第20話 薬

 焦り家を目指すジルは、家族の突然の発熱にどうすればと右往左往する者達を何人も通りすぎた。

誰もが嘆いていた。…『何故』と。



「っ、……茂…!!」



 そんな彼等の恐怖と同じものをジルも抱いていた。

『茂まで熱を出してしまったら…』

『ヤマトとモエをどうすれば…』

『こんな時に』…と、その心は荒れた。


 カフェに辿り着くと彼女は真っ直ぐに二階に上がり、寝室の戸を乱暴に開けた。



バタン!!


「茂…!?」



 ヤマトとモエの首に氷水を置く茂を見るなり、ジルは駆け寄りバチンと額に手を当てた。

オルカはジルの余りの勢いに、茂が吹っ飛ぶのではと一瞬ヒヤッとした。



「……ジル、外はどうだった。」


「よかっ…た!!」


「?」



 額が真っ赤になってしまった茂をジルが抱き寄せ、オルカはまた顔を赤くして目線を泳がせた。

茂はただ微かに首を傾げながら、ジルの背をポンポンと宥めた。



「……大丈夫だジル。」


「~~っ、」



 呼吸を落ち着けるとジルはしっかりしなきゃと自分を震い立たせた。

海堂の話が本当ならば、茂とオルカは塩辛い水に打たれた中で唯一発熱していないイレギュラーということになる。

…だとすれば、二人の共通点を探せばもしかしたら謎の高熱に対策が打てるかもしれない。



「ねえ二人とも聞いて。」



 ジルは二人に海堂の憶測を聞かせた。

そして昨日、何か特別な事が無かったかと訊ねた。



「……特別なこと。」


「そう。特別でなくとも、二人の共通点を探れば対策が打てるかもしれない!」


「…僕とマスターが…何か…同じこと。……」



 …しかし、簡単にはいかなかった。

二人は昨日ここでほぼ同じ行動をしていたのだから。

例えば、同じ水石の水を飲んだし、一緒に風呂も入った。

ご飯だって同じ物を食べたし、何よりもそれはヤマトも同じなのだ。

だがヤマトは発熱している。

…だったら、ヤマトと二人の決定的な違いとは一体何なのか。



「………」



 ジルと茂が憶測を次々と上げていく中、オルカは『どうしよう!』…と自責の念に駆られていた。

『僕のせいでヤマトが』…と。



(このまま…じゃ、……ヤマトが!!)



 強く『神様!』…と祈り指を組んだ瞬間……



キィィィ… カタカタカタ……



 オルカの家のチェストの中で、石が虹色に輝きひとりでにカタカタと揺れた。



「…!!」



 その瞬間、オルカの脳裏に一つの言葉が浮かんできた。



「……『微生物』。」



 更にオルカはハッとした。

昨日の雨は海水で、その海水には多種多様な見えない微生物が存在している。…と、何故か分かったのだ。

そしてこの国の人類は、その微生物に対して抗体を持たない体質なのも分かった。

何故ならこの世界には海水が存在せず、更には微生物すら存在しないからだ。


 オルカは訳が分からないまま、頭に沸いてきたイメージをそのまま口に出した。



「原因は昨日の雨の微生物だ…!」


「…!」 「…あめ…びせいぶつ…?」


「カファロベアロには殆ど微生物が存在しないんだ!…だから体内に入った微生物に抗体がない!」



 ジルと茂は唖然と目を合わせた。

そんな二人の前でオルカはウロウロと『じゃあどうすれば』…とブツブツ一人言を言いながら歩き回った。



「…じゃあどうして僕は発熱してない。

…どうして茂さんは、………」



キィィィ……!



「!! ……『血』…?」



 また不思議なビジョンが脳裏に浮かんだ。

自分の血をヤマトに飲ませる…ビジョンが。



ガタン!!


