第36話 邂逅と別れ
フッ…!
「!?」
オルカは深紅の世界にただ驚愕した。
空間の果てが見えない程の強い赤い光。
円を描く三段の台の上に浮くのは…、見たこともない繊細な作りの…
「……時計。」
複雑な歯車が美しく絡み合う巨大な時計がそこに浮いていた。
だがオルカはその時計に微弱な違和感を感じた。
時計の針が、二本しかなかったのだ。
宙に浮いていることについては何故か疑問一つ抱かなかった。『こういう物だ』と、これがこの時計の自然な姿なのだと理解していた。
「…この…光景……」
カチ… カチ… カチ…
オルカは夢の中でなく、法石を握った時の感覚でもなく、耳であの音を聞いた。
眠りの狭間でいつも聞いていた、等間隔で鳴る大好きな音を。
「……ここは、…まさか。……理の間…?」
今さっきまでギルトと対峙していた筈なのに、塔から飛び下りたような浮遊感さえ感じず、オルカはここに居た。本当に一瞬で。
正直、本当に訳が分からずパニック状態なのだが、何故かこの空間に居る事に違和感は抱かなかった。
「……… …これが、コア。」
対峙した巨大な時計に、もうそれを疑わなかった。
頭ではない、きっと魂なのであろう部分で、『これこそが世界のコア、世界の理だ』と確信したのだ。
オルカよりも大きいその時計のたった二本の針は、頂上に到達するほんの寸前の位置にあった。
「…この光は、このコアから発せられてる。
…僕の色。…『赤』。」
山程の確信が自分を埋めていった。
今まで抱いていた疑問の答えが、全てがここにある気がした。
「……」 カツン…
コアに歩み寄ったオルカは、ふと眉を寄せた。
段差を上がってコアに近付いてみて分かったのだが、コアの下に何かがあったのだ。
それはコアの一部ではなく、ただ床に置かれた大きなゴミのようにも見えた。
「…何だろう?」
カツン… カツン…
「ツ…!?」
オルカは大きく息を吸い思わず口を両手で塞いだ。
心臓はバクバクと破裂しそうな程に鳴り、体は勝手にガタガタと震えた。
「なんっ…なん…で!?」
そこにあったのは…、心臓だった。
「う…!」
思わず二歩も三歩も後退りし、その場に崩れるようにしゃがみ込んだ。
その心臓は確かに脈打ち、血を吹き出していたのだ。
だが吹き出した血は辺りには飛び散らず、台座に吸い込まれていった。
オルカは驚愕し過ぎて吐き気を催したが、『落ち着け』と必死に胸に手を当て堪えた。
「…まさか!?」
そして、理解した。
いや、もうそれ以外思い浮かばなかった。
『これは母さんで、この心臓こそが今まで世界の崩壊を塞き止めていたのだ』と。
「……なんて事を。」
恐怖に堪え心臓をよく見てみれば、細長い石が心臓に刺さっているのが確認できた。
エメラルドグリーンの、…法石が。
「……まさか、ギルトさん…が?」
ギルトに対し抱いた親愛が、覆りかけた。
だが何故なのか本当に不思議なのだが、オルカは『違う』と疑念を否定した。
『ギルトさんが母親をこんな姿にしたんだ』という疑念を。
ギルトのことなどよく知りもしないのに。
きっとジル達がこの光景を見てしまったなら、一番にギルトを憎み怒りを露にする筈なのに。
何故か、『それは違う』と思った。
「………お母さん…?」
……………
「…お母さん、……なんでしょ?」
……………
ただ脈打つ心臓に話しかけても、返事は無かった。
ただ、苦しそうに必死に血を吹き出して見えた。
それがオルカには母の声に聞こえた。
『もう私は限界です』…と。
「………」
オルカは顔を上げコアを見つめた。
母親が繋いだこの世界に平穏をもたらす事が出来るのは、きっと自分だけだ。
「…地場狂いも雨も、地震も。
全ては、母さんの命がもう限界だから起きた事。
…世界は崩壊しかけてるんだ。
それを止められるのは、…僕だけ。」
『僕が玉座に座れば、世界は均衡を取り戻す』
だが、どうすればいいのか分からなかった。
玉座と呼ばれるような椅子が在るわけでもなく、例えば法石を捧げるような祭壇すら無い。
