跳ぶ兎と糸遊び

 登校時間には間に合ったが、一時限目には間に合わないという奇妙な状況をどう説明したものか。まさかキカイとじゃれていたなんて口が裂けても言えない。事情を知らない善人は首を傾げるだろうし、一番聞いてはいけない人が聞いたら何をされるやら。

「…………アイツのせいで遅刻したんだけどな」

 俺は悪くない。怪我人の癖に歩き回るアイツが悪い。どうせ学校に来るなら制服を着てくれれば…………いやあ駄目だ。あんな美人は目立つとかいう表現を遥かに超えている。容姿がどうとか以前に髪色も明るいし、自称友人を邪険に扱う事で有名な俺が積極的に絡みに行けばまた妙な勘違いを引き起こすだろう。でもマキナの制服姿は少し見てみたかった気もする。


「すみませーん。トイレ行ってて遅れました」


「うっそだろお前…………」

「珍しく腹を下したんだよ。いいだろ」

 言い訳に便利な理由を使いつつ自分の席に座る。途中から参加した手前、授業を真面目に聞く気はない。後でテスト範囲だけを聞いて教科書を読めば済む事だ。数学だとそうはいかないが、歴史の授業なら何とかな。

 稔彦の視線がそれにしたって外れない。

「……何だよ。腹下してたのがそんなにおかしいか?」

「いやあ、タイミングが悪いなあって同情してんだよ。さっきまで未紗那先輩が来てたんだぜ??」


 …………。


「マジ?」

「お、珍しく食いつきが良いな。如何にお前とて未紗那先輩の魅力には抗えなかったってか! いやあそりゃあもうみんな大騒ぎよ。いやあ楽しかったなあ~不幸な不幸な有珠ちゃんよお!」

「………………」

「―――ありゃ?」

 有珠と呼ばれる事も気にならない。頭の中がアイツの事で一杯だ―――まさかと思うがマキナの来訪に気づいていてあえて泳がせた? 俺の動向を探る為に? それならまずい。もしかすると会話も聞いていた可能性が……いや、どうだろう。マキナは呑気な雰囲気でも警戒を怠るような……それもどうだろう。部品が誰かに拾われている可能性を考慮してない様な奴だし。

「…………みれ。未紗那先輩、何か言ってたか?」

「お? いやあ別に。あの人はいつも誰かを助けたり励ましたりする聖人みたいな人だしな。何か言ってるのは俺達の方だよな」


「俺、頼んどいたぜ。推してる子が急に居なくなったから探してくれって!」


「それってニュースでやってた奴! 俺も頼んだわ!」


「いやあ未紗那先輩だったら探してくれるんだろうなあ…………美人で優しくて運動神経も良い。神かよ」


 いや、最強の殺し文句を使えばどんな人間も同じ様にするだろうが、不思議な事に善人は無暗やたらと使いたがらない。使用を重ねれば効力が薄れるというゲーム的なデメリットもないのに、最初は取り敢えず普通に頼む。

 彼らがアイツを特別頼りにしているのはその段階で引き受けてくれるからだろうか。

「この流れだったら、お前も頼んでんじゃねえか? あのニュース見てないのはあり得ねえ」

「知らねえよ」

 テレビ画面を見るのはきつい。映像越しにもたくさんの糸を視る羽目になる。大勢が集まるタイプのバラエティは最悪だ。糸の見過ぎで日に日に耐えられる時間は増えているがそれでもいつか限界は來る。耐えられると言っても日常的に目視する分には大丈夫というだけで、酷使は身体に影響を与える。マキナという回避手段を得ても尚、そんな強引に使おうとは思わない。

 大体、アイツを回復手段として当てにするのはおかしい。それが成立しているのはマキナに糸が結ばれない―――負荷その物がないからで、俺が回復と言っているのはゼロの事。ゼロは回復ではなく現状維持だ。問題はそのゼロが現状唯一無二なので結果的にそう思えているだけというか。

 どうしてマキナ以外の物は糸が繋がってしまうのか。キカイじゃないから?

 短期的な酷使はないが、長期的にはどうだろう。日に日に見える糸の色が増えていくのはこれのせいではないだろうか。テレビなんて見た日には明日にでもまた別の糸が視えるようになる可能性がある。見たくない。

「一回マジで聞きたいんだけど、波園ちゃんを知らん感じ?」

「……いや、名前だけは流石に知ってる。それを聞いたらな。妹がファンだった記憶がある。大分前の記憶だけど。でもそれだけだな。居なくなったのか?」

「生放送で単独ライブやるって時に居なくなったんだってよ。関係者が慌てて探してるけど消息が見つからないらしい。俺達も毎日探してるぜ、この市内だけど」

「テレビって事は都心の方だろ。何時のニュースか知らんが、こっちには来てないんじゃないか。というかお前等の使命感とか正義感ってそんなものなのか?」

 だとしたら薄っぺらいというか口だけというか、実にしょうもない奴だ。口だけなら何とでも言える。聖人様にだってなれる。預言者の如く失敗をあざ笑う事も出来れば、さも他人の成功を俺のお陰だと嘯く事も出来る。善人でいたくて仕方ないのなら、いっそ世界を飛び回って活動すればいい。

