第55話 法と常識

 次の日の朝。

オルカはふっと目を覚まし、『ああそうだった』と瞼を擦った。

『ここは門松さんの家だ』と。



パサ!



「!」



 体を起こした途端に何かが床に落ち、見てみると毛布で…、オルカは門松が帰ってきていた事を知った。

だが辺りをキョロキョロしても門松の姿は無い。


訝しげにしつつも歯を磨き顔を洗いリビングに戻ると、キッチンの上に書き置きがあると気付いた。



『シチューうまかったぞゴチソウさん!

仕事行ってくるな?』



 書き置きを手に持ち時計を見てみると、まだ朝の六時になったばかりで…

オルカは本当に門松が忙しい人間なのだと理解した。



「…『刑事』って、…何だろう?」



キィィ…



 リンクによれば、カファロベアロでいう『保安官』だとのこと。

保安官が苦手なオルカは『え💧』と眉を寄せたが、よくよくリンクして内容を整理してみると、日本の警察官とカファロベアロの保安官は、似てはいるが大分違うものなのだと理解した。



「…あっちだと保安官は容赦ないけど、こっちの警察官は法に準じてるんだ。

…じゃあ、物取りが居たとしても…

あんなに殴ったりはしないんだろうな。」



 キィィ… と、またリンクが起きた。

それは日本での物取りについての概念だった。



『物取り・店の品を会計無く外に持ち出す万引き

もしくは車などの大型の商品を許可無く外に持ち出す等の窃盗の意

飲食においては、食事を摂ったのにも関わらず会計をせずに店を後にする無銭飲食、所謂食い逃げなどが該当する』



「…へえ。…カファロベアロだと、万引きが多かったってことになるのかな…?」



『万引き・主にポケットサイズの窃盗を表す言葉

畑から野菜を無断で持ち帰る事も窃盗に分類』



「…ま、待って…💧?」



『厳密には、公共の場に落ちている物を無許可で所有することも犯罪

落とし物を拾った場合、7日以内に警察に届ける

遺失者が判明した場合、落とし物の価値の5~20%の間で遺失者から謝礼を受け止る事が』



「待ってってば💦!?」



ィィ……



 突然流れ込んできた大量のお堅いデータに、頭がパンクしかけたオルカ。


思わずリンクを切ると、彼はゆっくりとしゃがみ込んで遠い目をしながら苦笑いした。



「…日本、細かいなあ。」



 だが、ここは日本だ。

寝ても覚めても、日本なのだ。

『だったら』とオルカは気合いを入れた。


カファロベアロと同じように法律があり、それを破ってしまったなら犯罪者となってしまうのならば…



「門松さんに迷惑はかけられない!」



『法を覚えるしかない』。

…少々的外れだが、オルカは意を決しリンクした。





 一方こちらは横浜本署。

素晴らしく美味なビーフシチューで朝から腹を満たした門松は、御機嫌にマイデスクに座った。


…新たに凶悪犯罪が起きた形跡もない。

どうにかなりそうだ。



「……あの、…先輩。」


「…ん。どした門松。」



 夜勤明けの先輩に、門松は『今日はちょっと早めに上がりたいんですが…』と告げた。

 先輩は『こいつがこんな事言い出すなんて…』と、『やっぱり今日くらい休ませてやればよかったな』…と勝手に気持ちを汲んでくれた。



「いいぞ?」


「すみません本当に。」


「いや、…むしろ、なんかごめんな?」


「…ん?、何がです?」


「なんなら…、今日このまま上がれ?」


「や…別にそこまでせんでも」


「こんな時くらい自分を労れ?

体調不良って言っとくから。」


「や…あの」


「いいから!」



 隈の浮いた先輩に『いいから休め』と強引に荷物を渡されてしまっては…、逆に帰らないなど出来ない。

門松は首を傾げつつも、今来たばかりの署を後にした。



「…何だったんだ💧?」



 先輩は門松が早く帰りたがった理由を、チームメイトが亡くなってしまった故に心情がまだまだ落ち込んでいると思ったのだが…

実際は、オルカの服や布団を買い出しに行きたかっただけだった。


故に門松は『別に今すぐに帰らんでもよかったのに💧?』と首を捻ってしまったのだ。



「……まあ、たまにはこんなのもアリか。

なんかありゃ連絡来るだろ。」



 門松は車に乗り込み、来た道を戻った。


 そんな門松の車を丁度見てしまった柳は、『ん?』と首を傾げつつ署に入った。



(…おっかしいな。門松さんの車だったよな?

でもこの時間に署を出るなんて変だし…

…見間違えた? 俺が? 門松さんの車を??

ないないあり得ない(笑)!)



 一人で顔の前で手を振りながら三階の一課部屋に入ると、先程門松を帰した先輩が『おう』と挨拶をしてきた。

柳は普通に挨拶を返し、門松が居ない事に目を細めた。



(おっかしいな。この時間に居ないなんて。)


「柳!」


「はい?」


「門松な、体調悪いから帰したわ。」


「え!?」



「なんすかソレ!?」と声を張った柳。

『俺に一言も無しに帰る筈がない!』…と思った瞬間、ピーンときた。



(あ!?これ…ゼッテーオルカだろ💢!?)


「なっんだよソレ💢!?」


「…お前なあ?、いい加減に門松離れしろよ。」



 先輩は『門松が居なきゃ仕事も出来ねえのかお前は~💧』…と呆れたが、そうではない。

『俺との仕事よりもオルカを優先されるのがごめん』なのだ。



(あ…っのクソガキィ!!?)


