果ての果てまで駆け落ちを

 つい『君』という言葉を抜いて、素の態度が出てきてしまった。こゆるさんに非がない事なんてわかり切っている。俺は彼女に一言もその辺りの説明をしていない。単純に俺だけが危ないと思ったから電源を消しただけの話だ。状況を共有しなかった俺にも責任がある。

「え?」

「…………えっとな。携帯は電源をつけてると恐らく居場所特定されるぞ」

「そうなん……ですか?」

「詳しい理屈はあんまり分かってないけど、確か警察って位置情報を簡単に取得出来るようになったんじゃなかったかな」

 まあ仮にそうでなくても、あの免罪符を使えば携帯会社も成す術なく情報を提供するだろうから、あまり関係ない。昨夜からずっと携帯がつけっぱなしだったという事なら、俺達はもう捕まっている筈ではないか。捕まっていない現実を踏まえて可能性は二つ。

 携帯電話から位置情報は特定出来るが、それ以上の条件が必要―――要は俺の曖昧な危惧よりはもっと正確な動作が必要だった場合だ。例えば電話を掛けてしまうとか、アプリを何か起動するとか、そういう。ただ持っているだけでは警察も感知出来ないという可能性。

 二つ目。警察が無能。もしくは俺達に味方する何者かが妨害している。こゆるさんを好きな人間は自動的に全員が敵になるので、味方と呼ばれて当てはまるのはマキナくらいか。兎葵は良く分からない。

 怪我が治って元気になったマキナが外を出歩いた結果巻き込まれる形で関与した可能性もある。

「…………まあでも、いいか。警察はまだ来てないみたいだし」

「え? でも、来るんじゃ……?」

「来るならとっくに手遅れだ。どうせ今から消しても手遅れなら包囲されてるしな。そして手遅れじゃなくても日中歩くのはリスクが高すぎる。ほら、動けないし、消しても意味がないだろ。だから来たのを確認してから動いた方がいい。それならまだ、最低でも不意打ちは起きない」

 しかしこゆるさんの因果は見れば見る程不思議な形だ。檻に繋がっておらず、メビウスの輪のように自己完結した因果は初めて見た。糸は糸なので相変わらず胸糞悪いが、この不思議な糸の紡ぎ方も彼女が規定者である理由を担っている。

「……波園さんに聞いてみたい事があったんだけど、いいか?」

「はいッ。答えられる範囲なら答えられますけど」

「好かれるのが苦痛って言ってたよな。この好かれ方は異常だとしても。もし今まで通りの好かれ方に戻ったとして、その時の君は……トラウマを克服出来るのか?」

「………………」

 これはトップアイドルとしての死活問題だ。彼女が、規定を手に入れるまでは誰にも愛されない好かれない嫌われ者だったならまだ救いはあった。しかし波園こゆるは妹も好きでクラスメイトからも好かれる(そっちは情欲も含まれるだろうが)アイドル。トップと名のつく通り彼女の人気は規定を抜きにしても並大抵の物ではない。規定で極端な方向にぶれただけと思われがちだが、元々人気は異常なのだ。

 だからこそ、好きが怖いのは致命的になる。

 これまで通りファンと接する事が出来るか。

 これまで通りファンを増やす事が出来るか。

 これまで通り芸能活動が出来るのか。

 あらゆる部分に通じる話だ。こゆるさんは目を伏せ、怯えるように頭を振った。

「……有珠希さんは私のファンじゃないので言いますけど、もう引退したいです」

「普通の女の子に戻りたいって奴か。妹が悲しむだろうけど、止めはしないぞ」

「―――――有珠希さん、ごめんなさい。私、嘘吐きました」

「嘘?」

「アイドルになったきっかけは本当ですけど、好かれるのが苦痛っていうのはちょっと語弊があって……」

 無意識かパニックになっているのか、こゆるさんが俺の手を掴んできた。それも生易しい力ではない。爪が食い込むくらいの、まるで握力を計っているような指の力。ギリギリギリギリとおよそアイドルらしからぬ歯軋りの後、彼女は吐き捨てるように言った。



「―――鬱陶しい」



「…………鬱陶しい?」

「有珠希さんは、たくさんの人から好かれる事についてどう思いますか?」

「ロクデナシと呼ばれるような男にそれを言うか君は。想像したこともない。俺と真逆だからな。でも色々な人に好かれてるなら……好かれるってのは基本的には良い事だからな。幸せなんじゃないか」

「幸せなのは好いてる側だけですよ。きっかけは本当です。本当なんです。それと矛盾するみたいで、だからずっと言えなかったんですけど……こうなる前からずっと、私はファンの好意が堪らなく嫌いでした……!」

 爪の食い込む手が痛いし、糸は邪魔なので追い払う。未紗那先輩よりはずっと人間らしい力をしているので、痛いと言っても顔に出す程の度合いではない。光が少ししか届かないようなこの場所でも、敵意さえありそうな不満の表情が、俺にはくっきりはっきりと見えていた。

「仕事をしてたら、私を好きな人なんて毎日のように会えます。一人二人じゃない。十人百人。場合によっては何千人。あんな生活をしてると、私の事を好きなのは当たり前って思う様になるんです。『可愛い』だとか『大好き』だとか『愛してる』だとか、そういう薄っぺらい言葉、もう少しどうにかならないんですか。他の人にも物にも言う癖に。唯一みたいな顔して、平気で言うんです」

