第10話 異変

 オルカの出勤を待ちながらテーブルセットに精を出すヤマトの前に…、それは突然落ちてきた。



……ポツ!



「…!  ……え…?」



…ポツ… ポツ…… サァァァァ……



「………なに…これ。」



 ヤマトは突然空から水が落ちてきて、眉を寄せながら店の戸を開けた。

小さな小さな水が数えられない程大量に空から舞い落ちてくるこんな光景を、彼は初めて見たのだ。


 腕を抱え目を大きく空を見つめていると、そこら中で人々が同じように天を仰いでいたと気が付いた。



「……なに。…マジで何なの。

ね…!ねえマスター!?、ジルさん!?」



 ヤマトの緊張した声に二人も奥から出てきて、ハッとした顔をしてガタンと戸に手を突けた。



「………まさか、…これは!」


「…あの大災害の頃の、…『塩辛い水』…か?」


「……え?、大災害…って。………

学校で習った…、『塩辛い水』…?」



 ヤマトはつい、手を伸ばし水に触れた。

いざ手が濡れたら恐怖からピクンと肩を揺らしたが、手は特に爛れたりはせず、少し安堵した。



「……これが、大災害の後に落ちてきたっていう塩辛い水…なの?」


「…手ぇ洗いなヤマト。」


「放っておくと爛れるぞ。」


「え!?マジ!?」



 急ぎ蛇口を捻り水を出した途端、ヤマトは目を大きく開き思わず大声を出し飛び跳ねた。



「うっ…わ!?」


「!?」


「…なんだ。…どうしたヤマ」


「み!…水が…!?」


「……水…?」



 ジャーっと蛇口から流れる水を見てみると…、いつもの透明の水ではなく、真っ赤な水が流れ出ていた。

思わずギョッとしたジルはヤマトの腹を抱え、ゆっくりと後ずさった。



「……茂。」


「…近寄るな。」



 茂は二人をグイッと押し、慎重に水を観察した。

食器に出し匂いを嗅ぐと…、茂はすぐに水を捨て蛇口をギュッと閉めた。

ヤマトは未だジルに腹を抱えられながら肩で呼吸をしていた。

…それは、ジルも同じだった。



「……………」


「…マ、マスター… …なんなの。」


「……暫く水は出すな。…外にも出るな座ってろ。

…ジル、予備の水石を出す。…手伝え。」


「あ、…ああ。」



 店の裏に回る間際、ジルはいつの間にか外が暗くなっていたと気付き、電気をつけるようにヤマトに言い付け、裏に水石という水を生み出す石を取りに行ってしまった。

 ヤマトは息を荒らしながらも、外の塩辛い水に触れてしまった手を服でゴシゴシ拭き、言われた通りに電気をつける為にホタル石に触れた。

パ…!と店内が明るくなりホッとしたヤマトだったが、恐る恐るまた外を覗き見て…ハッとした。



「…… …オルカ…!」



 ガタン!! …と彼が出ていった音は水の降る音にかき消され…、二人には届かなかった。





カツカツカツ…!



 足早に前を行く茂に、ジルは小走りで追い付いた。

倉庫を目指す茂の顔は、酷く強張って見えた。



「なんなんだよあの…赤い水は!?

それにどうしてまた、…あの塩辛い水が…」


「……  だ。」


「…え?、なに聞こえないよ!」



 茂は倉庫のドアを開けながら、『血だった』とボソッと吐き捨てた。

ジルは目を真ん丸に開け、『ハ!?』と鳥肌の立った腕を擦りながら後に続いた。



「ち、…血が、…流れ出てきた…っての!?」


「ああそうだ。…何の血かは分からんがな。

…鉄臭く、…ドロドロとし、………錆びでもない。

調べねば立証は出来んが、…恐らくは血だ。」


「……世界の水石が、血を吹いている…?」


「…じゃなきゃ蛇口から流れては来ない。

この世界の水道水は地中深くにある巨大な水石が生成しているんだからな。」



 ゴソゴソと棚を漁った茂は、何かあった時のための備蓄として保管していた水石を探しだし、慎重に箱を開けた。

中には掌サイズ程の、綺麗な乳白色の石が入っていた。



「……普通…だよね。」


「…パッと見はな。」


「………起動しよう。」


「……そう…だな。」



 茂はすぐ側に置いてあった備蓄の水を掬い、ゆっくりと深呼吸をすると…、意を決して水をかけた。

通常ならばこれで水石が起動し、飲料水としても活用出来る程の美しい水を生み出してくれるのだ。



パチャ…!



 二人が息を飲み見守る中、水石は僅かに輝くと…



……チャポチャポ…



「!」


「よかっっ…………た…!!」



 正常に動いてくれた。

 ジルは床に四つん這いになり安堵し、茂はふぅ…と短く息を吐き、笑った。



「……どうにかなったな?」


「あんたの笑顔久しぶりに見たよっ!?」



 ジルは苦笑いしながら茂の腕を引いた。

綺麗な水でヤマトの手を洗い、ホッとさせてあげるためだ。


茂はいつも笑ってんだろと不服を溢しつつ、ジルを追い抜き店内に戻った。



「…!」


「……は!?、あ…っいつ!?」



 だが、店内は空だった。

ジルは『座ってろっつったろクソガキが!?』…と、急ぎ店の軒先に駆け出たが…、ヤマトの姿はなく代わりに塩辛い水に当たらぬようにと軒下に隠れる人々が居るだけだった。



「…ねえ!、子供が出ていかなかった!?」


「…え?、……ああ!ヤマト君だろ?

止めなって言ったのに…、あっちに走っていっちゃったよ。」


「!」



 男性が指差したのは…、ヤマトの家の方ではなく…



「あい…つ!?」 (オルカの所に!?)


「…ここで待てジル。」  バチャ!


「え!?、ちょ…茂!?」



 茂は謎の水が落ちてくる世界に平然と走り出た。


ジルは『ああもおっ!?』…と数回床をバンバンと蹴ったが、すぐに水に当たってしまった人々に店内に避難するよう呼び掛けた。



「みんな体を洗って!」


「…いいのかい旦那の不在に風呂借りて?」


「   … …シャワーは使えないから、この水石の水で体を流して。」


「…え?、……なんで?

…むしろそこのシンクを貸してくれればもう充分」


「シンクも駄目なんだよ!!」


「…ジル?」 「どうしたのジルさん?」




『キャアア!?』 『う…うわ!?』




「!?」 「…なに。あちこちから…」



 近所中から聞こえてくる叫び声に、ジルはギリッと歯を食い縛った。

きっと今、世界中で同じ叫び声が上がっているだろうと。



「……とにかく服を洗って体を流して?

今タオル持ってくるよ。」


「…ありがと。…ごめんねジルちゃん?」


「いいのいいの。困った時はお互い様でしょ?」



 気丈に振る舞い、皆にタオルと風呂場を貸しながら…、ジルは祈るような気持ちだった。

『早く帰ってきて』と、三人に祈った。

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