セカイは拒んで幾星霜
「だから見るなって言ったんだ……」
やはり一日中警護するのは無理があったのだろうか。隣にはマキナもおらず、俺の負荷を消してくれる存在は彼女以外に居ない。ならば必然この身体には因果を視る事に対する代償が乗せられる。
不思議な事に前後不覚に陥る程の痛みはないが、それだけに恐怖が段違いだ。自分の目がたった今壊れているというのに体がそれをちゃんと感じない。ただ身体から噴き出す物体だけが事実を伝えてくれる。
「な、何で……どうして……? もしかして私が眠ってる間に守ってくれたとか……も、もしそうならごめんなさい! 私呑気でしたよね! 静かにちゃんと眠れたのが久しぶりだからつい……誰にやられたんですか!」
「…………違う。これは……」
言うべきか迷う。こゆるさんに俺の視界など理解されない。そんな景色の事など説明した所で信用を失うだけではないか。現実主義の人間にスピリチュアルな話をしても頭がおかしいと思われるだけだろう。俺の孤独はそれに近い。
「……何でもない。見ての通り俺は元気だから取り乱さないでくれ。病気……もう病気って事でもいい。とにかく大丈夫だから」
「……見せてください」
「何?」
「いいから! 見せてください!」
強引に手をどけられ、その血塗れの顔でアイドルと見つめ合う。俺が掌を押し付けていたせいで、血は滲んで顔全体に広がってしまった。こゆるさんの見る同い年の高校生は、さぞ殺人鬼のように恐ろしい顔になっているだろう。
ああ、やっぱり糸だらけだ。
こうして向かい合っている時でさえも、ただそれだけで好きという感情が湧いてくる事はない。自分でも意味が分からないが、涙が出て来たのは痛みのせいだろうか。
「……眼に罅が入ってるなんて、あり得るんですか?」
「さあ。そういうのには詳しくないんだよな。俺はただ目を酷使しただけだ。自分でもこうなるとは思ってなかったけど」
「酷使って……こんな風にはならないです! これじゃまるで消耗品じゃないですか!」
彼女は自分の立場を分かっているのだろうか。終われているのはそっち、心配されるべきもそっち。なのにどうしてそんな風に……目を腫らして、泣いているのか。
「…………波園さん。ちょっと奥に行こうか。ここじゃ声が漏れてバレるかもしれない」
「え? え?」
「……そういう顔されるの嫌なんだよ。信じるかどうかは勝手にしてくれ。ずっと心配されてちゃたまんないから俺の事について教えるよ」
と言っても、話せることはマキナからの受け売りだ。聞いた事を話すだけ。何かなら何まで教えても頭に入らないと思ったのでかいつまんで視界の事を話した。こゆるさんは眉を顰めて怪訝そうにしていたが、最後まで話を聞くくらいの好感度は残っているようだ。
散々否定された、俺のセカイの話。『在る』筈の物はただ一人の人間の中にしかなかった。同じセカイを共有できたのはただ一つのキカイのみ。金髪銀眼の美女、幻想の化身、秩序の支配者。
真の理解者はそれ以上必要ないかもしれないが、彼女に隠し事は良くない。その意味や実際の正否に拘らず、秘密自体が好感度を下げる。
「…………だから、俺は波園さんの不思議な力についても分かってるし、効かない。下心なんて持ちようがないんだよ。普通の人間を視続けたらこうなる。信じなくてもいい。それは勝手にしてくれ」
「…………し、信じます! でも、そんな眼ならやっぱり私を助ける理由が……私を好きじゃないなら、ここまでしてくれる理由なんてないじゃないですか!」
「好きだったら味方出来ないでしょ。だから言ったじゃないか。そうするだけの理由があるんだって」
「じゃ、じゃあその理由を教えてください! このまま知らずに居たら……有珠希さんを殺してしまうかも……!」
「―――あ、それ。それが理由で大体合ってる」
ここは廃屋。血を洗い流す事は期待できない。ぐしゅぐしゅと袖で血を拭って何とかまともに見せかける。糸を直視しない様に―――即ち、目を瞑ればいい。何も視ようとしなければ負担はない。ただし、因果の糸は瞼の有無など関係なしに、何となく存在を感じてしまう。負担はないので、いつもこうだったらいいのに。
「別に君を守らなくても俺の理由ってのはどうにでも出来る。しかしその場合、君は間違いなく殺されてしまう」
「……え。ころ、され。る? ……有珠希、さんに?」
「違うよ、もっと強いの。普段の俺に人を殺す勇気はない。目の前で死なれるのも避けられるなら避けたくて、だから骨を折ってる。それだけ」
マキナは人間に関心を持たない。俺は運が良かっただけ。今まで辛うじて生き残ってきた奴らも俺の気分を害さない様にというアイツなりの配慮のお陰だ。それは感心があるのではなく取引相手に対する尊重に近い。例えば俺が人の生死になど興味なければ、もれなく全員殺害されていた筈だ。
「……わ、私の為に守ってるんですか?」
「俺は波園さんに死んでほしくない。妹が大ファンだし。後、その力で困ってるみたいだしさ。死体も出来れば見たくない……色んな理由があるよ。だから守ってる」
「好きじゃないのに……?」
「好きじゃないのに。好きじゃないから守れてる」
言葉にすると複雑な感情があるみたいで困る。これは本当に単純な話で、俺は事務的に守っているだけだ。それにしては身体を酷使し過ぎているけれど、元よりマキナと出会わなければ長生きするつもりもなかった。かつて決めていたタイムリミットは妹に彼氏が出来て、俺から離れようとしたら。
その時が来るようなら俺は喜んでその背中を押して、人知れず姿を消しただろう。何処で死ぬかとかは決めていない。その時が来たら決める。
「あーそうだ。俺がこんな感じで話してるし、そっちも堅苦しい喋り方やめればいいんじゃないか。実際同い年くらいだろ俺達は」
「え。あ。ああ。はい。あ、うん。え? でもそれはちょっと……なんか」
「悪い。無理強いはしないうp。そうだよな、君がどんな目に遭ったかを考えたら無理もないよ。自分の味方だと思っていた人に何回も襲われてるんだ。そりゃ距離を置きたくもなる……ま、出来ればでいい。出来るようになったら、嬉しいってだけだ」
単純に敬語は俺が窮屈だ。敬われるような人間じゃない。敬意などあってはならない。俺は部品目当ての男。心からこの人の不幸を嘆いた事なんて一度もない。
―――さて、早く信用して欲しいんだよな。
俺がどれだけ好感度を稼げるかで、マキナの家に向かうべきか決まる。ちゃんと合意を取っておかないといざアイツの目の前で暴れられたら守れない。もしかしたら無傷で取り出せるかもしれないし、無傷では済まないかもしれない。
『存在』の規定を取り出した時は記憶が無事では済まなかったので、何かしら代償は払わせられるかも。ここからが俺の腕の見せ所。そういう代償を納得させられるかどうか。
マキナが俺に近づいてこないのは、自分が居ると話が複雑になるという判断からだろう。基本的にポンコツだけど、たまにはクレバーな気遣いをしてくれる。
「…………ああ、疲れたな。夜からずっと…………」
「その件は……ごめんなさい。ここ、安全なんですよね? だったら少し休……有珠希さん? ね、寝てる……」
マキナを視界に収めている時と同じように、目を瞑れば負担はない。これ以上は受けられないから休みたい。そんな些細な気の緩みから―――俺は自分が眠ってしまった事にも気づかないのだった。
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