「―――それがアイドルってもんだろ? なんたってファンからすれば偶像みたいなもんだ。それの何が不満……ああそうか。矛盾って、そういう」

 世界中の皆を笑顔にしたいし、皆から好きになってもらえるように活動していたらその内自分も好きになれるかもしれない。『好き』という感情そのものを否定する思いはこれに真っ向から反している。アイドルとしてこんな発言をしようものなら、炎上待ったなしだ。

「好かれるのが当たり前になって、好きって言われるのが当たり前になったら、苦痛にだってなるんですよ。だからアイドルをしててもずっと響きませんでした。ファンの応援が元気を引き出してくれるとか、そういうのが全くなかったんです」

「……成程な。つまり遅かれ早かれ君はアイドルを辞めてたと。難儀な話だな。好かれ過ぎるのも駄目、嫌われ過ぎるのも問題。まあ結果的に良かったんじゃないか?」

「……え?」

「―――俺は『善行』が嫌いだ。片棒を担がされるなんてまっぴらごめん、だからロクデナシって呼ばれてる。君は『自分に対する好意』が嫌いだ。だから極端な状態になった時直ぐに逃げられたんだろう。元から嫌いじゃないとそこまで判断は早くならない。自己承認欲求が強い奴だったら自ら埋もれていった可能性さえある。結果的に自分を助けてるんだから、まあいいだろって事だよ。結果オーライって奴な」

「―――責めないんですか、私の事」

「波園さんのファンだったら、まだしも。俺はファンでも何でもないし、君の事は嫌いになる理由もなければわざわざ好きになる道理もない。それ、俺以外の誰にも言ってないんだろ? アイドルとしての心構えには問題ありかもしれないが、言わないだけ立派だと思うぞ。強い光の裏には強い影。アイドルはきちんとトイレだっていくし、相応の不満を抱える只の人間です。でこの話はお終いだろ」

 後は単に俺がアイドルじゃないので共感も否定もしようがないというのもある。アイドルをやれる面かと言われたら違うし、身体能力もそこまで高くはない。何より大量の糸を目にする生活などとてもとても耐えられる気がしない。

 無責任な発言にも、責任がないなりに筋は必要だ。どんな事があっても俺にはこゆるさんを咎められない。それが最低限の礼儀ではないだろうか。




 バンッ!




 それは殆ど、未来予知にも等しい脊髄反射だった。音のする方向から庇うようにこゆるさんへ覆いかぶさり、全神経を外に集中させた。


『式宮有珠希! 波園ちゃんを返せ!』

『そうだそうだ! 僕らの波園ちゃんを返せえええ!』

『返さないと撃つぞ! 今のは威嚇だからな!」


 犯人に向かってする威嚇射撃とは。

 何故拳銃を所有しているかはこの際どうでもいい。もう想像がつくし、今更説明不要だろう。声明を出しているのは表通りの三人組か。拡声器も何処から調達したのかやたらと声が通って非常に煩い。ドブの中に耳を突っ込んでいるようだ。


 ドン!

 バリバリバリ!

 

 状況は更に悪化していく。側面から壁を破壊する音が迫っていた。ハンマー、チェーンソー、バール、斧。もうやりたい放題だ。廃墟に防御性能を期待するだけ時間の無駄。もう間もなくこの場所は誰の許可を得るまでもなく解体され、ただただ文字通りの意味しかなく白日の下に晒される事になる。

「い、嫌…………!」

 後方以外のあらゆる方向からファンが迫ってくる。それだけでもこゆるさんには堪えがたい苦痛らしい。子供のようにしがみついたかと思うと、ガタガタと身体を震わせて今にも泣きそうな声で誰かに向けて助けを求めている。

 

 ―――はあ。


 ナイフを握りしめて、立ち上がった。後方に人が居ないとは考えにくい。扉だって今しがた破壊したばかりだ。わざわざ側面で大きな音を立て、前方を張っているのは俺を炙り出したいからだろう。そうとしか考えられない。もしも炙り出しが失敗するようならそれはそれで壁を破壊して突入する算段だ。こちらに用意された選択肢は一つしかない。

「……波園さん、行くぞ」

「…………何処に。逃げ場、ないのに」

 すっかり役目を失ってしまった扉をどかして裏口から脱出。左右の路を規定に侵された人間が塞いでいた。凶器こそ持っていないが数の差で推し負けるだろう。凶器を持っていてもこれは覆しがたい。人を殺す気なんて更々ないし。

「逃げ場が無くても逃げる。別に俺は、君がどんな性悪女だろうと聖人だろうと関係ないんだ。アイドルだとか女の子だとかそういうのも一切関係が無くて」

 

 こゆるさんから伸びる糸が邪魔だったので、叩き切る。奇しくもこの行動は再開した逃走劇の火蓋をも切る事になった。





「そうするだけの理由があるから、守ってるんだ」





 たとえこの眼が壊れようとも。

 いや?

 これだけ人が多いなら、気配だけでなんとかなるか。視るまでもなく、ここには全てがある。

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