第11話 雨に打たれて

「……う~ん。」



 オルカは時計に困り顔をし、苦笑いしながら家を出た。

『多分時間合ってると思うんだけど…』…と思いながら歩く道では、やはりあちこちから不満と困惑の声が聞こえてきた。


『今回の磁場狂いひどいね~!』

『こんだけ狂うともう何がなんだか。』

『音石も今朝鳴らなかったんだよ?』


 オルカはそんな街の声を聞きながら、本当だよねと鼻でため息を溢した。


 音石は別名、目覚まし石とも呼ばれ、その名の通り一定の時刻に音を発する石の事だ。

自分で音の鳴る時間を設定する事は叶わず、夜明けの石、早朝の石、…など、元々鳴る時間が決まっている物を購入し、使用する。

正確な時刻の無いこの世界でこの音石は、時計のこの位置で鳴りますよと売られていた。

 そしてオルカの音石も、今朝は鳴らなかったのだ。



(…磁場狂いにしては、…なんか、…変だよな。)



 なんだかモヤモヤした恐怖が背中から押し寄せてきた気がして、オルカは首をフルフルと振った。


 その時、ポツ…と何か冷たい物が肌に当たった気がして…、オルカは立ち止まった。



…ポツ…ポツ… …サァァァァァ……



「っ…!!」



 すると水が大量に天から落ちてきて…、オルカは周りの大人の驚愕の声を聞きながら…、ハッと天を仰いだ。



「…………『雨』。」



 口を突いた言葉にまたハッ…と口に手を添えた。

こんな…、小さな水が大量に空から落ちてくる現象など初めて見たというのに、オルカにはコレがどんな現象なのか分かったのだ。



「…雨。…そう…そうだこれは、…『雨』。」



『どうして』…と驚愕し、目を大きく開けてしまったオルカは雨を目に受けてしまった。

途端に目にひどく滲みて、オルカはやっと屋根のある場所に駆けた。



「いっ…たた! …なにこれ。…目が痛い…。」



 それに、なんだかこの水は臭かった。

『変な臭いね?』『一体何なんだ』という大人の声が聞こえる中、オルカはこの臭いの表現を知っていると気が付いた。



「…『生臭い』。」



 そして更にハッとした。

何故なのか分かるのだ。…この雨の正体が。



「…『海水』。 ……海の水だ。」



 …だが、自分で言っておきながらオルカは首を傾げた。

『海って何?』『なんで塩辛いの?』…など、様々な疑問が浮かんできたからだ。


…だが何故なのか、これが雨という現象で、降っているのが海水だという事だけは確信があった。

更に言うなら、この雨に打たれても無害な事も直感した。


そう。今まで彼が抱いてきた違和感と確信が、今また起きたのだ。



……パチャ。



 無害という直感頼りに一歩を踏み出すと、周りの大人が『君!?』…と慌てて声をかけた。

だがオルカは『大丈夫です。』…と笑い、カフェに向かって歩きだした。


何故かこの微かに生臭い海水に郷愁を覚え、もっと全身で受けたいと願っているのも…不思議だった。



サァァァァァ……



 目を閉じ気味に歩いていても、雨が目に滲みてきてしまった。

余りにしんどくなってきたので、場合じゃないな…とオルカは公園の蛇口を捻った。



ドボドボ…!!



「っ…!?」



 その赤いドロドロした液体を見た瞬間、オルカは血だと直感した。

後ろに飛びはね胸を押さえ驚愕したが…、叫び取り乱す程ではなかった。

…むしろ、同じように水を使おうと側にきた大人の方が叫び、地面に座り込んでしまった。



「…大丈夫ですか?」


「な!なんなのあの…真っ赤な水は…!?」


「…分かりません。……立てますか?」



 女性に手を差し出した…その時、オルカはハッと固まってしまった。

女性に差し出した自分の腕が、白いシャツが…、茶色く滲んでいたのだ。



(しま…っ!?)



 バッ!!…と思わず手を引いてしまったオルカ。

女性は首を傾げ未だに動揺しつつも『あら?』…と不思議そうにオルカの髪を見つめた。



「あなた、…スプレーしてたのね?

大変…色が落ちてしまってるわよ…?」


「つ…!!」


「…と、とにかく、……水を止めましょう。」



…ダッ!!



