この恋は、誰にも言えそうにない

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

この恋は、誰にも言えそうにない

 私は今、誰にも言えない恋を密かにしている


 その人を初めて見たのは高校に入ってから間もなくのことだった。

 なんとなく目にした同級生くらいの男子。これといった特徴のない学ランはどこの学校なのか、わからない。

 ──こんな時間に同じ方向に通う人がいるなんて。

 彼に対する第一印象は、そんなちょっとした同情だった。


 私は中学校を卒業する前に家庭の事情で突然引っ越すことになり、少し遠くの高校へ通うことになった。入学後、すぐにでも転校するかと両親は申し訳なさそうに言ってくれたけれど、合格した高校には多くの友達が一緒。ふたつ返事で了承できず、私は三年間通い続けると答えた。


 ──まぁ、彼は私より先に降りるんだろうけど。

 そんなことをぼんやりと思い、『一緒に通学頑張ろうね』なんて、勝手な仲間意識を持ったのが最初。




 それから何ヶ月かが経ち、通学にも慣れてきたころ。

 ──朝の電車って、大体同じような人が同じ車両に乗ったりするもんだな。

 なんて思っていたら、また、あの男子に目が留まった。


 ──そういえば、ずっと同じ時間、同じ車両に乗ってる……。

 どこで降りるのかは、知らない。いつも途中で見失ってしまう。途中で停まる大きな駅で、車内の人の流れが大きく変わり、いつも彼を見失ってしまう。

 彼の行方を確かめたいとじっと見ようとしたときもあった。けれど、満員電車になる瞬間は、とてもじゃないけどずっと彼を見ているわけにはいかなくて。いくら頑張ってもいい結果にはならなかった。逆に、怪我をしそうになったことがあり、私は危険を避けるために満員電車と戦うと考えを改めた。



 そうして半年経ち、私は片想いをしていると気づく。

 友達との話題で恋話になったときのこと。

「誰か好きな人がいるの?」

 と聞かれ、あの男子が浮かんだ。

 でも、顔しか知らない。そんな人を『好きかもしれない』と言ったところで、『イケメン好きなんだ』と言われるだけだなと思ったら、誰にも言えないと思ってしまった。


 私は、変なのかな?

 名前も声も性格も知らないような人を好きになってしまうなんて。


 そう思いながらも、毎朝、眠い目をこすって起きればあの男子の顔が浮かぶ。『今日も行くぞ!』と元気になれる。

 きっと、彼も遠距離の通学を頑張っていると、自分を励ますことができる。

 彼に、今日も会いたいとワクワクして支度をできる。



 そんな毎日を過ごして、私は二年生になった。

 今日はクラス替えの日だ。


 高校生になってから友達になったクラスメイトと別のクラスになってしまうのかもしれないと思うだけで憂鬱な気分になる。

「学校に行きたくない……」

 なんて、寝起き早々口から出てしまった。

 でも、学校に行かなくちゃ。いや、いつもの電車に乗り遅れたらあの男子を見られなくなる。


 今日も会いたい。会えばまた、きっと今日一日を乗り切れる活力が沸いてくる!


 私は不安と期待を胸に支度をし、いつもの電車に乗り込んだ。

 ふうっと、息を吐く。見渡せば、あんまり変わり映えはしない。座席の角に座って新聞を折りたたみ読んでいるおじさんは、やっぱり座席の角に座って新聞を折りたたみ読んでいる。ドアー付近の手すりをつかみスマホゲームをしているOL風のお姉さんも、今日も同じようにスマホゲームに夢中だ。

 そして、あの男子も……私よりも進行方向にひとつ近いドアーの辺りにいる。

 ──今日も、頑張ろうね。

 一年前より背が高くなったように見える彼に心の中で話しかけて、今日も満員電車と戦った。



 学校に着き、仲良しのメンバーとLINEをして集合する。一緒だと笑ったり、別々だと悲しんだりしつつ、クラスが違うメンバーとは『またね』と手を振り、別れる。

 幸いにも引き続きひとりと同じクラスで、他にも中学や部活での顔見知りもいるようだった。朝、起きたときが嘘かのような幸福感に包まれる。今年も一年楽しく過ごせそうと、胸が弾んだ。



 そうして、奇跡のようなことが起きる。

 黒板に書いてある通りに着席したあと右斜め前を見たときだった。私は変な声が出そうになった。


 ──毎朝同じ電車に乗っていた、あの男子がいる!


