第21話 完璧な采配

「長官!!」



 バタンと乱暴に開けられた扉に、ギルトはうんざりと眉を上げ椅子の背凭れに深く腰掛けた。


 ここは長官執務室。

王都の奥に堂々と建つ四階建ての政務執行議会の頂点に構えられたここは、ギルトの職務場であり、奥の扉の先には彼の自室も兼ね備えられていた。

 王都が見渡せる壁一面の大きな窓の前には、彼の座る横長の大きな石造りのデスクが。

そのデスクの漆黒の石は質の良い光沢を放ち、それだけでここが特別な場と知らしめるようだ。

そのデスクの前には来客用のテーブルにソファー、その背面には大きなチェストがあり、接待用の酒や茶葉が置かれていた。


 慌て執務室に入ってきたのはギルトの部下だ。

彼はすみません!…と謝罪はしたが、すぐにギルトの前に駆けた。



「国中が…大変な事になっています!」


「…なんだと?」


「謎の発熱が相次ぎ、どこもパニックです!」


「…順を追って話せ。」



 謎の発熱の蔓延と、病院がパンクしている事、更にはその発熱の原因が不明という大惨事に、ギルトは血相を変え椅子を鳴らし立ち上がった。



「王都で抱えている要人用の医者を全て解き放て!

…一地区に何人回せる!?」


「……三人…が限界かと。」


「そんな筈はないだろうが!?」


「しかし!、制服からも多数の発熱者が!」


「…二名を残し全て地区に回せ!!

…発熱の原因は不明と言ったな?

だが、とんでもない高熱ならばとにかく体を冷やせば取りあえずは…」


「水石はようやく王都近郊に配り終えたところです。」


「…!」


「……氷のストックがあれば、…いいですが。

無かったら、……打つ手が…」


「~~ッ…クソッ!!!」


「地方外周など、…もっと時間がかかります。」



 ギルトはギリッと奥歯を噛み締め、対策を講じた。

原因が判明しない以上、死なない処置を優先すべきなのだが、その為には氷が要る。

だが氷なんて簡単に配れる物ではないし、数が足りなくなるのは明らかだ。


 ギルトは制帽を着用し、ステッキを持ち足早に執務室を出た。



「……氷石を国民に解放しろ。」


「し!しかしアレは貴重品で!?」



バンッ!!



 ギルトはステッキを部下の首に押し当て、その体を浮かせた。

壁に押し付けられ首のステッキで宙吊りにされた男性は、藻掻きながら足を壁に打ち付けた。



「……貴様はこの未曾有の緊急事態に『貴重品だから』と国の備品を出し惜しみするのか…?」


「くッ…申し…訳」


「我々は国の為、ひいては国民の為に存在しているのだ。…今こうしている間にも国民は苦しみ、悶えているのだぞ。

…貴様にはその声が聞こえないのか?」


「すみま…せ!」


「大切なのは見極める事だ。

…本当の緊急事態と、そうでない事態をな。」



…ドサ!



 解放された男性は喉を押さえながらむせ込んだが、ギルトは軽く鼻でため息をつくだけだった。



「分かったなら早く行け。

…医者は病院の少ない地方外周を優先し送り、氷石はどの地方にも満遍なく均等に配れ。」


「は…い!」



 男性は汗を拭い、駆けていった。

 ギルトはカツカツと足音を響かせながら広く長い廊下を足早に進んでいった。

その目はずっと細められ、口元には常に右手が添えられていた。



「…昨日の今日すぎる。

…塩辛い水と発熱に…何か関係性が…?」



 王都の備蓄庫に到着し指示を出す間も、ギルトは思考し続けたが…、答えは出なかった。


 だが二時間程経過した時、驚くべき情報が入ってきた。



「ギルト長官!!」


「なんだ!」


「地区に出ていた者から伝達です!

『昨日の赤い水道水を飲めば熱が下がる』…と!」


「……… ハーア??」



 ギルトはこれでもかと顔をひしゃげて見せた。

だが伝令の男性の顔は驚愕に充ちながらも、真剣そのものだった。



「…事実、回復した者が多数出ているそうです。」


「な!?」


「信じられませんが、…事実です。

なんでも…、誰かが昨日の赤い水を誤って口にしてしまって、熱が引いたんだとか。」


「………」



『誰かが、誤って口に入れた…?』



「それで水石を配っていた制服の者にその旨を伝えたそうです。その制服は目の前で公園の蛇口から出る僅かな赤い水を飲んだ少年が30分後にはすっかり回復したのを確認したそうです。」



 ギルトは目を細め、その地区が何処なのか訊いた。



「第三地区です。」


「…!」




……やはりな。

このパニックを逸速く静める為には政府を動かすのが一番早い。




 ギルトはニッ…と口角を上げると、マントを翻しながら大声で指示を出した。



「お前達!、急ぎ蛇口を捻り赤い水を飲むよう全国民に指示を出せ!!