 オルカは一瞬でテンパり、駆け出した。

『どうしよう毛染めスプレーが!』…と対策を講じるも、彼の鞄は小さく頭は隠せない。

シャツだって一枚しか着ていないので脱げない。

必死に手で隠そうと試みるが…

濡れた前髪が光りだしてきているのが分かり、本当にどうしたらいいのか分からずテンパってしまった。



『なんなのあの真っ赤な水は!?』


「…っ!」



 何故か、あの血の赤が自分の瞳と重なり、恐怖が全身を包んだ。

よくよく考えてみれば…、雨なんて知りもしないし海だって海水だって知りもしない。

何故蛇口から血が流れ出てくるのかすら分からないのに、何故か自分はそれらを理解している。



「ぼ…く!?、…なん…なんで!?」



 様々な恐怖に足がすくみ、遂にオルカは歩けなくなってしまった。

民家の影にギュッと体を縮め、必死に頭を抱え、溢れてきた恐怖は涙になり、零れ落ちた。



(どうしよう…どうしよう!どうしようどうしよう!!どうすればいいの!!!)



 歯を食い縛り、『たすけて』…と願ったその時…



…バサッ!!


「オルカ!!」


「…!!」



 頭に布が被せられた。

そして、…幼い頃からずっと傍にあった声が自分に降り注いだ。



「早く…こっち!!」


「ヤマ…ト…!」


「は!?…いや泣くなよ笑えんだけど!?」



 少しも笑わず、ヤマトはオルカに自分のシャツを被せ…、走った。

 人目につかない裏通りを駆け抜け…、二人はどうにかカフェの裏口に辿り着いた。



「ハア…ハア!!  …って!?

ここじゃ駄目じゃん意味ないじゃん!?」


「……あは…は!」


「いやっ!……笑えねえんだけど!?」



 笑えないとは言いつつもヤマトの顔は笑ってしまっていた。

…本当に、凡ミスだった。

オルカを保護するのなら自分の家かオルカの家か孤児院でないといけないのに、ついヤマトはカフェに連れてきてしまったのだ。


『ああっもおっ!俺のバカッ!!』…と深く項垂れたヤマトだったが、オルカはそんな彼にただ安堵し、笑いが止まらなくなってしまった。

…そんなオルカにヤマトも苦笑いし、安堵した。



「はーああ!、……本当どうするよ?」


「…うん。どうしよう。

…このシャツこのまま貸してくれる?」


「……まあ、…いいけどさ?

予備のシャツ、…店にあるけど、………」



 一人で帰らせるのは、なんとなく不安だった。



「………君?」



ビクッ!!



 その時背後から声をかけられ、オルカは頭にシャツをかぶったままビクッと肩を揺らした。

ヤマトも目を大きく開けたが、すぐにニコッと笑い振り返り、声をかけてきた人物とオルカの間に立ち、『何ですか?』…と返した。



「こんなに濡れて。…大丈夫かい?」


「!!」 (…制服。……しかもこの…制服は!)



 声をかけてきたのは男性で、白地に金の刺繍が入ったスーツを着ていた。

そのスーツこそ、制服の中の制服。『政府』のカラーリングだった。

『うっそでしょマジかよ!?』…と思わず顔がニヤけてしまいそうになったヤマトだったが、オルカの髪を誤魔化すのが先決!!…と心をぐっと強く保った。



「この子どうしたの?…具合悪いのかな?」


「あっ!…とですねえっ!?」



 オルカはピクリとも動けず、必死にシャツを握り縮こまっていた。

 一人は半裸だし…、一人は踞っているし頭のシャツは変に茶色だし…で、政府の男性は二人を放っておけなかった。



「…この水で皆パニックだ。

君も具合が悪いんだろう?…お金は私が払うから、病院に連れていってあげよう。」


(親切故の不親切う💢💦!!)


「あ!いや、…その、…平気すよっ!?

これ~は~…そのぉ、…アレすよ。………」


「…?」



 …困り顔の男性。

 人生初の雨。初の髪露見の大ピンチに…、上手い言い訳など浮かぶ筈もない。…ない…が、どうにか言い訳を考えねばならない。

 ヒーヒーになりながらヤマトは、つい先日習った言葉をつい…口から出してしまった。



「…これ~は、……アレルギー…す。」


「え!?」


(それじゃ逆に病院行きだよヤマト~っ!?)


「た…大変じゃないか!、薬は!?」


「そ!、そう薬! …薬…あるんで大丈夫です!」


「……そ、そうかい。…なら。……… あ!?