 えええええ?

 同じ学校だったの?


 私の頭は混乱し始めた。

 確かに、満員電車になって姿を見失ったあと、彼の姿を再発見したことはなかった。だって、同じ駅で降りるとも思っていなかったし、同じ学校だなんて考えたこともなかった。


 同じ学校だったのは、うれしい。同じクラスなのも、うれしい。だけど、どうしよう? 今更、『初めまして』なんて言える気がしない。私にとって彼は片想いの相手だけど、遠距離通学の仲間みたいなもので、毎朝心の中で勝手に話しかけて勇気をもらえる存在。テレビの中のアイドルに近い存在かもしれない。

 毎朝会いたかったし、会えたし、本当に話してみたいと思っていたけれど、急に『今話せるよ』っていう状態になっても! ムリ!


 こんな嵐が起こったかのような私の心とは裏腹に、いつの間にか教室にいた担任は自己紹介を終えていた。

「出欠をとります」

 淡々と名前が読み上げられている。


 出席番号で指定されている席。自然と私の視線は、右斜め前に座る彼の背に向かう。

 ドキドキと鼓動がうるさい。多くの男子の返事の声が飛び交う。

 ──彼の名前が、近づいている……。

 そう思うだけで、より鼓動が強くなる。


飛田トビタ彰人アキト

「はい」

 右斜め前の男子が返事をした。


 初めて聞く彼の名前と声に、呼吸が止まりそうになる。


 ──飛田トビタ彰人アキト……。

 名前を心の中で繰り返し、また彼の背中を見て『彰人アキトくん』なんて、勝手に下の名前で呼んでみる。


 ふと、彼が振り向いた。

 バチッと目が合ったような気がして、私は慌てて消しゴム落とし、拾う。


 ──挙動不審だった……よね?

 自問自答をして、変な汗が出る。

 大丈夫。向こうは私がずっと目で追っかけていたなんて、知るはずない。

 いや、でも、もしかしたら電車の中で私を見たことがあって、彼も気づいたとしたら?


 ──いやいやいや! そんなこと、あるわけないよ!

 さすがに自信過剰すぎる。


 そんな風に何とか心の平穏を保とうとしていると、名前が呼ばれ、慌てて返事をする。


中野ナカノ知花トモカ

「は、はい!」


 ──声が裏返った~!


 人生終わった……そのくらいの恥ずかしさ。

 急激に顔が熱くなったけれど、『誰も気にしていない!』と自分に言い聞かせる。だって、他の女子も淡々と返事をしているもの!


 と、その直後。

 右斜め前の、彼の肩が小刻みに揺れた気がした。

 笑われたと思ったら余計に恥ずかしくなって、ますます顔が熱くなる。


 ──いいえ! 思い上がりよ!

 更に自分に言い聞かせ、出欠をとり終わった先生に集中しようと必死に努めた。

 こんなに先生の話を真剣に聞こうとしたのは、どのくらい振りだったかな……。


  あれよあれよと時間は過ぎ、帰りのホームルームも終わった。

  今日一日は夢心地のようだった。ずっとふわふわとしている感じだった。『一緒に帰ろう』なんて友達が言い出してくれたけど、どっと疲れが出た気がする。


 ──私は遠くだから、みんなと一緒なのはまた途中までだな~。

 なんて思いながら友達と並び、談笑しながら駅へと向かい、電車に乗った。



 ひとり、ふたりと見送って最後の友達を見送る。

 ぼうっと電車の外を眺めて、何駅が過ぎただろう。


「中野さん」

 と、声をかけられた。

 振り向くとそこには彰人アキトくんがいた。


 言葉が出ない。

 これがきっと、放心状態だ。……なんて、頭の中では何とでも思えるのに、声を出せない。

 私が何も言えないでいると、「あのさぁ……」と、彰人アキトくんがまた何かを言う。


「いつも朝、同じ電車に乗ってたよね?」


 まさか彰人アキトくんが、私を見つけてくれていたなんて!


