無常至上を許容せよ
夜の間ずっと逃げ続けていたせいで、昼夜のサイクルが狂ってしまった様だ。普段は見慣れた景色が白昼夢の中を漂うように曖昧で、心もとない。別世界の知らない街を歩いているようだ。
「…………歩きにく」
因果の糸を視れば人が何処にいるかを把握するくらいは容易い。熾天の檻はあまねく人を因果で繋ぎコントロールしている。直視するのは危険だが、俯瞰してみる分にはまだマシだ。大まかな位置さえ分かればそれを避けるように通ればいい。また目から出血なんてする事のないよう、慎重に。
―――アイツが、助けに来てくれたらな。
なんて、あまりにも頼もしい味方がいるからつい頼りたくなる。良くない考え方だ。いつもいつも守ってもらってばかり。男として情けなくはないのか。たまにはアイツを守ったり、アイツの力に頼らず物事をなしたって罰は当たるまい。
大体、今はこゆるさんの信用を得る為にも二人きりでいた方が効率がいい。あのポンコツキカイが傍に居たら確実に話をややこしくする。居てくれた方が俺は安全だけど、こゆるさんの命を守る為ならまだこのままでいいか。
―――いや?
それはちょっと、リスクとリターンが見合っていない様な。
まさか俺も夜更けから夜明けにかけてここまで素早く手が回っているとは思わなかった。警察が介入しているせいだろうか、俺の顔写真が町中に散らばっているし、壁という壁に貼り付けられている。不幸にも今日はそれなりに風のある日で、吹き飛ばされていく写真が嫌でも目に付いてしまう。
コンビニに行く前に顔を隠した方がいいような気もしてきた。簡単なのはマスクだが、病気でもないし流行り病がある訳でもないのにマスクなんぞ常備しているものか。どうしても用意したいなら何処かの家で窃盗でもしないと。
「なんでこんな場所ほっつき歩いてるんですか貴方は。馬鹿なんですか?」
コンビニを目の前に道路に打ち捨てられたマスクを必死に探していると、また聞き覚えのある声が近づいてきた。夜中に次の隠れ場所を教えてくれた少女こと兎葵だ。糸を視るどころではなく焦っていたので近づいてきた事には気づかなかった。完全に不意を突かれると、人は挙動不審に飛び上がるようだ。
「と、兎葵……何だよ」
「せっかく人が隠れ場所を教えたのにその言い草はどうなんですか? 見ての通り有珠さんは指名手配中ですけど、良く出歩けますね。心臓が鋼で出来てるって言われたら信じそうです」
「ざ、雑な嫌味だな」
「うるさい! 死にたいんですか!?」
「違う! 御飯が欲しくてだな……もし心臓が鋼で出来てても腹は減るんだ。それでコンビニを……」
「…………指名手配されてるのは今更言うまでもないですよね。入店して無事に帰るアテはあるんですか?」
「道にマスクが落ちてるのを期待する」
「―――それを着けるってマジで言ってます?」
窃盗なんて俺の人間性に関わる話だ。出来る事ならしたくない。それでこの視界が治るというなら喜んでやるけれど、俺の視界はそんな単純な問題じゃない。最強の免罪符を使えば幾らでも許されるなんて分かっているけど、まともな人間として、窃盗はしたくない。
「だからってもの拾いに期待するのもどうかと思いますけど」
「波園さんが待ってるんだ。……多少俺が酷い目に遭っても、持って帰らなきゃ」
兎葵は可愛げのない無愛想な表情を崩して、心底呆れた溜め息を吐いていた。遥か年下の少女にともすれば蔑まれてさえいる様な視線を向けられるのは心外だが、どうにもならない物はどうにもならない。
「あのキカイに頼ればいいのに。マスクくらい作れるでしょ」
「マキナにすぐ頼ろうって考えは堕落の元だ。それに、強いからってアイツに頼ってばかりなのは無責任が過ぎる。俺は何も強制されてアイツと一緒に居るんじゃなくて、自分から望んでいるんだ。だったらたまには自分でどうにかしないと」
「…………何でそう、変な所で強情なんですか。どうせ出来ないのに……ああもう、分かりました。私が代わりにコンビニ入りますから、何が欲しいか言ってください!」
