいつになったら貴方との約束を果たせるの!?
いつになったら!貴方の隣に並べるの!!
『明日バイキング行こうぜ?』
…行きたいよ。 …生きたいよ!
この世界で…大好きな二人の傍に居たいよ!!
お金貯めて…免許取って!
忙しい二人に…、大変な仕事をしてるのに少しもそれを見せない二人に!恩返しがしたいよ!!
『なあ…オルカ。
俺達はああならないように…、絶対に… 』
もうヤマトが無理して笑わなくてもいい世界にしたいよ!!
…僕の心は、…グチャグチャだ。
熱い心ばかりを煮込みすぎて…
もう、…手が付けられない。
どっちつかずで。…何一つ実行出来なくて。
「…僕のこと、……忘れても…いいよ。」
弱るとこうやって…すぐに心が負ける。
こんな僕なんて、…本当に忘れてくれて
「…オルカ様?」
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