シキミヤウズキの摩耗

 片時も休む事なく護衛をするというのも骨が折れる。人間の体の体力はどんな怪物だって有限だ。後五分、後五分。ほんの少しでいいから眠りたい衝動。同時に糸の嫌悪感も相まって俺は寝る事を許されなかった。この糸に繋がったらどんな事になるかを想像するだけでも全身が総毛立つ。何回も何回も何回も、幻覚でも見ているみたいに糸を切り続ける作業は苦痛を通り越して単純に億劫だった。こゆるさんの力は本人には制御不可能。だから俺が頑張るしかない。

 そんな傍迷惑なアイドルも最初は警戒心から眠ろうとしなかったが十五分おきで行動せざるを得ない状況にさぞ精神を摩耗させていたのだろう。否応なしに身体は疲労を訴え、気が付けば眠っていた。最初はこのまま夜が明ければいいかと思っていたが、流石にトップアイドルを便所で寝かせるのは抵抗感がある。

 時間帯的にも誰もここを探してはいないだろうから、ベンチで寝かせる事に。ただトイレに比べたら清潔かもしれないが寝心地はどっこいどっこいだ。仕方なく、膝枕を用意した。

「…………これでいいのか?」

 彼女を好きでたまらないファンであればこういう状況も役得と喜べただろうに、俺には何のこっちゃ。理想はこうしてのんびりしている所にマキナがやってきて全てが解決する事だが、世界はそう都合よく俺に傾いてくれない。だがそうやって辛く当たってくれたからこそ、マキナと出会えたとも言える。

  上を見れば熾天の檻。赤い糸は燃えているかのように妖しく輝き、今宵の月を細かく切り刻んでいる。果てが見えないほど大きく膨らみ、今にも月さえ覆ってしまいそうなほど果てしない。ああいっそ、覆ってくれればこんな思いはしなくて済むのに。

 糸を切る。彼女を守っている限り繰り返さなきゃいけない。それでも俺はやる。何故なら、そうするだけの理由があるから。それがキカイと交わした約束だから。

「明日になったら何処に行きゃ見つからねえかな……」

 流石に明日もここに閉じ籠っているのはいただけない。たまたまここに誰も来なかっただけで、絶対に人が入ってこない保障はないからだ。そして普段は嫌々大衆に紛れて暮らしているので人目の少ない場所というのもさして心当たりがない。

 「呑気にベンチなんかに座って、そんな調子じゃ見つかりますよ有珠さん」

「……兎葵?」

 首で揃えた小さなツインテールが特徴的な女子、羽儀兎葵。何故か俺の事をある程度知っており、またこの世界の法則にも付き従う気はないアウトロー。マキナと違って糸塗れだが、どういう訳かある程度心を赦している自分が居た。

「その人が波園こゆる……ですか。貴方を枕にのんびり昼寝なんてお気楽なもんですね」

「昼寝って時間でもないけどな。俺だって移動したいけど行く当てがないんだよ。それとあんまり悪く言わないでくれ。俺はこの人に好かれないといけない」

「……はあ?」

「まあ色々あるんだよ。それに、味方が簡単に消えていく中で走り続けたんだ。同じ立場なら俺だって爆睡する。この人のファン……こゆらーだっけか。よりにもよってクラスメイトがそれなせいでえらい目に逢わされたけど、本人とは分けて考えなきゃな」

「…………分けて考えられるなんて、随分余裕があるじゃないですか。あんなに泣いてたのに」

「や、そうでもないけど」

 ただこゆるさんから伸びる糸の相手をしていたら心が空虚になって、とどめのように現れた兎葵の糸が視界負荷となって感情を表に出している場合ではないというだけだ。ただ一つ漏出するとしたらそれは怒り。ただ生きているだけで俺に苦痛を与えてくるこの糸と―――それに蝕まれた人間全てに対する怒りだけだ。

「なあ、逃げるのに良い場所知らないか?」

「―――私を頼るって選択肢はないんですね」

「声を掛けてくれた事には感謝してる。けど言うて他人だろ。お前が恩着せがましくない奴なのは分かってるけど…………悪い。こういう生き方だから頼るって行為が苦手なんだ」

「キカイにはあんなに頼ってるのに随分かっこつけますね」

「マキナと一緒に過ごしてると現実感がないんだよな。なんか気持ちがふわふわしてさ、夢の中にいるみたいだ。実際あんな奴、現実に居るかどうかも疑わしい。目の前に居ても、実際に触っても、俺の中の何かが認めてない。そんな奴だから……頼れるんだろうな」

