第37話 十人十色の心

 伸ばした手は虚しく空を掻き、茂が地面に落ちた『ドッ』という音が耳に響き…

ギルトはその場に崩れ、叫んだ。

頭を振りながら、抱えながら、『どうして!!』『嫌だ!!、兄さん!!』…と叫んだ。


いつの間にか子供の姿はなくなっていたが、そんなのはもうどうでもよかった。



「ごめっ…姉さん…~~っ、嫌…だッ!!

兄さん…兄さんッ!!!」




ゴーーーン…!!




「…!!」



 だがどこからか響き渡った大きな鐘の音に、ギルトはハッと顔を上げた。

その勢いで瞳から大粒の涙が飛び、床に落ちた。



ゴーーーン…!! ゴーーーン…!!



 耳だけでなく、体全体が振動する程の大きな澄み渡る音。

今まで聞いた事のない、何処から響いているのかも分からない鐘の音に、ギルトは『まさか』と目を大きく開けた。



「…まさかこれが、…継承の鐘…?」



 次の瞬間には体が勝手に立ち上がっていた。


 ギルトは一度、茂が消えた窓を歯を食い縛り見つめると、バッと頭を下げ、駆けた。



「オルカ…様!!」





ゴーーーン…!! ゴーーーン…!!



「つ…!?」



 鳴り響いた鐘の音に、ジルはハッと目を大きく開け窓に手を突いた。

何処からともなく聞こえ、世界中に届いているだろう鐘の音に押されるように、雷雲は何処かに飛ばされていき、青く青く澄み渡る空だけが残った。


ジルは唖然と澄み渡る空を見つめた。

その空は見た事がない程深く青く、白い模様のような不思議な柄が浮かび上がっていて…

だが見慣れないその空に、彼女は恐怖一つ感じず、ただ感動してしまった。



「……きれい。」




ゴーーーン…!! ゴーーーン…!!



「!!」


「なにっ!?」



 イルもハッと顔を上げた。

体全体を振動させる鐘の音が、特に胸に響くように感じて、イルは直感した。



「…オルカが、王位に就いた。」



 ひび割れた窓の外に見える青々とした空がその証拠に思えた。


地震もピタリと止まった世界に、彼女は言葉にならない感動を覚え、涙を流した。



「……よかっ…た。」





タッタッタ…!!



「オルカ様!?」



 ギルトは廊下を抜け理の間に入った。

やはり理の間は、今までのエメラルドグリーンの光ではなく、オルカの瞳の色と同じ深紅色に染められていた。


その光は妙に温かく感じた。

エメラルドグリーンだった頃はどこか水っぽさを感じたのだが、この深紅の光は太陽とは別の、不思議な温かさを感じさせる光だった。



「…オルカ様!?、……オルカ様!!」



 だが、いくら探してもオルカの姿は無かった。


ギルトは先代女王の心臓さえもが跡形もなく消えているのを確認し、グシャッと髪を掻き上げた。



「…やはりオルカ様はここに。

しかし、…では何故、お姿が無いのか。」



 未だ鳴り続く鐘の音は、この空間から発せられている気がした。

鐘など無いのに鳴り響く継承の鐘に、彼は『伝承は本当だったのか』…と、今更だが不思議な気持ちにさせられた。



「…いや、まあ、…我が家に受け継がれてきた伝承を疑っている訳ではないが、……

本当に鐘無き世界に鐘の音が響くとは。」



 ギルトは暫くオルカを探したが、どうしても見つけられず、仕方なく捜索を切り上げイルの元に向かった。

先の大地震で牢が崩れていないかを案じたのだ。


本音ではタンスなどの背の高い家具がある個室に居るジルの元を先に訪れたかったのだが、パッと見から執行議会は無事そうだし、イルを優先した。



「…どうせ全て破壊された後だろうしな。」



 ボソッと吐き捨てたこの言葉は、絶対にジルに知られてはならないと思った。




 イルに付いていた見張りの女性も、継承の鐘と澄み渡った空にホッと安堵したが、その瞳はふとイルを盗み見た。

そして『状況を確認してくる』…と、外に出た。

廊下には彼女と同じ制服を着た男性が居て、鐘の音や地震が収まった事を興奮気味に話し出した。



「本当に名誉だな!!

継承の鐘だぞ!?、数百年に一度しか鳴らないっ、あの継承の鐘を聞いたんだぞ俺達!!」


「ふふっ!、ええ本当ね?

……それよりも、……実行して。」


「……今はそんな気分じゃないんだが。」


「今こそ一番イイ気分になるべき時でしょ!

…あの女に少しでも分からせてやるのよ。」


「……そうだな、分かったよ。」



 二人は辺りをキョロキョロし、女性の合図で男性だけが中に入った。

女性はソワソワと落ち着きなく、『ざまあみろ』と吐き捨て、汗を拭った。





「……あなたは?」



 牢を開けて入ってきた制服の男性に、イルはキョトンと首を傾げた。


だが直後、腕を羽交い締めにされ鉄格子に手錠で止められ、目を大きく開けた。


男性は心底侮蔑を込めた瞳でイルを見下ろし、彼女の修道服をビリッと破いた。



「なっ!?、や…やめて!!」


「黙れ卑怯者!!」



 イルは訳が分からず叫び助けを求めたが、男性は彼女の口を塞ぎ無理矢理胸に舌を這わせた。


真っ白な綺麗な肌、豊満な胸を好きにしているのに、男性は少しも喜びを表に出さず、怒りだけをイルに向けた。



「ン"ーッ!!」


「…あの方は15年もアンタを想ってたってのに。」


「!」


「アンタはあの方を捨てるだけでは飽きたらず!