「そ、そうだっけ?」

 私は気づきもしなかったという素振りをする。

 なんて可愛げがないんだろう。折角、彰人アキトくんが話しかけてくれたのに……。

 本当は『そうなの!』とか、『気づいてくれてたんだ!』とか言いたかった。それなのに、これじゃあ話が続くはずない。

『人違いか。じゃあね』なんて言われるかもしれない。

 クラスでも、話せるチャンスがなくなるかもしれない。


「そっか……。ごめんね、思い違いだったかな……」


 ほら、みなさい私。

 折角のチャンスをつかめなかった罰よ。

 どうしよう……本当に、もうこれから話すチャンスは巡ってこないかもしれない。


 でも、彰人アキトくんは思いがけないことを言った。


「じゃあさ、俺の勘違いから声をかけちゃったけど……同じクラスなわけだし、今こうして一緒にいるんだし……ちょっと、話しながら帰ってみない?」

 なんて、どこかそわそわしている。


「あ……うん」

 こんな素っ気ない返事をするしかできない私が憎い。彰人アキトくん、可愛らしい女の子じゃなくてごめんなさい!

 内心めちゃくちゃ謝りながら、何とか平常心で話そうとする私は本当に可愛げがなかったけれど、彰人アキトくんは不機嫌になることもなく、色んな話題を振ってくれた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて、私が降りる駅に電車が停まる。

「じゃあね、バイバイ」

「うん、また明日」

 彰人アキトくんに見送られ、私は電車を降りる。そうして電車から離れ、彰人アキトくんから見えなくなった位置で……彰人アキトくんの乗る電車を見送った。




 翌朝、私は彰人アキトくん会えるかなと、いつも以上に期待して電車に乗る。

 ──会ったら、話そう。

 強い決意を胸に、電車へ乗り込む。


 一目散に彰人アキトくんを探す。もうずっとしてきたようなことだけど、今日はいつも以上にドキドキとしている。


「おはよう、中野さん」

 彰人アキトくんの声だ!

「お、おはよう」

彰人アキトくん』なんて、心の声がもれそうになる。

 今日はあっちのドアーの近くにいたんじゃないんだ。やっぱり、私のことを見つけてくれていたんだ。たくさんの言葉が頭にあふれてきたけれど、何よりも一番に言わないといけないと思ったことを言わなきゃ。『やっぱり朝、同じ電車だったんだ』と、言われる前に。


「あ、あのね? 昨日は、朝同じ電車に乗ってるって言えなくてごめんなさい。声をかけてもらえてすごくうれしくて、言葉が飛んじゃって……」

 彰人アキトくんは目を丸くして、すぐに笑ってはにかんだ。


「ううん、いいよ。驚かせたよね? 何ていうかさ……面識がないのに気安く声をかけたくないなって思っていたから……昨日、中野さんが電車でひとりになったのを見つけたとき、『今だ!』なんて思っちゃってさ」

 彰人アキトくんは期待させるような言葉を言って、こちらが眩しいくらいの笑顔を向ける。


 私もずっと同じだった。

『おはよう』とか『いつも一緒の電車だね』とか『今日も頑張ろう』とか、この一年間、何度も何度もたくさんたくさん言いたい言葉があった。

 同じ気持ちだったなんて……とってもとってもうれしい。

「昨日は声をかけてくれて、ありがとう。彰人アキトくん」


 あれ?

 あれれれ?


 私、今、『彰人アキトくん』って声に出てた~!


 ドキドキと脈がうるさい。

 顔が熱い。

 しかも、変な汗まで出ているような?


 恐る恐る彰人アキトくんを見ると……え、嘘。彰人アキトくんも顔が真っ赤なんですけど?


「昨日のクラス替えから本当……驚きの連続だよ。俺も、知花トモカちゃんって呼ぶから。いいよね?」


 おかしい。

 オカシイ。

 好青年でやさしい顔つきの彰人アキトくんが、どうしてか悪ガキの顔に見える。


「それとも、『知花チカちゃん』ってあだ名にした方がいい?」


 頭の処理が追いつかない。

 だけど、鮮明に想像できることはひとつある。


 今のこの状態をもし、友達の誰かにでも見聞きされようものなら、めちゃくちゃからかわれるに違いない!



 この恋は、まだまだ誰にも言えそうにない。

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