「…てか!、俺だって当事者なんだけど💢!?」


「…はい?」


「なっんだよソレ💢!?」


「??」



 柳はその場でバンバン💢!!と床を蹴り、マイデスクに鞄を置きドカッと着席した。







「わあ!、すごいですね!」



 昼前、オルカはショッピングモールに足を踏み入れた。

広いホール。大量の人。

ショップのガラスはどれもキラキラと光り…、行き交う人々の顔もまたキラキラと輝いて見えるような世界に、オルカは大興奮だ。



「ちゃんと帽子かぶってろよ?」


「はい!」



 意図せずリンクしてその度に髪が光ってしまうので、オルカはキャップをかぶっていた。

門松がタンスの奥から引っ張り出したキャップだ。

聞けば大昔に姪がくれた物なんだとか。



「よっし!、んじゃ先ずは服買うか!」


「…あの、門松さん。」


「ん?」



『今さら』とは思いつつも、オルカは奢ってもらっていいのかと訊ねた。

なんせ彼はお金を持っていないし働くあても無いので、服を買うお金を借りても返せない。


だが門松は『気にするな』と、なんとも太っ腹に返した。



「お前は事情が事情なんだし、気にすんな?

代わりに家のことやってもらうって話になっただろ?」


「…で…すが。」



 渋り気まずそうな顔をしたオルカの頭をポンポンと宥め、『ほれ行くぞ?』と門松は促した。



「じゃあ出世払いって事にしといてやるよ(笑)?」


「……ハハ。…僕は出世どころか就職さえ危ういんですが。」


「まだ15だろ絶望するにゃ早い早い!」



 バシバシ! …と背を叩き、門松はオルカとショッピングを開始した。



 奢ってもらうのは気まずかったが、ショッピングモールという場所はオルカにとってはワクワクそのものだった。

お店によって置いてある物は違うし、どの商品も触れるし、触り心地はいいし。

どの店に入っても『いらっしゃいませ~!』

買わずに出ても『ありがとうございました~!』


『日本人すごい!』…と、普通に外国人気分で楽しむオルカを、門松は時折クスクスと笑っていた。



「…お。ここ帽子いっぱいあるな。」


「一杯ありすぎて目まぐるしいですね!?」


「お…おう。」



 少々不思議な文法だがギリギリ合っている言葉に門松は少々首を傾げつつ、今回のショッピングの一番の目的、帽子を買うことに。



(若者だし、服だの帽子だのは何個合っても足りないよなぁ。

しかもこいつ、帽子抜きに外出は厳しいだろうし。)


「……門松さん。」


「ん?」


「多すぎて、どれがいいのやら。

…これ、勝手にかぶって本当にいいんですか?

法ならある程度インプットしたんですが、法と人々の営みってやっぱり差があるんでしょうか?」


「……  なんて!?」



 ここでやっとオルカが日本憲法をリンクでダウンロードしまくった事実が発覚した。


門松は『確かにそれも大切なんだが、法と人の常識って地味に違うんだよな💧』…と苦笑いしてしまった。

『どちらかといえば大切なのは常識の方だ』と。



「ま、まあ、…あんまお堅く考えなすんな💧?

大体は、法を破ったからって即行逮捕!ってわけじゃねえから。」


「?、そうなんですか?」


「うーん。…例えば~…な?

この店の商品を持ったまま、店の外に出たら?」


「万引きです。」


「だが、…見てみ?」


「?」



 門松に指差された方を見てみると、商品の入ったカゴを持ちながら店の境界を超えて廊下に出ている客が。

オルカは『わ!?』と驚いたが、店員はチラッと目線を送れども取り押さえには行かない。



「あれはな?、廊下側にディスプレイされてる商品を見てるんだ。

それに足元見てみろ。廊下とショップの確かなボーダーが無いだろ?」


「…はい。」


「もしあの人が鞄に商品を入れたら。

…それは間違いなく悪意ある犯行だ。

だがあの人は『選んでる』んだ。

フラフラしてるのは、『何を買おうか迷っている』から。

つまり、悪意が無い。」


「…つまり、犯罪かそうじゃないかのボーダーは、『悪意』ということですか?」


「そうじゃないこともある。」


「……」


「悪意が無かろうが罪に問われる事はある。

…だがな?、この世界は心を重んじている。

その為に俺達が居て、裁判てものがある。

…階段で足を踏み外してしまって、後ろの人が巻き込まれて亡くなってしまった。

これと、イライラしてて出来心で後ろの人を突き落とし、その人が亡くなってしまった。

…この二つが同じ罪の重さだと思うか?」


「!!」


「だが人が亡くなった事に関与してるのは同じだろ?

『人の命を奪うことは罪である』…これが法だ。

多種多様な人間が居る世界だからこそ必要な、大きな絶対的なルール。

…だがさっき言った、階段を踏み外してしまった人と、イライラして人を突き落とした人の罪の重さは違う。」


「………」


「ここが大切な違いなんだ。」



『確かに』と目から鱗のオルカ。

この世界に存在する『情状酌量』というものが、カファロベアロには存在しないのを知った瞬間だった。



「結局なあ?、大切なのは『常識』だ。」


「…『常識』。」


「そ。『常識の無い行動』。

その行き着く先が……罪なんだ。」


「…………」


「だから人を育てるっていうのは…

本当に大変なことなんだよ。

…お前はいーい人に学んだな?」



 この時オルカは思った。

『この人は本当に大人だ』と。

優しく諭すように笑う顔、穏やかだがしっかりとした声。

それらから、『この人はきっと正しい人だ』と、心が察知したのだ。



「…はい。」


「…ん。よーし試着だな?」


「はい(笑)」



 門松は数ある帽子を見回し、一般的な色合いのカーキのキャップを手に取った。


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