第13話 悩ましい分岐

 その日の夜、ジル、イル、茂、それに夜になり駆け付けたロバートは、カフェの一階で小さな会議を開いた。

 オルカとヤマトは、二階の住居スペースに泊まらせた。



「…本当にいいんですか?」



 髪の毛も綺麗に洗い、茂のブカブカの寝間着を着たオルカは、茂のベッドで申し訳なさそうに眉を寄せた。

ヤマトは『ベッドでけー!』…とキャイキャイ騒いでいた。



「……ガキが遠慮とかすんじゃねえ。」


「…でも、」


「本人がいいって言うんだからいいんだよオルカ!

人の優しさには付け込まない程度に甘えんだよ♪」


「ヤマト!?」


「その通りだヤマト。」


「…マスター💧」



 茂は『ゆっくり休め』…とホタル石に触れ、部屋を暗くした。

そして部屋を出る間際、ふと振り返り笑った。



に"っ…こ"り"…… ←眉間シワ+開眼+頬ピク



「…今日は大変だったろう。

簡素なベッドで悪いが、……こんな日にはな?一人で寝ると碌な事を考えないもんだ。

…いいからゆっくり寝ろ。」


「……はい。」


「ハハ!、マスター笑顔下手すぎっ!」



 子供二人が笑うと…、茂はフッと微笑み『お休み』…と戸を閉めた。


ヤマトは、『わざと笑おうとするからああなるんだよ』と辛口にケラケラと笑い、茂の大きなベッドにボフン!…と寝転がった。



サァァァァ……



 途端に部屋が異様に静かになった気がした。

…だからこそ…なのか、慣れない雨音がやたらと五月蝿く感じられて、…二人は茂の言った事は正しかったと察した。

こんな色々とあった日に、こんな慣れない雨音の中では眠れなかっただろう。…と。



「………」 「………」



 何かを話したいのに何を話したらいいのか分からず、二人はベッドの端と端で無言で居た。

ヤマトは頭の下に両手を入れ、ボーっと天井を仰ぎ見て。

オルカは左を向いてヤマトに背を向け、じ…とチェストのガラスをぼんやりと見つめた。



……ゴソ。



 たまに互いの体が動く音はしたが、寝息はいつになっても聞こえてこなかった。



「………」


「………」


「…… …なあ、…オルカ。」


「…ん?」



 先に口を開いたのはヤマトだった。

オルカはなんとなくほっとして、ゴソゴソとヤマトに向き直った。

 するとヤマトは顔だけを左に向けてオルカと目を合わせ、真顔で首を傾げた。



「…なんか、……変な匂いしない?」


「…!」


「なんか…さ、…コフゥ~ン……て、…さ。」


「… …… っ…~ ~‥ っ!」 (震えてる)


「……知らねえのにさ。 ……

お父さんの匂いがする気がしない(笑)!?」


「ブッ!!あはははっ!!!

ちょ…やめてよヤマト!?」


「いや…するっしょ!!

いや知らねえんだけど『お父さん』なんてさ!?