 それが純粋に善行なら、俺だって何も言わない。


 ―――ま、無理だろうけどな。


 この気持ち悪い風潮は何もこの国だけの話ではない。全世界に通用する常識だ。戦争準備をしていた国はあらゆる兵器を放棄し、国家転覆を企んだテロリストは直ぐにでも和解。政府に食糧を求めていた貧民も沈静した。

 理屈なんてない。大局を見ればこの世界は平和になってしまった。お蔭様で心底から過ごしにくいと思って日々を過ごしている。

「俺らだけ動いてるって訳じゃねえし。全国のファンが一斉に探してんだ。まあ五日くらい見つかってねえけど……」

 戦いは数、というより。何事も数的有利は働く。特に人探しは有効だろう。一昔前、警察が指名手配という手法を使っていたのはそういう意味だ。もしそれが正常に機能していても見つからないとしたら、可能性は一つに絞られる。

 …………におうな。

 部品のニオイだ。錆びついたオイルのニオイがする(そんな臭いはしない)。

「知ったからにはお前も探してくれよ! 俺達を助けると思ってさッ」

「絶対に断る」



「では、出て行ってください」



 予想外の方向―――歴史の先生が俺に向かってヘルメットを投げつけながら吐き捨てた。

「人助けをしないようなロクデナシに授業を受ける資格はありません。成績には一をつけておきます。テストの採点も〇点で決まりです。出て行きなさい。非常に不愉快です」

 稔彦の方を見遣る。俺を軽蔑するでもなく、ただ嗤っていた。それはコイツに限った話じゃない。真面目に授業を受けていた筈のクラスメイトも全員俺の方を見て、嗤っている。赤と白と青の糸がカタカタと動きながら、その繊細な表情を作り出している。


 ―――ああ、そういうね。


 稔彦がマキナに告白するかどうかという時に、俺はテストの成績を気に掛けていた。成績が気になるなら協力しろと、そう強制したい訳だ。

「…………そう、か。分かった。分かりましたよ。出ていくよ。出て行けばいいんだろ。成績に関わらないなら授業だって出る意味がない」

「今後一切、学校に来なくて結構です。他の先生方にも言っておきます。それと万が一にも卒業は無いと思いますが、我が校に求人を出してくれる企業や大学にも貴方だけは通すなと伝えておきます。皆さんとても善い人ですから、君と違って対応してくれるでしょう」

「そこまでされなくちゃいけないんですか」

「波園さんは国内の若年層に大人気のトップアイドルです。それを探さない人は、然るべき報いを受けるのが道理でしょう」

 鞄を抱えて教室を出ていくまでの間、八割のクラスメイトから鉛筆やハサミを筆頭とした鋭利な物体と、筆箱や弁当箱をはじめとした重量物とを投げつけられる。雨あられと降り注ぐ報復とやらを、俺は悪人として受け入れた。



「………………ぇ?」



 眼の辺りが痒くなったかと思えば、自分が泣いている事に気が付いた。

「……は。ははは。馬鹿みたいだなあ、俺は」

 善を良しと謳う世界に、俺は善を嫌っている。学校は教育機関。その意義は学生を社会に適合させる為に大人達の手でどうにかする場所。今まで問題を起こさなかったのが奇蹟なだけで、そこに元々俺の居場所はなかった。

「…………親は、庇うかな」

 庇うまい。理由を聞けばあちらの味方をするに決まっている。一先生にそんな権力はないかもしれないが、善人は等しく最強の殺し文句もとい免罪符がある。何の強制力も働いていないのに、善人が善人である限りこれには抗えない。

 顔が痒くて仕方ないので顔を洗う。洗っても冷たいだけ。痒みは次から次に溢れてくる。誰でもいいから俺に規定を施してはくれないか。こんな厄介な物が二度と流れないようにしてくれないか。



「…………大丈夫ですか」




 藍色のダウンジャケットを来たツインテールの少女が、昇降口の手前で立っていた。マキナを伴って追っていた筈の少女、直ぐにでも知らせるべき存在だが、今はそんな気分にならない。

「………………そう、か。あの時の声の……」

羽儀兎葵はばぎとまりです。何があったんですか? 私で良ければ……話を聞きますけど。暫く暇ですから」

 惨めだという気持ちがあるのは、プライドが高い証拠だ。年下の少女にこんな姿を視られてとっくに惨めなのに、これ以上落ちぶれたくないと思う自分が居た。マキナだったら、こんな気持ちにはならなかったと思う。格好悪いとは思ったけど、アイツは人間社会に関心が無いから。

「…………………………」

 色々考えた末に、無視する事にした。考え得る限り最悪の選択なのは分かっているが、これ以上喋ると涙が止まらなくなりそうで。それが醜いから隠した。すれ違うように肩を横切り、校門の外へと歩いていく―――




「待って、有珠さん」




 思わず、足が止まった。

「………………名乗った、か?」

 私と話す気に、なりましたか?」

 有珠。

 女の子みたいで、嫌いな名前。でもそれ以上に気に喰わない理由が、胸の奥底にあるような気もする。とにかくそう呼ばれるのを嫌っていたお陰で、多少涙も引っ込んでくれた。

 下らない意地が顔に出てくるなら、俺はまだ喋れる。







「……いいよ」

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