「…………何で俺を助けるんだよ。助けたからって俺はお前を助けないし、お前に得なんてないだろ」
「あのですね。有珠さん。誰かを助けるのに理由なんて要りません。それに、見返りなんてなくても見てられないって時はあるでしょ。有珠さんは学校で散々な目に遭って、休む間もなくこんな事になっちゃって……一難去ってまた一難とかそんなレベルじゃない。そんな人見捨てたら、それこそ罰当たりですよ」
「………………」
誰かを助けるのに理由なんて要らない。
それがあるべき善行。見返りが悪なのではなく、飽くまで絶対的に求めないその精神こそが肝要なのだ。責任なんてものは善行であるなら不必要だ。善かれと思ってやっているその衝動で全てが完結している。仮にそれが迷惑に終わったとしても、それは元からそういう物だっただけ。
最強の免罪符とは真逆の、そして俺の良く知る本当の優しさ。
「…………ごめん」
「え?」
「何で俺の地雷を知ってんのかとか気になる事は色々あるけど、ちょっと誤解してた。助けてくれ」
今度は俺の方から、頭を下げてお願いする。意地を張っていたのが下らなく思えてきた。兎葵は自然体で俺を助けようとしてくれているのに俺だけが斜に構えて……ほんとに馬鹿らしいったらない。
「―――ふ。いいですよ。それで、何を買ってくれば?」
「適当に飲み物を何種類か、後は腹に溜まる弁当がいいな。これからどれだけ動く事になるか分からないから、栄養はあるに越した事はない。あ、こっちは波園さんの注文」
「分かりました。じゃあ草むらの陰にでもしゃがんでいてください。すぐ戻ります」
兎葵が戻ってくるまでの間、目を休める。気のせいじゃない。負荷は目に見えて増しているし、俺自身も耐えられなくなっている。少なくともマキナが傍に居なければ完璧に目を休める事は出来ない。これで名実ともにアイツは俺にとって目の保養となったわけだが……翻ってそれは、彼女への強制的な依存を意味している。
「……」
目を潰せば、楽になれるなんて思うな。因果の糸の気配は目を瞑ったとて何となく分かる。それに、目を潰せばもうマキナの姿を見ることが出来なくなるのだ。俺にとってはそれが何より辛くて、耐えられない。アイツは月を見せてやるとも言った。それを見ない内に自分から捨てるのは約束が違う。
「はい、買って来ましたよ」
がさっと草むらを踏む音がして見上げると、レジ袋を片手に兎葵が注文通りの品物を買ってきていた。俺の注文が注文なのでサイズは大きいが男手からすれば気にする程の量でもない。受け取って、身体を翻す。
「有難う。助かったよ。じゃあ、俺は戻る。何から何までごめんな」
「…………えい」
ふと、兎葵に背中を押された―――その刹那。
俺の身体はこゆるさんの待つ家に戻って来ていた。
「……!」
そう言えばアイツも規定拾得者。マキナの追跡を振り切っただけはあって、凄まじい移動能力だ。どういう規定なのか気になる。単に『速度』と呼ぶには、自分が速くなった気はしなかった。
―――ま、いいか。
その内回収するだろうし。勿論その時は交渉して、円満に終わらせたい。
「戻ったぞー……」
「有珠希さん、おかえりなさい! 大丈夫でしたか?」
シャッターを潜る俺を見るや、こゆるさんは嬉しそうにとことこ駆け寄ってきて、ホッと胸をなでおろす仕草を取った。祈るような両手は握りを解いたが内側に汗が滲んでいる。大袈裟とも思う反面、外であんな風に俺が指名手配されてるのでは無理もないか。
「大丈夫だった。ほら、ご飯にしよう。しかし大袈裟に心配するもんだな。確かに外はちょっとおかしいけど」
「外? いや、私は携帯で調べたんです。有珠希さんが全国的に指名手配されてるって!」
………………
思わず、頭を掴みたい衝動に駆られて。
「え、何でお前電源入れてんの?」
つい、そんな風に聞き返してしまった。
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