「あ…ちょっとオルカ!?」



 オルカは急ぎ階段を駆け下り、カフェのカウンターに入りナイフを手に持った。

自分の手に刃先を突き付けると恐怖で足がすくんだが、彼は自分の確信に従うしかないのだと直感していた。

『自分の血を飲ませれば治る』という確信に従うしかないのだと、分かっていた。



「……っ!」



 意を決し左手の人差し指を切ると、痛みに顔を歪めながらも溜めておいた水桶に指を浸けた。

そして血の溶けた水をコップに入れ、二階に駆け戻った。



「これを飲ませて!!」


「…これは?」


「いいから…っ、お願い!!」



 チャプン!…とぱっと見は普通の水に見えるコップを渡されて、茂とジルは少々渋ってしまった。

 だがオルカの信じてと懇願する瞳に、この水を飲んだからといって死にはしない…と、ヤマトとモエに水を飲ませた。


 30分後、茂は考え深げに寝室を出た。

一階に下りるとジルとオルカが話し込んでいたのだが、パッと顔を上げてきた。



「……下がった。」


「や…っっぱり!!」


「…本当に熱が…下がったの…?」


「ああジル。…よく考えてみたんだが、オルカの行動は無根拠でもないかもしれん。」


「…どういうこと?」


「……それ…は、」



 茂は昨夜、公園と自分の家のシャワールームで血を浴びてしまった。

その時確かに微量ではあるが血を舐めてしまったのを思い出したのだ。

だとしたならば王家の血が薬となり、茂とオルカを微生物から守った。…という仮説が成り立つ。

 だがそれをオルカの目の前で話す訳にはいかない。

彼はまだ自分の出生を何も知らないのだから。



「……オルカ。…落ち着いて聞け。」


「…え?」


「!?し、茂!?」


「時が来たんだジル。」


「…………」


「…もう伏せたままでは、……もう。」



 助けられたのはヤマトとモエだけ。

家の外は、世界は未だにパニック状態だ。

彼等を救うには…、蛇口をひねれば未だ微量に滴り落ちる血を飲むように指示を出すしかない。

だがそんな指示をしてしまえば、『どうして僕の血でもよかったの?』…と賢いオルカが違和感を感じない筈がない。

 こんな現状全てに、茂は『話すべき時が来てしまった』と悟ったのだ。



「ま…待って茂!」



 だがジルは止めた。

『こんな時に』『せめて落ち着いてから』と。



「……しかし、それでは国民が」


「…私がどうにかする。」



 オルカが眉を寄せ首を傾げる中、ジルは立ち上がりじっと外を見つめた。

その胸は大きくゆっくりと揺れていた。

 深い呼吸を繰り返すその様に、茂は眉を寄せた。



「…何を考えている。…ジル。」


「……足で走り回ったんじゃ、間に合わない。」


「……ジル?」


「この事態を最速で鎮め国民を守るには……」



『政府しかない』



「!!」


ダッ…!


「っ!?…ジル!!!」



 変装もしないまま、下着も着ていない肌に薄手のワンピースと上着を羽織っただけの軽装のまま…、ジルは外に飛び出してしまった。

 茂はカフェの戸に手を突きジルを探し連れ戻そうと一歩踏み出したが…、子供だけ置いていくわけにもいかず、歯を食い縛り中に戻った。



(クソ…!、一体何をする気なんだ!)


「……マスター…?」


「…!」



 オルカは自分の血が溶け込んだ水桶を茂に見せ、『皆を治さないと』…と渡した。

途端に茂は眉を寄せ、口をギュッと縛った。

 まだ何も知らないというのに、不安な筈なのに皆を案じるその顔に…心が荒れてしまったのだ。



「…ヤマトとモエちゃんは僕が見てますから。」


「………」


「………」



『どうして何もきかないの?』

『どうして僕を信じてくれたの?』

 …そんな数々の疑問をオルカは抱いていたが、それよりも何よりも優先しなければならないことは分かっていた。『皆を助けなければ』…と。



「…孤児院の皆が心配です。」


「!」


「お願いですマスター。……っ、…お願いします。

どうかシスターと兄弟達の様子を見てきてもらえませんか…?」


「………」


「…何か聞きたいことがあるなら、…後でちゃんと答えます。」


「!」


「……っ、……だから。………」




……ちゃんと話さなければならないのは、お前ではなく…私の方だ。…オルカ。




「……ここから出るな。」


「は、はい!」


「扉を全て締め切り鍵をかけ、俺とジルとロバート以外の者には戸を開くな。」


「…え?」


「絶対にだ。…返事!!」


「は…はい!」



 それを誓わせると、茂は意を決し外に出た。

オルカは茂の背をじっと見つめ、『お願い!』…と指を組みその場に膝を突いた。



「~~っ、神様。…どうかシスターを…皆を…!」



 涙ぐみながら祈ると、オルカは言われた通りしっかりと戸締まりをした。

二階に上がりヤマトとモエの様子を窺うと、二人の熱はすっかり下がり、スヤスヤと眠っていた。



「……良かった。」



 静かな寝室の床に座ると…、ふと不思議な光景が目蓋に浮かんできた。

その光景は、赤い光に包まれた大きな空間で…、その光の源は宙に浮いている何か大きな物だったが、その大きな物の詳細はボヤけて見えなかった。

そして先程、微生物や血を飲ますというビジョンが浮かんだ時にも、同じ光景がぼんやりと目蓋の裏に見えていたと気付いた。



カチ…  カチ…



「…………」



 脳裏にあの音が突然甦り、オルカは目を閉じた。

定期的になる心地好い音を聞いていると…、昨日からのパニック続きに疲弊していた心と体が自然と癒されていくのを感じた。



「……血で治る。…なんて……」



 ベッドに寄りかかり、オルカは苦笑いした。



「僕、…本当に人間…?」


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