政府一隊は私と共に破棄した水石へ急ぎ水道管を解放する!!」



 そのままギルトは踵を返した。

その顔は…、狂喜に充ちていた。



「その采配は完璧すぎなんだよ。 …姉さん?」






ウウウウウゥゥゥゥン…!



『全国民へ告ぐ。発熱した者は蛇口を捻り赤い水を摂取せよ! 繰り返す! 発熱した者は……』



 大きなサイレンと共に流れた発令に、ジルは『よし!』…と笑った。



(上手くいった!…ここいらが潮時だな。

早く帰って… …… ……地下に潜ろう。)



 ジルの捨て身の作戦は効を奏した。

彼女こそが制服に対策を伝えた本人なのだ。

『偶然赤い水を口にした人が治った』という嘘であり真実をひたすら制服を捕まえ訴え続け約一時間、かなり早いペースで政府を動かす事に成功した。

 だがこれは同時に、政府に不審を抱かせる種にもなる。

何故なら政府長官がギルトだからだ。

そこらの者より余程頭がキレる上、とんでもない行動力を持っているのを彼女はよく知っていた。

…故に、国民を救う為に取った行動とはいえ、もう地表には居られないと結論付けていた。



(イルのところに寄ってから…)


「貴女、大丈夫ですか!?」


「…え?」



 突然上着を掴んでいた腕をパシッと掴まれ、ジルはギクッと振り返った。

見れば政府の男性が、心配そうにしつつも自分の装いを上から下までチラリと見ていた。



「こんな軽装で。……何かあったんですか?」


「…あ!、ああこれは…少し急いでいただけで。」



 冷静に辺りを見てみると…、自分が相当注目を浴びていたと気が付いた。

それも全員、男性に。



「…お送りしますよ?」


「あ…そんな。…すぐですから。」


「だったら尚更です。」



 男性は親切にしつつも、完全に意識していた。

上着の下のワンピースは肌が透ける寸前の薄さで、腕を掴み引き止めた時には彼女の胸が完全に透けていたのだから。

しかも素足にサンダルを履いているだけだし、鞄の一つも持っていない。

『事件性』『犯罪者の可能性』も疑われたし、何よりも彼女に親切にして…口説きたいのだ。


 ジルは『しまった』…と上着を深く手繰り寄せた。

奥の制服は先をこされたと仲間にジェスチャーして笑っているし、腕を掴む男性はチラチラと足のラインを見ている。

…明らかに、面倒な展開だ。



(ああテメエみてえなボンボンに構ってる暇なんざねえんだよっ💢!?)


「本当に大丈夫ですので。

…子供が熱を出して慌てていただけですわ?

さっきのアナウンスで対策も分かりましたし……

離して頂けると嬉しいんですが。」


「…ご結婚されていたんですね。」


「ええ。…子供も二人おります。」



『嘘だろ!?』…と男性が驚愕したのなんてバレバレだった。

 ジルは『まあ嘘だけどな!』…と、上品に笑いつつそっと彼の手から逃げた。



「……では私はこれで。」


「…ですが。」


「…はい?」


「やはりその格好では。……お送り致します。」


(だから要らねえつってんだろボケッ💢!?)



 どうやら彼は『本当に嘘だ』と思ったらしい。

…よほど好みなのか、美人は口説かなければ収まりがつかないのか…、ジルは下手に時間を食わされてしまった。





(ああもおどうして男ってのはこう…アホでボケでシモに逆らえないんだろうねえっ💢!?)