でも多分…多分~だけど、コレでしょ(笑)!?」


「あーっはっはっはっはっ!!!」



 オルカ、稀に見る大爆笑である。

確かに…『何か匂う』とは思っていた。

ベッドメイクをされている時から…、いや、むしろもっと前、寝間着のシャツを渡された時から首を傾げてはいた。

いつも嗅いでいるマスターの匂い?…とは思ってはいた。

だがまさか、これがお父さんの匂いだなんて思っておらず、可笑しくて仕方なくなってしまったのだ。

ヤマトも自分で言いながらヒットしたのか、ベッドを揺らしながら笑ってしまった。



「ヤベ俺…俺辿り着いちゃったんじゃないの!?」


「確か…に!、お父さんの匂いかもっ!」


「……まあいっか! …お休み(笑)!」


「う、うんお休み!」


「………」


「……」


「…………」


「…………」


「「フハッ!?」」


「駄目だよ眠れないよ!」


「悪い!、マジで過去1面白くてゴメン(笑)!」



 二人は笑う度にコフコフと香るお父さんの香りに、いつまでも笑い続けた。



 一方一階のカフェは、二階とは真逆の温度だった。

窓は全て閉められ、シャッターも全て下ろされ、裏口は通常の鍵だけでなくチェーンが巻かれていた。



…カタン。


「……待たせたな。」



 茂が二階から下りてくると、ロバートの鋭い目と目が合った。

 彼の前にはイルが座っていた。

不安からか豊満な胸の前で両手を握り、修道服は頭のベールだけ脱がれていて、長い黒髪は後ろで一つに結われていた。

普段は優しく笑い穏やかな雰囲気を放つ彼女も、今日の出来事に顔が強張っていた。

 ジルは足を組み背凭れに腕を乗せながら眉を寄せ。

そんな彼女はロバートと目を合わせると、頷いた。



「ジルから聞いた。

本当に制制に見られたのか…?」


「…ああ。」


「……本当に、政府の制服だったの…?」


「ああイル。…とは言っても、腕章を見る限りでは研究者だと思うがな。」


「……二人はなんて言ってたイル?」


「オルカは公園でスプレーが落ちていたのに気付いたと言っていたわ。

…空の水が目に滲みて洗いたくて公園の蛇口を捻ったら、赤い水…血?…が、溢れ出て、驚きはしたんだけど傍に居た女性の方が慌ててしまったから手を差し出したって。…その時やっと、袖が茶色く染みになっているのに気付いたそうよ。」


「…髪は、見られたんか?」


「多分見られた…って。

『スプレーだったのね?、大変、落ちてしまってる』…と言われて、慌てて逃げたって。」


「…ヤマトの話じゃ、頭を押さえながら走り回ったのか5ブロックも北の民家の塀の間に踞ってたそうだ。…完全にスプレーは落ちてたってよ。」


「だが!、…落ちるだけなら茶色のスプレーと混ざって薄い茶色に見えんだろ。

…発見した時、ヤマトには何色に見えたんだ!」



イルは胸にギュッと手を押し当てうつ向きながら、『白』…と答えた。

途端に大人達は静かに項垂れ、各々の溜め息が響いた。



「……これじゃ、何人もに目撃されてんな。」


「…っ、…どうすんだよジル。」


「……落ち着きなロバート。

ただその辺のに見られただけなら何てことないさ。

…この世界の髪と目の色は本当に様々だ。

更には誰もが塩辛い水に天を仰いでいた筈。」



『問題は制服だ』

 ジルのこの言葉に、皆黙ってしまった。



「……一ヶ月だ。」


「…!」 「…ジル!」 「………」


「もし一ヶ月、この辺りに政府の聞き込みが、調査が入らなかったなら……」


「……」 「…っ、」 「………」


「今回は、どうにかなったと思っていいだろう。」


「……調査が、…聞き込みがあったら…?」



 ロバートの問いに、ジルはスッと切れ長な水色の目を向けた。

トントン…と指先でテーブルを打つとジルは足を組み直し、鼻で溜め息を溢した。



「……逃げるしかない。」


「それは、……つまり…」


「ああ。地下に潜り身を潜め、同志を集結させ、オルカに真実を伝え…」


「………」 「……」 「………」


「……計画を実行に移す。」



 ジルの言葉にイルは顔を両手で覆い、『神様』…と呟いた。

ロバートは複雑そうにしながらも、ゆっくりと何度も頷き、茂と目を合わせた。



「……それでいいな。…茂。」


「…………」


「…シゲちゃん。」



 …皆の注目が集まろうが、茂は何も言わなかった。

ただ腕を組み二階への扉に背を突けながら…、何処かを見つめ続けた。

 そんな彼の様子にジルは溜め息を溢し、『ハッキリ言っていいよ』…と笑った。



「モヤモヤしてたんじゃ足並みも揃わない。

こないだみたいに『まだ早すぎる』でも…何でも、好きに言ってくれ…?」



 茂はジルと暫くじっと目を合わせると、ゆっくりと口を開いた。



「……すぐに逃がすべきだ。」


「!」 「シゲ…ちゃん!?」 「!?」


「知り合いに地域横断の許可証を持つ商人がいる。

そいつを買収し、別の地域に運ばせる。」



 茂の言葉に、眉間に指先を突けながら「ま…待てよ!?」とロバートは立ち上がった。



「お前…!、流石に無理があんだろ!?