修道女なんかに身をやつして…!?」


「………」


「…あの方がどれだけ身を粉にしたか。

どれだけの孤独だったのか!!

少しも支える事なく去っておいて!?、何がサファイア家のご息女だ!!

そういうのはな!?、責務を果たした者にだけ与えられる羨望なんだよッ!?」


「…………」



『残ってくれたのはギルト様だけだった。』

『あの方の15年を返してよ!』



 イルは見張りの女性の言葉を思い出し、彼が何故こんな蛮行に及んでいるのかを理解した。

彼は『ギルトのためにイルに罰を与えようとしている』のだ。

 だが、この考えは的外れもいいところだった。



「プハ!、…あなたは勘違いしているわ!」


「ハッ!!、隠したって無駄ですよ。

…サファイア家の息女とギルト様が婚約していたのはここじゃ有名」


「それは、ジルよ。」


「…は?、んな訳ないだろうが!?

ジル様はサファイア家の第一子!、長女!!

どう考えたって婚約していたのは第二子のお前」


「いいえ。…ジルよ。」



 イルはこんな状況で、怒っていた。

襲われてしまう恐怖よりも、この男性と先の女性に対する怒りの方が勝ってしまったのだ。


その理由は簡単だった。

こんな女性を傷付ける行為を、ギルトが望む筈がないからだ。



「あなた、『あの方』なんてギルトを呼んで。

尊敬してっ、敬っている癖に!?

ギルトの事を何も分かっていないのねッ!?」


「ッ…黙れ鬼畜が!!」



パンッ!!



「っ、…いいえ黙らないわ。

あなたはなんっ…にも分かっていない。

…勝手な勘違いから勝手に妄想して。

勝手に憎しみを募らせて!!

そして!、あなたはギルトを誰より傷付けるのよッ!!!」


「…自分が犯されたくないから姉を売る。

…本当に最低な女だな。」



 男性はイルの言葉に耳を貸さず、修道服の下から無理矢理手を伸ばし下着を掴んだ。

イルは『負けてはダメ!』と己を奮い立たせ、必死に抵抗した。



「暴れるなッ!、自分の罪を受け入れろッ!?」


「そっくりそのまま…っ、お返しするわ!!」



 イルは心の中で助けを求めた。

女として心に決めた、男性に。



(やだ…っ、たすけて……ロバート!!)



バンッ!!!



 その時扉が乱暴に開けられた。

男性は焦り勢いよく振り返ったが、直後にはサーっと血の気を引かせた。



「イル…!!」


「ギル…」



 扉を開けたのはギルトだった。

彼の後ろには顔を青くした女性の姿が。


 ギルトは勢いよく牢に押し入ると、男性の顎に蹴りを入れ壁に打ち付け、直ぐにジャケットを脱ぎイルにかけ、手錠を外した。



「無事かイル!?」


「…ええ、大丈夫。」


「……本当か。」


「ええ本当。…胸をその…触られただけよ?」


「……そうか。 あっとすまない!」



 ギルトは『今男である自分に触れられるのは嫌だろう』とイルを抱き起こした手を離した。


だがイルはパッと彼の腕を掴み、気まずそうに眉を寄せた。

ギルトは彼女の心細さと不安を敏感に察知し、彼女の手に手を重ねて苦笑いした。



「…大丈夫だ。…行こう。」


「………」



 イルはコクッと頷き、足をもつれさせながらも歩いた。

ギルトは見張りの女性をキッと一瞥すると、『貴様等の処分は後だ』…と厳しく吐き捨てた。



「よくも僕のイルに、…こんな。………

二人とも重罪は覚悟しておけ。」


「……ギルト様…」


「理解の低い頭だなッ!?

自ら牢に入ることさえ出来ないのかッ!!!」


「っ…!」



 女性は牢の部屋に入ろうとしたが、グッと口を縛り振り返った。

そしてイルを支えながら歩く背に、大声で訴えた。



「あなたを裏切り続けたその女を…っ、何故庇い立てするのですかッ!?

その女は罰を受けるべきではないのですかッ!?」



 ギルトは足を止め、うんざりと振り返った。



「…何を勘違いしているのか知らないが、彼女は僕にとって掛け替えの無い、大切な人だ。」


「~~っ!

どうしてそんな女に…うつつをぬかして」


「ハア??」



 イルが気まずそうに窺う中、ギルトは心底『意味不明だ』という声で返した。



「彼女は僕の大切な『妹』だ。」


「…な…にを!?

その女はかつての貴方の婚約者で」


「? …僕が婚約していたのはジルだ。」


「つ…!?」


「……ああ。…ああ成る程な。そういう事か。」



 この事態の原因を察したギルトは口を歪め笑い、女性に牢に入るよう促した。



「どんな理由であれ、あんな行為を正当化する理由など存在せず、また、事実確認不足で取り返しの付かない事態を招こうとした貴様等は重罪だ。」


「……そんな。」


「せめて僕が戻るまで牢で大人しくしているならば、命だけは取らずにおいてやる。」



 それだけ言うと、ギルトはイルを支え歩きだした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る