 それは丁度、妄想の中であれば人間は最強になれるように。学校に来たテロリストを撃退なんてちゃっちい事は言わず、指一本でビルを倒す事だって出来る。マキナの存在は幻想的で、俺の中ではそれと同じ。

 出来ない事が出来る。それが妄想。幻想の住人にふっかけるには不足ない行いではないか。

「…………商店街の通りの端に、閉店した眼鏡屋さんがあります。かつて『幻影事件』で一家が死亡した名残です。そこはシャッターが半開きになったまま放置されているので、その気になれば入れると思います」

「勝手に助けるなよ」

「そっちこそ救われた気にならないで下さい。何処か良い場所を聞かれたから答えただけです。そこまで言うならこれ以上は何もしません。どうぞ、その重そうな人を背負って何処へなりと行ってください。ばか」

 兎葵は瞬きも終わらない内に規定を使って何処かへ消えてしまった。一体どんな基準を改定して瞬間移動しているのか気になるが、今はそんな事よりもこゆるさんだ。

「……波園さん」

 起きない。当然だ。泥のように眠るとはこういう状況を指す言葉であって、泥はどうやっても起こせる物体ではない。あんまり重い物を持つと―――いや、女性に対するデリカシーとか関係なく死活問題として―――翌日に響いて俺がどうしようもなくなってしまうが、背に腹は代えられない。どのみち移動しなきゃ詰みだ。

「…………あー重い」

 スタイルがどうとかではなくて、単純に血液と肉と骨が重い。お姫様抱っこという持ち方が元凶だなんてわかり切っているが、これ以外に自然な持ち方を思いつかなかった。幸い、こゆるさんが目覚める展開にはなっていない。俺が我慢すればいいだけの話だ。

「………………『重さ』の規定とか、ねえのか」

 糸にやられそうなので眠れないし。一睡も出来ないのは辛いし。信用される為に守り続けるのは面倒だし、いつまで守ればいいのかと思うと苦しいし。全く本当に馬鹿馬鹿しくて下らなくてしょうもなくて。マキナとじゃれてた方がまだマシだった。


 それでも、やらなければいけない事だ。


 何故なら、そうするだけの理由があるから。そうしなくてはいけない覚悟があったから。
















 糸の動きを見れば、警察の動きも簡単に把握出来る。普段以上に目を酷使しながら、商店街の死角とも言うべき場所で要は閉店した店の中だ。俺がひねくれているせいであんな言い方になってしまったが実際隠れ場所の情報を提供してくれた事は助かった。もう少し余裕がある時に―――素直になれる時に―――お礼を言っておかなければ。

 今はとてもじゃないがそんな余裕はない。朝の四時前後まで起きている事もまずいつもの俺ならあり得ないし、糸から目を背けず直視した関係で負荷が溜まりきっている。眼精疲労を通り越して目が弾けそうだ。眠くて仕方ないのに痛いから眠れない。そんなどっちつかずの拷問が続いて、どちらでもいいから直ぐに倒れたい。

 半開きのシャッターから中へ入ると、争った跡が当時のまま残されていた。調べた所によると心霊スポットとも呼ばれているらしいが、今は幽霊なんてものより人間が怖い。埃まみれの椅子を並べてベッドのように見立てると、そこにこゆるさんを寝かせ、一段落。


「…………ぃだぃ」


 言っても、誰かが止めてくれる訳ではない。目を瞑る代わりに両手で顔を覆うと、湿っぽい感触が掌に伝わってきた。



「………………ん。ん、ん」


 

 こゆるさんが、どうやら目覚めたらしい。

「……あれ、こ、ここは……?」

「俺が連れてきた。流石にあのままトイレに籠ってても未来は無かったんだよ」

 シャッターは光源確保のために敢えて半開きのままにしている。彼女からも俺の姿がはっきり見えるだろう。椅子が軋み、床に足をついたような音が聞こえる。

「……有珠希さん? どうしましたか?」

「俺の顔を見るな」

「え、え?」

 寝起きで判断の良しあしなどつかないのだろう。彼女は俺が顔に当てていた手を引き剥がすと―――その感触とニオイで、正体に気が付いた。




「嘘―――血、ですか?」

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