身分証はどうすんだ!、ここは第三地区なんだぞ!!、あっちに行くだけならまだしも…っ、暮らすってんならその地域の身分証が必要だろ!!そんなんどうやって用意すんだよ!?

それに俺らは生まれた時から認識番号で管理されてんだぞ!?

新しい地区で身分証を作成する時には嫌でも経歴を調べられるんだ。…制服の家の子供ならまだしも、『孤児がたった一人別の地区に引っ越して身分証を更新する』…なんて違和感しかないだろ!!

…てかそもそも💢!?、身分証の発行更新は王都内の政府管制局で行うんだぞ分かってんのかお前ッ💢!?」


「…一般人の癖に詳しいなお前。」 ←ジル


「お宅らと違って一般人で悪かったな💢!?

一般人は一般人なりに色々調べたんだよ💢!?」



 ガタン!!…と着席したロバート。

だが茂は鋭い目を彼に向けたままだった。



「そんなモン全部偽装する。」


「…ハアッ!?」


「それが駄目ってんなら地下に潜らせる。」


「おま…!?  …マジで言ってんのか!?

ガキ一人地下になんて入れたら」


「それでも政府に捕まるよりマシだ。」


「つ、……茂…おまえ、…見損なったぞ。」


「………」


「どっちがマシなんて計れねえレベルの妄言だ。

どっちもあいつを殺すようなモンだろがッ!?」


「………よく言う。」


「……は?」  カタン!


「止めな!」「や…止めて二人とも!」



 頭に血が上ったロバートは立ち上がり茂の前に立った。

その顔が本気で怒っているのは見て分かった。

だが茂は微動だにせず、ロバートと目を合わせた。



「……なに…、言ってんだよ。……なあ?」


「………」


「地下は、…アンダーグラウンドは、…巣窟だ。

人となりを失った人間ばかりのさばる無法地帯。

…そこで生きていける子供なんて、そこで生まれノウハウを知ってる子供だけだ。

…その子達だって半数は大人になれねえんだぞ。

人身売買、単に飢え。…様々な理由で死に、遺体は無造作に川に棄てられるだけ。」


「………」


「そんな場所に、…オルカを……

…お前は、何の責任も感じないのか。」


「ここだって充分アングラだ。」


「…!」 「……」 「し…シゲちゃん!」


「ガキ一人の双肩におんぶに抱っこ。

…自分じゃ何一つ出来やしねえ癖に、ガキに平気で押し付ける。…その為に集った汚え大人共。」


「…それ…は!、仕方ねえだろッ!?」


「ああそうさ仕方ない。…事実、俺らには何の力も無いんだからな。

特別な子に頼るしかないんだ。

…そうだ。『仕方ない』んだ。

……その仕方ないに託つけて、『髪のスプレーが落ちてしまうというイージーミスにも碌に対処出来ない子供に世界を押し付けようとしている』。」


「…っ!」


「俺はあいつらをガキだと思ってるさ。

…だが、生きる力を舐めちゃいない。

…俺は押し付けない。あいつが自分で選ぶべきだ。そしてそれは今じゃない。

……その時もう、世界は壊れているかもしれない。

それでも俺は、あいつ自身に決めさせたい。

…じゃなきゃ何の意味もない。」


「~~っ!」


「俺達は、表面に善人を纏う…レジスタンスだ。

…オルカとヤマトが信じる顔は、……

カフェのオーナーも、化石店の店主も、シスターも、本当は何処にも居ない。

世界は本当は壊されたと知る唯一の者達。

そして世界を壊した張本人さえ知る者達。

…そして真の平和を取り戻す為、やっと落ち着いた世界を更に壊そうと画策する者達。

…そんな俺らの偽善を信じ、親身に尽くすヤマトとオルカは……、被害者だ。」


「………」


「世界を元に戻す。…なんて不確定要素の為に蝶よ花よと守られてきた、…被験体だ。」


「………」 「…言いすぎだよ茂。」


「『愛があれば許される』と思うな。」


「…ッ、」


「……愛が本物なら本物なだけ、最後に傷付くのはあいつだ。」



『そんなの分かってるよ』と顔を歪めたロバートと茂の間に、…ジルが立った。

 彼女は諭すような顔を茂に向けたが、茂はフイッと横を向いてしまった。



「前にも言ったけどね?