今…水が駄目になってるじゃないか!?」


「流石は政府様でゴザイマスぅぅ~…」



 八方塞がり。絶体絶命大ピンチ。

…そんな言葉が頭によぎった瞬間、突然影が差し腕が伸びてきて…、カフェの裏口をガチャンと開けた。



ズゥゥウン…! (茂が立っていた音)


「…!」


「ああ君!、…ここは君の家かね?

もし水石があるなら綺麗な水をあげてくれないか?

この子がこの空の水…?にアレルギーらしくて!」


「…………」



 茂は、政府の男性、半裸で真っ白な顔で振り向いたヤマト、そして頭にヤマトのシャツを被りピクリとも動けないオルカを順に見つめると、数秒シーン…と黙り、口を開いた。



「…飲める水あるんで。…俺が保護しますよ。」


「ああそうかい良かった!

…僕?、もう大丈夫だからね…?」


「……は…い。…ありがとう…ございました。」


「……💧」



 茂は二人の腕を掴みカフェに入れ、男性と目を合

わせたままパタン…と戸を閉めた。


『ヤッベー!?』…とテンパるオルカとヤマトだったが、茂に問答無用で抱えられ二階に連れていかれ…、なんだかもう諦めた。



(…ごめんオルカ💧)


(ううん。充分してもらったよヤマト。

……ホントに。)



『ああどうしようシスターにブチギレられる~』…と遠い目をして変な笑みを浮かべる二人を二階のプライベートな居間に入れ、茂は二人の腕を掴んだ。



「大丈夫だったか!?」


「…!」 「!」



 大きな焦った声に…、二人は目を大きくした。

彼がこんなに動揺しているのを初めて見たのだ。



「……大丈…夫、…です。」


「…そうか。…大丈夫かヤマト。」


「………」


「…ヤマト?」 「…?」



…ポタ!



「!」



 腕を捕まれたまま、ヤマトは悔しさのあまり涙を落とした。

茂に心配されたことで…、カフェに入れたことで、安心し心が表に出てきてしまったのだ。



(全然…っ、大丈夫じゃ…ない…よ!)


「…ヤマト…?」


(隠し通せなかった!!…俺の…っ、バカッ!!)



 うつ向き歯を食い縛り必死に涙を堪えても、自分へのふがいなさが溢れ、止められなかった。

…一番辛いのは、それを茂に伝えられない事だった。

こんな風に心配してくれた彼に、隠し事をしている自分が許せなかった。


 茂はじっと、そんなヤマトの苦悶に溢れた顔を見つめ、ふと抱き寄せた。

ヤマトの苦悶にもらい泣きしかけていたオルカも、纏めて腕に包み、…強く抱いた。



「……… …大丈夫だ。」


「っ! ……うっ… ~~っ…!」


「…っ、……マスター…」


「…大丈夫だ二人とも。……大丈夫。」



 ヤマトは堪えきれずボロボロと泣き、オルカは彼の『大丈夫』に何故か心底安心し…、頭から布が落ちた事にさえ気付けなかった。


 やがてヤマトの涙が収まると、茂は二人をシャワールームに連れていき、新しい水石を出し、三人で体を流した。

 頭にパチャパチャと水を浴びながら、オルカは『どうして髪の毛について何も言ってこないんだろう?』と疑問に思った。

それはヤマトも同じで、こいつの地毛見んの久しぶり…と思いつつ、やっぱ不思議な色だな…と見つめた。

とても明るい白グレーの髪は、やはりオルカ以外では見たことがなかった。





フォォォ…!



 茂は二人の髪も乾かしてくれた。

風石という温かな風を生む石を使って。

これは音石と同じレベルで生活に浸透しており、オルカもヤマトも髪を乾かすのに使っていた。



フォォォ…!



「……俺ぁ、毛が無いからよ。」


「プッ!?」 「へ!?」


「羨ましいぜぇ…?」


「アハハハハハッ!?」 「や…ヤマト!」



 二人を元気付けようとしたのか、…何なのか。

茂はニ"タ"リ"…と眉間に皺を寄せながら笑った。

そんな笑顔とスキンヘッドの頭にヤマトは腹を抱え爆笑したが、オルカは『失礼だよっ!?』…と半笑いに収めた。



「ウケ…ウケるっ!!」


「…まだまだ柔らけえ髪だなぁ。」


「…そうかな?」


「ああ。…まあ分かりゃしねえか。

…ヤマトのが柔らけえ。…オルカは直毛で、しっかりしてる。」


「…ふーん?」 「…そうなんすね!」


「ああ。……まっ、まだまだガキの毛だよ。」



 茂はそう言うと風石を起き、コン!…と茶色の毛染めスプレーを置いた。

それを見た二人は思わず無言になり、目だけで茂を見上げてしまった。



「…ほれ。」


「……え…っと、…」


「俺はジルが心配だから下に行く。

…お前らは適当に和んでろ。」


「………」 「………」



…ガチャン



 茂が居なくなると、二人は顔を見合わせた。

『どういうこと?』…とその顔にはハッキリと書かれていた。



「僕の髪のこと、…知ってた…のかな?」


「…いっやあんだけ言われてたのにさあ!

