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 夢を見ている。

 夢を……スーお姉さんの夢……


「え?」

 違う。俺は真っ暗闇に立っている。それもただ暗いだけなら分かるが、目の前に何か大きな存在が、口を開けて俺を待ち構えていた。その怪物を形容する言葉は残念ながら見つからない。二十本の指と対を為すは十七本の指。足らしき物体は巨大な物が七つ、小さな物が数えきれない程。暗闇の中をぎょろぎょろと駆け回るのは皮膚を走る目玉だ。

 夢だから、夢なのに。身体が思うように動かない。足が怪物の口の中へと向かっていく。踏みしめる床はコンクリートでも木製でもなく、無数のパイプが連なる怪物の舌であった。


 ―――何だよこの夢。早く覚めてくれ。


 夢であるなら覚めて、今回は綺麗サッパリ忘れて欲しい。怖い夢って奴を始めてみた。恐怖で背中に汗を掻いている。足は震え、動悸は激しく、少し気を抜けば情けなく泣き出す一歩手前。

 しかし夢の中の俺は果敢なので歩みを止めない。ここが何処かなど知りもしないのに、懐かしい場所に足を運んだみたいに軽快だ。幸い、首は動く。通路の壁を眺めていると、脈絡もなく細断された壁が触手のように動きだして建物の中へと潜り込んでしまった。壁に穴が空いたとて夢の中の俺は気にしない。足元が裂けても意に介さず、流れに身を任せて裂け目に落ちていく。

「ちょ、待ってくれ。ちょっと」

 自由落下の浮遊感、夢の中では一際身体を軽くしてくれる。何千メートルと落ちただろう。現実ならばとっくに死んでいるがここは夢。およそ距離を感じさせてくれないふわりとした着地で、俺はまた妙な通路を歩き出した。

 今度は鱗だらけの腕がせわしなく動いている。壁を胴体に見立て、滑らかに滑って何かを運んでいく。荷物が零れると床から生成された嘴が一つ残さず丸呑みにしてしまった。


 何を見させられているのかちっともわからない。


 記憶の整理でも無意識の懐古でも何でもいいが、これはあまりに脈絡が無い。果たして本当に夢なのか、と疑わしくなってきた。

 だが夢は覚めない。俺は通路を歩いていく。冷え込んだ空気を夢から感じるのは妙だ。いや、待て。冷静になるべきだ。この状況で一番妙なのは何だ? この夢自体か? いいや、違う。全く因果の糸が見えないという事だ。つまり人間が存在しない。

 歩いていたら、奇妙な海が現れた。俺の知る海より黒く、水気を感じない。暗黒がそのまま蠢いているような海が渦巻いている。甲板に立った覚えはないが、後ろを振り返らないならここはどこかしらの海で、俺は船の上に居るのだろう。

 海の中で漂流しているのは、ありとあらゆる生物のパーツ。毛の一本から腕、脚、生殖器、顔、瞳、翼、皮膚。天井から無数の触手が現れて無造作にそれらを掴んでいく。そして掴んだものを組み合わせて、塊のようになっていく。

「…………あ?」

 夢の中の俺は無謀で、触手の塊に触りに行こうと歩き出した。続く道はない。空でも歩かなければ。果たしてそれを可能にするのが夢で、甲板から足を踏み出しても落ちる事はなかった。

 まっすぐ歩いて近づいて行く。触手の塊には所々に穴があって、中の様子を窺えた。

「………………!」

 金髪銀眼。

 およそ人間らしからぬ美貌は顔だけに留まらず、母性的なメリハリを伴ったグラマラススタイルにも及んでいる。美術品のような腕と、陶器のように白い足。滑らか柔らかで温かい。求めていた全てが、そこにあった。理外の存在だからこそ、全てを持ち合わせていた。

「…………ま、き…………な?」

 これは。



 お前の、夢なのか?














「………………ん。うん……まき……あれ」

 夢の内容を覚えたまま目が覚めた。仰向けの姿勢だが、上には何も見えない。具体的には何か大きな物が突っ張って、視界の邪魔をしている。

「あ、おはようございます。有珠希さん」

「……波園さん。ああ、じゃあこれ膝枕……」

「じ、地べたで眠らせたままなのもどうかなって……! すみません。私のせいで」

「いや、謝る事じゃないよ。むしろそれは俺の方で……」

  眠らないなんてそういう規定でも存在しない限り不可能かもしれないが、それでも迂闊だったし、この状況で寝るのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。せっかくうまくいきかけていたのに全てが水の泡になりかねない。

 眠ったおかげで多少目の負担は緩和されたが、彼女を見るとやっぱり糸も付随してくる。このまま膝枕されている訳にも行かないだろうと上体を起こして、目を細めた。

 胸で蓋された程度で糸が視えなくなるんだったら良かったけれど、この糸はそこまで優しくない。トップアイドルに相応しくそのスタイルは同年代としては規格外のグラマラスさだ。あまりにもメリハリがあるから、多分このお店の裏口は通れない。見るからに立て付けが悪くて半分歪んだ扉は、細い身体の人間以外を拒むであろう。こゆるさんも、腰だけなら入れられるが、胸はどうやっても入れられまい。お尻もまあまあ怪しいか。

「……でも有難う。お陰で少し楽になった。これで好きになるなんて事もないけど、とにかく助かったよ」

「……ふふ♪ いいんですよそんな事。今はその方が助かりますから。それよりも有珠希さん、私お腹が空きました。何か持ってたりしませんか?」

「持ってる訳がないな……仕方ない、買ってくるか。波園さん、ここで少し待っててくれるか? コンビニで適当に買ってくる」

「本当ですか! じゃ、じゃあ……ちゅ、注文しますね?」

「そんな風に強欲になってくれた方がこっちは嬉しいよ。頼られてるって感じがするし」

「でも、好きじゃない」

「好きじゃない」

「…………変な人っ」

 まだ多少距離はあるにしても、少しずつ信頼を勝ち取っている様な気がするのは気のせいではあるまい。昨夜と比べると笑顔を見せる事が多くなった。俺が『規定』で好きになる事はないのでどう思ってくれようと自由だ。

 ただまあ、糸は邪魔すぎるか。

 俺が眠っている間は休んでいたくせに、こいつらはなんて都合が良い動きをするのだろう。

「あ、それと文句は言わないでくれ。コンビニのクオリティだ。波園さんくらい有名になると高級店とか行ったりするんだろ。そこと比べたら結構味とか違うんじゃないかな」

「でも、コンビニの御飯って美味しいじゃないですか。我儘とか言いませんよ、こればっかりは有珠希さんに頼ってもどうにもなりませんから」

「ま、俺はコックじゃないしな」

「ではこれを、お願いします」

 渡されたメモ書きを頼りに、俺がリスクを負って買い出しに行く。追われている条件は同じ。俺の事が広まっている様なら無事に帰る事もままならないかもしれない。それでも、餓死だけは嫌だ。

「有珠希さん、絶対無事に帰ってきてくださいね……」

「俺が無事じゃなかったら守れないし、護ろうとする奴も居なくなるだろ。頑張ってみるから、大人しくここで待ってるように。分かったら―――」

 頭を撫でようと手を伸ばして、辞めた。相手がマキナだったら躊躇いなくやっていただろうが、今度ばかりは因果の糸が結果を見知っている。手を開いたまま硬直。何事もなかったように戻して、シャッターを潜った。

「行ってきます」

「―――い、行ってらっしゃい!」

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