アンタ達は二人とも、……正しい。」


「………」 「………」


「…私達がオルカに頼るしかないのは事実だ。

…けど、私達はオルカを利用してるんじゃない。

真実を知ったなら、あいつも同じ選択をするんじゃないか。…そんな想いに、自分達の願いを重ねているだけだ。…無様だよな本当。」


「………」 「………」


「…被害者は被害者さ。

なんせ私とイルは、……見たんだから。」


「…ジル。」 「………」


「この目で、…世界が、…あの子の人生が壊される瞬間を。…確かに、…この目で。」


「……」 「………」


「……でも私達は、…祈ってる。

心の底から…あの子の平穏を願ってる。…だろ?」


「ああ。」 「………」


「だから茂。…自分を責めているのは分かる。

…けど、そんな風に…責め立てないでよ。」


「……」 「……」


「あの子がもし、追われる立場でなかったのなら…

私達、……全然違った選択をしてただろ?」



イルはポロポロ涙を落としながら、ギュッとスカートを握りうつ向いた。

ジルは苦笑いし、立ったままイルの頭を引き寄せた。



「…大崩壊後制定されたこの世界の法は全て、『オルカを捕える為だけのもの』。

…それだけの為に、孤児の1/3は成人を迎える9月に路頭に迷う羽目になった。」


「…うっ!!」 「……」 「……」


「…身を隠しやすい地下のアンダーグラウンド…ブラックロードは、数年に一度大規模に検挙され、…捕まった人々はバラされ金に換えられるか…子供なら売られていく。…以前は出入り自由だった地区が高額通行証を購入せねば往来不可になったのは…、オルカの逃げ道を塞ぐため。

…そりゃ楽だよね?、国中を探し回るよりかは?地区で囲ってそれぞれ調べた方が効率的さ。

…ここだって、安全な訳じゃない。

……必死に、『今日もきっと大丈夫』と思わなければ、平然を装わなければ…、歩けもしないよ。

……それもこれも全て、中心にはオルカが。」


「………」 「……」


「……茂。…見失わないで。

私達はあの子の人生を滅茶苦茶にしたいんでも、単に利用したかったんでもないだろ…?

私達はあの子を守りたかった。…自由になってほしかった。ただ生きて、幸福になってほしいだけ。…だからこうして喧嘩だって出来るんだ。」


「……」


「その自分を責め立てる心なら、私達は誰一人失っていないよ…?

だから、……そんな風に言うのは止めてくれ。」



 ジルの苦笑いに、茂は大きく深呼吸した。



「……悪かった。」


「…!」


「ジルの言う通りだ。

俺は俺を責める気持ちを、…ぶつけた。」


「……」


「………焦っているのかもな。」


「…分かるよ。」


「もしかしたらもう、…」


「………」 「……」 「…うっ!、うう…っ!」


「時間が無いのかもしれない。……と。

…柄にもなく、……焦っているのかもしれない。」



 結局会議はジルの提案通り、『一ヶ月様子をみる』に落ち着いた。

 オルカの毛染めスプレーの色を変えるかとも提案されたが、なんせ近所に馴染んでしまっている手前、その方が違和感だと却下された。


そしてもし、もしも政府が嗅ぎ回り出したら……



「……逃げよう。…皆で。」


「…いいのか茂?」


「冷静に考えれば、…ジルの提案がベストだろう。

同志と共に地下に潜り、…そしてオルカに……」


「…『真実を話す』。」


「……ああロバート。」


「…イルも、それでいい?」



 イルは真っ赤な目で、『ええ』…と答えた。

 ロバートは『あ~抱き締めたい』と思いながらも口には出さず、泣いたら泣いたで儚い美人のイルをじっと見つめていた。



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