シスターが言うとか、……ないっしょ!

…てか知ってたなら流石にもっとなんかあったんじゃねー?」


「…そうだけど。………」


「………」



 二人してスプレーを見たところで、首を傾げるばかり。

『とにもかくにも隠すか!』…とヤマトはスプレーを持ち、ニッと笑った。



「俺がやったげる♪」


「…いいけど、…出来るの?」


「……多分?」


「うっわ。」


「まあいいからいいから!

あ~一回やってみたかったんだよね~♪!」


「それが本音ね?」



 シュー…とされながらオルカは『あ。』と気が付いた。

色々ありすぎて、ヤマトにお礼を言うのを忘れていた。…と。



シュー~♪



「…あのさ、……ヤマト?」


「んー?」


「…さっきは、…ありがと。」


「………」



シュー~…



「僕、ヤマトが来てくれて…本当に安心した。

…多分僕一人だったら、まだあそこで縮こまってたような気がする。」


「………」


「シャツかぶせてくれて、案内してくれて。

…まあここだったけどさっ?

でもそれでも、…本当に嬉しかったんだ?」



…コン!



 スプレーが乱暴に置かれ、オルカは首を傾げ振り返ろうとした。

だがその頭は、ガシッと掴まれた。



「……お礼なんて、…いいよ。」


「…ヤマト?」


「俺全然!…お礼言われるような事してないし!」


「…え?」


「全然…ぜんっぜん駄目だった!!

…あの水でスプレー落ちちゃうって気付くのも遅かった!

…お前見付けんのにもやたら走り回った!

いざ見付けてもここに連れてきたし!」


「な!?…それは…僕がちゃんと」


「それでもそれは俺の仕事だ!!」


「…え?」


「シスターがあんだけ言ってたんだ。

…よく分かんねえけど、…お前には何かあるんだよ。

…だから…じゃねえけど、……同じ場所で働くことになったんだ。…だから俺が!、傍に居れないシスターの為にも…お前の本当の姿!、隠しとかなきゃいけなかったのに…!!」


「…‥‥」


「それなのに…っ、全然駄目だった!!!」



『そんな気持ちで居たなんて』…とオルカは驚愕した。

普段から明るくてムードメーカーなヤマトが…、まさかそんな自負を抱いていたなんて、本当に知らなかったのだ。

 雨なんて初めてだったのに。

自分を探しやたら走る羽目になったのは、自分がテンパり普段使わない道に入ってしまったからなのに。

…それでも彼は自分を見付け、必死に努力してくれたのに。



「…僕が今笑ってられるのは、全部ヤマトのお陰なんだよ…?」


「!」


「…それなのに、…どうしてヤマトが自分を責めるの。」


「………っ、」


「…そもそも僕が、…変だから。」


「!」


「だから、シスターもヤマトも苦労してるんじゃ」



パン!



 頬に走った痛みにオルカは目を大きく開けた。

ヤマトはハッと『しまった』という顔をしたが、手を押さえながら歯を食い縛った。



「じゃあお前は『変に』生まれたかったのかよ!?」


「…!」


「一番苦労してんの…お前だろ!?

…それなのにっ、…フザケんな!!!」


「……っ、…だ…だって僕のせいでヤマトが」


「俺は誰に命令されたんでもねえよ!!

俺は自分で『そうする』って決めたんだよ!?

…だから!…なんだ!?、……自分責めんのもアリなんだよっ💢!?」


「ハア意味分かんないんだけど!?

なんでヤマトが自分責めるのに僕は責めちゃいけないわけ!?」


「知るかよバーカ💢!!」


「なっ…ハアアアッ💢!?」



 扉に背を突けながら、ジルはクスクスと笑ってしまった。

二人がこんな風に子供らしく喧嘩をするのは初めてで、だがその内容は地味に大人で……



「……さて。…どうしたものか。」



 考える事が、更に増えた気がした。



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