あるのは、宙に浮かぶコアだけだ。
キィィ…
その時リンクが起きた。
『王位に就く方法が開示される』と思っていたオルカは、いつまで経ってもその方法が頭に浮かんでこず訝しげに頭を上げた。
その瞬間、オルカは目を大きく大きく開けた。
「!!」
『…オルカ。』
目の前に、…女性が立っていたのだ。
キラキラと淡い光を纏うその女性の髪はふわふわのエメラルドグリーンだった。
瞳も綺麗な透き通るようなエメラルドグリーンで、優しくオルカの名を呼び、微笑んだ。
『…大きくなりましたね?』
「……………」
『……やっと、この時が来たのね。』
「…お母…さん。」
『お母さん』と呼ばれると、彼女は本当に嬉しそうににっこりと笑った。
その顔を見た瞬間、オルカは込み上げてきたものに堪えきれず、ぐっと拳を握りうつ向いた。
『……オルカ。』
「…ごめっ、……大丈夫。」
袖で涙を拭い必死に笑顔を作るオルカに、彼女は眉を寄せ悲しそうにした。
だが口をキュッと縛り、コアを見上げた。
彼女の瞳には、この空間がエメラルドグリーンに見えていた。
だがオルカには真っ赤に見えていた。
二人は同じ空間に居ながら、別の世界の中に居た。
『よく聞きなさいオルカ。 …私はもう。』
「はい。…っ、」
『……あなたが王位に就くには、私を壊さねばなりません。』
「!」
母の言葉にオルカはゆっくりと目を上げた。
彼女は真剣にオルカと目を合わせた。
『私の法石を引き抜き、コアに投げ入れるのです。』
「………」
『大丈夫。…王家の者は、死後コアに法石を返すのが習わしです。』
オルカはコアの下にある彼女の心臓を見つめた。
こんな姿ではあるが、…彼女はまだ、生きている。
「……っ、」
そこから法石を抜くというのは、…つまり。
自分が母親に止めを刺すということだ。
「…………」
抵抗ならある。…考えただけで吐き気がする程。
だがオルカには分かっていた。
『ここで自分が躊躇すればする程に、国民が犠牲になっていくのだ』と。
地震は今も絶えず起こっている。
この王宮の深部から起きた噴火により吹き出した溶岩が、ゆっくりと王宮を包み込んでいる。
噴火により発生した雷雲が世界から光を奪い、雷がそこら中に落ちている。
「…ここに居れば、世界が分かるんだね。」
『ええ。それが私達。』
「…悲鳴をあげてる。」
『ええ。…何の罪もない人々が、世界の終焉に怯え、嘆いています。』
「………」
この惨劇にピリオドを打てるのは、自分しかいない。
オルカはキッと心臓を見つめ、一歩を踏み出した。
彼女はじっと、微笑みそんな背を見守った。
「………」 クル…
心臓の前に立つと、ふとオルカは振り返った。
最後に母親の存在を目に焼き付けたかったのだ。
その心が分かっているのか、彼女はにっこりと微笑んだ。
「…っ、」
そしてオルカは母親の心臓の前にしゃがんだ。
震えながらゆっくりと大きく息を吸うと、背中に彼女の声が届いた。
『ギルトを、恨まないであげて…?』
「!」
『彼は誰よりも国民を大切にしていた。
…悪いのは、…私達なの。』
「…!」
オルカは微かに眉を寄せた。
『悪いのは私達』という言葉に。
だが、今は場合ではない。…と首を振った。
「分かってるよ母さん。」
『ありがとう。』
「っ、…お…お母さん!」
『!』
オルカは母の法石を握り、涙を溢し振り返った。
見れば彼女も、微笑みながらも涙を落としていた。
「~~っ、…僕を生んでくれて…ありがとう!」
『!』
「僕、これで…良かったと思ってる!
…だって僕は、本当に優しい人と出会えたから!」
『…うん。…うん!』
本当にありがとう。お母さん。
ズッ…!
オルカはもう振り返らず、法石を引き抜きコアに投げた。
彼女は微笑みながら目を閉じ、消えた。
…と同時に、オルカの姿も消えた。
ゴーーーン! ゴーーーン!
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