末期 (不動の焔 番外編)
桜坂詠恋
第1話
「俺の所為です」
床に手と膝を着くと大沢が言った。
下がった前髪で表情は分からない。だが、絞り出すような声と、カーペットを破らんばかりに掴んでいる手が白くなっている様子から、彼の後悔と懺悔が見て取れる。
それを、大神は黙って見下ろしていた。
彼が抱き上げている大樹はぴくりとも動かない。
遣り切れない思いで、大神はただ唇を噛んだ。
「大樹が……大樹が可哀相だったんです」
「だからって……」
言いかけて、大神は舌打ちした。
ぽたぽたと、大樹のパジャマから滴る雫が、自分の裸足の足を打ったのに気付いたからだ。
言い知れぬ苦悩に、彼の整った顔も歪んだ。
「俺がいけなかったんです」
大沢は繰り返した。
「俺が……俺が、大樹を寝る前にトイレに連れて行かなかったから!」
「それは……いい」
大神は頬を引き攣らせた。
その顔は、笑っているようにも、泣いているようにも見える。
「俺が聞きたいのは……」
そこまで言って大きく息を吸う。そして次の瞬間、大神は、それを罵声に載せて一気に腹から吐き出した。
「小便しねえで眠りこけたこいつを、何故俺の布団に入れたかだッ!」
「ぐう」
大神に抱かれていた大樹の鼻で、提灯がひとつ揺れた。
「可愛いなあ」
「そうじゃねぇだろ」
立ち上がり、愛しそうに大樹の寝顔を覗き込んだ大沢を、大神は下から斜に睨め付けた。
「何故、寝小便小僧を俺の布団に入れた」
「一人にするのが忍びなくて」
だったら自分のベッドに入れりゃあいいだろうが。そんな台詞を何とか飲み下すと、大神は片足を上げ、顎をしゃくった。自分のパジャマを見ろというのだ。
その朝。大神は、腹の上でモゾモゾと動く気配で、夢から覚めた。
ずっしりとした重量感で、次第に意識がクリアになり、股間の異常事態に血の気が引いた。
大樹の存在で大神の名誉は保たれたが、パジャマと、特に布団は「末期」を迎えているとしか思えない惨状だった。
最悪の目覚めである。
「お前の所為で、俺までコイツの小便まみれだ」
「本当に」
そう言うと、じっと大神のパジャマを見ていた大沢が、不意に顔を上げた。
「どっちがしたか、分かりませんね」
「……なんだ、その顔は」
「いえ。別に」
「俺じゃねえぞ!」
「分かってますよ。誰にも言いません」
「だから俺じゃねえ!」
「大樹を連れて、お風呂入ってください」
「俺じゃねえっつってんだろ!!」
「ぐう」
大神の腕の中で、小便小僧が再び鼻提灯をゆらした。
末期 (不動の焔 番外編) 桜坂詠恋 @e_ousaka
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