 …数十分後のジルの不機嫌ときたら。

 カツカツとイライラとイルの孤児院に寄ってみると、イルが本当に安堵した顔でジルを抱き締めた。



「よかったジル心配したのよ!?」


「……上手くいったべっ?」



 ジルはニシシと笑うと、真剣な目をイルに向けた。

イルはその目にピクッと緊張した。



「………潮時だ。」


「っ…!!」


「潜るよ。…イルも来な。」



 声を落とす二人の周りを…トタトタと何人もの子供達が走り回っていた。

イルは胸に手を当てながら…、グッと眉を寄せていた。



「……私…は…」


「…分かるよねイル。政府は…あいつは、必ずこの第三地区にガサを入れる。

…そうなれば、正体露見までカウントダウンだ。」


「で…でも!」


「………」



 イルの気持ちなら分かっていた。

孤児達を見捨てるなんて…、本当はジルだってしたくないのだ。

…だが、女王殺害の場に居たイルとジルがオルカを隠したのなどギルトはお見通しな筈だ。

どうしたって、正体を暴かれるわけにはいかない。



「分か…分かって…るわ。 …けれど!!」


「……一時間。」


「!」


「……一時間だけあげる。

…それまでにお別れを済ませておいて。」


「…~~っ、 ……」


「ロバートかアングラの誰かを迎えに来さす。」



 ジルはそれだけ言うと…踵を返した。

イルはその場で立ち尽くし、『ありがと』…と口パクで呟いた。





カツカツカツ…



(……甘くなったな、私も。)



 足早にカフェに向かう中、ジルはうんざりとため息を溢した。

『昔の自分だったら問答無用で連れていったな』

『どっちがいいんだか分かりゃしないな』と。



「………ハァ。」



 足が鉛のように重く感じ、つい彼女は空を仰ぎ見た。

人々の喧騒など我関せず。

…空はいつも通り、ぼんやりと晴れていた。



「………ヤマトも…捨てるのか。 …私は。」



 本来の計画では、ヤマトを地下に連れていく予定ではなかった。

彼がオルカの情報を多く知ってしまった場合のみ、共に連れていく予定だった。

…そしてそれは、今の状況でも同じだ。

まだオルカの出生について何も知らないヤマトは、地表に置いてかなければならない。

…地下に入れるとはつまり、彼を強制的にレジスタンスに…犯罪者にさせるという事なのだから。



「…っ、」



『嫌だな』…とうつ向いても、現実は変わってはくれない。

ジルはしっかりしろ。情に流されるな。…と歯を食い縛りながら激しく己を叱咤したが…

勝手に涙が滲んで…踏み慣れた石畳に吸い込まれていった。



「…ごめ… っ!」





 茂はイルの孤児院から戻ってくるなり荷物を纏めた。

念のためと思っての行動だったが、アナウンスが流れるなりそれは決定事項となった。

彼には、ジルがなんらかしらの方法で政府に対策を伝えた故のアナウンスだと分かったのだ。



「…………」



 荷物はすぐに纏められた。

いつでも地下に潜れるようにと、茂とジルは常に準備し続けたのだから。

 だが、ここで問題が。

オルカの石を取りに行かねばならない事だ。



(…いつ政府が来てもおかしくないこの状況に子供三人残しては。

…だが、彼らを連れても行けない。)



 どうするかと思考する茂に、少しフラつきながらモエが話しかけた。



「…あたし、もう行く?」


「! …無理するな。」


「でももう、潜るんでしょう?」


「…… …恐らくな。」


「だったら海堂さんに伝えないと。

…その方がカモフラージュとか、上手くいくよ?」


「……そ… 」


「…ヤマト、…どうするの?」


「…!」



 モエの言葉に…、茂は答えられなかった。

モエは暫くじっと茂を見つめると…、『そう。』と小さく呟いた。



「……どうせホームレスになるかもしれないなら、いっそ今、一緒に連れていってあげたら…?」


「………」


「…働き先も無くなって。このカフェの店員の失踪について保安官に根掘り葉掘り訊かれて。……

…この先、…普通になんて」


「やめてくれ。」


「………」


「…少し…だけ、……考えたい。」



 茂の言葉にモエは口を閉じ『じゃあ行くね?』…とだけ声をかけ、二階に向かった。

茂は暫くそのまま、倉庫から動けなかった。



ガタン!!


「茂さん!」


「!」



 だが血相を変えたモエが駆けてきて自分の腕を引き窓辺に連れて行かれるなり…ハッとした。



(制服!……しかも、大量に…っ!)


「…どうしよう茂さん。」


「………」



 窓辺からカーテンの隙間をぬい観察した感じでは、彼らは尾行中、もしくは張っているように感じられた。

 モエが彼の決断を待つ中、茂は目を大きく開けた。



(……ジル!!)



 なんと通りの奥から、ジルがこちらに歩いてきたのだ。

制服がやたらと闊歩している今日、彼女が彼らに気付くのは無理だった。


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